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プロローグ 神の化石

プロローグ


自身が、世界の奥底へ沈んでいく。

 蒸気仕掛けの昇降機で大地の底へ降りる様は、そんな感覚を与えてくる。


「――こんなものが大聖堂に設置されていたのですか」


 鋼鉄の檻に入れられながら、彼女はゆっくりと声をだした。

 美しく、凛とした女――だが、ただ麗しいだけの女性ではなかった。


 背中まで伸びる透き通るような金髪は、銀細工の髪留めで束ね流され、華奢に見える身には白銀の甲冑を纏わせている。そして、その腰には長剣が携えられている――その様はまるで戦乙女。

 だが、その美麗で大人びた容姿が印象を惑わすが、よく見れば彼女はまだ、うら若い少女でもあった。

 そんな彼女の切れ長の瞳がいま捉えているのは、前方に立つ壮年の男だった。

 この昇降機に乗っているのは、彼女とその男の二人だけ。感嘆のように漏らした少女の言葉は、自然とその男へ向けたものとなっていた。


「黙っていて済まなかった。だが、ようやく……ようやくにイデアにも見せられる時がきたのだよ」


 男は振り返り、柔和な笑みで言葉を返した。


「いえ――ザナフェル様のお考えあってのことです。先ほどの言葉はそういう意味では……」


 イデアと呼ばれた少女――彼女は、謝罪の意が乗せられた男の言葉に逆に恐縮する。

 男の言葉は、柔らかい物腰の奥に、風格と威厳が込められていた。

だが、彼女の反応は、男の単なる声色のせいだけではなかった。

見るものが彼を見れば、その纏う真白の聖衣とその頭上の冠により、男がミドゥー教の司教位に立つ者だとわかる。

そして、彼女の地位もまた身につける装飾に指し示される――白銀の鎧が教会騎士、更に帯剣する鞘に描かれた竜の紋章は、大聖堂守護を任された騎士団長であることを表す。

教会の司教と、教会を守護する騎士。

それは組織の上下であり――明確な主従を表している。

さらに、教会孤児院出身のまだ若いイデアを、その実力と信心を評価して抜擢したのがこのザナフェル司教だった。

彼女は司教に対し、守るべき〝義務〟を担うと共に仕えるべき〝恩義〟を感じていた。


「君はこの大聖堂と街を守護してくれている。自身が蚊帳の外では気分も害そう……だが私もようやく見つけた、というところなのだ」


 司教は反芻するように、息を深く吸い込む。

 イデアは司教の言葉を聞きながら、ぐらつく足元を確かめる。振動とわずかに浮遊するような感覚が、この檻が大聖堂の地下深くへ延々と沈んでいることを示していた。


「半年ほど前からここイーヴィシスに滞在している、レギオンという男は知っているだろう?」


「――はい。レギオン・ヴァルファラジオ……魔導力学の権威だと聞いております。遺跡調査のためということで街に居るようですが……」


 言われた人物自体はすぐに思い当たった。だが、イデアは話にその人物が出てきたことに少々戸惑う。


「君はあまり好かない人物だとは思うが」


 司教は少し冗談めかしていう。


「いえ……そのようなことは。特に感想を持つほど会ってはおりませんので」


 イデアはわずかに瞳を伏せる。司教の指摘は当たっていたのだが、彼女はそんな単純な感情を抱いているとは思われたくなかった。

 半年ほど前にこの大聖堂に訪れたレギオンという人物は、簡単にザナフェル司教への挨拶を済ますと、自分がこの街で遺跡調査を開始する旨を伝えたのだった。

 イデア自身はその時と後に幾度か会っただけだった。だが、それだけでイデアは、司教の言葉どおりその男を好かなかった。

 飄々として捉えどころのない男ではあった。

 それだけならば尊敬に値しなくとも、別段抱くべき感想はない。


 だが、その男からにじみ出る〝無神論〟の軽薄さが、イデアにとっては耐えられなかった。

 ミドゥー教の大聖堂へ赴きながらもまるで信心を示さないレギオンは、イデアにとって軽蔑に値する者――率直にいえば〝害〟にさえ思える存在だった。


「……だが、その知見と腕は確かだ。イデアの気持ちもわかるが、イーヴィシスの領主として、些事として看過しなければならないこともあるのだ」


 ミドゥー教の『司教』という地位はただ宗教組織上の地位と権威を示すものではない。着任する大聖堂のみならず、そこを中心として栄える街――イーヴィシスの街を、為政者として治めることを同時に意味していた。

