幼馴染を隣でみてきたけど片想いから卒業できない件について
俺には、みっちゃんと呼んでいる幼馴染がいる。
彼女と初めて会ったのは5歳のとき。新築のマイホームの隣に住んでいたのが、のちに家族ぐるみで仲良くなる本田一家だった。俺はみっちゃんこと本田瑞穂と同じ幼稚園に通うことになったものの、意地悪をしてくる奴らが苦手でいつも彼女の陰に隠れていた。救急車のサイレンの音とか夜中に出るらしいオバケとかオムライスに入ったピーマンとか。あの頃は苦手なものがたくさんあって、新しい幼稚園にいた他の子どもも同じ。今思い返すと、男としてすごくかっこ悪い。みっちゃんの記憶からは抹消してほしい思い出だ。
そこから変わろうとしたきっかけも、やっぱりみっちゃんだった。
「ゆうとー、泣かないで」
上から途方にくれたようなみっちゃんの声が聞こえる。幼稚園の運動場のすみっこにある、小さな植え込みの影。その地面に蹲ったまま、僕はしゃくりあげていた。僕を取り囲んでいたひろくんやりょうまくんは、みっちゃんに追い返されて他の場所に行った。さっきまで二人が自慢げに見せてきた砂場遊びのバケツ。その中にはダンゴムシがぎっしり詰まっていて、ウゾウゾ動く様子を思い出すと背中がぞわぞわする。また涙がジワリと出てきたところで、みっちゃんがよしよし、と頭を撫でてくれた。
「もうダンゴムシはいなくなったから大丈夫。怖がらなくていいんだよ」
……元から僕は泣き虫だったけれど、それがなかなか治らなかったのはみっちゃんのせいでもあった。僕が泣き止むまで彼女はずっとそばにいてくれる。そう心の奥で知っていたから、泣くのが当たり前になっていた。
他の子なんてどうでもいい。
僕にはみっちゃんがいればいい。
ボロボロと泣き止まない僕を見て、みっちゃんは困ったように首を傾げた。小さな声でポツリと呟かれた言葉を耳がとらえる。
「……泣き虫のままじゃ、女の子にかっこいいって言ってもらえないよね……」
女の子って……、みっちゃんも?
それからすぐに泣き虫を直すことはできなかったけれど、小学生になってからは人前で泣かなくなっていた。みっちゃんに「かっこいい」って言ってもらうためには、泣いてちゃダメだって分かったから。
小学校に上がって3度目の秋。
「なー、侑斗。サッカーは楽しいぜ」
ぐいっと肩に腕を回してきたのは、今年からクラスメイトになった翔平だ。日焼けで真っ黒になった顔がニカっと白い歯をのぞかせて笑う。翔平は少年サッカーのチームに入っていて、仲良くなってから僕も誘われるようになった。たしかに体育の時間とか休み時間にするサッカーは好きだったけど、クラブに入るほどのやる気はなくて、翔平が残念そうにするまでがいつものお約束。
今日も昼休みに遊んだ後、掃除場所へと向かった。今週の当番はオレンジ色の絨毯が広がる中庭。箒で掃いても掃いても、次の日には落ち葉が積もっている。竹箒で地面をせっせと掃いていると、視線を感じた。顔を上げた先では、同じ班の池田と丸山がこっちをチラチラ見ながら小突きあっている。不思議に思った僕は声をかけた。
「なに?」
コソコソと何やら相談した二人は、僕を校舎の影へと引っ張っていく。そして、声を潜めながら興奮した様子で喋り始めた。
「ねーねー、知ってる? 瑞穂ちゃんって好きな人がいるんだって!」
「え?」
「そーそー。他の学校の男の子らしいよ!」
みっちゃんに好きな男子がいる?
