嘘つきと嘘つき
いつから、目が覚めていたのだろう。私は今、スレン様によってベッドに押し倒され、両手を拘束されていた。鼻先が触れ合いそうな近すぎる距離に、彼の顔がある。
彼は普段の優しい笑顔とは違う、自嘲するような笑みを浮かべていて、その冷たい瞳にぞくりとしてしまう。
「ねえ、俺が可哀想だと思った?」
「…………え、」
どうして、そんなことを言うのか分からない。私がスレン様のことを可哀想だなんて、思うはずがないのに。
今にも泣き出しそうな表情を浮かべると、スレン様は冷たい指先で私の唇を撫でた。
「俺を哀れに思って、こんなことをしたんだ?」
「っそんな、私はただ、スレン様が好きで」
「もういいって、そういうの」
棘のある、吐き捨てるようなその言い方に、小さく身体が跳ねる。彼にきつく何かを言われるのは、初めてだった。
「いい加減、俺を解放してくれないかな」
「スレン、様……?」
「君のせいでずっと、辛くて苦しくて堪らないんだ」
その悲痛な面持ちに、私はこんなにもスレン様を苦しめてしまっていたのだと泣きたくなった。ごめんなさい、という謝罪の言葉が口から溢れていく。
私の唇に触れていた彼の手のひらはゆっくりと下がっていき、やがて首を覆うような位置で静かに止まる。
「お願いだから、俺なんか好きじゃない、嫌いって言って」
そんなこと、言えるはずがない。スレン様がどうして私にそんなことを言わせたいのかも、分からなかった。
「そうしたら、今すぐに君を解放してあげる。ブレットくんの治療費だって払うし、家だって何だって全部用意するよ。この先、君が不自由しない環境を用意するから安心して」
「なんで、そんな……」
「俺が大嫌いで、顔も見たくないって言うだけでいい。それだけで、君の前から消えてみせるから」
責め立てるように「早く」と言われ、私は必死に「絶対に嫌です」「できません」と首を左右に振る。
すると彼はやがて、呆れたような笑みを浮かべた。
「……それなら、どうやって君を諦めたらいい?」
縋るような視線に、切なげな声に、胸が締め付けられる。
──そして、同時に気付いてしまう。スレン様はまだ、私を好いてくれているということに。
きっと私が彼を好きだという気持ちは、何ひとつ伝わっていなかったのだろう。けれど、それも当然だ。私は自分勝手な理由で嘘を吐き、偽りの「好き」をずっと彼に伝え続けていたのだから。
けれど、今はもう違う。
私はそっと両手を彼へと伸ばすと、肌荒れひとつない真っ白な頬に触れた。その瞬間、彼の身体が小さく跳ねる。
「スレン様、ごめんなさい。私は、スレン様が好きです」
「だからそういうのは、もう」
「っ本当に、貴方が好きなんです」
彼の瞳をまっすぐに見つめ、言葉を紡ぐ。
こんなにも嘘吐きな私の言葉を今更信じてくれなんて、都合が良すぎることも分かっている。それでも。
「私は、本当にスレン様が好きです。今は本当に、好きになったんです。これは嘘なんかじゃ、ありません……!」
我慢していた涙が、再び溢れ出していく。泣く資格なんてないと自分に言い聞かせても、止まってはくれない。
「たくさん嘘をついてごめんなさい……私の言葉なんて、もう、信じてもらえないかもしれないけど、好き、なんです」
「…………」
「っスレン様が、だいすきです」
こうして言葉にすることで、余計に気持ちが溢れてくる。
『エルナちゃん、いつも頑張っていて偉いね』
『……いえ、我が家は貧乏なので、これくらいは当然で』
『家のことと君が頑張っていることは別だよ。誰にだって出来ることじゃないし、当然でもない。本当に偉いと思うよ』
貴族社会では貴族なのに貧乏だなんて恥ずかしい、そのために努力するのは当然だ、と思われるのが普通で。けれどスレン様だけは、私に対してそう言ってくれた。
あの時にはきっともう、惹かれていたと思う。
「嘘を吐いて、ったくさん傷つけて、ごめんなさい。それでも私はスレン様が好きで、ずっと一緒に、いたいです……」
ありのままの、本当の気持ちだった。
そこまで伝えて、ようやく私は口を噤んだ。涙で揺れる視界の中心で、スレン様は何も言わず、私を見下ろしている。
重い沈黙が続く中、頬に滴が落ちてきて。手の甲で目元の涙を拭うと、ぼやけていた視界がはっきりとしていく。
そして初めて、私は彼が泣いていることに気が付いた。
「──本当に、嘘じゃない?」
また、ぽた、ぽたりと涙が降ってくる。
「本当にエルナちゃんは、俺が、好きなの?」
「っはい、好きです」
「俺は君が思っているような人間じゃない、のに」
「私だって、同じです。嘘吐きで、自分勝手で……」
きっと私は何ひとつ、スレン様には釣り合わないだろう。それでもこれからは、彼に対して誠実でありたい。彼に少しでも近付けるよう、どんなことだってしていきたい。
「……ごめんね。信じるのがまだ、少しだけ怖い」
「そんなの、当然です。あの、私の命をかけます」
私に差し出せるものなんて、何もない。だからこそ少しでも信じて欲しくて、そんなことを言ってみたけれど。彼は驚いたように美しい瞳を見開いた後「分かった」と呟いた。
「嘘だったら、君を殺して俺も死ぬ。それでもいい?」
彼が死ぬ必要なんてないと思いつつ、すぐに頷く。するとスレン様は「ありがとう」と、私の額に自身の額をあてた。
「嬉しい。本当に、嬉しい」
どうやら少しは信じてもらえたようで、ほっとする。これからも彼の側で、精一杯伝えていきたい。
「ねえ、もう一回好きって言って」
「スレン様、好きです。本当に大好きです」
そう告げれば、スレン様は一瞬だけ唇を重ねて。やっぱり泣きそうな顔をして、微笑んだ。
「……俺の方が、ずっと好きだったよ」





