決別
隼人が居ない学校生活は、正直、やはり愉しくなかったし、苗字が変る事で起り得る「リスク」に対する不安が頭を擡げていた。
露骨に困惑を滲ませる恵に美音子が畳み掛けるように続けた。
「私の事を快く想ってない誰かが、苗字が変る事で何か仕掛けてくるかもしれないの」
「そんな些細な事で他人を陥れよう!なんて考える人が居る?」
「そんなもんだよ、イジメなんて・・・・・・・キッカケなんて、どうだって良い、何でもキッカケにできちゃう」
恵は親の都合で振り回してる事も自覚していたが、流石に美音子の希望を二つ返事で受け入れる事は出来なかった。
美音子が望む返事をしてやれずに、流れる沈黙に耐えハンドルを握っていると美音子が口を開いた。
「ねぇ、もしかして、家に帰ろうとしてない?」
「そうだけど、それが何?」
「何って・・・・・・・まだ何一つ解決してないよね、話し合わないとならない事もあるし、だから、どこか、静かな所に行きたい、何かそのまま丸く収めようって魂胆がヒシヒシと伝わってくるけど、ちゃんと説明して欲しい事が沢山有るからね、きっちり決めていかないとならない事もあるし、その辺り、クリアーにする努力してくれないと私としても困るからね」
どこか冷たく響く娘の声音に恵は気が一層重くなるのを感じながらもハンドルを握りしめ直し、とりあえず静かな場所を求めて走った。
「どう?此処で」
「良いんじゃない?」
小高い丘にある中規模の公園の駐車場に車を停めて美音子の様子を横目で伺った。
何の悩みも無ければキレイな夜景を堪能出来たのだが、今は堪能できる状況ではなかった。
「とりあえず私達、いつまでに、あの家を出て行けば良いの?」
「今月一杯って事になってる」
「もう何日も無いじゃん!そんな直ぐにアパート見つかるの?目星は付いてるの?」
「見つかってないわよ!だから決まるまで実家にお邪魔しようと思ってるの、だから帰ったら、とりあえず自分の荷物を断舎利して?」
「おばあちゃんの家か・・・・・・・アパート見つかるまでホテル住まいってワケにはいかないの?」
思わず気分が滅入った。
美音子は物心ついた頃から、何かと厳しい祖母が、ずっと苦手だった。
「無理よ!これから今まで以上に切り詰めていかないと・・・・・・・」
躊躇無く却下され美音子は盛大に溜息をついた。
それでも、もう祖母を頼るしかないのが現状という事も理解していた。
「おばあちゃんを頼るのはアパート見つけるまでの短い間だけだから我慢して」
「本当に早く見つけてきてよね!!」
「わかってる、話が済んだら帰るわよ、荷物もまとめないとならないし、即入居可能な物件も探さないと」
「待ってよ、まだ話は済んでないよ」
エンジンを掛けようとした恵の手を掴んで問い詰めた。
「・・・・・・グレたりしないから、ちゃんと本当の事を話して欲しいの、私の本当の父親の事、どんな人なの?」
恵は思わず胃の不快感を覚えながら目を泳がせた。
「もちろん俄かには信じられないけど、都合悪くなると直ぐ嘘つくけど、でもパパのあの話は嘘じゃない気がしてるの、DNA鑑定の結果、見せてって言ったら見せてくれそうな感じだったし」
それでも恵は、昨日まで、美音子は自分と守との間に授かった子だと信じていた。
だから長く燻り続けてきた小さな「不安」(こころあたり)に蓋をして、無かった事にして今日まで来たのだが。
「確かに、結婚してから、あの人じゃない人と一時的に付き合っていた事が有ったのは事実だけど、お互いに責任が取れないような事態にならないように細心の注意を払っていたし、私はあの人の話は、やっぱり信じられない」
「ママが信じるか信じないかは、この際置いておいて、その人とは、どうして付き合う事になったのか聞きたい」
