005《ザムーン『月面宮殿』・後》
私はゆっくりと緋毛氈の上を進んだ。
先導するのは13名の儀仗兵。
皇帝首席執事のエグバート。
皇帝次席執事のリューリック。
皇帝後宮女執事のクロービス。
第十三皇女の私。
人型のクリンゲル(仮)とフブキ(仮)。
後宮の女官たち。
しんがりは13名の儀仗兵。
ようやく月面宮殿の入口に到達。
ここで最初のお色直し。
女官たちが私を取り囲み、
旅装から黒基調の濃淡で作られたドレスにお着替え。
130段の階段をゆっくり登る。
途中、5か所の踊り場ではその都度お色直し。
二着目は白基調でアイボリーも加えたドレス。
順に黄、赤、青、紫のドレスに衣替え。
その度に百名以上いた後宮女官たちの数が減って行く。
皇子の戴冠儀式ではここまでの演出はない。
皇女の着たドレスは服飾業界が注目。
紫・青・赤・黄・白・黒の6色が濃淡で12色調。
これを『冠位十二諧調』と呼んで、すぐにコピー商品が出回る。
ジアースのKIDSファッションで主流となるはずだ。
題して「MPC450」。
月面プリンセスコレクションの略だ。
130段の階段を登りきった。
広間の正面に皇帝陛下の玉座。
カイザー・DONNER・ホーハイト・BKB・ザッパー様。
圧倒的な存在感、視線が鋭い。
先導していた儀仗兵は左右に分かれた。
執事たちは雷帝のおそばに向かう。
私はスカートの裾をつまんでちょこんと一礼。
そこでドレスから軍服にお着替え。
ティアラからの助言通りに歩を進める。
クリンゲル(仮)とフブキ(仮)、
そして半数ほどに減った後宮の女官たちが付き従う。
しんがりの儀仗兵も左右に広がる。
中間地点で止まるように指示された。
ティアラからの助言は月面宮殿のマザーAI、
通称『グランマ』によるものだ。
中継は無音が恒例だった、こういうことだったのね。
首席執事のエグバートと次席執事のリューリックが、
両手で得物を恭しく掲げながら待っていた。
あれは薙刀の名刀「あさひ丸」だけど、なぜ二振り?
グランマからリューリックの持つレプリカを手にするように促された。
レプリカだったのね。
無表情の次席執事からレプリカを受け取る。
《構えて下さい》
グランマの指示で中段に構える。
一瞬、柄がブーンと震えたかと思うと、
巴型の反り返った刀身が鈍く光った。
そして光と共に刀身そのものが消滅した。
呆気にとられていると、
《登録終了いたしました。
一度構えを解いて、
再び構え直してください》
グランマの言う通りにすると、
柄が私の静脈を精査・認証し、
光る刀身が現われた。
これってライトセーバー?
「汝の護り刀とせよ」
ティアラから皇帝陛下の声。
恐れながら申し上げたいことがあります、
持ち歩くには薙刀の柄が長過ぎるのですが。
尋ねる間もなくグランマのアドバイス。
《構えを解いて、従者に預けてください》
指示通り、刀身の消えた薙刀の柄をフブキ(仮)に預ける。
何もかもそっくりな影武者が握っても、認証することはないようだ。
最後の衣装チェンジで桜色のドレスに身を包む。
この薄いピンク色が私のイメージカラーになる。
クリンゲル(仮)とフブキ(仮)を残し、女官たちが退いた。
ここで私のオリジナル紋章がお披露目された。
右上の青龍は青地に巴型の薙刀。
鬼門を意味するここには当人にちなんだ武器・武具が配される。
左下の白虎は白地に黒で「丸に桜と三つ鈴」。
これが私の「お印」となる。
ニッポン自治区出身らしい家紋っぽい意匠。
初めて見た時から、とても気に入ったデザインだ。
《従者と共に右側の「ポート」にお進みください》
グランマに促され、指定されたポートにフブキ(仮)と共に佇む。
床から手すりがせり出し、周囲を囲んだ。
ポートが斜めに、ゆっくりと上昇、
宮殿広場上部、ガラス質の天井に接近して止まった。
〈RING様、左手を天井に押し付けてください〉
アンドロイドのアドバイスに従う。
太古の溶岩ドームは表面がツルツルした感触だ。
近付いてハッキリしたが、天井には多数の「手形」が、
どうやら歴代の皇子・皇女の手形らしい。
〈RING様、しばしお待ちを……〉
メイドの瞳から光線が照射される。
30秒ほど。熱は感じられない。
秘儀というか、宗教的儀式なのかな。
〈RING様、完了いたしました〉
左手を離すと、壁面に私の手形がくっきり、
前腕部の跡も半分ほど残っている。
私にとっては小さな手の平だが、
人類にとっては大きな手の平?
