第一五章 「You―記憶の中の記録の日々―」シーン1,2
第一五章は前後半に分かれます。
過去一番多い文量の章になりました、労力も一番掛かったので今後のハードルが上がったような気がして辛いです。
後になって分かったことだが、幽霊とは人が死亡して、肉体から魂に分離してからも未練や遺恨を解くために、未だに現世に残り生前の姿に可視化したものとされるが“視える”ものとして大きく主に肉体を離れた後の御霊と言われる夜間などに空中に飛行する光源体の人魂と悪霊の類とされる生霊とがある。生き霊は相対語として死霊もあるが生霊は人の強い思いとしての怨念が、霊となって霊前の恨の対象となる人に憑依などをして、祟りや災いなどをもたらす現象のことであり怨念をもって禍をもたらすものを怨霊といい、生きている人の霊魂が強い怨念により肉体から分離し、禍をもたらす霊を生霊と呼び、双方とも悪霊に分類される。
また生き霊と類似する現象として、重病者により臨死体験があり、奇跡的に蘇生した体験をしたとされる人々の中の証言などから、肉体と意識が離れたと思われる体験が語られ、その体験談が民間伝承されている幽霊や生霊の概念と結びついて、幽体離脱を経験したとされ、いわば霊魂として意識が肉体を離脱し、客観的に自己に対峙した形でおのれの肉体を視るという現象が発生したと考えられる。
幽霊を想念体と同一視されることがあるが、これは想念体が負のエネルギー(悲観的な思念や価値観に捕らわれる状態)に支配される状態であり、霊が悪意をもって憑依することと近い関連性があるからだと考えられる。
総じて肉体から分離した幽霊は強い想念を宿し、人に悪影響を与えることが多く取り憑かれた場合は素早い徐霊が必要になる。生霊は死霊に比べて取り憑かれると、取り憑いた方にも深刻な事態に陥る場合がある。重要なのは下手に生霊を徐霊すると、その人の霊が元に戻らないため、彷徨うことになり本人の健康や寿命に影響が出てくるものと考えられる。生霊には故意に生霊となって現世に分離し憑依したわけでない場合も多分にあり徐霊の際には正しい手順をもって生霊を導く必要がある。
憑依する人、憑依される人と別れて二分したとして、憑依する人は憎しみや恨みを持ち生霊となってしまったため、その事実を理解させた上で憎しみや恨みからは何も生まれず、ただ身を破滅させるだけであることを自覚させる必要がある。一方は憑依される人はなぜ生霊に憑依されるのか? 恨みを買うような心当たりのある場合は、とりあえず善行を積む必要があり、その上で立会人の元で徐霊のための交渉をする必要があると考えられる、しかし原因として精神面での問題がある場合もあり、その場合はカウンセリングの必要がある(こちらは自己の想念体の問題にあると捉えられる場合がある)。
以上、関連項目に関する調査のまとめである。
*
第15章 「You―記憶の中の記録の日々―」
シーン1「憂鬱な心模様」
12月23日
「それじゃあ約束だよ」
「うん、プレゼント楽しみにしてるね」
「なんだか、楽しそうだね」
「楽しみだよ、だってお父さんが誕生日をお祝いしてくれるの
それでね、ファミレスに出掛けて、ケーキも出してくれるんだ」
「へぇ、羽佐奈のお父さん優しいもんね」
「えへへっ、お父さんお仕事忙しいのにいつも私と一緒にいてくるんだ」
会話が始まってしばらく、私はこれが夢だと気付いた。一体何の記憶だろう? 周りの景色の高さから私が小さい頃の話しだということは分かった。
約束? 一体何のことだろう? これはまさか誕生日よりも前の記憶? だとしたら目の前の私よりも少しだけ身長の大きな男の子は・・・。
あれ、記憶にポッカリと穴が空いて目の前の男の子が誰なのかがわからな・・・・・・、ザァァァァァァァァァッッッ!!!!!!! 強烈な砂嵐が目の前の視界を混濁とさせ幼き日の記憶が打ち消されていく。
次の瞬間、場面が途切れることなく荒々しく移り変わりよく最近見る悪夢へと姿を変えていく、私は耐えられない悲痛の中で強く念じ、明確な自我を取り戻すことによって目を覚ました。
「私、また夢を見てた・・・」
じっとりとした汗が布団から感じられたことで見ていたのが悪夢の類であるとわかった。
「あれ? ケータイ・・・」
握ったまま寝たはずなのに携帯が見あたらない・・・、私はベッドの上を探したが見つけることが出来ず、結局ベッドの下に落ちているのを見つけた。
手を伸ばして携帯を拾って開くが着信はなかった、私は憂鬱なまま体を起き上がらせた。
「なんだろう・・・、今日は一段と寒いな・・・」
布団を上げて立ち上がると一段と寒さが感じられた、窓にはびっしりと霜が付いて外の景色も霞んで窓を開けるのも怖いくらいだった。私はもう一度カーテンを閉じて部屋を後にした。
リビングに出るとお父さんがすでに起きていてじっとテレビを見ながら朝食のトーストをかじっていた。寝起きで霞むテレビの画面を眠い目蓋を掠りながらよく凝視するとすでにいつもの起床時間を過ぎていることに気付いた。
