小学生は意外と面倒くさい
「ねえ、みずほちゃんは誰が好きなの?」
……きたか。私にそんな質問を投げかけてきたのは、女子のリーダー格の沙希ちゃんだ。他の数人も興味津々といった様子でこちらを見ている。どこに行っても恒例の女子トーク。今まで「好きな人はいない」で逃げ切ってきたが、ランドセルを背負うようになって早3年。最近は追及が厳しい。
「わたしも気になる!」
「やっぱり侑斗くん?」
「いっつも、一緒にいるしね〜」
一見からかっているような口調の周囲も、声色はどこか不満気だ。泣き虫だった幼馴染は、小学生になって人気が急上昇した。元より顔はいいし、以前のように泣くこともない。運動だってそれなりにできる。
となると、問題になるのは私の存在である。さすがに四六時中二人でいることはなくなり、休み時間も男子は男子、女子は女子で固まって遊ぶことが多い。でも登下校は一緒だし、学校でもみっちゃんみっちゃん呼ばれるし、放課後や休日は家に遊びに来るし。はたから見ても、私は足立侑斗の一番仲のいい女子ポジションに収まってしまっていた。……小さくても女子は女子。面倒なことになる前に、私は好きな人をでっちあげることにした。
「……ここだけの話なんだけどさ、私、他の学校に好きな人がいるんだ」
「え〜、ほんと〜?」
「ほんとほんと。誰にも言ったことないからナイショにしてくれる?」
「するする。どこ小?」
「名前は? 名前は?」
適当なプロフィールを語り、目論見は無事成功。そして、すっかり忘れかけていた数週間後の帰り道。
「みっちゃん、他の学校に好きな人がいるって聞いたんだけどほんと?」
きゅっと眉を寄せた幼馴染からきた問いに、私はしかめっ面をするはめになった。向かいの家の木に放置されている柿並みに渋い表情である。
「なんのこと?」
「……知らんぷりしたって無駄だよ。池田と丸山は、みっちゃんが絶対そう言ったって」
名字を聞いて、そんなこともあったな……と思い出した。…………面倒だ。あの子たちには誰にも言わないでね! と念を押しておいたが、秘密が守られることは9割方ない。むしろ女子の間では話が広まって好都合。さて、この場合はどうしたものか。
「みっちゃん、僕の話聞いてる?」
「聞いてる聞いてる」
じっとりとした視線を向けられ、嘆息した。ここで誤魔化すのは簡単だが、侑斗は意外としつこい。私が幼稚園の頃、習い事を始めようとしたときだって、「僕もやる!」と言ってスイミングに塾にダンス。どこにでもついてきた。何でも知られている幼馴染に見栄を張るのは、さすがに恥ずかしい。結局、習い事もしてない私が他校の男子と知り合う機会なんてないしな。コツンと靴先で石を蹴った。
「恥ずかしいから誰にも言わないでほしいんだけど……」
適当にでっちあげた本田瑞穂の好きな人。モデルは、今ハマっているサッカーアニメのキャラ・ヒナタである。背が小さくて、チームの中でも一番年下の可愛い系だ。前世の推しキャラと全然違うタイプじゃないか!というなかれ。たとえ同じ属性に見えたとしても、キャラの魅力というのは一人一人異なる。よって、ストーリー変われば推しキャラが変わることも十分あり得る。普段は仲間から可愛がられるポジションにいるヒナタ。でも、いざというときは、しっかりと仲間を引っ張っていく男気のあるタイプなのだ。ギャップ超大事。
ひと通り聞いて、「ふーん、」と侑斗は首を傾げた。
「みっちゃんは、そのヒナタ?みたいなのが好きなの?」
「まあ、そんな感じかな」
今はね。でも、やっぱり萌えはちょっと足りないんだな……。前世の推しキャラにかけるほどの情熱じゃない。アニメも漫画も好きだが、本来のフィールドは乙女ゲー。私は、禁断の楽しみをもう知ってしまった。エンディングを見損ねたルートだって、今でも悔しくてたまに夢に見る。再びプレイできる日は、まだまだ先のことだけど。
「今日は僕の家でゲームしようよ」
「えー、一昨日も行ったばっかりじゃん」
「みっちゃんがまだクリアしてないステージ、昨日終わったよ」
「うそ!」
アルバムのページを増やしながら、季節は変わっていく。
小4になって、侑斗は地域の少年サッカーチームに入った。もともと彼と仲の良い友達がサッカーをしていて、熱心に誘われていたのだ。去年までは興味なさそうにしていたが、今では休日も練習に行っている。ときスクの足立侑斗は確かサッカー部だったけど、彼にもこんな頃があったんだろうな。楽しそうな幼馴染を見ていると、感慨深いものがあった。
