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第二章 「有情のクライアント」

羽佐奈〜3rd story〜


第二章 「有情のクライアント」


シーン1「調査資料―サーチライト―」


「ようやく漕ぎ着けたか・・・、長い調査だったな・・・、よし、残りは警察に引き継いで引き上げてもらうか、いい加減仕事は終わらせないとな」

 赤津 敏夫は長丁場となった仕事の終わりの兆しに安堵していた。

探偵というより調査官と言ったほうが近いような敏夫の仕事内容は一見派手なようで地味だ。

 探偵の職に従属してからは面倒事を引き受けてくれる下っ端も、多くの部下や仲間がいるわけでもない、警察時代のような派手な連携も含めた共同捜査などは期待できない。

 だからこそ仕事が忙しくなればなるほど昼夜を問わず奮闘して調査に辺り、資料作成に努めざる負えない。こうしている今もこの後の雑務のことを考えると頭が痛くなる。


 クライアントからの報酬が少ないわけではないが、話しが膨らみすぎたことは少々悔やまざる負えない、厄介事は警察に任せるのが吉だと言うが、警察に任さざる負えないほどに大きいヤマにするのは避けるべきであるし、そうしないよう便利的に済ませるべきだ。

 そういった事を考えながら現場を後にする、まだ報告が山ほど残っている。


「ご苦労様、ようやく一区切り付きそうだな」

「はい、どうにも厄介な事にはなりましたが、一区切り付けそうです」

 敏夫は自分を拾ってくれた張本人である探偵事務所の所長へと報告に上がった。

所長は敏夫の調査が長引いたことをふまえても粘り強く調査を続け、一定の解決へと導いたことを評価した。


 依頼が来たのはおよそ二ヶ月前のことだ。

 内容は闇金融の調査及び、貸し金等の不正高金利の余剰分の返還であった。


「しかし、不審というのもあったが、やはり厄介な依頼であったな」

「出来るだけ自分の個人情報を隠した形で調査、仲介を行って欲しいと、大々的に実態を暴いてしまってよいとは依頼にあったものの、簡単には向こうも引き下がるものでもありませんからね」

「それに、依頼人が多重債務者であったというのも厄介であったな、調査対象が一団体にしろ、一企業であったにしても、どうしても他の金融業者が絡んでしまう」

「正義的な依頼であっただけ、なんとかうまいところで警察に引き継いでもらえましたが、どうにも納得できない部分は残ります」


 調査に当たった借金業者は依頼人の推測通り違法な高金利を請求しており、その違法性は誤魔化しようのないものであった。

 この国においてはグレーゾーンを越えた借り付け金利を許可無しに請求することは法律上禁止されているが、消費者金融の問題は簡単に解決されるものではない。

 手口自体が常に巧妙で無関係に大手企業の社名を使って借り金を出すこともよくある。


「金融相やら商工団体がみんな解決してくれればいいのだがな・・・」

 所長は残念そうに、疲れ顔で言った。

「やはり依頼人よっては民商に頼れないという人もいるようですし・・・、情報の持ちようもこちらの方が厳しいのですが、例外はいつだってあるものです」

「債権者捜しなどに業務が済んでくれれば事務所としては気楽でいいのだがな・・・、こういうこともあって然りか・・・」

「そう、思います・・・」

 敏夫は、一連の調査を振り返り内に疲れがぶり返したようになり、言葉を固くした。

一度ソファーに座り敏夫は息を吐いた。


 特に多重債務者の権利所得は容易ではない。

一つの金融業者が渋々認めたとしても、それが幾つもの業者が関わってくると口を割らない業者が現れたり業者が蒸発していて特定できなかったり、事実認証が難しく、それぞれの関連性を暴くことが出来なかったりと、なかなか実態を検証できない。


 それに、難航する要因として探偵は民間人の持ちうる権利の中で捜査をしなければならず、暴力団組織などと関連した際には捜査は容易ではなくなり、危険と隣り合わせのものとなる。