「もうこんな時間・・・」
「起きてきたのか、いいんじゃないかもう冬休みなんだから、昨日はバタバタしてたからな」
お父さんは平然答えて私のことを労ってくれた。
「うん・・・、ちょっと寝過ぎたかも」
そういう私はしかしながら眠気が過ぎ去ったわけではなかった。無理に起きようと思わないと体が満足に反応してくれない、それほどに私は昨晩は寝付きが悪く、気分も悪かった。誰にも言い出せないほどの不安がずっと自分の中にあって、司のことを考える度に異様なくらいに眠気が覚めて夜目が利いてしまう、そんな異常な状況は私の中で確実にふくらみ続け、現実に身体をも浸食している。
眠気を押さえながら朝支度を済ませて、私は遅れて朝食を食べながらずっとどうすべきか考えていた。なかなかいいアイディアというか思考がうまく回らない、私は集中力を切らしたままずっとテレビの雑音に耳を通し続けた。
「―――お天気ですが、ここ最近になって冷たくなってきておりますので、雪の降る地域も増えてきていますね、こまめにお天気は確認した方がいいでしょう。
東京の今朝の最低気温は摂氏六度と大変寒くなってきております、お出かけの際は十分に寒さ対策をしてお出かけください」
「はい、市原さんありがとうございます、雪の降っている地域では車も滑りやすくなっておりますので十分ご注意ください、それでは今日の占いです」
・・・・・・幾らここで考えていても仕方ないなと結局思った。
「確かめればいいだけだよね・・・、それだけだよね・・・、今出来ることは」
温かいコーヒーは私の頭を少し活性化させてくれた、結局何も変わっていないとかもしれない、何も気付いてあげられてないのかもしれない・・・、でも私は不器用だから一つ行動を起こして確かめなきゃ分からないんだ、私はテレビのリモコンを手に取りテレビの電源を切った、決まれば出来ることは限られていた、でもそれでもいいと思った、今の私にこれ以上待ち続けられるわけがないから。
*
あれこれ思い悩んでいる間に私は司の家の前まで来ていた。
「来ちゃってよかったのかな・・・」
今思えば自宅に電話すれば済む話しだったのに・・・、万全ではない具合を酷使するほどの意味はなかったかもしれない、家の前まで来て今更確認方法を変える気にはなれないけど。
こうして一人で約束なしに家を訪ねるのは初めてかもしれない、来たとしても大体司が一緒だったし、家に上がったこともなかった。やっぱり司は私に家にこれられるのを避けていたから、私の家にいる方が安心できると言ってくれたのも嬉しい反面複雑だった。言葉にするのも難しい複雑な家族事情があるということだから。
「ふぅ・・・、でも振り返ってられないよね」
チャイムを鳴らす指が近づく度に震えた、付き合って半年も経つのに彼氏の家に来るのがこんなにドキドキするもんだとは思わなかった、普段はこんな緊張はないのに、彼の触れられたくない場所に触れようとしているから? それこそ幻想だって分かっているけど、今更秘密にしていることもお互いないはずなのに、知らない部分に触れようとしている感覚はどうしようもなく感じてしまうようだ。
司の両親はすでに亡くなっている、それは司から自然に聞かされたことだった。
それで司は流れる形で今の叔父夫婦の家で暮らすこととなった、叔父さんは足が不自由で認知症も患っているそうだ、叔母さんはその介護をずっとしていて、司はそんな家に突然住むになったわけだ。随分昔からだから今は気にしてないと言っているが司が普段から他の子より落ち着いていたり、家事が出来るのもその影響のようだ、司は普段から叔母さんの手伝いのために買い物に行ったり料理をしたりいろんなことをしている。
立場は違えど私も似たり寄ったりな家族事情だから生活は想像できたし、その大変さも影ながら理解できた、私の家に長居していられないのもその事情だからで、実際の叔父夫婦を見ていないのに何となくイメージだけが出来上がっていたのだった。
こんな真っ昼間だから出掛けていることはないだろう、私はやっぱり怖いなぁと思いながらも勢いに任せてチャイムを押した。
「司・・・、ホントにいるかな・・・」
もう引き返せなくなった私は頭上の部屋を見つめた、夜に司を見送って司の部屋の電気が付くまでずっと見ていたこともあったから部屋の場所は知っていた、今はきっと昼間だから電気を付けていない、気休めだけど今はそう信じることにした。
しばらくしてガチャンと音がして玄関の扉が開いた、出てきたのは叔母さんだった。
想像していたよりも痩せ細く年老いて見えた、お祖父さんかお祖母さんでも間違いじゃないだろうという見た目に私は申し訳なさと共に変な緊張感を覚えた。
「突然お邪魔してすみません。司くんの知り合いの者です、司くんはいらっしゃいますか?」
冷たい風に声が震えそうになりながら私は言葉を伝えた。願いが届けばいいなと思った、ひょっこりと司が顔を出してくれればどれほど安心できるだろうと思った、叔母さんは表情をあまり変えず私のことが目線に入っているのかもよくわからなかった。
