第六話 始まりも悲劇から
――ボダ森林中央部 ブラット家ログハウス――
『いっただきまーす』
昼下がり。日和、アヤネ、リョウ、コトネ、アキラ、ミオ、そしてハルキの七人はテーブルの席に座り、皆揃って手を合わせ、掛け声と共に一斉に昼食を口に運んだ。
七人全員の席が収まるほど広いダイニングテーブルの真ん中には、ドレッシングが掛かったサラダの入ったボウルが置かれ、それぞれの席には人数分のパンとスープ、そして各種食器類が並べられていた。
「……もぐともぐ。むっ、なにこれ美味しい……!」
「でしょ~? ほんとびっくりしちゃうわよねえ」
手掴みでパンを頬張るアヤネは、顎を上下させながら木製のスプーンでスープを掬い取り、行儀は悪いが詰め込む様にスープを口に入れる。
するとピタリと動きが止まり、舌の上で適度な塩気と濃厚なクリームの味をパンと一緒に転がしていた。
「え、これ叔母さんが作ったんじゃないの!?」
「そうよ。アキラちゃんとミオちゃんが作ったのよ、これ」
「マジで!? ……うわっ、サラダの味付けも完璧じゃん」
まるで頬袋に餌を溜め込むリスのようになるアヤネを横に、日和は片手でスプーンを咥えながら微笑んでいた。もう片方の腕には健やかに眠るアリサが居るのだから、器用なことだ。
「よかった。アヤネ様の好みがわからなかったから、口に合うかどうか、少し不安だった」
自分の振る舞った料理を気に入ってもらえて、ミオはほっと胸を撫で下ろす。行儀が悪いのはさておき、口一杯まで食べてもらえる姿は、作った側としては気持ちが良いのだろう。
「ご主人様はどうですか? スープ、おいしいですか?」
客人が評価してくれるなら、さて主はどうか。ぶっちゃけ、アキラにはそれが一番重要だ。他人が気に入っても、一番食べてもらいたい人から感想をもらわなければ意味がない。
が、実を言うと先程からハルキの顎の運動は止まっていない。喋っているのではなく、よく噛んで食べているのだ。
「うん、おいしいよ!」
「うまー」
「あいちー」
そんな彼からまずいの三文字が出るはずもなく、迷いの無い返答と屈託のない笑顔が返ってきた。
加えて声は主からだけではなく、彼の妹二人からの絶賛というおまけ付きだ。これに二人は、やったね、とハイタッチし、お互いの感情を共有した。
というか、彼女たちがそうして喜んでいる間に、三兄妹の皿の中身が見る見る内に無くなっていく。
「ごちそうさまでしたー!」
「ごちそうさまー」
「たー」
程なくして三兄妹はアキラとミオの手料理を完食した。スープはもちろんのこと主食のパンも綺麗に食べ尽くされて、二人の小さな料理人は更に嬉しくなる。サラダはまだ残っているが、あれは日和とアヤネ、そして未だ食卓に着いていないハールスとレンの分だ。
「あ、ご主人様。頬っぺたにお残しがついてますよ。取ってあげますね」
食器の回収がてら立ち上がったアキラはハルキの顔にぐわっと迫り寄り、頬についていた食べ残しを掬い取ると、そのまま口の中へと運んだ。その横では、文字通り美味しい所を持っていかれたミオが悔しそうに指を咥えている。
「アキラ、ずるい。私もやりたかった」
「ふふーんだ。早い者勝ちだもんねー」
「むぅ。ご主人様。もう一回つけて」
「無茶言わないでよ。全部食べちゃったもん」
そんな三人のイチャコラ現場を目の前で見せつけられ、アヤネは不満そうに頬杖をついていた。
「うっわ、ハルくん滅茶苦茶モテモテじゃん。羨ましっ」
「あらあら?美人冒険者で売り込んでるのに、アヤネちゃんったら男っ気の一つもないのかしら」
「いや、下心丸出しの男と付き合ってもなー。って、叔母さんってば何が言いたいのさ!」
溜息を吐くアヤネの隣で、ふふふ……と日和が不敵に笑って見せる。
「でもあの三人、本当に仲が良いんですね。まるで昔からいた幼馴染みみたい」