交際が始まったのは結婚後だったが、知り合ったのは結婚の前だった。
出会いは規模の小さい個人病院だった。
恵と、疑惑の相手、要は、お互い同じ時期に怪我で入院していて、ディールームで顔を合わせるようになり意気投合して、けれど連絡先を交換するようなことも無く、ほぼ同じ位の時期に退院し、そんな出会いが有った事さえ忘れた頃、お互い新婚時代の頃にショッピングモールでパートとして働き始めた恵は客として来店した要と再会を果たした。
その後、特に会う約束を交わしたわけでもないのに頻繁に会うようになり、やがてケンカしたわけでもないのに会う機会も減って自然消滅を迎え現在に至っていた。
要が現在、どうしているのかは恵も把握していなかった。
とりあえず恵は美音子に要との出会いと再会、そして結末(現在)について掻い摘んで話して聞かせた。
血液型が守も要も同じだったので美音子の血液型で青くなる事はなかった。
出来れば墓場まで持っていきたい秘密だったが、美音子に対して秘密が無くなった事で気持ちが軽くなった。
一方で美音子は消化しきれない複雑な気持ちに苛まれていた。
「・・・・・・・とりあえず帰ろうか、荷造りもあるし」
美音子の方から帰る事に理解を示してくれた事に恵はホッとした。
帰宅後、断舎利を進めていた美音子の目に、守が落とした携帯ストラップが留まった。
ジッと凝視した後、悩みに悩んで捨てる物を入れたダンボールの中に入れ、溜息をつきながら他の所有物の分別を進めた。
「進んでる?」
不意に後ろから恵に声を掛けられ美音子は振り返った。
「うん」
「手伝おうか?」
「良い」
テキパキと分別を進める美音子から、ヒシヒシと伝わる蟠り。
その蟠りを解消する為に恵は意を決し謝った。
「・・・・・・ゴメンね、こんな事になって、美音子にも本当に不自由させちゃうわね」
美音子は手を止め沈黙して言葉をまとめ背を向けたまま告げた。
「良いよ、もう、確かに不自由になるけど不幸になるつもりは無いからね!その為にも、パパの事は忘れる事にしたの、パパに関る物は全て捨てる事にした」
「そう・・・・・」
「それと、学校の事だけどさ」
「・・・・・・うん」
美音子は完全に手を止め対峙した。
「おばあちゃんの家でお世話になってる間は、とりあえず普通に学校行く、フリースクールとか言ったら烈火の如く怒りそうだし」
恵は何とかシングルマザーとしてのスタートが切れそうな状況に安堵しつつ、美音子の考えに納得して見せて自分の荷造りを進めた。
程なく迎えた大型連休。
その休日を利用して美音子たちは恵の実家に身を寄せた。
美音子達が窮屈な生活を始めている頃、好美はプライベートでは相応に平凡な日々を送っていた。
特に遠出する事は無く、地元で家族との時間を過ごしていた。
足を運んだ近場のスポーツ広場で催された祭の会場で好美は真希に会った。
喧騒さえ祭の一環と堪能しながら真希は小学校時代の親友、久保田響と屋台の通りを練り歩いていた。
「あ、ヨッシーも来てたんだ、こんにちは」
真希は好美の家族に挨拶した。
「こんにちは」
「真希ちゃんも来てたんだ?その子は?」
「小学校の時の友達」
「そうなんだ?部活の帰り?歩ちゃん一緒じゃないんだ?」
「・・・・・まあね」
深い意味は無かったのだが、歩に関して問われた真希は一瞬、困って見せた。
そして真希から切り出した。
「じゃ、また帰ったらラインするね、またね」
「うん!後でね」
久し振りに一家で夕飯を愉しんだ後、程なく真希からラインが届いた。
『やっほー、お祭楽しめた?あの後、私は焼きソバを堪能したよ、堪能したのに夕飯もしっかり完食しちゃった、恐るべし成長期!体重計が怖いよー!でも平気!明日も部活で走るから』