衝撃が大きすぎて、女子二人がペラペラ喋り続けた内容は頭から抜けていった。
「みっちゃん、他の学校に好きな人がいるって聞いたんだけどほんと?」
その日の帰り道、僕は心臓をバクバクさせながらみっちゃんに尋ねた。誤魔化そうとするみっちゃんから、何とか"好きな人"を聞き出してホッとする。……よかった、他の男子とかじゃなくて。
一度口を開いて勢いがついたのか、みっちゃんはすらすらと話しはじめた。話が長すぎて帰り道の間に終わらなかったので、僕たちは家の前で立ち話する羽目になった。いつもより遅い、と不思議に思った母親が玄関扉から覗きに来たぐらいだ。そのあと、うちでゲームをしてみっちゃんは帰っていった。
アニメに出てくる"ヒナタ"はサッカーがすごくできるやつで、背は小さいけど、男らしくてかっこいいらしい。僕だって身長は前から数えたほうが早いし、他の女子から「かっこいい」って言われたこともある。
…………サッカー。
「お母さん、俺、サッカーしたい!」
翔平にいろいろ聞いて「早く入れよ!そのほうが絶対上手くなるから!」と言われた僕は、少年サッカーのチームに入りたいと伝えた。話を聞いた母親は、それはいいけど……と首を傾げる。
「翔平くんのお母さんは、お休みの日も練習があるって言ってたわよ? みっちゃんと遊べなくなっちゃうかもしれないけどいいの?」
「…………うん」
みっちゃんと遊べる時間が減るのはイヤだ。
でも早くしないと、みっちゃんは他のやつのことが好きになってしまうかもしれない。僕もクラスじゃ上手いほうだけど、サッカーをやってる翔平はもっと上手い。
春から正式にチームに入って他のチームメイトとも打ち解けてきた頃、僕は翔平に打ち明けた。
「翔平」
「ん?」
器用にリフティングしていた翔平は、ボールを軽く蹴り上げる。公園の横を通り過ぎたお姉さんたちに「あの男の子、すごーい!」とさっき褒められたばかりだ。
「俺、みっちゃんのことが好きだ」
「は!?」
てんてんてん、とボールは地面に転がっていった。
それから、1年と経たずに気づいたこと。
みっちゃんが好きだというタイプには一貫性がない。サッカーが得意なヒナタから始まって、今は悪ぶってる野球少年に夢中らしい。この前は、クールな怪盗がいいって言ってたのにどういうことだよ。
サッカーは楽しいのでずっと続けている。
「なーなー、誰が可愛いと思う?」
「やっぱり1組の清水じゃね?」
「だよな。あとは3組の大久保とか」
思春期の男ばかりが集まると、女子には言えない話題になることもある。中学生になれば彼女がいる奴もいるし、正直なところ異性には興味津々だ。こういうとき、男子からみっちゃんの名前が挙がることはまずない。
小学生になったあたりから、ずっと黒髪のボブにしているみっちゃん。あまり外に出ないせいか色白の彼女は、教室では気配を消しているように大人しいし目立たない。誰とでも普通に話すけれど、基本的に女友達と一緒にいるせいか、男子の間で印象に残るわけではないようだ。取り立てて印象に残るだけの特徴がないとも言える。同じ小学校から上がってきた奴らが多いので、俺がみっちゃんと話していても「本田と侑斗は家が隣だしなー」という調子で気にされることはなかった。
「侑斗は?」
いきなり向けられた問いかけに内心ドキッとしたが、笑って首を傾げる。
「あー……、誰だろう」
答えを聞いた連中は大げさに天を仰いだ。
「マジかよー、清水とも大久保とも仲良いじゃん。可愛いとか思わねーのかよ」
「告白されても彼女作らないし、他に好きな女子でもいんの?」
図星をつかれて固まったが、ただの軽口だったようで追及はされなかった。残念なようなホッとしたような気持ちでそっと息を吐き出す。
あとで苦笑を浮かべた翔平にこっそり指摘された。
「侑斗、おまえ相変わらず本田のこと好きなのな」
特別に可愛いわけでも性格がいいわけでもない。言ってしまえば、どこのクラスにも一人はいそうな女の子。それが俺の幼馴染。でも、俺はみっちゃんのことがずっと好きだった。
正直なところ、女子から告白されたことは何度もある。勇気を出して、二人きりでゲームをしていたときに「告白された」と打ち明けてみたこともある。でも、みっちゃんはそれほど興味がなさそうに「よかったね」と言っただけだった。彼女ができたところで同じ反応が返ってくるだけだろう。薄情すぎる。みっちゃんにもし彼氏ができたらって考えるだけで、俺はすごくムカつくのに。