「司がお世話になってるところの子かえ? 随分べっぴんだねぇ」
この地区では珍しいぐらいの訛りで叔母さんは言った。
「あ、はい、よく付き合ってもらってます。いつも遅くなって申し訳ないです」
付き合ってますってなんか短縮したらもの凄い恥ずかしい物言いになってるんだけど・・・、慣れない相手に私はつい戸惑ってしまってしどろもどろに言葉を繋げるのが限界だった。
「いいんだよ、司には迷惑掛けてるからね、これでも感謝してるんさね。
それで司かい? 昨日から帰ってないけど・・・、どうかしたのかえ?」
「帰ってませんか・・・」
やっぱりか・・・、私は悪い予感が的中したことに落胆した。
「それじゃあ、私の方で行きそうな所探しておきますね」
「そうしてくれると助かるねぇ、こっちには司の行きそうなところなんて見当つかないもんさて」
叔母さんは相変わらずよくわからない訛りで司のことを心配しているのかしていないのか分かりづらい態度でとりあえず私に頼んだ。家族関係上あまり干渉しないというのが明るみになったようで私は少し気を落とした。
挨拶を済ませて司の家を後にすると私はすぐさま携帯を取りだし何か知ってそうな人に連絡を掛けてみることにした。
「(・・・・・・本当、どこで何してるのかしら・・・)」
心配が時間と共に大きくなり次第に焦りを膨張させる。
しかし由佳里に電話しても喫茶店に電話しても司のことを見たという目撃談は得られなかった。
「仕方ない・・・、畑山さんにお願いするしかないか・・・」
畑山さんにお願いすると言うことは警察にお願いするのと同義だ、何より怖いのがそこまで状況が停滞していることで、他に誰にも頼りようがないのが現実だった。
私は携帯を持つ手に自然に力を込めながら、一つ二つとプッシュ音に耳を傾けた、4つ5つとプッシュ音がした後にガチャッと畑山さんが出た。
「あの・・・、突然すみません、無理で承知でお願いなんですけど司を捜して欲しいんです」
私は挨拶も早々に緊迫した状況を伝えた。
「様子から見て私情だけじゃあなさそうだな・・・、いつから捜してる?」
「あっ、昨日の終業式にも来てなくて・・・、昨日から連絡がずっと付かないんです・・・、家に行ってきたんですけど帰ってないみたいで・・・」
「そうか・・・、わかった、行方不明なら捜査員を出そう。とりあえず落ち着け、焦ってもどうにもならないからな」
「はい・・・、お願いします」
畑山さんは大人な対応で私を落ち着かしてくれた、甘えすぎるのはよくないけどやっぱり頼りになるなぁ。私は状況を伝えあってとりあえず出来ることをしようと思い街を歩いて捜すことにした。
*
ただ祈るように、無事であるように願い街を歩く
図書館に公園、商店街に繁華街
一人で歩くには広い道を、一人一人歩く人の顔を確認しながら進む
時間が経つ毎に不安は嫌が応にも募っていく
それはまるで雪のように冷たく降り積もり、確実に焦りへと変えていく
街で畑山さんとすれ違う、何も目撃証言はないようで、本当に私の家を離れてから行方が分からない状態だった
会ったのがつい二日前なのに、ポッカリと穴が空いたように、身体と一緒に心も凍えてしまいそうだった
「大丈夫か? 具合悪そうだが」畑山さんは言った。必死だったのかすっかり忘れていたのか、街の景色か虚ろに見えた、睡眠不足がたたったのか、長時間寒い中、外を歩いていたのが悪かったのか、一度気付いてしまうと足取りも遅くなるほど具合は悪化していた。
「そういえば、風邪気味だったかも・・・」
寝付きが悪くなったことや今朝の体調不良などがすぐに思い出され私は現状の危険さに気付き呟いた、それにはさすがに畑山さんも呆れ顔だった。
「なんて奴だ、お前まで具合が悪くなったら赤津に何を言われるか・・・、後は警察の仕事だ、今日は帰って寝ろ、何かあればすぐに知らせる」
「はい・・・、お騒がせします・・・・・・」
私はそれ以上言葉で反抗することも出来ず、自分の弱さを嘆いた。
「身体は大切にしろ、今は信じてあげる方が大切だ」
それが畑山さんなりの助言なのだろう、畑山さんはおもむろに私の頭を撫でた、とても恥ずかしくてとても心に染みる言葉でそれだけで私は泣いてしまいそうになる、優しいのは卑怯だ、これじゃあ私は何も出来ないままで、本当に警察もこんな人ばかりだったら犯罪もっと少なくなっただろうに、私が情けないから贔屓にされてるだけかもしれないけど。
吐く息は白く、体温は自分でも分かるほど上がり明らかに具合は悪化していた
何度も口に手を当て咳を吐く
いつも歩く帰り道が、二倍にも三倍にも遠く思えた
全部任せたきりで、何も出来ない自分が無力でならない
大人へはまだまだ程遠く、いいアイディアも浮かばない
そして私は、長い帰り道の中で
時折視界が霞むのを嫌って目を閉じ、記憶を思い出していた
半年という時間は長かったのだろうか?
