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四季  作者: 藤壺
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4.立夏(1)

 霧雨は、昨日までのじっとりした暑さを洗い流すどころか、心の底に響くような寒さを運んできた。

 前を歩く彼女のさすみどり色の傘には、白い花が咲き乱れ、雨粒が露のように流れてゆく。

 傘を拠り所のように握りしめ、彼女は時折ほそい肩をふるわせる。担当替えの挨拶もまともにさせてもらえないまま、気を遣るほどの苦痛を与えるような男など、怖いに決まっている。

 彼女は、雪乃に似ていた。高坂雪乃。俺を残し、花に埋もれてこの世を儚んだ女。似ているといっても、容姿はそれほど似ていない。纏う空気が雪乃そのものだった。人を冷ややかに拒みながら惹きつける。雪乃と彼女を重ねてしまう自分が怖かった。

 親臣は昔から何を考えているのかわからない男だったが、今回ばかりは不思議さを通り越して言いようもない恐怖を覚えた。新しい担当として、彼女を送り込んできたこと。彼が気付いていない訳がない。二人の放つ雰囲気が酷似していることに。彼も雪乃を愛していた。



 あの日、腕の中で気を失った彼女をソファーに寝かせると、親臣に電話した。

 「薫?」

 「江島さん挨拶に来てくれたんだけど、疲れてるみたいで倒れた。」

 「想子が?!いや江島が?」

 咄嗟に彼女の名前を口走るあたり、付き合っているのか。

 「普通に寝てるだけなんだけど。俺のところに寝かせておくのも可哀想だから迎えに来て」

 「わかった」

 親臣は慌ただしく電話を切った。

 眠る彼女はいまだに整った眉を寄せている。何事か呟いているのか、桃色のくちびるが時折動く。

 「...こんなに愛してくれるひとがいるのにな」

 彼女をみてひとり呟く。

 駆け込むようにやって来た親臣は、眠る彼女を見ると、長く息を吐いた。

 「最近校了続きでね。疲れているんだろう」

 親臣の目の縁に愛しさが滲んでいる。

 この男が女にそんな眼差しを送るのを見るのは、雪乃以来だ。

 長い茶色がかった髪を無造作にくくり、彼は彼女を抱きかかえた。

 

 

 大教室の最後尾に座る。

 周囲の学生たちの喧騒が少し収まった。

 俺の方を見てひそひそ言いあっている。

 次の授業の教授に似てる、とか、兄弟かな、とかそういう話だろう。

 その教授、葉山令ニは俺の従兄弟だ。

 「あの」

 学生の一人が声をかけてきた。

 「なに?」

 「葉山先生のご家族の方ですか?」

 隣に座る彼女の肩がびくりと揺れる。

 「そう。従兄弟なんだよね。」

 「そうなんですか。葉山先生かと思って驚いちゃいました。」

 「今日は見学ですか?」

 他の学生が言う。

 「そんな感じ。」

 そこで想子の方に向き直った俺に、彼らは口を噤んだが、彼女との関係性を知りたがっていることは明白だった。

 彼女はうつくしい。細く白く頼りない。

 今は白いどころか青いぐらいだが。

 「三崎さん」

 彼女は俺の本名を呼んだ。

 「なんでしょう」

 「今日取材する教授とは初対面だと言ってましたよね」

 「そうでしたかね」

 「言いましたよ」

 「わたしの従兄弟に何か問題でもあるんですか」

 彼女は名前と俺に似た容姿から、葉山教授が、令ニだと確信している。

 「いいえ」

 「そうですか。この後対談するんです。わたしと性格も似て嫌な男ですがお許しください」

 彼女の額に青筋が浮かぶ。

 冷えた瞳に炎を見せ、俺を睨みつけた。くちびるが微かに動いたが何も言わず、あの日のように苦悶に表情を歪ませた。

 鐘が鳴り、ドアを開けて令ニが入ってきた。

 細身のパンツとシャツの上に白衣を羽織っただけの格好。見栄えのする男なので、昔から何を着ていてもきれいだ。

 だるそうに教壇まで歩く。

 「教授、入ってきましたよ」

 下を向いた彼女は瞼をきつく閉じ、何かをこらえるような表情をしている。

 「授業を始めます」

 令ニが声を発した途端、彼女は耳を手で覆い、涙を零した。

 彼女は自分が泣いていること自体に驚いているようで、涙が机に大小の池を描いてゆくのを呆然と眺めていた。

 涙に濡れた顔は茶色がかった長い髪に隠され、声もあげていないというのに、学生たちは彼女が泣いていると気づいているようだった。

 令ニが、彼らの気遣わし気な目線に気づくのにさほど時間はかからなかった。

 彼女は顔を俯けたままだ。

 令ニはつと視線を動かすと一瞬目を見開いた。

 クラス中に注目される女の横に座るのがよりにもよって俺とは。

 驚きもするだろう。

 令ニは無表情を取り戻し、淡々と授業を進めていく。

 気づけば机の池はなくなっていた。

 彼女はうすむらさき色のハンカチで目尻を拭っている。

 その口元には笑みすら浮かんでいた。腫れかけた目元を和ませ、令二を見ている。

 普段の、能面のような表情が嘘のように、痛々しいほどに無防備な彼女だった。

 その存在だけで、彼女本来の姿を引き摺り出したことに、彼女の中での令二の大きさを思い知る。

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