もう、逃げたりしない
「……いた」
教室の前まで戻ってきたアタシが最初に見たのは、まるで居眠りでもしているかのように机に突っ伏している藤川くんだった。でも、おそらく……いや、間違いなく藤川くんは寝てはいない。
「なにやってんのアンタ。今頃きっと竣介は教室で泣いてるわよ?」
さっきの電話での紫蘭の一言。藤川くんは強い人だし泣いたりなんかしない、って思っていたけれどそんなことはなかったみたい。謝らないと。アタシは藤川くんの気持ちを踏みにじってしまったのだから。
……でも、泣いている藤川くんを見て、アタシは不謹慎にも少し嬉しいと思ってしまった。だって、それだけ本気でアタシのことを好きでいてくれたってことだから。
「……そっか」
そしてそう感じた瞬間に気づいてしまった。アタシのことを好きでいてくれたことを嬉しく思える。それはつまり……そういうことなんだろう。
なら、やるべきことは一つ。
一歩踏み出し、さっき乱暴に閉めた扉を今度はゆっくり、ゆっくり開ける。
――頑張れ、アタシ。今度は逃げんなよ。
*
どれくらい時間が経ったんだろうか。体感では何時間も過ぎたようにも感じるけれど、ひょっとしたらたったの数分も経過してないかもしれない。
「……はぁ」
ともかく、流石にそろそろ動かないと。そう思うも、机に伏せた顔を上げられない。全身を途轍もない疲労感と倦怠感が襲っていた。
……たかが失恋した程度で、こんなになるなんて。
正直自分でもここまでだとは思ってなかった。たとえ振られても落ち込みはすれど、すぐに立ち直れるだろうとたかを括っていた。それがこのざまだ。
「はは……情けねぇな、男の癖に……」
紫蘭なら、今の俺を見てこんな風に言うんだろうか。とか思ってどうにか気を紛らわそうとしていた、その時だった。
「情けなくなんて、ないよ。藤川くんは」
「……え」
聞こえるはずのない声。さっきまでの重さが嘘のように勢いよく頭を跳ね上げると、
「ふふっ。……目、真っ赤じゃん」
「立花、さん……?」
そこには机に突っ伏した俺の顔を覗き込むような態勢をした立花さんがいた。
「なんで……?」
分からなかった。立花さんはさっき、俺の告白を断って帰っていったのに。
「えっと、その……謝りに来たの。――さっきは、ごめん。いきなりあんな態度で、逃げちゃって。……ほんと、ごめんなさい」
深々と頭を下げる立花さん。でも悪いのは、立花さんじゃない。
「……いいよ、別に。俺が悪かったんだし」
「え?」
「立花さんの気持ちも考えないで、無理にプレゼント押し付けて、告白なんかして、さ。……俺の、方こそ……」
ごめん。
そう言おうとしたのに、口が動かない。言いたくないからとかそんな精神的な理由じゃない。ただ単純に、立花さんが怖い目をしながら俺の頬を右手でがっちりと鷲掴みにしてきたからだ。
「ダメ。……アタシが言っていいことじゃないけどさ。ダメだよ、そんなこと言ったら。……人を好きになったり、告白したりすることは、悪いことなんかじゃないよ。だから、謝ったりしちゃダメ」
泣きそうな顔になってるのは、立花さんも同じだった。
「……それに、アタシも、その……嬉しかったし。さっきはなんか訳分かんなくなって思わず逃げちゃったけど、さ。じっくり考え直したら、嬉しかったって思ったんだ」
そこまで言ってようやく俺の頬から手を放してくれた。そして、泣きそうな顔で、でも満面の笑みで。
「アタシ、好きだよ。藤川くんのこと」
きっぱりと、そう言い切った。
「……正直言って、キミのことはまだ知らないことばっかりだけど。それでも好きだって気持ちは間違いないから。だから、もし、もしまだアタシのこと、好きでいてくれてるなら――」
「い、いやっ、そのっ、ちょっとタンマ!?」
「……あははっ。似た者同士かもね、アタシたち。気付いてる? 藤川くんったらさっきのアタシとおんなじこと言ってるよ」
「あ……」
確かに、さっきの立花さんと同じ発言だった。……そっか、さっき立花さんはこんな気持ちだったんだ。たしかに、逃げ出したくなる気持ちが良く分かる。じっとしていられない。顔が熱くなっていく。頭の中はぐちゃぐちゃで、視界がぼやけるくらいに涙が溢れてくる。でも、それでも心の底から湧き上がってくる確かな感情が、一つだけあった。
「――俺も、好きだ。……さっきも言ったけど俺、やっぱり立花さんのことが好きだ。だからもう一回、今度は最後まで言わせてほしい」
「うん。……アタシも聞きたい。今度は逃げたりしないよ。最後まで、ね」
といっても、さっき言ってないことは、たった一言だけなんだけど。でもきっと、それは告白において、“好き”の次に大事な言葉。
「もし、よければ俺と、付き合ってください」
「はい。……アタシで良いなら、喜んで!」
*
「――どうなるかと思ったけど。大丈夫そうね」
告白現場の覗き見なんて、悪趣味なのは分かってるけど。でも気になったのだからしょうがない。私はそう自分自身に対して開き直った。……バレなかったのだしセーフだろう、一応。そういうことにしとこう。
「……おめでと。二人とも」
小さく呟く。祝福してるのは本当。嬉しいのも本当。……でも、悲しいのも、間違いなく本当。でももう私は既に完膚なきまでに振られてる。だから悲しいのは、ほんのちょっとだけ。……そういうことにしとこう。
「さて、っと。……私は私でやる事やらないと」
さて、私はせいぜい人の恋路を邪魔する奴を蹴る馬にでもなってやろうか。あの暴走しっぱなしの困った友人を沈めてやらないと。
「綺麗に蹴り倒してやるから。――覚悟しときなさい、百合」




