第八話 森の抜け道
夢が終わって、目が覚める時のような感覚がした。体が受け取る情報を脳が処理できるようになり、大木と枝葉に囲まれた自分が森の中にいるのだと理解できた。
しかしどうしてこんな夜中、俺は外にいるのだろう?
「……ん? このポーチは……、そうか。俺は外に……」
左手が腰に巻き付いたポーチに触れる。それはメイジスから贈られた魔法の鞄だ。
だんだんと記憶がはっきりしてきた。
そうだ。俺は屋敷を出て迷宮都市へ向かうことになった。そして人払いの結界を抜けるために、メイジスからネズミに変身する魔法をかけてもらったのだ。
周りを見る。
ここは屋敷を抜けた先に広がる森らしい。入るのは初めてだったが、屋敷からずっと見ていたそれと同じ景色だからすぐに理解した。
「……参ったな。しかし、どこに抜ければいいんだ?」
森はとても暗い。星の明かりは緑の天井に止められて、地面をまばらに照らしている。
いくら近所の森といえど、この闇の中では方角に見当もつけられない。加えて屋敷を出てから進んだ道をまったく覚えていないのも問題だった。
どうにもネズミになっていた間の記憶は朧げになるようだ。
立ち往生していると、ガサガサと背後の茂みが揺れる音がした。
振り返れば長い尻尾にピンクのリボンをつけたネズミがこちらを見ていた。俺はそのネズミを屋敷の中で何度か見た覚えがあった。
「チュー」
ネズミがひと鳴きする。
それに刺激されたのか分からないが、ネズミになっていた頃の記憶がうっすら浮かび上がるのを感じた。
俺は記憶を頼りに進むべき方角に目を向ける。
相変わらず先の景色は黒一色だったが、その先は、空から届く星の光が多いように見えた。
「ありがとう。おかげで道が見えた」
道を示してくれたネズミに感謝しようと声をかけたが、もう立ち去った後のようだ。
俺はこの夜を忘れないように誓った。いつかマクスヴェルにふさわしくなって帰ったきた日、礼を言う相手が一人増えたことを忘れないように。
森を歩くのは楽ではなかった。
飛び出している枝を手でかき分けるのはそこそこ疲れるうえ、進むたび腕の擦り傷が増えていくのが見て分かるほどだった。何よりポーチに傷が入らないようにと目を凝らし続けるのが疲労を溜める早さを加速させていた。
俺はこのまま歩き続けるのはよくないと考え、少しスペースのある場所で足を止める。
朝が来るまでどのくらい時間がかかるかは分からないが、自分ひとりしかいない中、無理をするのがとても危険なことだとは分かっていたからだ。
体を休めた途端に痛みを主張し始めたので、傷の具合を見ようと思い腕を上げる。怪我なんてろくにしてこなかった腕に、今はいくつも赤い線が走っている。
俺はまじまじと自分の腕を見た。
唐突に土に手をつける。
そして呪文を唱えた。
「凸凹変形」
ボコボコと地面から伸び上がる土石の柱が、行く手を遮っていた枝を押しのけていく。目の前には一瞬にして十メートルほどの道が拓かれていた。
「へー、やれるもんだな」
俺は赤くなった手のひらを見て感心していた。
鍵開けや土いじりでしかこれまで魔法を使わなかったので知らなかったが、思ったよりも俺の魔法は勝手がきくようだった。
「この調子で立派な魔法使いまでの道も拓けるといいんだけどな」
障害をかき分けて行き先に差し込む光が増えた光景に、俺は勇気を与えられた。