いや、出会ってからこれまで、私はどれだけ司のことを思っていられたんだろうか
大切なことは今でも怖いくらいに覚えていて、平坦ではない道のりを今更ながら教えてくれる
その追憶に身を任せたまま、私はこれまでの日々を振り返った
*
同年、1学期
約半年前からの記憶
シーン2 「The stairs of love ―プロローグ―」
それは三年に進級してしばらくの頃だった、その頃にはすでに春の桜は散り、日中は徐々に温かさを感じられるように季節は通り過ぎてきていた。校庭には緑道の道がずっと続き、いつものように同じ校舎に向かって学生服の生徒達が歩いている。私の中の気持ちも以前よりは随分落ち着きを取り戻してきたと自負している。
そういえばと時間を遡っても自分の子どもさを身に染みるほど自己の自意識は変容していて私なりに人間は一度は間違いを犯さないと自我を持つことも理性を保てるようになることもできないんだろうと思う、いつだって先の事なんて分からない、でも、それでも私たちは人である以上、いろんなことに気付いたり考えたりしてベストな手段を選び行使していかなければならない、間違ってからでは遅い、間違える前に予測できる先見性が必要になってくる、それは感覚的にはあるけれど、思考的でもなければならない。
「(・・・でも、それが間違いだと考えられるほど、私だって経験は足らないんだけどね・・・)」
私は三年になったが、未だに進路を決めかねていた、考えることを覚えれば覚えるほどに悩み始めれば収束が持てない、一定の結論が出ない。
本当は・・・、といろんな事に物思いに耽ってしまう。贅沢な話しだけど一度きりの人生とは難しいものだ、「何のために」とふいに言葉が浮かぶ。私には小さい頃の安易な想像なんてあったんだろうか・・・、曖昧でわからない・・・、でも何かのためになりたいという気持ちは今でもずっと自分の想いの中にくすぶっている。
「(こればっかりは、お父さんの意見を全面的に頼っちゃうのはマズイもんね・・・)」
お父さんなら好きに生きればいいというだろう、自分のやりたいことをやればいいと言うだろう、それなりに生きることに希望を持ち、努力をしてきて、自分なりの夢も想像してきたんだから。
「(お父さんの迷惑ばかりは掛けられない・・・、よね・・・)」
やっぱりずっとくすぶっている想い、自分の好きなことばかりしていていいのだろうか? こんなにお世話になってきたのに・・・、私の気持ちは飽きることなく揺らいでいる。
その時間は運がいいことに授業がなく自習であった。私は今年も運良く同じクラスになった(何らかの裏がありそうだが)由佳里と課題のプリントに取りかかり始めた。
「解けそう?」
由佳里が不安そうに聞いてくる、私は何をそんなに不安そうにと思いながら簡単に頷いてみせた。
「こんなのよく解けるね」
「ほとんど復習だよ? 先生出す問題大体形式一緒だからすぐにわかるよ」
「はぁ、私数学はダメだわ・・・、応用になると頭回んなくって」
「由佳里、少し勉強すれば出来るじゃん、テストの時は大丈夫なんだから」
「数学は少し手を抜くと後からツケが来るからね、私にも羽佐奈みたいなマメさがあればいいんだけど」
由佳里もいつも平均以上はクリアしてるからこんな心配をするのも不思議なんだけど・・・、まぁそれ以前に平均以下の人はこの課題プリントさえまともにしないのか、ちょっと現実が身に染みた気がする。
私はそんなクラスの現状には関与せず、とりあえず自分の課題を早く済ませようと手を進める。
「どうしたの? なんだか急いでるけど」
「・・・図書室、行っておきたいの」
唐突な私の発言に由佳里は表情を固まらせた、私は何でもなく言ったつもりだったが想像を絶したようだ。
「今は授業中よ、他のクラスは普通に勉強してるし」
「早めに本を返しておきたくて、昼休みは人多いから」
由佳里は信じられないものを見るような目で私を見たが、私はそんなことにお構いなく10分で課題を終わらせて静かに席を立った。
「あんた早すぎでしょ・・・、絶対普段手抜いてるわ」
由佳里は私の完成したプリントを見て言い放った、私はカバンから何冊かの本を取り出し教室を抜け出した。
今日は課題が簡単で正解だった、普段はあまり休んだりしない先生だから内容も簡単な復習ばかりであまり長考せずに済んだ。私は授業の続ける声のする教室を幾つも通り過ぎながら静かに図書室へと向かう、一度決めたら迷うことなく実行する、今日の私は珍しくそんなことを実践していた。