 敏夫は警察を引退してから、それを覚悟の上で探偵となり、事件を追い続けている。

さまざまな依頼、調査が行われる探偵事務所にとって元警察官である敏夫の存在は稀少で能力共に頼りある存在とされている。


「(やはりこんなことを続けていてはいけないな・・・、職を無くした俺を拾ってくれたとはいえ・・・、いつまでもこんな仕事を続けていくわけにも行かない・・・)」


 今でも表面的にはしていることは変わりないと、危険と隣り合わせの仕事に悪態をつきながら、今の心の持ちようではこうして不定期に探偵の仕事を受け持つのが限界であることも事実でありに不安の色は抜けることはなかった。


「そういえば娘さんには言ってあるのか?」

 思い出したように所長は言った。

「もちろん、遅くなるとは言ってありますよ」

 今日も夕食の時間に帰ることが出来るかわからないことに嫌気がさす。

いつものように、当たり前のように夕食を羽佐奈とできればいいのだがと思う敏夫であった。

「そろそろ・・・時間ですね、警察が来る頃でしょう」

「報告は以下の通りでいいんだな?」

「はい、詳細はこちらで説明します、依頼人も妥協しているとはいえ敏感ですから、あまり話しを割らないよう、業者を暴いてもらう手筈です」

 時間が近づく従って焦燥感が出てくる、はやる気持ちを抑えながら、ソファーに座りながらソワソワとした時間を敏夫は過ごした。

シーン2「夜上の黒点」


 一連の捜査は終わりの時を迎えていた。

そんな折敏夫の姿は日の変わりそうな真夜中であるにもかかわらず、街の中のバーの店内にあった。

 長い仕事の終わりには決まってバーを訪れていた。

 これは珍しくゆっくりと酒を交わせる時間でもあり、敏夫としても貴重かつ大切な時間でもあった。

 バーカウンターに体を預けていられるこの時間はまた特殊な安心感を得ることが出来る、ふと携帯電話の液晶画面を見つめる。

薄暗い店内の中ではその光は少し眩しく、画面の中が反射して見づらくなっている。

 アナログからデジタルへ、すっかり第二世代へと移行した携帯電話は使い勝手もよくなり仕事をする上でも必要不可欠ものとなっている。

 待ち受け画面にはどうしてか娘の羽佐奈の姿が映っている、前は昔の写真なんかを待ち受け画面にしていたがいつの間にか羽佐奈に変えられていたのだった。

 ふとそれを見ていると軽く笑みが溢れる、何よりもこうして成長した羽佐奈の姿を見れることは幸せであった。

 ガラスでできたオレンジ色のコップの中からまた透明な液体が口の通って体内へと流れていく、すでに軽く1、2時間は経過してすっかり体は火照っていた。


 ふと後方から特徴的な足音が聞こえた。

それは女性のヒールで歩く音のようで、どうも店内の奥へと進んでくるようだ。

突然足音が止まる、もう影はすぐそばまで来ていたようだった。

「ふぅ・・・」

 誰にも聞こえないよう敏夫は息を吐く、こういうときにする嫌な予感というのは意外と当たるものだと鬱な気分になった。

「こんばんは、隣、失礼してもいいかしら?」

 横に視線を移すと暗い店内で浮かび上がってくる影、ぼやけたような視界から少し視界を戻して動体視力を高める。イスへと付きこちらを見据える女性の姿がようやく現実としてみることが出来た。

「せっかくの仕事終わりの一時を邪魔しないでいただきたいんですがね・・・、仕事の話しは結構ですので、元から受ける気も聞く気もありませんので、機嫌を損ねる前に早々にお立ち退きください」