 無論、イデアはそのことは十分理解していた。彼女がそのことで司教へ意見を申し立てようなどとは思っていない。


「――そのレギオンがなにか?」


 イデアはそれよりも、〝彼〟が今の状況にどう関係しているのかが気になった。


「ああ、そうだった。君は彼を好かないだろう……が、彼は、君にとって素晴らしいものを見つけてくれたのだよ」


 司教はそう言って、不敵な笑みをイデアに向けた。


「私にとって……ですか?」


 イデアは司教の言葉を繰り返す――だが、相当するものが思い浮かばずに、困惑してしまう。


「ああ……それは、我々……いやもっと多くの者にとって願われる存在だ。だが、君が喜ばないはずがない……そういう存在(モノ)だよ」


 司教の含みを持たせた言葉に、イデアは瞬間、一つだけ想起され、閃く。

 司教が、確信を持って告げるモノ――ミドゥー教の騎士として、一人の使徒として身を捧げる彼女にとって、渇望するものなどただ一つだけだ。

だが、それは決して〝見つけられる〟ようなものではない。


「司教、ご冗談を――」


 イデアは表情を直して司教へ言葉を返した。


 ――その時、一際大きな振動と音が響いた。


 わずかに感じていた浮遊感がなくなり、昇降機が停止する。

 鉄の檻が、地面に着いたのだ。

「着いたようだ。……さて、では……そうとしかいえないものを、見せてあげよう」

 司教は自身の手で昇降機の扉を開けると、イデアを外へと促した。

 イデアは緊張した足取りで進む。会釈をし、司教の横を通ると外へと出た。


「!」


 そこは地の底とは思えないほどの巨大な、大空洞だった。上にある大聖堂がすっぽりと入るくらいの大きさは優にあるだろう。

 そしてなにより彼女を驚かせたのは、大空洞を満たす〝光〟だった。

 太陽の光など届かず漆黒の闇であるはずのこの地の底に、空洞内全体を把握できるほどの淡い緑の光が満ちていたのだ。


「……岩自体が、光源なのか」


 イデアは周囲を見渡し、その光がどこか一点からではなく周囲の岩肌すべてからもたらされているのだと気づいた。

 視線を落とせば、地面からも淡い光が漏れている。


「なかなか面白いでしょう?」


 幻想的な光景に飲み込まれていたイデアは、、その声により意識を取り戻した。

 声は、イデアの真ん前の真正面から掛けられていた。

 ゆっくりと歩み、近づいてくるのは――背の高い猫背の男。

 その人物が誰であるか察すると、自然と彼女の表情が強張っていた。

 真っ白の白衣を羽織る銀髪のその男こそが、無礼不遜なる無神論者――レギオン・ヴァルファラジオだった。


「これはこれは。ザナフェル司教、そしてイデア騎士団長。こんな、こんな地の底までご足労を」


 彼が、視線はそらさずに深々とお辞儀をしてみせる。

だが、そのわざとらしい仰々しさは、どこまでも慇懃無礼な印象を与えてくる。そして、彼はそんな印象を理解して行っているように見えた。

 線の細い身体に、猫のような印象を与える瞳が印象的な整った顔立ち。美男子といっても差し支えないだろう――だが、浮かべる笑みが印象を変える。常に浮かべる、張り付けたような微笑が、整った美しさをどこか微妙に崩し、奇妙な滑稽さをもたらしている。


「レギオン。彼女に、見せてやってくれ」


 イデアの後ろから司教が、レギオンへ声を掛けた。


「ええ、喜んで披露しましょう。ではではでは……奥へどうぞ」


 司教に促されたレギオンは、ぐるりと翻るとイデアをエスコートするように奥を示した。

 イデアはレギオンを一瞥すると、物怖じせずに進み始めた。

 淡い緑の光で照らされた世界をゆっくりと進んでいく。

 歩きながら、先頭を歩むレギオンが話を始めた。


「完全である神は、存在すべきである。なぜなら……存在しえないものは単なる幻想にすぎず無意味なのですから。イデア様は無論、神の実在を信じておりますでしょう?」


 そう無神論者が、ミドゥー教にすべてを捧げてきた少女へ問いかけた。


「……貴様はわたしの信仰を試したいのか?」

「いえいえ……私もまた、〝神〟の実在を信じる者ですから」


 レギオンはうそぶいて見せる。


「さて……ですが、私は信仰者ではなく、研究家でして。ある仮説に基づき走り回って、掘り返していたら……あるモノを……幻想――であるはずだとされるモノ――を見つけてしまいまして」


