終わりと始まり
「エルナ様、大丈夫ですか!?」
「……え、ええ、ごめんなさい。大丈夫よ」
ガシャンという大きな音が響き、すぐに駆け寄ってきてくれたベティが、割れてしまったティーカップを片付けてくれる。その様子を見つめながら、私は動揺を隠せずにいた。
──スレン様が、私の嘘を知っていた?
信じられない事実に、頭の中が真っ白になる。一体、彼はいつから知っていたのだろう。普通はそんな話を知れば、誰だって怒るはずだ。けれど、スレン様に変わりはなかった。
目眩すら覚えていると「エルナちゃん?」とチェルシーさんに名前を呼ばれて。我に返った私は、慌てて顔を上げた。
「すみません、手が滑ってしまって」
心配そうな表情を浮かべる彼女に対し、なんとか笑顔を作る。震える手のひらを、テーブルの下できつく握りしめた。
「いつ、その話を?」
「私が聞いたのは、1ヶ月前くらいだったかしら」
「……そう、なんですね」
つまり、スレン様が私の嘘を知ったのは1ヶ月以上前ということになる。彼女はそれ以上は何も知らないようで、私は心配をかけないようにと、気丈に振る舞い続けた。
◇◇◇
「ごめんね。食欲が無いから、今日は夕食はいらないわ」
「分かりました。……もしかして体調が悪いんですか?」
「ううん、大丈夫。ありがとう」
チェルシーさんを見送り、自室へと戻った私はベティにそう告げて、ベッドに倒れ込んだ。昨日からスレン様は仕事で数日間、屋敷を空けていることが唯一の救いだった。
今、どんな顔をして彼に会えばいいのか分からない。
「…………っ」
昨日、仕事に行く前の彼の様子だって普段と変わりはなかった。寧ろあの日、舞踏会で婚約を申し込んでくれた時からずっと、彼の態度は変わっていないように思う。
きっと、チェルシーさんの勘違いだ。そう思い込みたいのに、嫌な予感は胸の中で大きくなっていくばかりで。
『ありがとう、ごめんね。……俺は、好きだよ』
『お願いだから、どこにも行かないでね』
『俺はずっと、大好きだよ』
過去の彼の言葉を思い返していくうちに、違和感や予感は確信へと変わっていく。
『スレン様のために私にできることなら、何でもします』
『……それなら、俺のこと好きになって』
──どうして、今まで気が付かなかったのだろう。
スレン様はずっと、私を求めてくれていたのに。私はいつも彼の優しさや好意に甘え、自分のことばかりだった。きっと優しい彼は私の嘘を知っても、何も知らないふりをして、何も言わずにいてくれていたに違いない。
彼は一体どんな気持ちで、私と居たのだろう。どんな気持ちで、嘘吐きの私を好きだと言ってくれていたのだろうか。
スレン様は私のことなんて、覚えていないと思っていた。だからこそ、大勢いる彼のファンの一人として、記憶の片隅にも残らない存在になれていると思っていたのだ。
それでも自分勝手な理由で嘘を吐いていたこと、彼を傷付けてしまってたことに変わりはない。
「っスレン、さま……」
彼に会って、謝りたかった。スレン様のことが好きだと、今は本当に好きになったのだと、伝えたかった。
いつの間にか瞳から溢れ落ちていた涙を拭うと、私は机へと向かい、ペンを取った。スレン様が帰ってきたら全てを話そうと思っているけれど、いざ彼を目の前にすると、うまく言いたいことがまとまらない可能性もある。
自分の中の気持ちを整理するためにも、まずは好きだという気持ちを、ひたすらに綴った。
『エルナちゃんは、かわいいね』
今なら、分かる。学生時代の私はきっと、スレン様に惹かれ始めていた。彼のことを好きになってしまうのが怖くて、自覚もないまま自ら距離を置いたのだ。
私なんかがスレン様のような人に、好きになってもらえるはずなんてない、私は将来お金のために愛のない結婚をするのだから、誰かに恋をしても辛くなるだけだと思っていた。
「……私もきっと、最初から、好きでした」
そこまで綴ると、一度ペンを置いた。続きは明日、書けばいいだろう。彼が帰ってくるまで時間はあるのだから。
「ねえ、ベティ。今日、少しだけ出掛けてもいい?」
「……どちらへ?」
「街中にある、お店に行きたいの」
翌日、カミル様に話を聞きたいと思った私は、ベティにそう声を掛けた。彼は普段、街中で働いていると聞いている。
久しぶりの外出だなんて思っていると、ベティはきょろきょろと周りを見回した後、耳元でこっそりと耳打ちをした。
「どうしても、行きたいですか?」
「えっ?」
戸惑いながらも頷く私に、ベティは続けた。
「そのお店に行きたいのは、昨日からエルナ様の様子がおかしいことにも関係があるんですよね?」
「ええ、そうだけど」
「分かりました。出掛ける支度を済ませたら、庭の青いベンチで待ち合わせましょう。誰にも見つからないように」
どうして隠れるようにして、そんな場所で待ち合わせる必要があるのだろう。疑問を抱きながらも私は頷くと、1時間後にと約束して自室へと戻ったのだった。
やがて約束の時間になり、支度を終えた私はバルコニーから魔法を使い降りて、ベンチへと向かっていた時だった。
「エルナ様、どこへ行かれるおつもりですか?」
突然現れたツタのようなものがするりと身体に巻きつき、身動きが取れなくなったのだ。
いきなりのことに、恐怖で身体が竦む。そんな中、顔だけ振り返った先には一人のメイドの姿があった。
「……アリ、シア?」
「はい」
どうやら彼女の魔法により、私は拘束されているらしい。戸惑う私に対し、アリシアは困ったように微笑んだ。
「ごめんなさい、エルナ様を逃がす訳にはいかないんです」
「どうして、こんな……」
「個人的には貴女のこと、結構好きなんですけどね」
逃がす、とは一体どういうことなのだろう。
なんだか嫌な予感がして、魔法を使おうとした途端、妙な甘い香りが鼻をかすめて。次の瞬間には視界が揺れ、とてつもない眠気に襲われた私は、意識を手放したのだった。