「仕事って、何か面倒な仕事でもなされてるんでしょうか?」

 女性は敏夫のいけ好かない反応に不遇な面白さを感じ苦笑した。

敏夫は不審さを拭えずさらに眉間を皺付かせ真剣な眼差しで女性の表情を伺った。

「そんな怖い目で・・・、何か気に障ることでもなさいましたか?」

 女性もさすがに一触即発となりそうなほどに敵意を見せられ笑ってもいられなくなった。

送られた視線のキツさに耐えられずなかなか直視できない、女性はゾクゾクとした緊張感を抱えながら敏夫の返事を待った。

「俺を呼んだのは君じゃないのか?」

 敏夫は当然のような推測を裏切られたことにまだ気づけず確認を続けた、それほどにこの状況は敏夫にとって不愉快な展開でもあったし、相手の女性の外見にも惑わされていた、敏夫は都合のいいことを簡単に受け入れられるほど自分を信じてはいなかった。

「呼びましたが、あなたのことを存じ上げているわけではありませんので、偶然です、後ろ姿が印象的でしたので」

「そうですか・・・、ただ声を掛けられただけですか・・・、失礼しました、きっての心配性ですので」

「でも、気になっても仕方ないです、ホールは皆別の方向を向いてますもの、不思議に思って当然でしょ? 一人酒か、常連客か・・・、考えようはいろいろですけど・・・」

「ただの仕事帰りですよ・・・、家では飲めませんので」

「あはは・・・、私も、家で飲むには寂しすぎます、ホールの騒がしさはこことは対照的ですけど、悪い気はしませんわ・・・・・・、今日は静かに飲むつもりでしたので」

 気が合いましたねと言いながら女性は隣に座った。敏夫はそんな姿を見ながら女性相手は慣れているといえども落ち着かなかった。

「よく、ここには来られます?」

 女性は左手にグラスを持ち、水面を揺らしながら言った。

「仕事が一区切りが付いたときには・・・、昔はいろいろ連れられましたが、今はあまり店もあまり知りませんので」

「ふふふっ、そうですか、私は最近はめっきり仕事が減りましたので」

 女性は不敵な笑みを受けながら言った。敏夫にはそれが何が面白かったからなのかよくわからず表情は固いままであった。

「ご冗談を、まだお若いじゃないですか?」

 敏夫の表情がようやく少し緩んだ。女性は正装でグレーのスーツを羽織っている、ロングに伸びた黒髪を一つに縛りOLを象徴するような様相である、さらにモデルのような細長く頭のてっぽんから足のつま先まで伸び、身長も170はありそうで同じ年代からすると高めである。そんな体格の綺麗な女性がバーの座席で左手にグラスを持って足を組んで座っているだけで十分絵画になりそうなほどの迫力が感じられ、大人の女性としての魅力を十分に引き出していると思える。

 敏夫にはそんな女性がとても仕事が減っているとは思えなかった、むしろその容姿だけである程度やっていけるのでは思うほどだった。しかし敏夫はこの女性の経歴や特徴もまだわからず単純な判断でしか物事を考えることができず、返答は素っ気なく思えた。

「そう見えますか? お世辞でもありがたいです。

でも、退屈なのは本当です。やりたい仕事をやっているわけでもありませんので」

 女性は少しこの場に慣れたのかポケットからタバコを取り出し火を灯した。

すっと息を吐くと同時にタバコの煙が辺りに充満した、薄暗い店内ではそれはただの煙のようでもあり、埃のようでもあり、夜空に混じる雲のようであった。

 さながら照明や宝石の光は星の輝きか、敏夫は混ざっていくタバコの煙を見ながら思った。

「あなたも、お吸いになられますか?」

「いいのか?」

「吸いたいと顔に書いてありますわ」

 女性は気がついたのが面白かったのか笑って言った、敏夫は未だこの女性に対する対応を決めかねながらも、その義理を受けることにした。

「もうしばらく家内のこともあるから禁煙しているのだがな・・・」

 そう敏夫は声を漏らしながら押し出された白いタバコを掴む、タバコの後ろに口を付け先端に火が灯されると同時にグっと息を吸い込む、まるで感慨を深めるように、昔の頃を思い出されるような穏やかで、懐かしい味が口の中に広がっていく。

