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第四章「瞳を閉じて...」

第四章「瞳を閉じて...」


シーン1 「Sunday Morning」


「はぁ〜〜〜」

 自分でも驚くくらいの脱力感溢れる声と一緒に私は目を覚まして、体を起こした。

足にまだ布団を掛けたままの体勢で寒さに打ちひしがれる。

どうもこの冷え性体質は治りそうもなかった。


 日曜日の朝、週末の今日は平日よりもゆっくり寝ることが出来た。

それでも完全な疲れが取れているわけではないが、そこは若さでカバーしようと体に言い聞かせながら、もう一度目覚まし時計が八時を指すのを確認して立ち上がった。


 朝は沢山家事があって大変で仕方がない・・・。

そう思っていつも休みの日でもあっても早起きを心がけているわけで、家族二人で暮らすというのはそれだけ大変なのだ。

 手早く洗濯機を回すと家の中がガタガタと一般家庭のような朝の騒がしい始まりを告げる。

リビングにある花瓶の水を入れ替える。

季節が季節だからすぐ枯れてしまうだろうけど、私は出来るだけ一日でも長く咲いてくれるようにと優しさを込めた。

 日曜の掃除はお父さんの担当だけど水回りだけは先に始末しておこうとトイレと洗面所だけを手早く手入れしていく。

「風呂場は・・・、お湯は抜いてあるし、トビラも開けたままにしておけるから後はお父さんに任せよう」

 私は洗面所を出て一度台所に戻る。

“キューーーイイィィンーー”

ちょうどお湯が沸いたところで私は甲高い音に負けず冷静なままコンロの電源を消した。

 ゆっくりとマグカップにお湯を注いでいく、コーヒーの仄かな薫りが漂い、そこに小さじ一杯の砂糖と牛乳を注ぐ、マグカップの中はクルクルと円を描いて回転し、芳香な薫りと共に混じり合っていく。

 リビングのちゃぶ台テーブルにマグカップを置いて自分も腰を落として足を内側に掛けながら座る。リモコンを使ってテレビの電源を入れる。いつものチャンネルになったのを確認してテーブルにあらかじめ置いてあった新聞に手を付ける。

「ふぅ・・・」やっと至福の時間が来たと安心ついでにため息をつく。

 落ち着いた時間が辺りを流れる、やっぱり日曜日の朝はこうでなくちゃ。


朝の日課である新聞を読み終えたところ、もう一度台所に立つ。

「今日は司と図書館でお勉強だから、お弁当をちゃんと作っておかないと、あと一時間ぐらいはあるし・・・、大丈夫だよね」


 「う・・・、もう朝か・・・」

 カーテンの隙間からまばゆい光が伺える、時計の時刻を見て改めて時間の経過を確かめる、もう10時前ですっかり起きなくては行けない時間であった。

「やはり・・・、まだ疲れは残ってるかな」

 娘の羽佐奈はもう起きて家事をしてくれていることだろう・・・、最近は任せっきりな部分がどうも多い、料理だってしばらくはしていないし(いつの間にか羽佐奈の方が上手になってしまったのも要因であるが)、掃除や洗濯ぐらいはできる時に手伝っておくか。


 赤津 敏夫にとっての朝は日曜ともなるとあまりに時間が規則に順次しない事が多い、それは普段が時間に酷く縛られていることもあるし、こんな時ぐらいしかゆっくりできないという見方もある。しかし一番の要因としては羽佐奈の成長による安心感だろう。

 昔の頃と比べればもう敏夫自身が手を出さなくても家事をこなしてしまうし、それも役割分担ぐらいしないといつの間にか済まされていることも少なくない。

そんな成長著しい羽佐奈に頼りっぱなしというのも問題であるし、羽佐奈自身も忙しい時期であることに違いはない。

 そこのところは敏夫自身も理解しているところで、最近は仕事が大事な時期にあったことで罪悪感はさらに増し、今はようやく落ち着きを取り戻そうかというところであった。


 カーテンを勢いよく開けると、眩い空が見える。すっかり日が昇った外の景色を見ているとふいにタバコが吸いたくなってくる。

「あまりよいことではないな・・・、少し感傷に浸りすぎたか」

 ここ数日の影響だろうか、朝になればアルコールは消えるが、その味や心地よさ、会話の内容までは忘れ去ることは出来ない。

「若いままではいられないな・・・、こうしている時間も勿体ないか」

 気持ちを一つ戻して和室を出る。和室を出ると余計に朝の日常の雰囲気が一層感じられた。


「お父さん、やっと起きてきた・・・、コーヒー用意しとくから早く準備して、着替えてきてね」

 娘とは思えないほどの手際の良さに感服して泣きそうになってしまう、そこまで行動予測されてしまうとこちらとしても従うことしかできない。

 俺は言うとおりに準備を済ませて、和室に戻ると服を着替える。

 今日はまだしばらく時間がある。

刑事仲間との約束も午後になってからだし、その前にすることといえば書類を役所に提出するぐらいだ。

「これなら少しは家事の手伝いはできそうだ・・・」

もちろん自分の担当を忘れたわけではないが、その辺りは本当にしっかりやっておかないと後が大変だ。


 お父さんが起きてきた・・・、これでようやくいつもの日曜の朝になったかな。

お父さんが先ほどの私と同じようにコーヒーを飲みながら新聞を読み始める。

「お父さん、今日はパンの方でいいの?」

「ああ、任せるよ」

「それじゃあ、今お弁当作ってるところだから、おかずも一緒に添えとくね」

 もう時刻は10時を指し、いわば遅い朝食の時間となっていた。

 卵焼きやハンバーグ、ポテトサラダやフライドポテトなんかはちょっとボリューム多くなっちゃうけどパンと一緒に食べられるよね。すっかり今日は洋食弁当になってしまったけど、なかなか出来映えもよくおいしく出来たんじゃないかと自分で思っている。

 お弁当の詰め込みが終わったところで残りをお皿に盛りつけていく。

「結構ボリュームあるし、私も一緒に食べよ」

 盛りつけてお皿一杯になったおかずを持ってテーブルに戻る、そして私もお父さんの正面に着席する。

「おまたせ、結構量あるからどんどん食べちゃって」

「サンキュ、これは腹一杯になりそうだな・・・」

 私もパンと一緒におかずを取り皿に分けながら食べていく。

「司君がもうすぐ来るんじゃないのか?」

 お父さんが新聞から顔を出して言った。

「ちょっと遅めでもいいって言っておいたけど、10時半には来ちゃうかも」

 司は時間には律儀で、遅れることもめったにない・・・、だから待ち合わせなんかはほぼ司の方が先に着く、だからというのもあるけど、待たせるのも悪いのでどうせだったらってことで一緒に図書館に行くときは遠回りにはなるけど迎えに来てもらうようにしている。