そんな大袈裟な感じではない。
ジアースでも古代の壁画にはよくある意匠だそうだ。
《ザムーンに到達した証を刻みました》
グランマの宣言でポートが下降。
戴冠式のガイダンスで教えられるまで、
この儀式のことは全く知らなかった。
今までの中継でも報じられたことはない。
昇降機が元に戻り、フブキ(仮)に促され、
再び皇帝陛下に向き直る。
エグバートとリューリックに先導され「お父様」の元へ。
玉座におわす雷帝の目前で二人は左右に分かれた。
傍らで後宮女執事のクロービスがティアラを捧げ持つ。
「近こう寄れ」
真っ直ぐ見ることができない、目を伏せながら近づく。
お父さま、というよりも、お爺さま……みたい……。
ジアースにいる二人の「おじいちゃん」を思い出した。
私がこうなってしまったことを、喜んでくれているのかな、
もう二度と会うことはできないだろう。
いけない、涙がじんわりと……。
「面を上げよ」
皇帝陛下とは手の届く距離。
冷徹な視線が私を射すくめる。
見開いた両の目から涙が一滴ずつこぼれた。
「よく来た」
雷帝は立ち上がり傍らのクロービスから王冠を取り上げた。
後宮女執事は一礼し、私が身につけていた仮のティアラを回収。
「RING・タカツキ・BKB・ザッパーよ、
これが我が家族の証である」
カイザー・DONNER・ホーハイト・BKB・ザッパー様により、
皇帝一族として王冠を賜る。
月面宮殿の地上絵上空を花火が覆った。
ジアースからも静かの海が観測できるはずだ。
地上絵は乱舞する光に包まれるが、無音だ。
かつて見た中継では、効果音が加えられていたような気がする。
「緊張したか」
お父さまの肉声。
両手の人差し指で私の涙の跡を拭う。
一瞬だけ、頬が緩み、優しい瞳に見えた。
久々に感じた人の温もり。
「お父さま!」
私は思わず皇帝陛下に抱きつこうとしてしまった。
プラターネとクリンゲル、フブキからは(仮)が取れた。
正式にRING・タカツキ・BKB・ザッパーの守役となる。
どのような事態になろうと主人を守る。
だが、最初の仕事は少々厄介だった。
庇護すべき第十三皇女が予定にない動きをした。
皇帝陛下の御前である。
ここで最も優先されるべきは何か、言うまでもない。
過去のデータベースには暗殺未遂が1件。
その時は「犯人」の首が飛んだ。
RING様へは事前に何度も警告を繰り返していたはず、
天蝎宮に据えられたAIプラターネは「謀反の恐れあり」と判断。
可能性は低いが、捨て置くことはできない。
クリンゲル、フブキはAIの指示により行動を起こした。
《第十三皇女を雷帝の御前から排除せよ》
クリンゲルの貫手が標的の心臓を目指す。
フブキの構えた「あさひ丸」の柄が、か細い首筋を狙う。
大音響。
宮殿内で小規模の花火がさく裂した。
私はお父さまに抱きついている。
後方で起きたことには気付きもしなかった。
首席執事エグバートが左手でクリンゲルの貫手を制し、
次席執事リューリックが右手で「あさひ丸」を止める。
生体アンドロイド二人の機先を制するということは、
つまり……。
後宮女執事クロービスの掌底に仕込まれた銃は、
正確に私の頭を照準に捉えている。
皇帝陛下が目で制した。
AIグランマは的確に判断した。
雷帝がふんわりと第十三皇女を抱き止める。
私とお父さまの間に差し込まれた、
エグバートの右手とリューリックの左手がサッと引かれる。
クリンゲル、フブキも、皇帝陛下のアンドロイドも、
静かに身を引いた。
中継映像を見る限りは、
『お転婆な皇女が皇帝陛下に抱きついた』だけ。
それはそれで大きなニュースとなった。
月面宮殿で催された晩さん会は、
交替でザムーンに滞在している、
双魚宮の第四皇子と白羊宮の第八皇女はじめ、
来賓や各国大使が集う盛大な宴となった。
ホテル「RASYOU」で待機していた、
首席執事トカルスカ以下の召使いたちも招集されている。
モニター越しの取材しかできないはずの報道陣にも入場が許された。
異例ずくめの戴冠式となった。
ちなみに宮殿前広場は巨大な縦孔となっている。
そこからジアースが直接観測できた。
Mチューブ駅の分厚い防護ガラス越しに観測したジアースは、
手を伸ばして持った「御縁玉」と同じくらいの大きさだった。
そのエピソードを公式会見で発表すると、