「みっちゃん、今度僕試合に出るから見に来て! 絶対いいところ見せるから!」
キラキラした目で意気込む侑斗は、つい応援したくなる。現実のサッカーにあんまり興味はないけど、笑って私も頷いた。
「分かった、応援しにいくね」
練習試合が行われるのは、他の校区の運動場だ。日曜日、母と私は緑ヶ丘小学校を訪れていた。
「侑斗の試合を見に来てくれてありがとうね、みっちゃん」
あの子ったらすっかり張り切っちゃってね〜、と話す侑斗ママの隣で観戦する。
高らかにホイッスルが鳴って、キックオフで試合は始まった。他の保護者たちと同じように、私もすぐに夢中になる。自分よりも背の高い相手のボールを必死に奪おうとしているときは手に汗握って見守ったし、シュートが入らなければ「おしい!」と声が漏れてしまった。あんなに真剣に頑張っている幼馴染を、私は初めて見たかもしれない。
必死に応援しているうちに、あっという間に試合は終わった。何回か得点が入り、侑斗のチームが勝った。彼もシュートを一回決めていて、そのときはお母さんたちとつい叫んでしまった。……うるさいと思われてないといいな。
少し気が抜けた私は、盛り上がっている母親同士の会話に口を挟む。
「お母さん、私トイレに行ってくる」
「そう? じゃあ、お母さんも……」
「ここに来てすぐ行ったところでしょ? 近いし、一人で行けるから」
トイレをすませて、来た道を戻って……っておかしい。知らないところに出た私は足を止めた。曲がるところを間違えた? どうも体育館の裏手らしく、館内には人の気配がある。少し先に道着姿が見えた。この小学校の人かな。
「あの、すみません。運動場はどっちに行けばいいんでしょうか?」
立っていた人物が振り向く。その顔を見て、あっと思わず息を飲んだ。スッと伸びた背筋にきっちり着込んだ剣道着。集会のとき、一番後ろに並びそうなぐらい背は高い。短めの黒髪で鋭い目つきには見覚えがある。この子はまさか……、前世の推しキャラ? 瞬きもせずに見つめていると、向こうが口を開いた。
「そこの角を右に曲がって、まっすぐ行けば運動場です」
口調はしっかりしていても、声はまだあどけない。意味もなく焦って返事をする。
「あ、ありがとうございました!」
無言で頷き、去っていく後ろ姿を呆然と眺めていると。
「みっちゃん! こんなところにいた!」
息を切らした幼馴染が飛び込んできた。
「侑斗」
「みっちゃんのお母さんが遅いな……って言ってたから探しにきた。早く戻ろ」
いや、今の私はそっとしておいてほしい気分じゃないんだけど……って強く握りすぎ! 痛いってば! グイグイと腕を引っ張られて、すぐに戻るのかと思えば、侑斗は得意げな顔でこちらを見ている。何だろう。
「ねえねえ、今日の試合どうだった?」
うずうずとした感じを隠しきれない様子に笑った。こういう素直なところが憎めないんだよね。
「かっこよかったよ。シュート入れたところもばっちり見た」
へへ、と照れくさそうに侑斗は笑う。その笑顔を見ると今日は来てよかったな、と思えた。同じ長さの影がアスファルトの上で揺れる。
さっきまで前世の推しキャラに会っていたはずなのに、不思議とそんなことはどうでもよくなっていて。やっぱり、推しキャラは二次元だから推しキャラなんだなと実感した。遠くの攻略対象より、近くの幼馴染……みたいな? 三次元の推しキャラは芸能人と同じで、どこか遠い存在だ。
「みっちゃん、遅かったけど何かあった?」
「ううん。何もなかったよ、お母さん。ちょっと道に迷ってただけ」
前世のゲームの推しキャラは、もうどこにもいない。しかし、この世界でも、新たな推しキャラ(二次元)が私を待っているはずである。まだ見ぬ彼らを探し求めていくことを私は心に誓った。
「瑞穂〜、チョコ一緒に作ってくれない……?」
小6の2月。同じクラスの友達から、私はそんな相談を受けていた。小学生最後のバレンタイン、去年から片想いしている彼にチョコレートを渡したい。でも、自分だけじゃ不安だから手伝ってほしい……と。
「去年、瑞穂からもらったブラウニーすっごく美味しかったし……」
作ったのは母だ。毎年この季節になると娘より張り切っているため、私は彼女が作ったものを学校に持っていくだけである。まあ、うちには製菓道具もあるし、困ったことがあれば母に聞けばいいし。バレンタインの前日は、ちょうど日曜日。一緒に作ろうと約束した。