「そうか、残りやっておかないといけない家事は?」

「台所の後片付けと風呂場の掃除に・・・、部屋の掃除をしないといけないのと後は洗濯物が洗濯機に入ったままだからそれをなんとかしないと」

「それじゃあ台所の後片付けだけ頼む、後は時間があるうちにやっておくから」

 お父さんは仕事の時に見せる真剣な表情とは違う、私にだけ見せる自然な笑顔で言った。

「ありがとう、でもいいの? 今日は刑事さんと待ち合わせしてるんじゃなかったっけ?」

 私は先日の会話を思い出して聞いた。

「畑山刑事と会うのは午後からだ、家の用事をする時間ぐらいはあるさ」

「大丈夫なんだ、それじゃあ今日は甘えさせてもらうねお父さん。

刑事さんにもよろしく」

 畑山刑事さんとは実は私も面識があったりする、依然として仲は良いみたいでこうしてたまの休日を使って会っているのだという、お互い忙しいのに大丈夫なのかなと思うけど、これも気晴らしの娯楽のようなものみたい。

「ああ、早く着替えて、準備を済ませるといい」

「うん、ありがと」

 私は嬉しさでちょっと照れてしまうのを隠すように席を立った。

 お父さんに家事を任せたことで図書館へ行く準備は手早く済ませることが出来た。

そして準備が出来た頃に家のチャイムが鳴り、司が私を迎えにやってきた。

「おはよう羽佐奈」

 優しいいつもの笑顔で司は言った。私はドキドキする気持ちで嬉しくなった。

こうして迎えに来てくれることも、私と過ごす時間を楽しみにしてくれていることも、一緒に図書館で勉強したり、本を読んだり、変に雑談を交わしたり一緒にお弁当を食べることも楽しみで仕方ない。

「おはよう、荷物持ってくるからちょっと待っててね」

「よかった、今日は準備はもう出来てるんだね」

 いつもはついつい待たせてしまうけど、やっぱり司が来るのだって早いんだから、忙しい身である私としては大変なんだと言いたくなる、まぁそれはわがままなんだろうけど。

「お父さん手伝ってくれたから、大丈夫、今日はすぐ出られるよ」

 そういって私はいそいそと部屋に戻る。

 借りた本や教科書、ノートなどが入ったカバンとお弁当を持って最後に鏡を確認する。

 たまにするモデルの影響もあって私服のバリエーションは多い、それも大体は高校生が着るような服ばかりで中学生には派手であったり、高そうな印象だったりで、同い年の子より大人っぽく見られがちである。

 今日はお気に入りの薄ピンクのトップスにカーキ色のファー付きライナーブルゾンに白のサイドブリーツスカートで着飾ってみた。

金額的には危険すぎて言えないけど、確かに仕事のことがあるとはいえ中学生にしてはやりすぎかもしれない・・・、図書館に行くだけとはいえ、私にとっては今日だって司といられる大事な時間なのだ、それに学校が制服だから私服を着る機会が少ないのだから出し惜しみするようなものじゃないだろうって思うし。

 そんな変に複雑な事を思いながら最終チェックを済ませて急いで電気を消して部屋を出る。

「お父さん、行ってくるね〜」

 威勢の良い声で軽く私は別れの挨拶を告げた。

「おう、しっかり勉強してこい、司君にもよろしく」

 洗面所の方から声がした、おおよそ洗濯機の洗濯物と格闘しているんだろう、私はそんな頑張るお父さんに感謝しながら玄関へと向かう。

 玄関に着くと黒のハイソックスの上に主に仕事の時に履く茶色のブーツを履いて、立ち上がる。目の前には不思議そうに、いや待っているだけで私を見つめている司の顔を見える。こうして、ようやく出掛ける準備が出来た。

「お待たせ、さぁ、行こっか?」

 私はあまりに楽しみな気持ちでドキドキしなから、少し普段の落ち着いたような気持ちも壊して、裏返りそうな声で元気よく話しかけた。

「うん、行こう、いつもだけど、やっぱりこうして待ってるのは落ち着かなくって」

「あはははっ、ゴメンね」

 私たちは玄関の前を後にして歩き出す。

シーン2「ゴーイング ラウンジノート」

「受験勉強は進んでる?」

 図書館に行く途中で司が私に尋ねた。

「う〜ん、ぼちぼちかな、やっぱり毎日忙しくって・・・」

「そうだろうと思ったけど、そろそろ真剣にやらないと大変だよ?」

 司が心配そうに私を見る、それは私よりも少し低い身長からは分かり易くてさすがに気になってしまう。

「今のドラマの撮影が終わるまであんまり時間取れない日が続くと思う、やっぱりここまで来て失敗して迷惑掛けたりしたくないし、好きでやってるから、好きでやってることだから精一杯やりたいの」

「そっか、いつも尊敬してしまうけど、勉強だって大事だからね、今日は苦手なとこだけはやっておこうか」

「うん、疲れちゃいそうだけどわかった」


 来年の1月には入試が始まる、もちろん司と同じ高校に行く予定なのだけど、難易度も高いので油断もしていられない、クラスメイトだって真剣にやってるし、ちょっと学校の成績が良いからって簡単にいくものではないことは分かっているつもり。

 私は司と同じ高校に行くというのは付き合い始めてから決めたことだ、今更志望校を変えることもしない、一回きりの試験に後悔はしたくないから、勉強は出来るときにやっておかないと。


 司と図書館に通うようになったのは付き合い始めて少ししてからだった。

学校の図書室でも会ったことはあったし、実際図書館で見かけたことも一、二回あった。

 でも約束して出掛けたりするようになったのは付き合ってからで、受験が近づく毎に通う回数も増えてきた、だから学校帰りに行くときもあればこうして休日を使って出掛けることもある。