仮にここで先生に見つかり声を掛けられたとしたら私はこう答えるだろう。
「自習なんですけど、課題の参考になるものを探したくて図書館に行ってるんです」と、さも優等生のように答えるだろう、実際こんな理屈が通用するのかは知らないけど私を知ってる先生なら信じてしまうだろう、いや、あながち用事自体も遊びに行くわけではないので間違ってはいないのだが、でも下手な男子だったら拉致されて連れて行かれるんだろうなと思うと不遇だ、普段から悪いことはするもんではないなと思う、その方がある種面白いんだろうけど・・・、私にはよく解らない価値観だった。悪いことをしておいしいって、なんじゃそりゃ・・・。
そんなことを考えている間に図書室に辿り着いた、私はあまり音を立てないようにゆっくりと図書室の戸を開けた。図書室の中は授業中ということもあるのかすべての照明が付けられているわけではなかった。
特に一カ所だけ目立つ図書室の奥の方の明かり、いくつも本が積み上げられ強烈な人の気配がした。
「(・・・こんな時間に、図書室来てる人いるんだ・・・)」
それが一番最初の驚きだった、そういうことが平然と許されている訳じゃないと思うけど・・・、どこか普通とは違う不条理に私は不思議な感覚を覚えた。
私は本特有の香りのする薄暗い空間を奥へと歩いていく、人のいる気配が消えることはない、私は本の積まれた長い机を通り過ぎ本棚の間を通り抜けていく。
そしてふいに見えた人の影に私は目線を上げた、私の後ろで縛った髪がふわっと揺れる、そこには何の焦りもなく、自然体のままで本棚に手を伸ばし目当ての本を物色する少年の姿があった。
「何してるの?」
ふいに出た言葉だった。私より5cm近く背の小さな男子は私の声に反応してゆっくりとこちらを見た。
「見て分からないかな?」
「今は授業中よ」
「君は風紀委員か何かかな?」
男子はそう言ってクスっと笑った、まるで私がおかしいみたいな言い方にちょっと私はむかっと来た。
「不思議に思っただけ、おかしいじゃない、こんな時間に図書室に人がいるなんて」
「そういえば、そうかもしれないね」
今気付いたとばかりに男子は言った、私としては呆れるほかなかった。
男子は何事もなかったかのように取り出した本を持って本の積み上げられた机に向かった。私は何かに導かれるかのようにそれを追いかけて机の前へと来た。
「あれ・・・、そういえば・・・」
積み上げられた本を眺めながらふいに考える、本の中には到底理解できなさそうな洋書も混じり、とても中学生の読む内容の本を凌駕していた。
名札に書かれた“新田”という名字に既視感を覚え記憶を覚醒させる、名札から一年年下の二年生だとはわかるけど・・・、新田 司・・・、確かそんな名前をどこかで・・・。
「あっ! ジャック・デリダを借りてた人っ!」
「よく覚えてるね・・・」
「あんな専門的な本普通中学生が読む本じゃないしここに置いてあるのも教師の趣味なのかもわからないぐらいだし、他に借りてる生徒がいるなんて思わないわよ普通」
思わぬ偶然に驚きの方が先に来た、趣味だとはいえ哲学に正通してるなんて予想外にも程があった。
「グラマトロジーについて」「声と現象」彼の言葉に追随するように著書の名前を言った。
まさか前者がこんな中学に置いてあるとは思わなかった。私は図書館で「声と現象」を読んで哲学書とはいえジャック・デルダに興味を持ったのに・・・、まさか一つ年下の子がすでに見つけて読んでいるとは思わなかった。
「へぇよく知ってるね、物事を分かり易く分割することは構造をしらなければ理解しがたい誤解を招く可能性を秘めている、デリダの行ったのは記号概念を依然として使い続けたことに対する批判だ、文字や音声を表すシニフィアンと概念や意味内容を表すシニフィエは必ず個人の認識レベルに対して必然性がないにもかかわらず了解される体型が必然化されてきた」
「言語を精神的実体と規定すること・・・」
私は話しを整理するように呟き彼の言葉に耳をすました、彼はまるで私の技量を計るように話を続けた。
「ソシュールの作りだした「構造」では「理性=音声中心主義」を強固にしてしまった。
グラマトロジーは思想構造と植え付けられたエクスキュール(書き言葉・書字)を代補とし、バロール(話し言葉)を真なるものとする音声ロゴス主義を批判することだ。デリダは劣位されてきたエクスキュールを救済する意味でもバロールに分類される対象を脱構造化することで対象に隠された矛盾や潜在的な概念を取り払い、合理主義のあり方を再構成させることで人々の危機意識を高めようとした」