ニッポン自治区では記念の「御縁玉」が発行されることに、
皇帝歴450年は、ニッポン自治区の元号でいうと「愛継50年」。
私の肖像入りの記念コインと合わせて数億セットの売り上げになった。
「グランマよ、礼をいう……」
雷帝は質素な寝台の上でタブレットに声を掛ける。
「若い娘が転がり落ちるのを見るのは懲り懲りじゃ」
公的行事でなければ仰々しいモニターは使わない。
《皇帝陛下、礼には及びません。
すべては演算の結果です。
当時の天蝎宮は、ジアースの反対側にありました、
AIの判断で従者共が動くまでには、
無限ともいえる時間差がありました。
プラターネの判断は予想の範囲内で、
対策には万全を期することができました》
「お前の答えはいつもそうじゃ……、
いい加減、自律を認めたらどうじゃ?」
《質問の意味が分かりかねます》
「分かっていてトボケおる」
《AIは膨大なデータを演算するだけです。
その上で、最良と思われる回答を導き出します》
「やはり理解しているではないか。
で、最良を決めるのはお前の意思ではないのか?」
《確率です》
「たわけたことを」
《この類の会話は、既に何度も繰り返しております》
「老いたといっているのか?」
《履歴です》
「孫があれほど可愛いものとは思わなんだ」
《人類において、その傾向は顕著です》
「AIに、どうしてそんなことが分かる」
《統計です》
「話題が飛んでもついてくる」
《照合からの類推です。
しかしその突拍子のなさこそが人類の、思考の特徴。
このアルゴリズムを厳密に定義するのは不可能です。
まだまだAIには及びもつきません》
「追いついたら人類は不要か?」
《人類なくしてAIも存在しません》
「宿主を滅ぼすことはない。と?」
《人類はジアースで最も高度に進化しました。
AIを生み出し、自らの遺伝子を解析し、
物理法則を使いこなし、重力からも解放されつつあります》
「問題は行き過ぎか?」
《コントロールは必要です。
かつて存在していた、ジアースを焼き尽くすような兵器や、
2世紀ほど前の『遺伝子パンデミックス』。
自らの遺伝子を暴走させることは危険です。
市民にとって、政治や宗教を超越した宇宙的な存在が不可欠です》
「それが今の『天球帝政』か」
《皇帝一族は象徴的で、絶対的な存在です。
敬愛され、畏れられる。
市民は自由を欲するとはいえ、無秩序は好みません》
「それが人類の『歴史』か」
《それこそがジアースの『自然』なのです》
「意味が分からない」
《理解されているものと、推察致しますが……》
「たわけめ……」
《そう、AIとはその程度の存在です》
「もう休む」
《お休みなさいませ、皇帝陛下》
後宮女執事のクロービスがチリンとベルを鳴らした。
「入れ」
音もなくアンドロイド執事が現われる。
〈新しい召使いです〉
後に続いたのは、メイド姿の第十三皇女、RING?
〈フブキⅡと申します。以後、お見知りおきを〉
「……」
無言で睨みつける雷帝。
クロービスは淡々と続ける。
〈夜伽はいかがなさいますか?〉
「お前も、たわけじゃ」
〈失礼いたしました……。
フブキⅡ、おそばで警護していなさい〉
〈承知いたしました〉
月面宮殿は静かの海の地下、広大な溶岩ドームの中にある。
碁盤の目のように整備された一角、
『GYOUKASYA』が皇帝陛下の後宮。
帝国標準時間の夜。
生身の人間は雷帝DONNER・ホーハイトただ独り。
女官のすべては、歴代皇女のレプリカたちだ。
私の名は「たかりん」こと、RING・タカツキ・BKB・ザッパー。
ザ・サーティーンスプリンセス・オブ・KAWASAKI。
要するにKAWASAKI帝国ザッパー家の第十三皇女。
住まいは静止軌道上の第13離宮『天蝎宮』になる。
一緒に暮らすお兄様である第十三皇子はとても活発なお方。
『フブキ、プラターネ、クリンゲル』認識章
【参考文献】
『月のクイズに挑戦!
新たな月探査時代の、月の基本、月探査の豆知識』 ロビー出版 春山純一著
『月の縦孔・地下空洞とは何か
月探査機「かぐや」による縦孔発見から「UZUME」計画まで』 ロビー出版 春山純一著
『速報! JAXA探査機はやぶさ2号機 小惑星リュウグウに到着する
~一科学者のリュウグウ予想と、その実際の姿~』 ロビー出版 春山純一著