 それはいつしかデートと半々ぐらいになっていて、弁当を作って一緒に食べたりとこれも立派なデートの一つへと様変わりしていた。


「どうしたの? チラチラ私のこと見て」

 私は意地悪っぽく聞いた、実際彼は堂々としてればいいのに時々私を見ては目を反らそうとするから気になって仕方ない。

「え?あ、ごめん、やっぱり私服になると余計変わるなぁって」

「そう? 目を逸らしちゃうぐらいってどんなの?」

「高そうな服なのに凄く似合ってるから」

「本当に? ありがとう、今でもそういってくれるのは嬉しいよ」

 目のやり場に困るってそういうところなのかな・・・、私は自覚とかないからよくわからないけど、少しは大人っぽく見えたりするのかな。


 そんな雑談を交わしながら、気付けば図書館の前まで来ていた。

シーン3「犯行の黙示録」

 残された家事を終えて出掛ける支度を済ませる。

どうしても家事をこなすと昔のほとんど一人だった頃を思い出してしまう。

もう二度とあの頃には戻りたくないと思うし、今の幸せは失いたくないものだ。

そう思えば本当は娘が育っていくのも手放しでは喜べないのかもしれないなと思った。

 畑山刑事と会うために家を出る、いざ玄関にカギを掛けて歩き始める。


 思えば会うのも数ヶ月ぶりか、警察の仕事なんて新聞やニュースでしか確認することが出来ない、探偵事務所としてはニュースにならないような仕事ばかりしているし、今警察でどんな事件があってどんな捜査がされているかを詳しく知る事はない。

 最近は組織としての変化も著しいし、大変なことも多いだろう。

この辺りは平和なように見えてもちろん事件だってある、警察だって暇なんてないわけだ。

 本来は気の合うもの同士での暇つぶしのようなものだが、関係が関係だ、有意義な話しになるのは間違いないがある程度覚悟は付けておかないと。


 喫茶店へと辿り着くと、少し周りを確認した後入っていく。

少し薄暗い店内を進んでいく、ほどなくして目的の人物を見つけることが出来た。

「久しぶりにお目に掛かります、警部」

「やめてくれ、普段通りでいい、お前だって仕事は不自由なくしっかりやっているのだろう」

「ほんの冗談だよ、また出世したようだな、おめでとう」

「なーに、それほどの事ではないさ。今だって聞き込みやら現場検証で忙しい毎日さ」

 俺と身長は変わらないぐらいの大柄の男、すでにコーヒーと一緒にタバコを吸っていた。

 ウェイトレスに自分の分のコーヒーを頼む、そして少し周りの目を気にしながら席に座った。

「大丈夫だ、こんなところまで来て盗み聞きするようなやつはいないさ」

「そりゃそうだろうが、さすがに心配性でね、いつ人に恨まれているか分からないもんで」

「そりゃ厄介なこった、最近は珍しく厄介なことに首を突っ込んでただろ?」

「まぁな、おかげで娘もほったらかしだ、段々関係性が根深くなってる来るし、あそこまで大ごとにするつもりもなかったのだがな、事務所にも多少迷惑を掛けることになってしまった」

「真面目が性分だからな、お前の場合は仕方ないだろう、でもようやく一段落ついたわけだろう?」

「まぁ、一応の区切りはつきました、完全に依頼人の依頼通りとはいきませんが」

 民間人の持ちうる範囲での捜査とは大変なものだ、やり方を間違えればどんな蛇が出るか分からない、慎重を期す必要があるし、あまり時間も予算も掛けるわけにはいかない。

そういう点で今回のは大変であったといえる。

 今の社会じゃ高金利の貸し付けなんて日常茶飯事でその不正を訴えたところでキリがない、だからこそ正義を訴えることは簡単ではないし、どこまで通用するかも分からない、証拠というのは明確であろうと有効性を受け取られるかは分からない、表面は企業でも中身は人間相手なのだ、最後にぶち当たる交渉の部分で負ければ今までの苦労は意味のないものになってしまう、そのやりとりは実に難度が高くかなりの重圧がのし掛かる。

 そういったやりとりがあってようやく得られたのが人一人を救う程度の金だ、強大な相手と交渉したわりにはあまりに返ってくる金は小さい、しかしこうした不正は一つ一つ正していかなければ後が着いてこない。

 立場上これ以上踏み込むことは出来ないし、もう関わるつもりもない、興味に持ち勇気のあるものが後に続いてくれればいいのだ、一人の力としてはこれが限界というものだ。

「事務所入った頃からこういう仕事はいつか来るだろうと思ってたが、いざ来てみると厄介の要素ばかりで手こずって仕方がなかったな」

「捜査権限か・・・、確かに難しいことには変わりないな、代行としての許可があろうと民間では限度がある、それに金融関係とあらば明確な証拠でなければ対抗できない、だからこそ非道かつ悪質な手口がなくならないわけだが。

 警察としても小さな物事には対応出来んから、無理されがちな現状にあるな・・・、やはりこういうのは法改正から行わないと現実的な解決にはならんだろう」

 畑山は灰皿に押しつけるようにタバコの火を消した。

やはり畑山から見ても今回の依頼が厄介なことはわかってくれたようだ、立場の違いはあれど見解を同じく出来ることは気分が良い。

「タバコ、やめられないんだな、そっちは」

「あぁ、こればっかりはな・・・、考え事ばかりの脳に負担を強いる生活ばかりしていたら仕方ない・・・、確かに、子どもとの時間を大切に出来たらどれだけ幸せか」

「そっちは二人いるんだったな、あまり遊んでやれないのか?」

「特にここしばらくは遊びに連れて行ってないな、どうも事件続きで捜査一課は大忙しだ、ちゃんと休ませてもらえるところに異動させてもらいたいものだ」

「そうか、お気の毒だな、俺はもう娘の方が自由に飛び回ってるもんだから、もう小さい頃とは違うのを実感してるよ」

 俺は正直の思いを告げた、お互いあまり子どもとはうまく噛み合っていないようだ。

俺の場合中は凄くよいのだが・・・、どうも成長するスピードに俺の方がついて行けていないように思う。

「子どものことを見てあげられる分幸せだ、それを一番近くで感じられたのも」

 一つ一つの場面場面で人の成長というのは感じられる。

それはまさに成長の記録のようなもので、より近くにいれば近くにいるほど感じられる。

 いつの間に子どもが女になっているということ、身体もそれ対応になっていくということ、彼氏が出来たということ、家から少しずつ離れていくということ、感じられることは本当に沢山ある。今日洗濯物をしていても思った、最近のファッションがよく分かる方でもないがもう大人のそれと変わらないほどになってきている、もちろんそれは身体の成長もあるし、心の成長でもある、羽佐奈の友人から聞けばモデルの仕事をしてる分他の子よりずっとオシャレに気を遣ってるという見解だそうだが、それでもやはり成長著しいしもはや付いていけるほどではない、二人で住んでいなければ誰の服で誰の下着かもわからなくなってしまうかもしれない、俺はそれぐらいの危機感を覚えていた。