 敏夫をゆっくりとその心地を味わうとゆっくりと息を吐いた。


 マスターが新しい焼酎を入れるのを見ていると横から質問をされた。

「そういえばお幾つですか?」

 重くなったグラスを預かってから横を振り返る。女性は十分にリラックスしているようで最初の頃の余裕も凄かったが、今も自然とした振り舞いをしており少し敏夫は驚いた。

「35です」

 敏夫は隠す必要もないだろうと思い軽く答えた。

「私の方が一つだけ年上ですね」

 ほとんど差違がないことに敏夫は驚かされた。女性は大人びた姿であるし、まだ外見的な衰えは伺えず年齢を推測しかねる部分が多かったからだ。

「意外ですね・・・」

「学生運動とか、なされました?」

「そういう事は考えませんでしたよ・・・、でも、いろいろありましたね」

「オイルショックの頃なんてのは覚えてますか? 周りは忘れてしまった人も多いですよね」

「確かに、少しだけ覚えてます、大型スーパーを探しては買いに行かされましたね」

「昔の方が政治や経済に関心を持つ人は多かったですよね・・・、今みたいに観るものも沢山ありませんでしたから・・・」

「親父と同じようにかじり付くように朝から新聞を見てましたね・・・、そういうことも珍しくはなかったです」

「懐かしいですね・・・、すっかり社会も自分の視界も変わってしまったんだと思います」

 昔は今よりも便利ではなかった・・・、しかし現代になって感じるような気怠さや憂鬱さはそれほどなかったように思う、そう、もっといろんな事が自分と近かったような、社会現象にしても、近所住民にしても、ある程度同じものを共有し、苦悩したような思いがある。

 時代はすっかり変わってしまったのだ、最近になって余計にそれは感じられる。

若者に元気がないような風刺になっているのも大きいんだろう、世紀末と騒いでいたのはどの口かというほどに、この国は平和に浮かれているのだろうか、自分の立場の苦しさから思えば、もう少し本来の良い姿を取り戻してくれればと思わざる負えない。

「でも腐敗しているのは大人自身かもしれませんね・・・」

「利害関係に、利益追求・・・、制度の闇にもあります・・・、時代が刻々と変わればそれに従いさまざまな価値観を持った人が現れるのは当然です。

しかし、幸せの追及には間違った行為も多く存在するのも確かです。

何より社会の変化についていけないのは人自身ですから。

それを利用しようとする人が現れるのはとても侵害なことです」

 酒の力もあったのだろうか・・・、いつの間にか口は開いていた。

元警察官があまり喋るものでもないと敏夫は思った。


「家が心配なのでそろそろ失礼します」

「そうですか・・・」

 小一時間ほどの時間が経って、まだ早い時間ではあったが敏夫はいつも通りを大事にし急いだ。

「そういえば、お名前を聞いてなかったですね」

「赤津 敏夫です」

「私は飛鳥 涼子です」

 どこか聞き覚えのある名前だった・・・、しかしなかなか思い出すことが出来ない。

敏夫の中に不穏な違和感だけが残った。

「またお会いしましょう、明日、私はまた来てますのでよろしかったらご一緒しましょう」

「こちらは仕事次第です、中途半端なところで失礼します」

 

