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目が醒めると、周囲は既に明るかった。平日の朝だと言うのに、ちらほらと散歩している人が見受けられる。このままこうしている訳にはいかないので、取り敢えず昨日脱いだ服を着る。
まだ水気を含んでおり、潮の香りもする。その香りに昨日の情景がフラッシュバックするが、振り払う様に忘れる。
海に入った時よりは幾分か落ち着いていたので、そのまま車を家に走らせる。
帰宅するとすぐに、濡れた衣服を脱ぎ捨てシャワーを浴びる。
ふとした瞬間に暗い海が頭に浮かぶので、極力何も考えない様にした。体を伝うお湯が、顔から滴る水滴が、排水口を目指す水の流れが、海を思い出させる。
思考を放棄した頭は、容易に恐怖の支配を受け入れる。記憶ごと洗い流すかの如く、全身をゴシゴシ擦る。
擦りすぎて皮膚がヒリヒリと痛むが、痛みを感じている間は、恐怖を忘れられた。
30分程浴びただろうか、多少スッキリして上がると、下着だけつけ布団に倒れこんだ。髪を乾かす気も起きない。
未だ思考は戻ってこないが、先程の様に海に揺り戻されることもない。
しばらく、何をするでもなくボーッとしていると、扉が開いた。
「先輩、勘弁してくださいよ」
頭だけで訪問者を確認すると、ゼミの後輩だった。
「授業来ないし、電話も出ないし、ここ来てみても居ないし…」
迷惑かけたな、とか、どうしたら良かったんだろうな、とか色々言葉は浮かぶが口を通っていかない。
「はぁ…で?どこに居たんですか」
呆れた様に言うとベッドの側に座り込んだ。
「海…。綺麗だったよ」
溜息すら出て来ない様子だ。静寂が心地悪く、二の句を継いだ。
「怖かった…けど…」
「怖かった?」
これだけで伝わると思ったが、どうやら自意識過剰だったらしい。
「入水…したんだ。失敗したけど」
「ジュスイ?」
「自殺未遂」
端的に答えると、また静寂が訪れる。
ギシっと姿勢を変える。
「先輩、本当にやめてくださいよ…」
いつの間にか立ち上がってこちらを見下ろしている。この姿勢からでは表情までは伺えないが、口調からは言葉を選んでいる感じがした。
「ゼミのみんな、交代でここ来てたんですから…皆心配してたんですよ」
穿った見方をしてしまうのは、気の持ち様からだろうか。
「警察にも通報しようか悩んでたくらいです」
「…すまん」
ここに来てようやく謝罪が言葉になった。相変わらずうつ伏せの状態なので、謝る気がある様には見えないだろうが。
「まぁいいです、取り敢えず生きてたから。それより、ちょっと散歩しません?」




