朝練
明朝。
耳うるさく物が振動する音が聞こえる。
頭の上に手を伸ばして机の上を漁ると原因となる物体を手につかんだ。
その物体は携帯電話である。
画面上に昨日、理由があって登録したばかりの人物からの着信者名が表示されている。
時刻を確認すると、朝5時で朝日が出たばかりである。
寝ぼけた思考のままに電話に出ると耳に響く「遅い!」との怒声が響き渡る。
鼓膜がしばし震えて顔を顰めながら再度電話口に耳を押し当てると彼女の呆れたと息が聞こえてくる。
「君はもう、昨日言ったことを忘れたのか! 今日から君は私と一緒に朝練を行う約束をしたはずだ」
「朝……練……」
昨日の家の中で彼女の正体と義姉の正体を語られたあの時に電話口の彼女、綾蔵雪奈は言った内容。
『勇気を私の弟子にさせる』。
つまりは自分を弟子にするという交渉条件で彼女は義姉が所属する組織に狙われない確約を取り付けている。
その手始めとして勇気に体力づくりを実行するために朝練を行うようなことを話していたような記憶があった。
だからといって、こんな朝早くから呼び出しとはつらい。
普段の訓練も朝ではなく夕刻が基本スタイルだからでもある。
そもそも、朝は弱い。
「今日はなしでいい?」
もう最初から怠けモードで訓練を放棄する。
このような状態では演じれそうにもない。
普段の状態を出してしまって彼女に不審がられてしまうのがオチで見えてくる。
携帯の電源を落とし、再び安眠の世界へと入ろうとしたとき、騒々しい足音が耳元に聞こえてくる。
さらには義姉の叫び声まで聞こえた。
冷や汗が流れてくる。
もしや――
扉が強引に力強く開かれた。
鍵が掛かっていたはずの自室の扉はカギを破壊してこじ開けられる。
とんだ、馬鹿力だ!
眉間を寄せての鬼女が降臨していた。
「君は一体だれのためだと思っているのだ!」
腰に携えた刀を鞘から引き抜いて刀身を構えた。
「人の部屋の中で物騒なものを取り出すな!」
「君が私の訓練を放棄するのがいけないのだ! さぁ、早く着替えるんだ! これは君が一人前になるための重要な修行だぁあああ!」
刀身の光の輝きは天へ導く光にしか見えない。
彼女はこちらへ活力を与えるためにとその刀をふり落とした。
むろん、回避せねば着られるので全力で飛び起きて回避した。
だが、代わりに我が安眠のお供であるベットが犠牲になった。
「な、なんてことすんだよ!」
「ふむ、見事な動きだ。まさか、避けれるとは思わなかったぞ」
「いや、避けれなかったら死んでたよなぁ! なぁ!」
「アハハハ」
笑ってごまかすな。
彼女の豪快さに頭を抱えたくなる。
彼女は本当に弟子にする気がるのかないのか全力でわからない。
今のがもしも、自分でなければ完全にあの世へ行っていた。
避けるのをわかっていたのだろうか。
(そうだとしたら、計画に支障が出るからやばいぞ)
なるべくならばそうでなかったと考えたいがそうだとしたらこの綾蔵雪奈という彼女の脳みそはイカレテいることになるのでどちらにしても心配である。
「よし、起きたことだし、着替えてさっそく訓練をするぞ」
催促する雪奈はまるで殺そうとしていたことなど露ほども思っていない。
綾蔵雪奈とは体育会系のバカ女のようである。
もっとも嫌うタイプだ。
悩みの種が増えてしまい思わず頭を抱えている義姉が壊れた部屋の扉の傍で立っていたのが見えた。
「ねぇ、綾蔵さん、あとで直してくれるのよね、この扉」
「ふむ、元より壊れていたぞ」
そんなはずはないだろう。
強引に入ってきたの見てたのに平然と嘘を吐くこの女の図太い神経に敬服する。
「そんなわけないでしょう! しっかりと直してよね! それから、ゆっくんのこと怪我なんかさせたら殺すわよ」
「ほう? この私を殺すか。面白いな。ならば、まずは君とて合わせをするのもいいかもしれんな」
朝から殺伐とした空気が充満していた。
その空気を早いところ断ち切らせたくて素早くジャージを手にして洗面所へ向かい着替えはじめるのであった。
(ああ、どうしてこうなったのだろうか)
*******
朝のマラソンを行って息切れを起こし、一度の休憩を挟むために公園で休むことを許可され芝生の上に座り込んだ。
指導者の雪菜は近くをもう少し走るという気力の多さに舌を巻くほど。