敏夫はあまり酔えるほどに飲めなかったが、ほんのりとした温かさを体全体に感じたまま家路へとついた。

 そうして出会いの夜は更けていった。

「随分と忙しくさせてしまったな。

これからしばらくは非番になることもあるだろうから、少しゆっくりするといい」

「そうさせてもらいます」

 翌日、事務所では事件の最後の報告が行われた。

これにて敏夫はしばらくは忙しい仕事漬けからは解放されることとなった。

「娘さんは元気にしておりますか?」

 局長はあまり仕事中には見せないような表情で聞いた。

事務所内には昼下がりの陽光が入り込み、窓際の局長の座る席の視界は時々悪くなっていた。

「早いもので今年で中学も卒業になります。自分でも信じられないような気持ちですよ、こうして年を重ねていくのは」

 敏夫は苦笑にして言った。自分のことを話すことにはあまり慣れておらず、言葉にすればするほど自分がここまでやってこれたことに驚いてしまう。

「もうそんなになりますか・・・、随分苦労なさってきましたな。時々無理をさせてはいないかと心配になります」

「そんな・・・、お気遣い無く。あの頃の自分を拾ってくださっただけでも感謝してますから」

 警察の仕事を放棄し、退職した自分がこうしていられるのも局長のお陰であり、本来なら守秘義務を違反していると思われ拘束されたとしてもおかしくないはずである。

まだこうして仕事が続けられることをもっと感謝しなければ・・・・・・、本来なら羽佐奈と再出発することは容易ではないのだから。

                   *

 ダンスフロアは早い時間にもかかわらず今日もいつもの盛り上がりを見せていた。

暗く視界の点滅する店内の奥へと歩いていく、どこか埃臭い店内に激しいアルコール臭が鼻を刺激する。

奥へ行けば居酒屋よりは落ち着いた雰囲気の空間に多くの客が犇めいている。

バタバタと歩いては注文を聞いて回る店員、そんな個別な空間とは別に用意された空間。

バーテンダーが落ち着いた表情でカタカタとカクテルを回し、どんどんと注文されたお酒を何食わぬ顔を作っていく。

敏夫はそのカウンター越しの背の高いイスにいつものように座った。

隣には予想通り思っていた人物が座っていた、敏夫はその姿に間違いがないことを確認して声を掛けた。

女性はポカンとした表情で、突然の登場に驚いているようだった。

「本当に来てくださるとは思いませんでしたわ・・・」

「仕事が一段落したところですので。気持ち的にもすぐに帰る気にはなれませんでした」

 涼子は安心したようにサラっとした髪をゆらした、そして昨日と同じように他愛もない話しに花を咲かせた。


 ふとした瞬間ブルブルっと一定のリズムを刻んで携帯電話が振動した。

「失礼―」

 敏夫は慣れた手つきで携帯電話を取り出して液晶画面を確認した。涼子がそんな自然な動作を横から少しお酒の入ったままの虚ろな視線で見ていた。

彼からはどこか複雑な心境心理のようなものを感じる、苦労の度合いが人とは違うのか、涼子にはやはり彼が不思議な存在に思えた。


 連絡は警察の時代の仲間でたまに時間が出来れば会うような相手だった。

互いにあまり時間が取れることが少ないため、連絡も電話ではなくメールだった。

仕事も一段落したことだし、相手からして話題に尽きることもなさそうだ、たまには会って話しをしてみるのもいいだろう。


「私用の携帯電話ですか?」

 涼子は表情を軟らかくして面白いものを見るように敏夫を見て言った。

「―――えっ、そうですね、支給品というのは苦手で、二つも持っても仕方ないので遠慮しているんですよ」

「現物は始めてみましたよ、最新機種なんですね」

 ふわっと長い髪が揺れる、敏夫は自分の携帯を見つめる視線にドキリとさせられた。

「確かにまだ珍しいですかね・・・、いわゆる第三世代携帯です、多機能さがウリですが、使いやすさも増してますので」

「私のはまだ白黒ですよ、外出が多いので必要としていますが、通話以外に用途など考えたことはありませんでした」

「そりゃ、最初はメーカー側だって同じような考えでしょう。

でも人間の適応力というのは目を見張るものがあります、オーバーテクノロジーだと思っていたことでも気付けば使いこなしてしまう、不思議なものです」

 敏夫は感慨深そうに開閉式の携帯電話を開いては閉じる動作を繰り返した。


「ふふふっ、愛していらっしゃるんですね・・・」

 敏夫は突然の言葉に驚きながら、すぐに涼子が自分の待ち受け画面を凝視していることに気がついた。

「あはははっ・・・、恥ずかしい限りです」

 涼子にはそれが単純に写真を貼り付けたものではないことがわかった、いや、それ以前に携帯電話に写真を貼り付けるという高層な発想も出ず、答えは備え付けられたカメラ機能であることが一番に浮かんだのだ。

