砂上の恋
「そんなに、前から……」
「うん。4年前かな?」
スレン様の話を全て聞き終えた私は、戸惑いを隠せずにいた。誰よりも遠い存在だと思っていた彼の世界に、ずっと自分が存在していたなんて、想像すらしていなかったのだ。
学生時代に何度か一緒に授業を受けた時から始まり、まさかあのギルドで働いている姿まで知られていたなんて。
長年私に対して好印象を抱いてくれていた中で、私が彼のファンクラブに入り、手紙や贈り物といったアプローチをしたことで、私への恋心を自覚したのだと彼は言っていた。
「ずっと、かわいいなと思ってたんだ」
正直、スレン様ほどの人がそれだけで私なんかを好きになってくれるなんて、信じられなかった。彼の周りには私より美しい人も可愛い人も、沢山いるというのに。
けれど、私と彼は本当に何の関わりもなかったのだ。それ以外の理由だって思いつかないし、きっと事実なのだろう。
「……やっぱり、重かったかな」
「そ、そんなことありません! とても嬉しいです」
「本当に? 良かった。ありがとう」
ほっとしたように笑う彼に、また心臓が跳ねる。嬉しいという気持ちも、もちろん本当だった。好きな男性が、ずっと自分を好いていてくれたのだから。
勇気を出して尋ねてみて良かったと思っていると、スレン様は私へと手を伸ばし、抱き寄せられた。
「大好きだよ、エルナちゃん。多分、ずっと好きだった」
「私もスレン様のことが、本当に好きです」
「……ありがとう、ごめんね」
どうして彼が謝るのか、私には分からない。
「ねえ、俺を見て」
「…………っ」
そっと両頬を彼の両手で包まれ、上を向かされる。スレン様の美しいアイスブルーの瞳に映る、自分と目が合った。きっと今、私の瞳にも彼が映っているのだろう。
──改めて見ても、誰よりも綺麗な人だと思う。その美しさの中には、今にも消えてしまいそうな儚さも感じられた。
やがて彼は泣き出しそうな顔をして笑うと、再び私をきつく抱きしめた。その優しい温かさに、何故か泣きたくなる。
「俺の全部をあげる。だからずっと、一緒にいてね」
すぐに「はい」と返事をすれば、「好きだよ」という言葉が繰り返し降ってきて。心の底から、幸せだと思った。
◇◇◇
「あれ、ナナリーちゃんじゃない」
「チェルシーさん?」
スレン様に甘やかされ、幸せな日々を送っていたある日の昼下がり。相変わらず引きこもりがちだった私は、ベティと敷地内を散歩していたところ、門の前で声を掛けられて。
振り返った先にいたのは、同じギルドで働いていた先輩であるチェルシーさんだった。
彼女は現在ギルドの受付を辞め、服飾関係の仕事に就いているらしい。今も、ドレスを届けにきてくれたようだった。
「やだ、今はエルナちゃんね。ごめんなさい。それにしても本当に侯爵様の婚約者になったのね」
本日の仕事ももう終わりらしく、折角会えたのだ、彼女を誘って庭園でお茶をすることにした。こうして二人で話をするのも久しぶりで、嬉しくなる。
大切な先輩だと紹介したところ、ベティは気合を入れてお茶の支度をしてくれた。積もる話もあるだろうと、今は少し離れているところに待機してくれている。
「そう、結局スレン様のことを好きになったのね」
「はい。本当に素敵な方なんです」
「ずっとエルナちゃんが頑張っていたのを知っているから、幸せそうで本当に良かったわ」
「チェルシーさん……」
彼女には右も左も分からなかった学生時代からお世話になっており、休憩中には色々な相談に乗ってもらっていた。周りに合わせてハンネス様やスレン様のファンクラブに入っていたことも、もちろん話してある。
だからこそ私がスレン様の婚約者になったことに対して、かなり驚いていたようだった。それでも今の私が幸せそうで嬉しいと、自分のことのように喜んでくれている。
そんな彼女の優しさに、少しだけ視界が揺れた。
「実はね、ずっと心配していたの」
「心配、ですか?」
「ええ」
やがてチェルシーさんは静かにティーカップを置くと、眉尻を下げ、困ったように微笑んだ。
「カミルがね、私達の話を聞いていたらしくて」
「……えっ?」
カミル様と言えば、頻繁にあのギルドにも出入りしていた方で、スレン様とも魔法学園の同期の男性だ。とても明るくお喋りな人で、後輩である私にも声をかけてくれていた。
そんな彼が、私達の話を聞いていた? 心臓が嫌な音を立て始め、指先から身体が冷えていくのを感じていた。
「あいつ、本当に口が軽いのよ。だからスレン様にも、エルナちゃんは付き合いでファンクラブに入っただけで、実は好きな訳じゃなかったって話をしてしまったみたいで」
「────」
「でも、変な誤解もなくスレン様と両思いで幸せに暮らしているのなら、良かったわ。……エルナちゃん?」
チェルシーさんの声が、やけに遠く聞こえる。震える私の手からは、するりとティーカップが滑り落ちていった。