 レギオンは明るい声で続ける。


「あらゆる幻想、神話、伝説にはその起源がある……それは神さえ変わらない」


 イデアは歩きながら黙ってレギオンの話を聞く。もったいぶった彼が、なにを言おうとしているのかを量る。


「あなたが持つ鞘に描かれた、『竜』。それはどの文明にも普遍的に存在する幻獣です。神のような力を持ち、神の使いであったり、神そのものであったりする」


 イデアは無意識に、鞘に描かれた竜の紋章に触れていた。


「竜とは神聖、そして、絶対的な力の象徴だ」


 レギオンの意見に異議はない。竜とはもっともポピュラーな幻想にして、神性の権威だ。

 騎士団の紋章も、その神性と絶対性を示すものとして竜を象徴としている。


「……となれば、もし、神が姿を持つならば……それは竜であることが妥当ではないでしょうか?」


 そこでレギオンは飛躍させる。


「形而上の存在――空想だというのならば、そのカタチに、大きな意味はないでしょう。だが、実在するならば実体を持たねばならない……それ相応の姿形が、必ずある」


 イデアの眉が持ち上がる。


「――なにが、いいたい?」


「完全なる神は、存在すべきである……そうでしょう、ザナフェル司教」


 そこでレギオンは、司教へ伺う。


「存在は不存在よりも、完全である。故に完全である存在の神は、必ず存在――〝実在〟する……そういうことだ。そして、ミドゥー教は……神を空虚な権威づけや空想とはしない」


 司教は存在論的論証とともに、自身の立場を表明する。


 レギオンはその言葉を満足げに受けて、イデアへその深さのない笑みを向けた。


「――無論、わたしもまた神の存在を信じております。だがレギオン、その神の実在する姿に、竜を充てるという意見だが――竜もまた幻想では、どちらにせよ無意味ではないか」


 イデアは司教の意見に従いつつ、レギオンへ意見する。

 だが、その意見こそ彼が望んでいたもののようだった。

 歪む口元をさらに広げて、レギオンは笑った。


「その通り」


 レギオンが立ち止まった。


「全部が全部、空想ならば平等に無価値。だけれども、言ったでしょう……幻想を発掘した、と」


 大空洞の中心部に、山のような大きな岩があるのは見えていた。いつの間にか、鎮座するかのように在るその目の前まで、着いたのだった。

 イデアは立つ尽くすように、歩を止めた。

 そして、絶句する。

 イデアは、呼吸を止め。それを見上げた。

 ただ、見上げていた。

息をするのを忘れ、見ていた。

 そして、空気を渇望した肺に急かされ、息を吸い込む時にようやく、ただ一言発した。


「――……竜」


 それは、零れるような、ようやく紡いだ声。

 それは、その先にあるものの、名。

 それは、岩ではなかった。

 レギオンの笑みの向こうにある、岩だと思ったものは、化石だった。

 ただそのスケールが、常軌を逸していた――それはつまり化石の元の存在が常軌を逸したスケールだということを無言で説明していた。

 化石と呼ぶことさえ、正しいのかわからない。

それは、巨大な生物の姿そのままだった。

 鱗の皮膚を持ち、四肢を曲げうずくまる……小山ほどの大きさのそれは確かに〝竜〟と呼ぶべきだった。

 ――幻想の結晶が、そこに存在していた。


「そんな……」


 イデアが言葉を無くす。

 目の前の存在が信じられないということもある。だが、イデアはいまこの化石の存在そのものに、圧倒されてしまっていた。


「この竜の力の文明こそが、我々の文明の根源といえるかもしれない……レギオンはそう考えているらしい」


 司教は補うように伝えた。


「ええ、この大空洞自体も何者かによる建造物……遺跡です。それも、およそ十万年前の。明らかに現在の文明が遡れる以上の、先史文明の遺跡でしょうね」


 レギオンは周囲を見渡しながら、人類史を否定する事柄をさらりと言ってみせる。


「イデア様、驚かれるのも無理はありません。ですが、ザナフェル司教はあなたにただスゴイものを見せたい、というわけではないんですよ」


 そういうと、レギオンはポンと竜の化石に手を置いた。

 レギオンはこれから始まる戯曲を待ちきれないように、声を弾ませていた。


「ザナフェル司教、お願いしていたモノはそろそろ手に入りそうですかね」

「ああ、言われたとおりに部下を向かわせている。そろそろ、『鍵』を手にしている頃だろう」


 レギオンは司教の言葉に、満足げに礼を述べた。


「では、これからが本番ですね……イデア様にも協力していただければ幸いです」


 レギオンは改めてイデアの前へ向きなおすと、そう願い出た。

 イデアは、この男が何を求めているのかわからずに問う。


「お前は、なにをしようとしている?」


 するとレギオンは少し考えてから、言葉が足りていなかったことに思い至ったらしい。


「きっとこれだけでも十分にすごいんでしょう。発見しただけで大事件なんでしょう。でも、眺めているだけじゃあ、そこらの偶像と違いはない。このままじゃあ、もったいない。」


 〝神の化石〟を前に、その無神論者は実に楽しそうに喋る。


「このままじゃあ、つまらないでしょう?」


 そう、当然のように問う。

 レギオンは司教の顔を見て、確かめるように頷く。

 それから、その全てを諦観しているかのような瞳で、まっすぐにイデアを見つめる。

 そして、――


 ――それは、狂信にして、背信。

 ――冒涜にして、信仰。


 ――レギオンは、その言葉を口にした。


「神を、手に入れましょう」


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