『楽しめたよ、大丈夫!私もお好み焼きを堪能した後の夕飯を完食した所だよ、私は写真部なので走る予定が無いよ、当分体重計には乗れない』
好美がウエスト周りを気にしながら返すと平和な感じのスタンプが送られてきた。
そして今度は絵文字もスタンプも無く、気になる一文が届いた。
『実はさ、歩の事でモヤモヤしてる事が有るんだ』
「歩ちゃんの事・・・・・・・?」
返信しかけていると次のメッセージが届いた。
『ちょっと長くなるし、不快に感じるかもしれないけど付き合ってくれる?』
『勿論!私でよければ聞くよ?何があったの?』
『少し前に歩が大会の選手に選ばれたんだけど』
『流石だね、歩ちゃん』
思わず感心していると。
『なのに大会を辞退するって言い出して』
『え、何で?!』
『先生にドーピング仕組まれるからとか、前科があるとか失礼な事を連発してた!言いたい放題言った後、出たくても出れなかった私たちの前で選手生命絶たれたくないから辞退するって啖呵切って』
ラインを受け取った好美も、その内容に流石に不快感を覚えた。
『最初は羨ましい、悔しい気持ちの中にも素直に応援する気持ちもあったんだけど、流石に今回は目に余るものがあったから諌めたんだけど聞く耳持たない状態、部活には一応出てくるけど、先生とバトルする為に来てるような状況で、先生も毎度の事ながら困り果ててるしさ、何か歩の味方する気になれなくなっちゃって』
スタンプも絵文字も無い文章から、真希の怒りがヒシヒシと伝わってきた。
『それは歩ちゃんが間違ってるよね』
『しかもさ、更に休み明けからは部活動にも参加しない!って啖呵切って、認めるのも何か悔しいけど実力も有るから一目置かれて尊敬だってされてるのに』
『酷いね!自分が恵まれてる事に気づかないのかな、皆の気持ち踏みにじってる事に気付かないのかな』
その後も真希の怒りのラインを受け取りつつ、好美も歩に対して不快感を抱いて思わず悪口に便乗した。
『もうさ、歩が可哀想で友達してきたけど、これは、もう友達止めて良いレベルだよね?』
『歩ちゃんと友達で居続けるメリットを感じないなら絶交って選択も有りだと思う、っていうか私も、縁切ろうかな、そんなデリカシーに欠ける人だと思わなかった』
好美が自分の考えを送った所でタイムリミットを迎えた。
部屋の外から耀子が声を掛けてきた。
「時間だから、スマホ貸して」
「はい」
『ゴメン、タイムリミット来た、また休み明けに学校でね、おやすみ!』
それだけ送信して、耀子にスマホを渡した。
連休明け、テンションが上がらない放課後、好美は一人帰路についていると、前方に目立つ後姿を発見した。
何となく気付かれたくなくて電柱の影に身を隠していると、真希も下校してきた。
「何してるの?ヨッシー」
「真希ちゃん、部活お疲れ、鏑木さんが前を歩いてたから、何となく隠れてた」
「本当だ・・・・・・・部活も出てきてないのに、こんな時間まで、どこで何してたんだろう」
真希も何となく身を隠した。
「やっぱ本当に部活休んでるんだ?」
「うん!」
そんな話をしていると気付けば歩は居なくなっていた。
「あれ、歩もう居ない、歩くのも早いな・・・・・・まぁ良いや、私達も帰ろうか」
「うん」
2人、帰路につきながら歩の事を話し合った。
「日記でさ、ズバリ書いちゃおうかなって考えてる、丁度私のところで止まってるから」
「それが良いよ」
「・・・・・・・・・何て言うかな、歩」
「何て言うかな・・・・・・・・でも悪いのは鏑木さんだし、はっきり言う権利は真希ちゃんにも有るし」
真希は好美に背中を押され微かに残ってる迷いを振り切り日記で絶交宣言する決意を固めた。