「そういえばだな、俺の方の仕事の話しなのだが」

 畑山が新しいタバコに火を付け、話し始めた。どうも愚痴か真剣かはわからないが彼にとっては今日話したい本題にはいるようだ。

「三ヶ月前の水没死体事件を覚えてるか?」

「ああ・・・、前に話したときに言ってた事件だな」

 その事件の発覚は早朝だった。海岸に打ち上げられた黒い旅行用カバン、警察は数日前からある行方不明者を捜索していた、そして深夜に目撃されたという不審者の情報から捜索は海岸にまで及んだ。

 最初にそれを掴んだ捜査官はあまりに不可解な触り心地に気持ち悪さを訴えたという。

外見からはまったく中身の想像できない黒のカバン、まだ海面から回収されたままの濡れたカバンを青色のビニールシートの上に置き、数名の捜査官は意を決してカバンを開いた。

 

―――瞬間に視界は真っ赤に染まった。


中には大量の血液と人間の胴体があまりに無造作に詰められていた。それはあまりに異常な犯行を示していた、そしてそのバラバラ死体の発見から間もなく捜査本部が作られることとなった。

「当初、死体につけてあったネックレス、内ポケットに入れられたCD、そして死体の入っていたバッグからある女性の名前が被害者として挙げられた。

事件後しばらくしてから被害者女性の同居人である男性が書類送検されることとなった。

ここまではもうわかっていることと思う」

「あぁ、卑劣な犯行であると同時に、強い計画性を感じさせる事件だった、行動ないし謎な部分が多かったのも印象的だったな」

 その後も捜索は続けられたが結局胴体以外の部位が見つかることはなかった。

「事件が一変したのはその三ヶ月後だ、現在も捜査中の範囲も多いがあまりに奇妙なことが発生した」

 それは誰も想像しえないような事態だった。

「隣の県にある山奥の倉で被害者女性の完全な状態の死体が発見されたのだ、さらに死亡したのも一週間ほど前で、事件が報道され続けた三ヶ月の間女性は生きていた計算となった」

「それは、死体が偽装されていたということか」

「あぁ、そう考えるとバックや、バック内の遺留品などはすべて死体を偽装するために入れられたことになる、さらにネックレスに血が付いていないことから、これは後から死体に掛けられたのではないという見解が強まった」

「しかしそうなると被害者女性を殺害した真犯人がいることになるし、それに共謀する共犯もいることになる」

「警察は逮捕した男性が真相を知っているものとして尋問を続けている。それに偽装に使われたとされる女性についても未だ身元が特定されていない・・・、現在でも事件の真相には程遠いというところだ」

「被害者女性が三ヶ月もの間山奥で隔離されていたというのはわからないものだな、危険を冒してまで三ヶ月もの間発覚されないよう偽装し、隠す必要があったのか」

「警察としては交友関係を再度洗い直しているところだ、被害者女性を殺害した人物は知人ではないかという可能性が高いからな」


「しかしそうなると、逮捕された男性が冤罪である可能性もあるわけか・・・」

 しばらくお互いが考え伏せた後で、俺は一つの事件像を想像した。

「赤津、それはどういうことだ? 遺留品や被害者女性との関係性からしても同居人が何らかの共謀に関わっていると考えるのが自然だろう」

 それは至極当然な見解だろう、難しく考えれば考えるほどそれが自然に思える、しかし俺の中ではそれだけでは説明しようのない不自然な点がいくつも浮かび上がり、どうにも納得できなかった。

「これは何の裏付けもない推測に過ぎませんが、逮捕された男性が関わらなくてもこの事件を引き起こすことは可能です。

 最初の三ヶ月前の被害者女性と思われた胴体だけの女性の海没死体、これは被害者女性と第三者が作り出した偽装死体であるということも考えられる。

被害者女性には自分を死んだことにして身を隠したい事情でもあったのでしょう。そしてそれを協力して叶えてくれる共謀者と出会った、そして事件が取り挙げられ、一段落するのを山奥で待っていた、しかし三ヶ月経って共謀者が事情があったのか痺れを切らしたのかついに裏切り被害者女性を殺害した、俺はこう推理する、こう考えれば偽装されていたことに意味があるし、偽装自体も変わりの死体さえ用意すれば容易に可能なものとなる」

 畑山は意外といった表情でこの推理を聞いていた。

共謀者が見つかりさえすれば真相はすぐにわかるだろうが、この推理が可能性としてあながち的外れでないことは畑山の表情からしても理解することが出来た。

 畑山はスット息を吐いて、すっかり短くなったタバコを灰皿に押しつけた。

シーン4「split tears」


 日曜の図書館は平日よりも賑やかで、駐車場や駐輪場には多くの車が止まっていた。

自動ドアをくぐると肌を刺激する寒々しさが癒えるような温かさが身体を包む。

安心感をくれるような温かさと人肌があるのに静かな空間、私は彼が手を引く方向へと歩いていく。

 多くの本棚を通り過ぎた奥の席に私と彼は向かい合うように座った。

「先、本返してくる?」

 彼は私に聞いた。

「うん、いいよ、先に本を探してくれてて」

 私はいつもの調子で確認を取ると、カバンから本を取り出してカウンターへと向かう。


 手早く本を返して席に戻る、彼が戻ってくるまでと思い、私はカバンから次話の台本を取り出す。話しが終盤に入るにつれて演じる人物像は分かってきたし、役作りには慣れてきたけれど、感情的にならなくてはならないシーンなど難しい場面も多く出てくる。

アドリブも含めてセリフを覚えるだけでは表現できない部分も考慮して台本を読まなければならない、そんな想像力も必要な努力を私は少ない時間で備えていく。

「(忙しい中学生の身には酷だよね・・・)」

 まったくもって遠慮の感じられない台本を読みながら、私は今できる努力を続けた。


「また台本読んでたの?」

 司が5、6冊の本を両手に積んで席に戻ってきた。

「出来る備えはしておかないと・・・、自信なんて無いからね、こうして台本を読むのが私に出来る唯一だから」

「そっか、でも十分すぎるぐらいの努力だと思うよ」

 司は私の台本を覗いてクスっと笑った。ちょっと憎らしそうな表情に私は怒りがこみ上げるより先に恥ずかしさを覚えた。

「ちょっとっ」

 赤字だらけの台本は変な努力がいっぱい込められているようで恥ずかしさがこみ上げた、自分を元気づけるためのメッセージは凄く子どもじみてて私は見えないように両手をクロスさせて台本を抱いた。