彼は誰に聞かせるためでもなく、思考された信号をそのまま言葉にして表現している。それはバロールとしては未整理でも、あまりに自然で無地な美しさがあった。
彼は意識を切り替えるように本を見下ろしながら語るのをやめ、私の方を見た。
「デリダの行った哲学教育運動は立派なものだよ。デリダは17,18からしか学ぶことが不可能とされてきた哲学を10歳や11歳の子ども達に教え、子どもが哲学に興味を持ち、考えることを覚え、それを楽しませることに成功した。それは子ども達へ哲学の権利を与える必要性を政府に訴えかけ、元来の考え方を覆すこととができた」
私もそれほど詳しい訳ではないが本に書いてあることはある程度理解できた、物事を考え理解することの基礎が哲学にあるとするなら、ただ反芻するだけの学習に意味を見いだせなくなるのは当然のことだ。
「―――人間は結局勉強をすることから逃れられないんだ、僕はどうしてみんながそのことに気付かないんだろうなって常々思うんだけどな」
それが彼の本心なんだろう、これを真実と指すなら日本の教育はずっと遅れていることになる、確かにそれは紛れもないことなんだろうけど・・・、しかし何がそれを言わせているのか私にはまだわからなかった。
「ごめん・・・、僕今日はずっとこっちだったからつい無駄話しをしてしまって・・・」
「あっ・・・、サボってるわけじゃないんだ・・・」
「それはお互い様なのかな」
彼は持ち寄った感情を紛らわすように目を伏せた、彼が根っこではまだまだ子どもだということは私には容易に認識することが出来た。
「(年相応か・・・、この子に限って特別なわけないと思うけど)」
人間どこか優れているところがあれば劣っているところがある、そんな当たり前のような定理を私は思い出した。
「本の返却なら受け取るよ、僕は一応先生に任せられてるから」
「そうなんだ、それじゃあお願い」
妙に察しがいいのは得意分野だからなのか、そういう生徒が沢山いるのかはわからないけど、学校の中で彼が何かしら特別扱いされていることはわかった。どうせ事情なんて学力うんぬんだとは思うけど今は目の前のことを解決することを優先することにした。
「ねぇ、君はこの学校にいる生徒が低俗だと思う?」
一体何がそんな言葉を私から引き出したのかわからないけど、私は帰り際になってそんなことを問うた。
「そんなことないよ、だって人の時間は平等ではないし、どう時間を使うかは人の自由だから。それに・・・責任があるとすればそれは教育者に当てられることだから」
ただ私は彼なりの答えを知りたかったのかもしれない、特別不満があるわけでもないけどこんな理不尽に個人が無視されるような環境下だから、何かを憎むことは人を歪めてしまうから、私は彼にはそうなっては欲しくなかったのかもしれない。
図書室を出ても未だ気持ちは落ち着かないまま、私はすぐに教室に戻ることは出来ずずっと窓の外の景色を見ていた。
「・・・・・・人の時間は平等ではない・・・か、それじゃあ私は一体何を失ってきたんだろうね」
段々と周りと同化していく自分をなんとなく許容してきたことを、正しいといえるのかどうか、この短時間で考えても私一人で判断できることではなかった。
*
次に彼にあったのは私がよく行く図書館だった。
昼下がりの青空の下、日曜の図書館は静かではあるけど沢山の人が通い空いている椅子はまばらにしかなかった。私はそこからなんとか空いてる席を探し机と机の間を歩く、すると見知った顔が気付かずに黙々と読書に没頭しているのが伺えた。
「(あれは・・・、新田くんだよね)」
気付いて私は近づいていく、依然彼は私の気配に気付くことなく本を読み続けている、その姿は小柄な身体にサラサラのショートカットと相まって優しそうで、木の背にもたれ
時間を忘れ読書に励む彼の姿をイメージしてしまった。誰の妨害もなくそうしているのがあまりに自然で似合っている、そうしているのが本来の彼の姿だと思ってしまうような、そんなある種の美しさがあった。
「こんなところに来てたんだね・・・、一緒してもいい?」
彼は私の言葉に反応してこちらを見た。
「別にいいけど・・・」
彼は少し周りを見渡して、警戒しながら断るのも悪いといった主観で隣を譲った。
「新田くんて凄く勉強できたりする?」
彼が読んでいるのが高校用の学習資料であるのを不審に思って私は聞いた、私の予想が正解だとすれば彼ほどに勉強好きな人は初めて見るだろう。