「娘とその友達です、カメラ機能で遊んでいたようで、気付いたときにはこうして画面を変えられていました」

 敏夫は苦笑しながら説明をした。

 思えばそれはつい最近の出来事、忙しい仕事漬けの日々では忘れてしまいそうほどに本当は大切な、穏やかな時間の中にある思い出。

羽佐奈と友達の由佳里ちゃんが元気そうな笑顔で映っている。

そこには紛れもなくあの日から取り戻した幸福の姿が伺えた。

「もしかしたら同い年くらいかもしれませんね・・・」

「どうか、しましたか?」

 どこか沈んだ様子で、呟くように話す涼子に敏夫は心配そうに声を掛けた。

「私にも子どもがいたんです、もう亡くなって随分経ちますが、もしも生きていたら、同じぐらいの歳になると思います」

「そうでしたか・・・」


 それからもしばらく話を続け、別れの時間がやってきた。

 自然なやりとりの中で携帯電話の番号を交換し、いざ別れの時となって涼子は口を開いた。

「次に会った時に聞いていただきたい話しがあります」

 どこか不審な、謎めいた言い方だった。まだ言葉を躊躇っているような、それでいて真剣な態度で、それはもしかしたら重大な話しなのかもしれないと頭の中で勘が働いた。

 交わされた再会の約束。

 そして、真実は次の再会の時、避けることなく語られることとなる。

「申し訳ありません・・・、私はあなたを試していました・・・」

 橋の見える遊歩道で、ほとんど人の立ち寄らない海面へと向かう柵の前で涼子は語り始めた。

 ライトアップされた橋を目の前に、あまりにドラマチックな場所を前に、夜風に吹かれながらすでに心は押しつぶされそうなほどに冷め切っていた。

予感めいたものを感じながらも、自然さを装って過ごした日が落ちるまでの時間。

お互いがこの時のために身を包んだ新鮮な私服姿であったが、それは現実を紛らわすには何の意味もありはしなかった。

 お互いがあまりに大人でありすぎたのかもしれない、今という瞬間があるのは決意の表れで、どこかで感じ取っていた予定調和が生み出した避けようのない時間だった。

 もう敏夫にはこの状況を打開する手だてはなく、ただ達観して言葉を噛み締めることしかできなかった。

「裏切ることになるでしょう。私は出会う前からあなたのことを知っていました。


私は赤津 敏夫に依頼したい願いをもってやってきました。


私はあなたが探偵であることも、外注スタッフであることも知っています。

でもこれだけは信じて欲しいのです、とても個人的なことで想いを共有できたこと、そして私があなたを信じられる存在であると認められたこと、だから私は自分のことを晒すのだと。

 私の話しを信じる、信じないはお任せします。依頼を撤回してくださっても構いません。

しかし、出来ることなら少しでも力を貸していただきたいと願います」

 

決意に満ちた口調でそれは一つずつ現実の不安となって押し寄せてくる。

どうして気づけなかったのか、どうして見抜けなかったのか・・・、それでいてどうして止めれなかったのか・・・・・・、敏夫はこの状況を重く受け止めるしかなかった。

「不本意ではありますが、一個人として話しは聞きましょう。

しかし何も期待しないでいただきたい、決意の重さから失望されたとしても、私には何も保証することも、代償とできることもありません」

 仕事口調でなんとかそれだけの言葉を振り絞った、この時の敏夫には何も誓えることはなかった。


 そして涼子は柵に背中を軽く合わせ、手すりをギュッと握って一呼吸を置いてから、静かに口を開いた。その瞬間、バっと髪を揺らしていた浜風は止んで、ゆっくりと沈むように髪が靡いた、敏夫はもう目を反らすことはできなかった。


