落ちて、堕とされて
『──あれ、あの子』
卒業から数ヶ月が経ち、魔術師団に所属していた俺は単独任務を終え、近くのギルド本部へ報告にやって来ていた。
そこには同じく仕事で訪れていた、同級生であるカミルの姿があって。ローブを深く被っていても勘の良い奴には気付かれてしまい、恒例の面倒な長話が始まった時だった。
ふと視界の端に、エルナ・ノールズの姿を見つけたのだ。変な眼鏡をしているものの、この魔力は間違いなく彼女だろう。何故、学生である彼女がギルドで働いているのだろうとじっと見つめていると、カミルは「ああ」と口を開いた。
『よく分かったな。エルナ、マジで金がないから名前も変えて、夏休みの間は簡単な仕事をしてるんだってよ』
『へえ』
どうやら弟の病気が悪化し、治療費のために働いているらしい。学生且つ未婚の貴族令嬢がこうして働いていると知られれば、間違いなく白い目で見られるだろう。だからこそ、あんな変装もどきをしているのだと納得した。
あれから一年以上経っているせいか、当時彼女に対して感じた苛立ちなんかはもう無かった。弟の治療費のため一生懸命働く姿に、やはり他人事のように大変だなと思うだけで。
『可哀想すぎて余計にかわいいんだよな、エルナって』
『……そうかな』
可哀想すぎて、というのはよく分からないが、当時の俺は彼女のことをかわいいと思っていた。今だって気が付けば彼女をずっと目で追ってしまっていたけれど、何故かそれを認めたくなくて、曖昧な返事をしておく。
その後も仕事でこの場所を訪れた際には、彼女の姿を探してしまうようになっていた。声を掛けるわけでもなく、ただその姿をじっと遠目で見つめるだけ。
自分でも何がしたいのか分からなかったものの、彼女の姿を見ると、不思議と満足感のようなものが得られた。
卒業から三年が経った頃、俺は筆頭魔術師の地位を得た。
正直、俺を超える魔術師はこの国には居ないと思っていたし、当然の結果だった。もちろん口に出しては言えないが。
『スレン、そろそろ結婚は考えないのか? お前への見合いの話を受けるだけで、俺のスケジュールが埋まりそうだよ』
『適当に断っておいてください』
地位も金もあり、容姿だって良い俺は常に女性達から好かれ続けていた。ファンクラブというくだらない文化が流行っているせいで、彼女達からのアピールは日々悪化している。
そして20歳を超え、結婚適齢期になったことで周りからも、しつこいくらいに結婚を勧められるようになっていた。それでも、全く気が乗らない。いつかはしなくてはならないと分かっていても、女性に対して興味が湧かないのだ。
『……ハンネス?』
そんなある日、付き合いで参加した舞踏会にてハンネスの姿を見つけた。その隣にはエルナ・ノールズの姿がある。
学園を卒業した彼女の姿は、社交の場でもよく見かけるようになっていた。それでも彼女とは身分差もあり共通の友人も居ないため、挨拶すらすることのない他人のまま。
二人は楽しそうにしばらく話をした末に別れ、やがてハンネスは俺に気が付くと、こちらへとやって来た。
『スレン、来ていたのか』
『あの子と何を話してたの?』
『彼女は俺のファンクラブだかに入っているようで、それについての雑談をしていただけだ』
『……は?』
彼女が、ハンネスのファンクラブに入っている?
そんな事実に、俺は何故かひどく苛立ち始めていた。俺には何の興味もないくせに、ハンネスのことを好いているのかと思うと、腹が立って仕方がなかった。
彼女は騎士が好きなのだろうか。寡黙な男が好きなのだろうか。それとも、金髪が好きなのだろうか。体格の良い男が好きなのだろうか。そんなことばかりを考えてしまう。
『彼女、知り合いなのか?』
『別に』
俺はそれだけ言うと、その場を後にした。きっと彼女は、俺のことを知人だとすら思っていないのだから。
何もかもが不愉快で、腹立たしくて仕方なかった。
◇◇◇
それからも俺はエルナ・ノールズのことを考える度に、無性に苛立つようになっていた。何年も前に自身へと向けられた笑顔が、頭から離れないのだ。
そんな自分にも腹が立ち、もう気にするのはやめよう、別に俺の人生には関係のない存在だと、そう思っていたのに。
『あの、よろしければ受け取っていただけませんか?』
『……君が俺に、手紙を?』
『はい。あ、ご迷惑でしたら、』
『迷惑なんかじゃない』
ある日突然ファンクラブの女性達に混ざり、彼女は俺に手紙を渡してきたのだ。可愛らしい桃色の封筒を受け取り、内心戸惑っている間に彼女は他の貴族令嬢達に押し退けられ、すぐに姿が見えなくなってしまう。
どうして彼女が、俺に。訳が分からなかった。
その日も女性達から何十という手紙や贈り物を貰ったけれど、俺は休憩室へ向かうと彼女からの手紙のみを開封した。
『…………』
そこには俺に憧れている、素敵だと思っている、といった言葉達が女性らしい美しい文字で綴られていて。
正直、信じられなかった。彼女がそんな風に思ってくれていたなんて、想像すらしていなかったからだ。そもそも、俺のことなど彼女は覚えていないと思っていたのに。
妙な高揚感が、身体を満たしていくのが分かった。
『お? スレン、やけにご機嫌だな』
いつの間にか休憩室へとやってきていたアドルフは、俺に対してそんなことを言ってのけた。
『意中の女性からの恋文か?』
『まさか』
『ふうん? その割に口元が緩んでるぞ』
それからすぐ彼女が俺のファンクラブに入ったという話を聞き、先日まで感じていた苛立ちは嘘のように消えていた。
そんなある日、彼女から手作りのお守りを貰った。俺のために作ってくれたこと、ハンネスも彼女から手紙以外は貰ったことがないと言っていたことを思い出し、嬉しくなる。
女性達からの手紙や贈り物は尽きないため、目を通すことなく全て処分していたけれど、彼女からのものは何故か捨てられず、自室に大切に保管してあった。
『いつもありがとう、嬉しいな』
『あ、いえ、本当に大したものではないので……むしろこんなものを受け取っていただき、ありがとうございます』
もっと話をしたいと思っても、彼女はいつも一言二言話すだけで、逃げるように立ち去ってしまう。そしてすぐに別の女性達が目の前へとやってきて、姿すら見えなくなる。
『スレン様、私のも受け取ってくださいませ』
『今日もお会いできて嬉しいですわ』
『……ああ、ありがとう』
それでも、恥ずかしがっているのだと思っていたこの時の俺は、彼女は俺のことが好きなのだと信じて疑わなかった。
まだ回想、続きます。