翌日、好美が教室に入ると歩の席に「嫌がらせ」が施されていた。
枯れた菊の花と水浸しの椅子・・・・・・・・。
やったのは勿論、悠太だった。
歩とは縁を切る気で居たが、その気持ちに変りは無いが、やはり、目の前に広がる光景は不快だった。
「・・・・・・・・・」
「為末さん、おはよう」
思わず入口で立ち尽くしていると、窓際の席で同じ班の女子が手を振ってきた。
「おはよう」
歩の席から強引に目線を引き離し、自分の席に着いた。
そして思わず感想を述べてしまった。
「っていうかさ、甲本、ちょっと、やりすぎだよね?」
声を潜めながら悲惨な状態の歩の席を見て、一瞬、悠太に目線を流し、目が合いそうになって慌てて視線を教室の扉に流した。
丁度そのタイミングで、冴えない顔色で歩が入ってきた。
歩は表情1つ変えずに枯れた花を捨てると椅子をきれいに拭いて腰を下ろした。
何かに耐えるように、じっと前を向いて無表情をキープしている歩に、悠太が力いっぱい消しゴムを投げつけた。
そして教室中を見回した。
同じ事をしないと自分が次のターゲットになる。
別段、歩に恨みは無かったが、クラスメイト達は物を投げつけた。
無表情を懸命にキープしていた歩の顔は歪んでいった。
本心はイジメに加担したくない好美は、蛍光ペンと迷ったが当たっても、それほど痛くない雑巾を投げつけた。
雑巾は、歩の所まで届かずに手前で落下した。
やがて腰を上げた歩。
けれど、どこかに行こうとしてる歩に悠太が足を引っ掛けた。
激しく手足を打ち付ける歩に好美は思わず腰を上げかけたが。
歩は悠太を椅子ごと転ばせ反撃に出た。
教室に響き渡る音と頬にしっかり残る手形。
暫し呆然とした後、まだ呆然としてる悠太や他のクラスメイトを残し歩は鞄を手に教室を飛び出していった。
「・・・・・・・とりあえず1時間目は自習なんで皆適当に過ごして下さい」
悠太は、まだジンジンする頬を撫でながら、伝ってくる鼻血を気にしながら、クラスメイトに自習を促し、席に座りなおし、教科書を開いた。
ダラダラと一時限目が過ぎ、短い休み時間を迎えて直ぐ、翔が教室の外で誰かを待っていた。
好美がトイレに行こうと教室を出ると呼び止められた。
「あ、為末だっけ?悪いんだけど、歩、呼んで?」
「鏑木さんなら早退したよ」
「え?そうなの?」
「うん」
軽く頷き、立ち尽くす翔を残し、トイレに入ろうとした時。
「ヨッシー」
「真希ちゃんもトイレ?」
「うん!っていうか、今、翔君と何の話をしてたの?」
「あー、何か、鏑木さん呼んでって」
「・・・・・・呼んであげたの?」
「ううん、朝、一瞬来てたんだけど、帰っちゃって」
「帰った?」
「うん、甲本の事、引っ叩いて教室飛び出していった」
お互い、微かに歩を心配する思いが渦巻きながらも、あえて口にせず、それぞれ個室に入った。
ほぼ、同じタイミングで出てきて、手を洗いながら、真希が申し訳無さそうに頼んできた。
「ところでさ、ヨッシーのクラスって、今日、社会ある?」
「うん、あるよ、6時限目に、何で?」
「良かった!ゴメン、うちのクラス、次、社会なんだけど教科書借りて良い?」
「良いよ!」
「ありがとう」
朝から何だかショッキングだったが平凡に放課後を迎え玄関を出ようとした時、歩の右側の上履きを持った高浜と鉢合わせた。
その上履きは砂が詰まっていた。
(今日は余裕が無くて置いて帰っちゃったんだ・・・・・・・)
思わず、その幼稚な嫌がらせに不快感を滲ませ、上履きを凝視していると、逆さにして砂を捨てて不意に間合いを詰められた。
「おい」
(もしかして、私がやったと思われてる?)
「・・・・・・・・はい?」