「依頼というのは別れた夫を捜索してほしいのです。

私と別れた夫は結婚を約束した直後に一人目の子どもを授かりました。

しかしその子どもは産まれた直後に死にました、出産現場ではよくあることです、だけれども幸せな日々を疑わなかった私たちにとってそれはあまりに衝撃的な悲劇でした。

 でも人間はそれで諦めることもありません、まだ若かったのもありましてそれも乗り越えました。

 二人目も大変な難産でした。一人目の時よりも痛みは激しくて、まるで鎮痛剤など効かなくて、本当に血まみれの出産現場でした。

その死に際のような長く苦しい時間の中で思いました、これがもし失敗して再び子どもを死なすようなことがあれば、二度と子どもを産まないだろうと誓えたし、むしろ産める身体ではなくなるだろうと思いました。

 しかしそんな絶望的な状況の中で私たちは必死に耐えました。

玉のような汗をかいて、目を必死に振り絞るように閉じたり、痛みで目が見開いたり、眠ることの出来ないと陣痛を乗り越えて、幾度ももうダメかもしれないと思いながらも、夫や医師の励ましの中で、なんとか耐えました。

 そして産声を上げました、生きたいと大きな声を上げて赤ちゃんは小さな身体でなんとか命を繋ぎました。

 小さな体ではありましたが、なんとか子どもは障害もなく育っていきました。

 なんとか私も退院して、新しい命と一緒に再び暮らしを取り戻すことが出来ました


 私たちはその産まれた子どもに本来一人目に付けるはずだった「みどり」という名前を授けました。しかしこれは女の子に付けるはずだったので少し変えて漢字一文字「緑」にすることに決めました。


 でも悲劇はまた別の形で訪れました。

 5歳の誕生日を迎えて間もなく緑は事故で死にました。

あまりに突然の別れに私は現実を見失いそうになりました、しかしそれでも人間は生きなくてはなりません、ずっと泣いてばかりもいられません。

 夫が別れを切り出してきたのも、事故死からそれほど時間も経っていない時期でした。

「もう耐えきれない」と夫は一人で生きていく道を選びました。

 それは本当に一方的なものでした、多額の慰謝料を残して、気持ちの整理を付ける間もないまま生活は一変しました。


 しかし今になって思います。

 きっかけとしては仕方ないのかもしれないですが、不信感と言えば大ごとに聞こえますが、未だに納得できないでいます。

 手続きを終えてすぐに出て行った夫が、それまで仲が悪いわけでもなかったのに、突然連絡が途絶えてしまって、一切消息がわからなくなってしまった。


 今では夫がどんなことを考え、決断をしたのか、事故も目の前で見たわけでもないので現実感もないままで、私は未だに整理を付けられないでいます。

 

だから一度どんな形でもいい、何も期待はしない、ただ、話しをしたい。


それが私が今回依頼する内容であり理由です。どうか私の中に未だ残りわだかまりを解消するために、手伝ってくださいませんか?」


 依頼内容としてはシンプルなものなのかもしれない。

 探偵事務所の中でも割と事例のありそうな話しだ。


 しかし俺は、どうしようもなく、感情の置き場所に迷い、即答することが出来なかった。

 本来冷静に考えればこの調査には大きな意味はない。

 これで何かが変わるようなことはない。

 

 むしろ知ってしまった罪悪感の方が今は心を痛めつけている。

 でも、現実を止めることは出来ない

卑怯に思えるほどに感情を否定することは出来ない。


理不尽なこんな願いを受けて

そして心を繋いでいくことに酷く罪悪感を覚えながら


俺は否定することも頷くこともできないまま、しかしこの依頼を結局受けることとなった。

 



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