「なんだかんだ愚痴は言ったって好きなんだよね、その人を大切に出来てるわけだ」

「確かに境遇とか似てるかもしれないけど・・・、これはドラマの登場人物に過ぎないよ」

 無性に言葉一つ一つにドキドキしながら私は言葉を返した。

「それはそうと早く教科書出して、期末も入試も待ってはくれないんだから、出来る備えはしておかないと」

 こんな時だけ彼に主導権を握られるのはどうかと思うけど、学年で一、二を争うぐらいの学力秀才の彼には敵わないのでここは従うしかなかった。


「う〜ん、やっぱり数学は苦手みたいだね」

 面倒かつ厄介としか思えない数学問題に私は難色を見せた。

「他の教科はそれほどじゃないけど、これは受験のために今の内に手を打っておかないとね」

「うん、学校だとほとんど範囲が決まっちゃうから・・・、覚え方が曖昧なのかな」

「公式は覚えてても使い方が分からなければ意味がないよ、数字ばかり追いかけたって答えは出ないし、問題を正しく理解出来なきゃならないと思う」


「△ACEが二等辺三角形になることを示す・・・。

えと・・・「一辺とその両端の角がそれぞれ等しい2つの三角形は合同である」から・・・」


「違うよ、平行四辺形の証明は向かい合う辺が等しいことを示さないといけないから。

ここの答えは「三角形の二辺の中点を結ぶ線分は、残りの辺に平行で、長さはその半分である」だよ。


「そんな難しすぎ・・・、こんなの出されたら一溜まりもないって」

「でも入試の問題なんて基礎があったって応用が出来ないと苦労するよ、教科書と同じ問題なんて期待する方が後悔するよ」

「そんなこと言ったって・・・、覚えても覚えてもきりがないよ」

「大丈夫だよ、羽佐奈は記憶力良いから、すぐに追いつけるよ」

「はぁ・・・、頭痛いよっ・・・」


 隣り合わせて勉強する時間が過ぎていく、その後はお互い本を読み始める。

私は借りてまだ読み切れていない本に手を付ける。

 読書を続けているといつの間にか時間を忘れてしまう、ふとまぶたが重くなって溜まっていた疲れを思い出す、グラっと身体が重たくなって、ゆっくりと机にもたれる、そっと司が本に集中している姿を覗いて、また頭を下げる。

「(そういえば・・・、もうどれくらいになるんだろうね・・・、これで私は正しかったんだよね)」

 ふと恐ろしいぐらいの想像をしてしまう。

 本当はもっと違った幸せを求めていたのではないかと。

 でもその答えはたぶん今知るすべもなければ知る必要もない、これは最善であり、私が信じた未来なのだ。

 理想とか夢とか、追いかけるとどれだけ追いかけたって儚いものだってことはわかってる、だから小さな幸せだって大切にしなきゃならないし、人の気持ちを大事にしなきゃならない、比べたり比べられたりするけれど、そんなに簡単に人が幸せを選べるものじゃない。

 誰にだって迷いとか辛さはあるけれど。

私は誰よりも強く、これが幸せだと信じたいのだ。

 

“守りたいもの、確かに溢れてくる欠かせない存在”


目蓋を閉じると記憶の断片が蘇ってくる。そこには確かに私たちの生きた大切な今へと続いていくドラマがあった。


“それは、人の心を知らない少年と、忘れられない傷を負った少女の恋物語”


「どうして、僕の傍にいてくれるの?」

「どうしたの司くん? そんな顔して、何かあった?」

 その頃の私たちにとっては一歳の年の差も、過ごしてきた環境や日々も、気持ちがすれ違うにはとても容易のものだったと思う。

 だから彼はいつものように図書館に行くのに付いてくる私に疑問を覚えて、怖いくらいの言葉で疑問を投げかけた。

 図書館からの帰り、夕焼け空の帰り道に私たちの影が伸びた、声が震えるように私は身体を反動的に揺らした。

「僕を守ってくれること、わかったけど、でももう続ける必要はないと思うよ?

君は、君がいた場所に戻るべきだよ、それが君の幸せのためでもある」

「どうしてそんなこと言うの・・・」

「僕には君の傍にいる権利なんてないんだよ・・・」

「嫌だよっ!!そんなの!!」

 私は人一倍大きな声を上げた、急な悲しさで悲痛にも涙が溢れてくる。

「そんな自分勝手なこと言わないで・・・、それじゃまた司くんは一人になっちゃう、違うんだよ、それじゃ、誰も幸せでいられないんだよ・・・」

「そんなことないよ、僕は知ってる、君を好きな人が沢山いるって事。

だからその人達のために僕を置いていけばいいんだよ!!」

 おかしかった、全部おかしかった。

 私が信じていたこと、信じようとしていたことがどんどん狂っていて。

 私は結局、二人でいることしかできなくなった、何一つ私は捨てる気はないのに、大切だって思っているのに、彼を思うたびに、彼との時間を大切にするたびに、どんどんと世界は壊れていった。


 今では何を信じればいいのかもわからない。

 今まで友達だと思っていた人も、彼を否定する。

 嫌気がさすくらいの言葉が蘇ってくる。


“お前よくあんな根暗と話し合うよな、いや、合わせてあげてるのか”

                “え〜、またなの〜? せっかく誘ってるのに。置いていこうよ、こっちの方が楽しいって”

“新田くん? どうして、勉強ばっかりしてる子のなにがいいの?”

“いいじゃん? 放っておけば、平気な顔してたじゃん?