「他の人がどれくらい出来るのかわからないから、なんともいえないかな」
「はぁ、他は眼中に無しということですか・・・」
姿勢を正しながら黙々と彼は本を読み続ける、穏やかな時間は辺りには流れ、ずっと話しているわけでもないのに人のぬくもりがあるような安心感を感じた。
「新田くんは目指してる高校とかあるの?」
まだ二年だからそこまで考えてるとは思わなかったけど私は会話を続ける意味も込めて聞いた。彼は考えるそぶりもなく割と近所にある有名な公立高校の名前を挙げた。
その迷いのなさに私はショックを受けた。
「そうなんだ・・・、私そこの高校D判定だったわ・・・」
私はまだちゃんと志望校も決めてないのに・・・、この年下の男の子はもう先のことまで考えてるなんて、思いもよらぬ発言に私は言葉を詰まらせた。
「僕も分からないよ、今の時点で受かるかどうかなんて。それに君も勉強は出来る方でしょ?」
「私は実感とかないから・・・、教えてもらったことをしただけ、自分で自分のことを決めたりできないから」
私は何を言ってるんだろう・・・、自分でもおかしいと気付いた。都合のいい自分を演じようとしてる、自分勝手に生きてきたのに・・・、なんだろう、でも彼にはそんな言葉は通じないような気がした。
「僕の方がずっと余裕なんてないよ、自分のことが分かるなんてその場の詭弁にしかならないんだから、人が見てるのは結果だけだから、僕らは出来ることを間違いないようにするしかないんだよ」
彼には彼なりの考えがある、それは私にとってもしっくり来るものかもしれないけど、彼のことをあまり知らない私にはそれが正しいのかどうかは分からなかった。
時々目があっては不思議な空気を感じながら読書の時間は過ぎていく。お昼時になって徐々に席を立ち上がる人がちらほら見えてきた頃になって、私は自分の作ってきたお弁当を思い出し安直な思いに至った。
「そろそろお昼だね」
「もうそんな時間なんだ」
彼はすっかり時間の経過など忘れていたようでさっとしおりを挟んで本を整理すると、ゆっくりと立ち上がった。
「あの・・・、せっかくだから一緒にお昼食べない?」
私はあんまり上目遣いになるのは恥ずかしくて少し目線を下げた具合に彼を見た、彼は予想外の事態に緊急停止をして返答に困り果てていた、この歳になってこんな感覚を味わうなんて・・・、この人は今までの人とはあまりに規格違いなのだと印象づけられた。
「あっ、もしかして誰か先約がいた? それなら遠慮するんだけど・・・」
「いないよ・・・、ただ驚いただけ。君、人気者だから、そんな事言い出すとは思わなかった」
彼が口にしたのは外観から固められた先入観だった。どうしてか私にも分からないようなバリアーが私の外壁には存在するらしい。しかしそれは私が望んだことではなくて、何も遠慮することはないのにと思ってしまった。
私は言葉少なげに彼の後をついて食堂へと向かう。図書館の一階が見えるテラスのような席で私たちはお互い違うお弁当を開いて食事を始める、妙なドキドキ感は止まりそうになかった。
「お弁当は自分で作ってるの?」
「一応ね、君も忙しいのに自分で作ってるみたいだけど」
「そんな忙しくなんてないよ、自分で出来ることはしたいだけ」
彼のお弁当を横目に見てどれだけ繊細なのか分かった気がした、たぶん彼はとても傷つきやすくて周りの伺いながら生きている人だと。男の人でこんなに綺麗にお弁当を作る人がいるとは思わなかった。
「そんなに不思議かな?」
「そうじゃないよ、ちょっと尊敬しちゃっただけ、結構時間掛かるし面倒でしょう? 私も作ってるからわかるもん」
彼も自分を抑えているように見せて意外と緊張しているようだ。
「叔父と叔母の昼食も作ってるからそのついでだよ。もう高齢だから、勝手に料理されると困るんだよ」
その指し示す意味は私にはよく解らなかった、でもなんだか大変そうだと感じた。
「その三人で暮らしてるの?」
彼は簡単に頷いた。彼も大変な家族関係を生きているんだと分かると私はまた一つ親近感を覚えた。
「大変だね」
「もう慣れたよ、むしろ自由で楽なぐらい。心配しないで済むくらいの距離感を作ればいいだけなんだから」
人を失う実感を知っているから、それはとても自分を傷つけることを分かっているから、だから彼は彼なりに自分を束縛されないようにコントロールしているのだ。
「左利きなんだね、珍しい」
彼は箸を止めた私を見て言った。