何でみっちゃんを好きになってしまったんだろう。
いつから好きだったのかさえ、もう覚えていない。
中学生になって初彼女ができた翔平は、「私のどこが好き?」と聞かれ、うっかり「顔!」と答えて彼女からボロクソに言われたらしい。すぐに答えが思いつかなかった、というのがあいつの言い分だけど、それも少し分かる気がする。
好きだって気持ちは、理屈じゃ説明できない。
事件が起こった夏休み。部活が終わって今にも倒れそうなみっちゃんを見つけたときは、本当に血の気が引いた。昔から熱を出したり気分が悪くなったりするのは、どちらかといえば俺のほう。真っ先に気づいて助けてくれるのが彼女だった。でも、抱き上げたみっちゃんは華奢で、ちゃんと女の子で、今度は俺が守ってあげなきゃって思った。
ずっと隣で見てきて一度も告白しなかったのは、焦らなくてもいいと油断していたから。
まず、みっちゃんは大人ぶるわりに、動揺したとき態度に出る。本人はポーカーフェイスのつもりだろうけど、はじめて名前で呼んだときは耳が真っ赤になっていた。好きな女の子の部屋に二人きりで、意識しないわけがない。俺はみっちゃんと付き合いたいし、キスもしたいし、それ以上のことだっていつかしたいと思ってる。なのに自覚がないのか、気づかないフリをしているのか。幼馴染としてギリギリの距離を見計らって攻めていた。
あと、みっちゃんは意外と好き嫌いがはっきりしていて、1話で面白くないと思ったアニメは二度と見ない。給食で苦手な納豆が出たときは、いつも近くの子にあげていたぐらいだ。うちの母さんとみっちゃんのお母さんは仲がいいけど、みっちゃんが気にする男子の話なんて一度も聞いたことがない。友達づてにも例の"ヒナタ"以降聞いたことがない。みっちゃんが話すのは、アニメか漫画かゲームのキャラについてだけ。近くにいる男は俺ぐらい。邪険にされることがあっても、みっちゃんが本気で俺を突き放すことはなかった。
だから、高校生になるまでは今のままでもいいと思ってた。家は隣だけど、高校卒業後の進路までずっと一緒ってわけにはいかない。受験勉強を頑張っても、昔からみっちゃんのほうが頭はよかったし。道が分かれるそのときまでは猶予があると思い込んでた。
それなのに、みっちゃんが受験する高校を黙って変えたのはショックだった。本気で俺のことが嫌になったのかもしれない、と悩んだこともあったけど、様子を見るとどうも違う。言ってることは素っ気なくても、表情とか仕草とか。会ったときに嬉しそうに笑うのを見たら、たとえ「嫌い」って言われても納得できない。みっちゃん、なに考えてんの。
ただ、高校に上がってから、みっちゃんと会う時間は予想どおり減った。
当然だ。幼い頃のように「俺にはみっちゃんがいればいい」とはもう言えない。本音を言い合える友達もいるし、ずっと続けてきたサッカーも好きだ。高校生活とみっちゃんのどちらも捨てたくはなかった。でも二人の距離が離れてしまえば、幼馴染という関係性以外、今の俺とみっちゃんを結びつけてくれるものはない。
焦りは増すばかりだった。このままだと、みっちゃんはきっと更に遠くへ行ってしまう。
そんなことを頭の片隅で考えながら、俺はマネージャーの話に相づちを打っていた。視界に映るのは、チカチカ光る派手なネオン。今日は部活が休みなので、サッカー部のメンバーとカラオケに来ていた。たまには違うところで遊ぶか、ってことで校区も違う繁華街のほう。もしかしたら、みっちゃんを見かけるかもしれないと期待してたけど、通り過ぎるのは知らない顔ばかりだ。ちらちらと周囲を伺っているのは俺だけじゃない。マネージャーの飯島は、そわそわした様子で黒髪を何度も触っている。ついでに言えば、さっきから話しているのは同じ人のことで、まあ何とも分かりやすい。
「あ、大地先輩!」
遅れてきた待ち人を見つけて、彼女の顔がパッと明るくなった。最近知ったことだけど、同級生の飯島は二つ上の先輩のことが好きだという。俺から見ても先輩はかっこいいし、飯島のことを特に可愛がってるのは多分気のせいじゃない。彼女を「タイプかも」と言っていた翔平はほぼ失恋確定。本気にならないうちに諦められるなら、そのほうがいいのかもしれない。
……じゃあ、諦められないときはどうするべきなんだろう?
長年の積もりに積もった気持ちを、今更なかったことにはできない。退けないなら進むしかない。
俺だって、ただの幼馴染はもう嫌だ。