なにがそんなに気になんのよ?“


 それがクラスメイトを含めた学校での大体の生徒の新田 司という人物の印象だった。

無作為に考えても人の考え方にあまり大差はなかった。直接的な言葉を吐く人も遠回しな言葉で誤魔化す人も結局は同じだった。

 彼は日々確実に孤立していく、それは悲しみが降り積もっていくように、気付かぬまま確かなものへと変わっていく。

 私にはそれが耐えられなかった。

 私は彼のことを少しずつ知っていって、彼が人の心を知ろうと必死に生きる姿を知って。

だから、私だけは理解者でいようと思った。

最初の頃の記憶はもうわかりづらくなったけど、でも確かに私は綺麗事だとしても、そう思い、彼といる時間を大切にした。


「好きなんだから、傍にいさせてよ!!」

 涙が地面に落ちるぐらいの感情を露わにする長い悲痛な言葉の掛け合いの最後、私は言葉を言いはなった。

 時間なんて忘れるぐらい、音なんて感じなくなるぐらい、もう冷静ではなくなった感情が渦を巻く中で、町中に聞こえるぐらいの大声で、恥ずかしさなんてまるで忘れて大声を言い放って、私はそのままの勢いで、涙を流しながら彼の唇を奪った。

 感情を上手に表現できない彼のために、私はもう必死だった。

 私よりも少し身長の小さな彼を包み込むように唇を重ねる。

 彼はなにが起こったのかわからないのか、キスの間呼吸をすることも忘れて立ち止まり、私は自分のしたことがあまりにも引き返せないことに気付いて、感覚にして10秒ほど続いたキスを離すと逃げるようにその場を走って逃げ出した。

 

 その日は泣き疲れて眠りにつくまで何も考える事なんてできずただ泣き続けた。

 そして私は翌日になってようやく自分のしたことに気付いた、もう今までの二人には戻れないこと、普通に会話することさえ叶わなくなってしまったことを。

 私は記憶の中から少しだけ意識を取り戻した。

「懐かしいなぁ、今ではよくあんなに泣いたなぁって不思議だけど。

祐二の時もあそこまでは泣かなかったかもって思う、どうしてそこまで泣けたんだろう。

どうしようもないことだって思っても、告白しなければならないってこともなかったのに」

 それからしばらくも簡単にはいかなくて、いろんな事があって結局付き合うことになるんだよね・・・、結果的にはあのキスがなければ私たちは付き合うことにはならなかったかもしれないわけだから、とても大切な思い出だよね・・・。

シーン5「因果の影」


「そういえば隣の課で担当している通り魔事件の話しなんだがな」

 畑山はそんな前置きをして一呼吸置いた。

「つい一月ほど前で報道もされた事件なのだが、もしかしたら赤津にも関係のある話になるかもしれん」

「どういうことだ?」

 話しの調子からしても言いづらそうで、いつもよりも言葉を選んでいるように感じた。

「通り魔という名に先ほど言ったがな、それはどうも最近になって通り魔事件が頻発しているからなんだ。実際にはひき逃げ事件だ、凶器となるような物は現場に落ちていたがそれ自体は使われた形跡がなかった、今のところ被害者の指紋がないことから犯人が偽装するためかは不明だが置いていった物ということになっている。

 それで問題はだな、そのひき逃げ車両というのが白いワゴン車で犯人ではない一般人の物だった、いわゆる盗難者であるその車に乗っていた人物の目撃証言はなく、ただ乗り捨てられた車からそれが凶器であり、この事件がひき逃げ事件だと断定された」

「確かにそれは・・・、本当のことなのか?」

「あぁ、もしかしたら、もしかするのかもしれない、もう何年も過ぎたことだが、どうにもあの事件との類似点は多い」

「今になってそんな・・・」

「不思議な縁を感じるな、10年という年月が過ぎているとはいえ、まだ真相は掴めていなかったのだから」

 まだ、二人同じくして刑事の頃だった。俺の愛娘が被害にあったこととして畑山にもかなり手伝ってもらった経緯を思い出す、犯人を追いかけて聞き込みを続け奔走した日々。

絶望の淵に追いやられた中で、俺はあまりに懸命に必死に手がかりを探した。

 しかし、あの羽佐奈の誕生日を襲った悲劇の真相を突き止めることは結局出来なかった。

手がかりとなったひき逃げ車両からは犯人を特定する証拠はなく、盗難車両として静かに搬送されることとなった。

 確かに今回発生した事件と類似する点は多い。

「一月も前の事件だから、俺も深くは覚えていないのだが・・・、確か被害者は中学生だったか?」

「そうだ、最近になって中高生を狙った犯行がこの地区で異常に増加している。

しかもそのひき逃げ事件の被害者は娘さんの別の学校でありながらも同い年の子だ、調べる価値はあると思わないか?」

 俺は静かに頷いた。俺にとっては10年という歳月が流れていたとしても、ようやく忘れ去ることができようという時期にあっても、大事な手がかりとなった。

羽佐奈に知らせることはまだできそうになさそうだが、この小さな糸を、間違いの無いように確実に引き寄せなければならない。

 俺は畑山と共に、もう一度火を灯すように、決意を新たにした。


「そういえば、俺は嫁がほとんど見てくれるから気にすることはあまりないのだが、娘を男一人で育てるのって大変じゃないか?」

「大変に決まってる、人生ゲームじゃないんだ、大変なのは金の問題だけじゃない」

「はははっ、懐かしいな、よく待ち時間の間にこっそりやったっけか。

あの頃はシンプルだったな、赤津はよく子どもに恵まれていたな。確かゴールまで連れて行くと大幅なプラスになるんだっけか、本当は子どもいるって事はお金だけの問題じゃない、当たり前のことだ、それは成長すれば成長するほど実感となってくることなんだろうな。

 今の年頃ともなると大変じゃないか?」

「羽佐奈は幾分他の人よりも少し大人になるのが早かった。よく身体の変化に精神がついていったと思う。もちろん大変なことは沢山あったが今じゃあの子の方が率先して自分のことはしてるから、少し寂しさを感じてしまうがな」

「そうか・・・、一緒だな、子どもが成長するのは早い、自分たちが実感する時間軸とはまるで違う、ついこの間まで一緒にお風呂に入っていたのに、拒絶されるような歳になった。

俺の場合、会える時間がかなり限られているのもあるが、遠ざけられることに虚無感を感じるもんだ」

「俺は二人暮らしだから、常に助け合いの中で生活してるから、ほとんど関係は変わらないな、ただ話しをしたり、一緒にいる中で成長していく姿を間接的にも直接的にも示されてしまう。ちなみに俺は時々一緒にお風呂にはいるときだってあるぞ」

「おい・・・、15歳だろ、それはまずいんじゃないのか・・・」

 畑山は愛情の深さに羨ましさを覚えると同時に、あきれ果てた。

俺は畑山の子どもにはもう随分会っていないが今年で10歳と8歳のはずだ、向こうの家には羽佐奈を連れて行ったことはない。もしかしたら一度会わせた方がお互いの刺激になるかもしれないなと俺は思った。

 