勇気にはあれほどの気力は持ち合わせてはいないから公園で休むことに徹した。
公園で休憩中に妙な光景を見つけた。
「なんだありゃ?」
一人の男が勇気と同じ学園の生徒を奥の茂みへ連れていく光景が見えた。
不穏な予感を感じてそちらのほうへ向かい走っていく。
雑木林に入り、内部で「や、やめてください」と悲鳴が耳に入る。
「おい!」
見逃すという選択肢もあったが勇気にはそれができるほどに悪人ではない。
見捨てることができなかった。
だからこそ、声を掛けてしまう。
この時ばかりはその選択がミスを及ぼした。
同じ学園の女子生徒と思い込んでいた彼女は金色の瞳をした昨日の怪物を思わせる存在で男のほうもまた同じであった。
「かかった」
その言葉が聞こえた時に自分が罠にはめられたのだと自覚する。
まずいと思い引き返して逃げようとしたところを足元を地面の凸凹にとられて転倒する。
二人のほうへ振り返り見れば、二人の姿は昨日見たあの全身黒色の滑っとした肌の触感をする金色の瞳をした軟体人に変貌した。
その怪物の一体は腕をゴムのように伸ばして勇気の足を掴み宙づりにする。
ぶら下げられた勇気を面白がって観察する怪物たちは腕を鋭いナイフのように尖らせ始めた。
死を覚悟し目をつぶったとき――
「だから、訓練が必要だ」
その静かな怒りを滲ませる窘めた言葉が聞き及ぶと目を開ける。
綾蔵雪奈が黒い血を刀に滴らせながら畏怖堂々と身構えて立つ姿が目に入った。
怪物たちが身震いを起こし、昨日のように粉のような塵になって消滅した。
消滅したことで勇気も解放されて地面に落下して身体を強打する。
そこはキャッチして助けを望んでいたのにまるでその手心がなかったことに正直に言えば悲しかった。
だけれど、綾蔵雪奈は怪物から救うという面では達成しているから文句も言えない。
この状況を見て思うのはやはり未熟というところであった。
「やはりというべきだな。君は聖剣の契約者であり、その力が徐序に強くなっている。その影響が彼らにも敏感に察知を許し狙われているといえるな。これでは訓練方法も変えなくてはいけないか」
やはりと一瞬言われて自分の未熟さを窘められるのかと思えば、彼女は自分に関する対応策も甘かったと遠回しに指摘している言い回しであった。
またしても『聖剣』なる単語が出てきて勇気は考え込む。
今は持ち込んではいないが昨日はあの存在で自らの身を守れていた。
あの剣が異常なものだとは何度も口にしている彼女。
「あ、あのさ『聖剣』ってなんだ? あれはそんなに危険なものなのか?」
「昨日も話しただろう。あれは災いを引き起こせる剣。同時に悪をも滅する効力を持っている伝説の剣だ。アーサー王伝説やベーオウルフの物語、日本では三種の神器に題材されている剣だ」
「それくらいは耳にしたことはあるよ。でも、本当にそれなのか? あれは空想の産物だろう」
「そうじゃない。あれは実在している。事実に君が手にしているだろう」
だといわれてもやはり実感はわかない。
そもそも、契約者といわれても『物語』であれば契約の証という者が体のどこに現れていそうだけれどそれもないのではどうしても実感もわかないというものだろう。
災厄の剣ということに関してもそうだ。
未だに怪物を倒したこと以外に強力な力の発露をこの目で見ていない。
「実感がわかないという顔だな。まぁ、仕方のない話だろうが事実あれは聖剣だ。そして、あれをモノにしたいと思う怪物は多くいる。だからこそ、今の君は狙われているのだ。契約者であるからこそな」
「そのために身を守る術が必要って話か」
「その通りだ。だが、今日のような訓練は今一度控えよう。明日にはまた別の訓練方法を考えておく。今日はここまでにして家に帰ろうか」
「あ……うん」
正直に未だには理解に苦しむ『聖剣』という存在の話。
怪物が『聖剣』を狙う?
本当にそうなのだろうか。
あの両親が殺された日に勇気は思いを馳せる。
だって、勇気の両親はあのような武器を多く所持していたが両親は武器を狙われるのではなく命をねらわれて命を落とした。武器には一切あの時の怪物は手を付けてはいない。
勇気はあの時に聖剣をもっていたのに怪物は勇気の身を狙っていたのだ。
(狙いは聖剣じゃなく俺の命なんじゃないか)
そのような不穏な考えが頭によぎるのだった。