「それで、どんなのが作りたいの?」
「本命だから、ガトーショコラか、中からチョコレートがトロッと出てくるやつかなあ」
……フォンダンショコラか。恋する乙女はチャレンジャー。
バレンタイン前日の昼過ぎ。母からアドバイスをもらいながら、無事にガトーショコラは完成した。
「瑞穂がお菓子作りをしたいって言い出すのは、初めてだから嬉しいわ〜」
余分にできた分を二人で味見していると、母がニコニコと喋り出す。
「えっ。瑞穂、本当の本当に一度も作ったことないの……?」
「ないよ」
食べたいものは母が作ってくれるし、友達みたいにわざわざ渡したい相手がいるわけでもない。ガトーショコラは嵩張るので取っておいて、今年も友達には母が作ってくれたクッキーを配る。夜にせっせとラッピングをしていると、横から母が口を出してきた。
「毎年あげてるんだから、侑斗くんにも今日みたいに作ってあげればいいのに」
「あれはお母さんが勝手にあげてるだけでしょ。お隣へのお裾分けなんだし、私が作る必要ないよ」
お母さんが作ったほうが美味しいもん。あ、リボンが曲がった。
バレンタイン当日は、放課後まで友達の恋模様をハラハラしながら見守った。チョコは無事に受け取ってもらえたようで、返事はホワイトデーに持ち越し。あと1ヶ月も先か……長くない? それでも友達は嬉しかったようで、興奮した様子で報告に来てくれた……よかったね。
「先に帰ってていいって言ったのに」
校門では、わざわざ侑斗が待っていた。今日は用事があると朝に言っておいたはずだ。
「俺も遅くなったから。みっちゃんと帰れるかなと思って待ってただけ」
そう言われて、視線を下げる。他のクラスの幼馴染は、例年通りたくさんチョコレートをもらったらしい。紙袋を持参しているあたり、手慣れている。来月には小学校を卒業するし、今年はいつもより多いのかもしれない。とは言っても、同じ校区だから中学校も一緒の子が多いだろうけど。徒歩15分の通学路を歩くのは残り1ヶ月だ。
「じゃあ、また明日ね」
いつもどおり家の前で背を向けて別れようとすると、ランドセルが引っ張られた。
「うわっ!」
「みっちゃん、俺のチョコは?」
振り返ると、なぜか怒ったような顔の幼馴染がこちらを見ている。きゅっと眉は釣り上げられているのに、その瞳はどこか泣きそうにも見えた。
「あげたじゃん」
「もらってない」
「昨日、お母さんが隣に持っていったでしょ」
「今年は、みっちゃんが手作りしたのがあるって聞いた」
えー……。お母さん、余計なこと喋らないでよ。
「もう誰かにあげたの?」
「……あげてないよ。自分で食べようと思って、家の冷蔵庫」
「じゃあ、俺にちょうだい」
私は一瞬言葉に詰まった。
「無理」
「なんで?」
「……手作りって、好きな人にあげるものでしょ」
お母さんみたいに普段から作っていたら、そんなこと気にしなかったのかもしれない。でも、私は自分でお菓子を作ったのが初めてで、しかも今日はバレンタインデーで、大事そうにラッピングを抱えていた友達の顔を思い出す。冷蔵庫にあるガトーショコラは、人にあげるのが憚られるような、特別なものみたいに感じられた。
「みっちゃんは、俺のこと好きじゃないの?」
「……好きじゃないことは、ないけど……」
もう7年以上は一緒にいるし。……でも、違うでしょ。あれって私から侑斗にあげるものじゃない。
「他にいっぱいもらってるんだから、もういいじゃん。帰るからランドセル離してよ」
「やだ。みっちゃんがくれるまで絶対離さない」
二人とも一向に譲らず、日だけが暮れていく。私は唇を噛みしめた。この調子だと近所の人に見られそうだし、お母さんたちが出てきても困る。
「……分かった、あげるから離して」
手はあっけなく離された。ダッシュで玄関をくぐって、「おかえり」という声にも答えずに、家に余ったラッピングの箱にガトーショコラを入れる。ドアを開けると、彼はじっとそこで待っていた。
「……はい。今回だけは幼馴染だから特別。もう作らないし、あげないから」
私は、男の子にチョコレートを作ったりしないし、バレンタインデーに渡したりもしない。今回は、幼馴染だから特別にあげるだけ。たまたま、友達と一緒に作って余ったから分けるだけ。
「ありがと」
鼻を赤くした侑斗が微笑む。さっきまで、子どもみたいに駄々をこねていたのはそっちのくせに。こだわっていた私のほうがバカみたいだ。妙に大人びた表情が気に入らなくて、私はそっぽを向いた。