 すっかりと話し込んでいると時間が過ぎて、三杯目のコーヒーでようやくお開きすることとなった。

「すまないな、明日朝が早いのでな、ここで失礼する」

「ああ、いろいろありがとう。また会おう」

 俺たちは手早く今後のスケジュールを確認して別れた。

久しぶりに充実した休日になった、俺はゆっくりと商店街を歩いて夕飯の献立を考えながら店を回った。

シーン6「幸せのノート


“瞳を閉じて“


水面を漂うように静かな時間が流れる

あまりの静けさに自分の存在を見失いそうになる

肉体という枷を取り払ったときの魂だけの存在ゆえの自由さ

大切な思い出だけが私の今の感情の輪の中で流れていく


“人の心を知らない少年と 忘れられない傷を負った少女の恋物語”


私も彼もとんでもないバカだった

私は行動に対してあまりにも限度を知らなくて

彼は自分の気持ちに正直になれなくて

でもお互いに傷つくことも、傷つけてしまうことも一番嫌いだった


「本当に私のことが好きなら、こんな私でも守りたいというなら

本気でキスして見せてよ

それで全部信じるから、司くんを本当の意味で守るから

そして私は、司くんと世界で一番の幸せを見つけるんだから」


不毛なぐらい、もう終わりがいつ来るのかもわからないような、限度の知らない中学生の大喧嘩を真夜中になるまで続けて、私は彼以上にボロボロになって

涙なんて忘れて、壊れるように最後は彼に想いをぶつけて


そして彼は、初めて涙を流して

世界には信じられないような涙声が響いて

たぶんこんなことになることは

彼にとっても一生償わないといけないぐらいの後悔で


彼は全身を振るわせながら

本当に恐怖心とか後悔とか、いろんな感情で心を振るわせながら

前からは考えられないぐらいのそんな想いを

私の唇にぶつけた


その日が、一生忘れることのない私たちが付き合うことになった日

一生の後悔を一緒に、一生の痛みと一緒に

私たちはその同じ想いを自分たちに出来る精一杯で重ね合わせた


 羽佐奈は涙を流しながら泣いていた。僕にはなんとなくそれがどうしてかわかった。

彼女はあまりにも純粋に僕のために泣いてくれたから、だからなんとなくそれが彼女にとって大切思い出を思い出しているための涙だと思った。

僕は上着を羽佐奈の肩に掛けて、止めどなく流れてくる涙をハンカチで拭く。

僕は羽佐奈の一緒にいる身としてはまだまだ足りないものだらけだ、それは深く自分で自覚している。だからだと思う、彼女に優しくしたいと思うのは。

今だって胸のドキドキが止まらない、こんなにも傍にいられること、彼女の心に触れられること、あまりに贅沢なそのすべてが、僕に力をくれる。


「う〜ん・・・・・・」

 いつの間にか寝ていたのか、身体が凄く重い。

「私ってば、寝てた?」

 意識が覚醒すると同時にいろんな事に気付いた、肩に掛けられた茶色の司の上着、どうしてか目蓋を開くと痛い瞳、それで私は結構な時間を眠っていて、何か迷惑を掛けたのではないかと心配になった。

「うん、ぐっすりと、でもよかった、もううなされたりはしてないみたいだね」

「そっか・・・、泣いてたんだ、ゴメンね、迷惑掛けて」

「いいよ、良い寝顔が見られたし」

「ちょっとっ! それはなし! 恥ずかしいから早く忘れて!!」

 私は勢いよく姿勢を上げて抗議した。

「ダメだよ。せっかくの限られた時間を寝て過ごすような子の言うことは聞けないよ」

「そんなぁ、二時間近くも寝るなんて想定外、変なこととか言ってなかった?」

「さぁ、どうだろうね・・・」

 いつになく嬉しそうに、そして意地悪ななそぶりを見せて、司はイスから立ち上がった。

「もう、仕方ないなぁ。ご飯の恨みは簡単にはいかないって事?」

 私も追うように机を片付けると、カバンと弁当箱を持って立ち上がった。

「早く行くよ、今日も作ってくれたんでしょ?」

「うん、私頑張ったんだから、ちょっと遅い昼食だけどいっぱい食べてね」

 私たちは肩を並べて食堂へと向かう。時刻はすでに3時近くになっていた。


「この前ね、また由佳里の喫茶店に行ってきたんだよ」

「ああ、言ってたね、どうだったの?」

「やっぱり雰囲気に圧倒されちゃって、それにあそこのお姉さん凄く綺麗だし」

「綺麗って・・・、仕事にそういう人は見慣れてるんじゃないの?」

「またそれとは違うかな・・・、やっぱり仕事でやってる人はまだ作ってる部分があるから、そういうのなしで美人なのって凄く惹かれるよ」

「へぇ、でも本格的な店なんだよね」

「うん、司も行ってみる? コーヒーとか薫りもよくておいしいよ」

「僕はコーヒーは・・・、カフェオレぐらいだったら大丈夫だけど」

 そうかな・・・、意外と飲んでみたら司だって大丈夫そうだけど。

なんか私だけ苦いの大丈夫っていうのは何かおかしくない? 誰かに変態って思われやしないかな・・・、あ、考え過ぎか。司にしても由佳里にしても疎いもんね・・・。

「そういえば由佳里はアップルティー飲んでたよ。ちょっと飲ませてもらったけど甘くておいしかったよ、他の飲み物もどれも素材には定評はあるから、いろいろ試してみるのもいいかもね」

私と司はそんなたわいのない会話を続けながら、二人分のおかずを一緒に突き合って、ゆったりとしたひとときを過ごした。


それからまたしばらく勉強をしたり、借りたい本を探したりしていると、日が傾き始め、私たちは日が落ちる前に帰ることにした。

「何か良い本は見つかった?」

「今日は蔵書の方は見なかったから、割と最近の本が多いかな、中でも宮沢肇の調書シリーズは面白いね、毎回考え方にしろ、調べ方にしろ感心させられるようなことが多いよ。

何より弁護するという立場での彼の葛藤が面白いよ、どれだけ不審さがあっても矛盾を消していかなければならない、確かに彼の言うように正義とは何を持って立証するべきなのか、とても感心させられるよ」

 司は大の本好きだ。これがライフワークといってもいい。

話しによれば多いときは週に100冊くらい読んでるみたいだし・・・。それにいろんな図書館を巡っていて図書館の館長なんかとも仲良かったりしていて時々は蔵書を見せてもらっていたり、新刊のチェックなんかもさせてもらっているみたい。