「うん、不便だって思うことはあるけどね、マウスを握るときとか」
「もっと淡泊な人だと思ってた、人が出来てるんだね」
「人に流されて生きてるだけじゃ不自然でしょ? それじゃあ自分を保てないもの」
「都合がよすぎる相手って時々怖くなるよ、心の奥では嘘を付いてるんじゃないかって」
「私は嘘は付かないよ、とりあえず君に限ってはね」
「そういう人に限って嘘を付きそうなもんだけど」
「こういうのは論より証拠だよね、私は特別視されるほどのことをしてるつもりはないんだよ」
「論で分からないから人は惑うんだよ、どこかで因果関係を探してね」
彼と話していると時間が経つのが早い、彼が少しずつ心を開いているの感じて私は夢中になっていた。
そしてこの日の出来事をきっかけに私は時々図書館で会っては同じように一緒の時を過ごすようになった。
*
昼休みになって制服姿の生徒達がバタバタと教室を出て行く。まだ埃っぽさの気になる教室で何のためらいもなく由佳里は前の席から弁当箱を取り出し私の机に置いた。
由佳里は短い髪が靡くのを少し気にするようにしながら弁当箱に箸を伸ばす。
「今日は教室なんだ?」
由佳里は素っ気なく私に言った。
「いつも通りだと思うけど?」
「そんなことない、外出ること多くなったよね? まぁ無理強いはしないけどね、教室以外に食事場所のない身としては寒しい訳ですよ」
由佳里はどうも最近教室にいないことの多い私のことがご不満のようだった。男子の席を無断使用しておいて意外と由佳里は神経質なところがある。
「私がいなくたって他の子と食べてるじゃない・・・」
「まぁ、そんなことはいいじゃない。それより、少し噂にもなってるけど、どういうつもりなの? 下級生になんて手を出して」
「いつからそんな話しになってるのよ・・・」
訳の分からない話題の飛躍の仕方にちょっと私は付いていけない予感がした。
「でも、結構仲良いんでしょ? ここ二年大人しくしてたにしては珍しいじゃない」
「別にそんな特別なことないじゃない・・・」
「実際どうかはわからないけど、人気者なんだから自覚ある行動をしないとダメじゃない」
「そんなの私が望んだ事じゃないじゃない、由佳里の方がずっとモテると思うんだけど」
「それは残念だけど過去の話ね、あの頃は羽佐奈ずっと小さかったし、知ってる人も少なかったじゃない」
「今でも知り合いはあんまり多くないのに・・・」
接触を避けてるわけじゃないけど、ブランクから来る人見知りのようなものはあった、私には当然とか当たり前のようなものが少しズレてるから、重ねてきた時間をうまくやり過ごすのも簡単じゃない、そういったことが潜在的に人を避けやすい構造を作っているんだと思う、でも、彼の場合は・・・。
「二年の新田だっけ? どう思ってんの、付き合う気あるの?」
「そんな知り合って時間経ってないのに、話が合うから一緒にいるだけ」
それからも弁当を突きながら昼休みが終わるまで会話は続いた。
「新田って図書委員だったわよね、なんか会ったことはあるわ、大人しくて何にも動じない感じだったけど」
そんなことを会話の間で由佳里は呟いていた。
普通の距離感では印象にも残らないタイプ、誰かを通じてしか知覚しないような透明性、話すまではわからなかった彼のことを気に掛けている自分がいるのは確かな事実だった。
「まさか好きになるなんてこと、ないと思うんだけど・・・」
由佳里に言われたものの彼と付き合うことなんて想像もできない、どんな風に変化してどんな風に見つめるのか、そんな変化が来るのか、そこまで沸き立つ感情もなくただしかし一緒にいることで得られる安心感のようなものに焦がれていた。
「由佳里と私との決定的な違いも、二年の歳月も、本当はどうでもいいのかもしれない・・・」
私が彼に求めること、それが恋人に求めることと同義であるのか、今の私には判断が付かなかった。
後編も羽佐奈と司の過去エピソードになります。
お好きな切ないバラードを曲を準備になってお待ちください(笑
最近はニコニコで動画の「歌ってみた」で活躍されているセリユさんが大好きでいつも聞いてます。「聴こえていますか」とかはかなりイメージに近くて是非聴いていただければと思います、他の曲も良い曲ばかりでおすすめです。
小説の冒頭部分は実は畑山さんが事件後、調査したものです。
皆さんの予想が当たってたら嬉しいですw
では、携帯の方は見づらいレイアウトですみません。
後編もよろしくお願いします。