「本当ね。将来どっちとくっつくのかしら?」
「うーん、どっちも相性よさそうだけど、私はミーちゃんだと思うなぁ」
「あら、奇遇ね。私もそう思ってたのよ。ハールスさんはアキラちゃんだろうって言ってたけど」
「とはいえハルくんって奥手そうだからなぁ。……あ! いっそ両方ともくっつけちゃったら?」
「まあ、それも良いわね! となると、今度は正妻戦争が勃発するわね。うん、間違い無い」
「うわっ、生々しっ」
そうなったら実現しうるであろうドロドロとした人間関係を想像して、アヤネと日和は背筋を震わせた。どうかそうならないよう、平和に夫婦が成立して下さい。そう願うばかりであった。
「あ、そうだわ!」
と、不意に何やら名案でも閃いたのか、日和が一差し指をわざとらしピンと立てた。
「ねえアヤネちゃん、一つお仕事を頼まれてくれないかしら?」
「えー、もしかしてそれって冒険者への依頼です? 面倒なことだったら嫌ですよー。今日一日休むって決めてるんですから」
「そうね、そういうことにしてもいいわよ。報酬は出しますから。大丈夫、ちょっとその辺をハルキ達と一緒に散歩してくれるだけでいいから」
「ほうほう。だったら話を聞こうじゃないですか」
―――冒険者。冒険する者。傍観者諸君も、度々耳にする単語だろう。
依頼――即ちクエスト――を受け、それに見合う報酬を得て生計を立てる個人、或いは集団だ。まあ、モンスター退治や荷馬車の護衛なんかの話をすればヒーローものっぽくはなるが、実際はなんでも屋という範疇を出ないあたりはこの世界でも変わらない。
アヤネもまた、そんな冒険者の一員ではあるが、まだまだ歴戦の猛者とも言えず、かと言って初心者というわけでもない。今はまだ平均的な実力の冒険者といったところだ。
それで、日和からの依頼というのは、薬草採取であった。なんでも、最近はアリサの世話で薬の材料となる薬草を採りに行けず、この先は当分赴く機会が無いだろうから折角なので頼みたい、というものであった。
森の中と言っても、結界が張られている範囲に十分な量の薬草が自生しており、群生する区域もあるためそこまで難しい仕事ではない。魔物が出ることもないのだから、装備が無くとも命の危険は無いというわけだ。
「道案内にハルキと、あと今後のことも考えてアキラちゃんとミオちゃんも同行させてあげてね」
「……つまり、私にハルくん達のデートに付き添えと?」
「そうそう!話が早くて助かるわ。……まあ、それもあるのだけれど、本当は、あの子達に外の空気を吸って欲しいの。ほら、アキラちゃんとミオちゃんには、家に来てから仕事を押し付けてばかりで、ハルキも最近はずっと工房に籠りきりだったのだし。少しぐらいは子供らしく遊ばせてあげたいの」
はあ、と肩を落としつつ、日和は視線をアリサに移した。腕の中でぐっすりと眠る赤子は、母親の苦労など解らないというように、すーすーと寝息を立てていた。
「ま、別にそこはいいんじゃないですか?無理矢理させてるならともかく、本人達がやりたいっていうなら、好きにさせちゃえばいじゃん。家のお父さんなんて、あれもダメ~、これもダメ~って、毎日口うるさいし」
アヤネの父、レン・ブラットは厳格そうな風貌の割には別段そういうわけでもなく、普通に子を思う良き父親だ。が、それ故に天真爛漫に振舞う娘のことがが単に心配になってしまい、自分が冒険者になると宣言した時には、冒険の辛さや怖さ恐ろしさの何たるかをあれこれと説法されたものだ、と本人は語る。
尤も、幼くして母を失った彼女もまた、父が研究にのめり込み過ぎて倒れてしまわないか心配でたまらないのだが。
「うふふ、お義兄さんは心配性ですものね」
それはそれとして、と日和は続ける。
「どうなのかしら、冒険者さん。私の依頼、受けてくれるのかしら?」