 私も元々本は好きな方だし、入院していた頃からかなり読みあさってきた方だ。

それでも到底彼には勝てないし、勉強だってずば抜けて出来る彼が不思議でならない。

「買い物は行かなくていいの?」

「うん、今日はお父さんが早めに帰って料理するみたいだから。今頃刑事さんとのお話も終わって家に帰ってるんじゃないかな」

「そうか、それじゃ今日はゆっくりできるね」

「ゴメンね、今日は早めに寝ることにするよ。お父さんも仕事はちょっと一段落したみたいだし、甘えてみる」

 彼は今日私が疲れて昼寝をしてしまったことを心配してくれた。

確かに最近は忙しいから・・・、今日ぐらいは早寝したほうがいいと自分でも思う。


「それじゃあ、また明日」

「うん、今日もありがとう、また明日ね」

 私の家の前まで着いて、私は彼に別れを告げた。

シーン7「団欒日和」

 家の玄関を通ると良い香りが漂ってきた。

 私はお父さんが料理をしているのだとわかり一気に気持ちがウキウキした。

「(今日は何だろうな・・・)」

 料理をしている音を聞くとどんどん食べるのが楽しみになってくる。

私はすぐに台所に顔を出した。

「お父さん、ただいま」

 満面の笑みでそう告げるとエプロン姿のお父さんがこちらを向いた。

「おかえり羽佐奈、もうすぐ出来るから、ちょっとテレビでも観て待ってな」

 テレビにはいつものようにニュースが映っている。

 人は21世紀になっても、それほど営みを変えることもなかった。

私はピコピコとリモコンでチャンネルを変えていく、いつも観る音楽番組までは一時間近くまだあり、バラエティー番組なんかも確認しながら結局、お父さんの影響もあってニュースを引き続き観ることにした。


「羽佐奈、出来たぞー!」

 私はテーブルから立ち上がって台所から料理を運びに行く。

「わぁ、やっぱり酢豚じゃん!」

「そうだ、今日は中華でまとめてみたぞ、いっぱいあるから、ご飯一杯食べて体力付けていけ」

 今日は夕食が中華とあって私の気分は一気に上がった。お父さんの作る中華は味付けも私好みで未だに私自身がマネできない部分でもある。

 テーブルに酢豚、八宝菜やシューマイが大皿に並べられ、お互いの手前にはご飯と一緒に麻婆豆腐がおかれた。

「うわぁ、おいしそう! ねぇ、余ったら明日のお弁当にしてもいい?」

「ああ、明日まで保ちそうなものだけな、沢山作ったから、さすがに食べきれんだろう」

「えへへ、お父さんの作る中華好きだから一杯食べちゃうよ」

 私はカロリーとか糖分とか、栄養素のことはちょっと置いておいて、今はこの食事に舌鼓を打つことにした。

「麻婆豆腐おいしいー! シューマイも柔らかくておいしいし」

「そんながっつかなくても・・・、さて、俺も食べるか」

 一口一口、口に入れる毎に幸せがこみ上げてくる。成長期でもある私にとって空腹なんて耐えられないからついつい限度を忘れてしまう、でもいいよね、せっかくのお父さんと一緒の夕食だし、こんなおいしい料理を作ってくれたんだから。

 私は昼食からそれほど時間が経っていないにもかかわらず、食べる量なんて気にすることなく食べ続けた。


「刑事さんとはいい話しができた?」

 私は今日のことを先に話すと、お父さんのことを聞いた。

「ああ、久しぶりにあったが相変わらずだったよ、家族円満、子どもも大きくなってきてるみたいだ。仕事だってまた出世したみたいで、また自信を備えたようだ」

「へぇ、大変なのに頑張ってるんだ、でも相変わらずヘビースモーカーなところは治ってなさそうだね」

「それはな、畑山の場合は治りそうになさそうだ、喫茶店でもずっと止められなかったよ。

仕事柄悩みも多いし、仕方ないんじゃないかな」

 私は畑山さんとは数回会ったことがある、この家に来たときにあったこともあるし、結構なイケメンで、男前な印象がある。

「向こうの子どもに会ってみるのも良いかもな、10歳と8歳だから、意外と気が合うかもしれないぞ」

「両方女の子なんだっけ?」

 私はその子どもとは会ったことはないけれど、畑山さんと会話したことを少しだけ覚えていたので分かった。

「そうだよ、結構年下にはなるが、遊び相手にしてみると面白いかもしれないぞ」

「私はあんまり立派じゃないし、年下の子の考えてる事ってあんまりわからないから不安だけどね、でも一度くらいなら試してみるのも面白いかもしれないね。

難しいとは思うけど私に教えられることもあるかもしれないし」

「予想では凄く喜ばれると思うがな、顔ぐらいはすでに覚えられているかもしれないし」

「うん、有名になるつもりもなかったけど、そうだったら嬉しいかな」

 実際会えば緊張してしまうだろうけど、楽しみが一つ増えたということにしておこう。


「今日お風呂入るか?」

 ちょっと驚いた。今日は優しいなと思ったけど、積極さも備えてるみたい。

もちろんわざわざこういう言い方するということは一緒にお風呂に入ろうというお誘いなのだが。

「ゴメン、今日は早めに寝たいから先に入るよ」

 私は後片付けをするお父さんを見て、余計に急がせては行けないと思い断った。


 夜は深くなっていく、長い一日が終わろうとしていた。

 充実した休日の一日、久しぶりにお父さんとも一緒に過ごせた。

 私はゆっくりと湯船に浸かって、一日のいろんな事を思い返しながら水蒸気でボーとする思考を心地よく感じ、気が済むまでこの時間を楽しんだ。


「ふぅ、これも因果か・・・」

 俺は食事の後片付けを終えて畑山から預かったファイルに目を通していた。

俺の方ではもうデータがなかったから貸してもらっていたのだ。

確かに一月前のひき逃げ事件というのは興味深かった。

 結局俺はこの関係性を含めてまだ羽佐奈には話していない。

羽佐奈自身が自分を襲った事件をどれほど覚えていて、どれほど客観的な情報を得ているかは分からない、しかしだからこそあまり刺激的なことはしたくない。

 今はまだ早い・・・、もう少し何か確かな情報を得てからでないと。

 俺はファイルを机の上に置いて、ベッドに身体を預ける。

 そう、確かに失った時間はあれど幸せは取り戻した、しかし俺にとってはまだ刑事として奔走したあの日々を忘れ去れはしない、まだ事件は終わってはいないのだ。


 窓から見る月は暦として月末の中で満月に近い輝きを放っていた。

 



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