アヤネは暫くうーん、と腕を組んで沈黙すると、徐にポケットから銀貨を取り出した。
「―――よっ!」
銀貨を人差し指の上に乗せ、それを親指でピンッ、と弾くと銀貨が勢いよく回転して宙を舞い、ストン、とアヤネの手の甲に着地する。コイントスだ。
「……表、ね?」
落ちてきた銀貨の面を確認して言ったのは日和だった。銀貨を投げる前にアヤネは特に何も言わなかったが、この場合表が出たということはイエスが定石だ。
「……うん、まあ断る理由も特に無いしね」
さも始めから結果が分かっていた様に、アヤネは首を縦に振った。
「そう、ありがとうね。偶に家に寄ってきて、定期的に収穫してくれると嬉しいわ。あ、そうそう。あそこは結界が近いから、くれぐれもあの子達が外にでないように面倒を見てあげてね」
「それくらいわかってますよ。おーい!」
アヤネはいつの間にか食卓を離れて、暖炉の前でくつろいでいたハルキと、台所で皿洗いをしていたアキラとミオを呼びつけて事情を説明した。
リョウとコトネも一緒に連れて行こうかと思ったが、昼食を食べて早々、お昼寝モードに移行していたので、ソファの上でそっと寝かせて上げることにした。やんちゃ娘達も流石にお昼寝時の睡魔には敵わないようだ。
それから、数分後。騒がしくしていた子供達が居なくなって、少し日和が寂しさを感じ始めた頃。
「―――おや?ヒヨリ、子供達は何処にいったんだい?」
タイミング的にすれ違いとも少し言い難いが、ハールスとレンが工房から戻ってきた。
「あら、ハールスさん、お義兄さん。今ね、丁度あの子達に薬草を採ってきてもらうよう頼んだところなの。ちょっと間が悪かったみたいね。あ、リョウとコトネなら、あそこでお昼寝してるわよ」
「おお、そうだったのか。まあ、アヤネがいるなら問題なかろう。ハルもしっかりした子だしな」
レンはうんうんと頷いて、年寄臭くよっこらせ言いながらと椅子に座る。ハールスは日和の隣の席に座ると、傍らに置いてあったティーポッドに手をかける。
「さて、と。それなら今の内に、私も要件を済ませてしまおうか」
レンの発言に、夫婦は互いに顔を見合わせる。要件とはなんなのだろうか。新しく産まれた姪の顔をじっくり拝むことだろうか、と二人は彼に尋ねた。
「うむ。まあ、それもあるのだがな」
レンはこの場にいないアキラとミオの代わりにハールスが注いだお茶を受け取り、一つ間を置くように一口啜る。そしてコップを唇から放すと、持ってきていた鞄の中から、文字がみっしりと書かれた紙の束を取り出した。
「これを見てくれ。今朝、王都で配られていた号外だ」
束を机の上に広げると、夫婦はその文字の羅列をかぶりつくように見た。
「こ、これは……!?」
「うそ……!?」
号外に書かれていた見出しは『開始三年で終結か!? 王国が帝国と公国の仲裁に!!』とあった。
「兄さん、これは一体どういうことだい?」
「どうも何も、王国が戦争の仲裁役を買って出た。それだけだ」
―――さて、傍観者諸君。突然だが、異世界と聴いて君達は何を思い浮かべるのかな?
剣と魔法、魔物と勇者、最近では転生とか召喚なんかもあるだろう。
だが、もっと根本的に無くてはならない概念がある。それは物語を綴る世界観の中で何気に重要な影の立役者。村や街や都市を統べ、富と秩序の象徴にして主人公が冒険の一歩を踏み出すきっかけをくれるであろう居場所。
―――即ち、『国』だ。
当然だが、この世界にも国は存在する。その中でも、人が栄えた国は全部で四つだ。
大陸の大体中心にあるミスタリレ王国、最強の軍事国家アダマス帝国、帝国からの独立を目指すオリカルクム公国、そして極東の島国・緋の国。
どの国も、その国での産出されている特殊な鉱石―――魔鉱石の名前を冠しているのが特徴だ。
他にもいくつか他種族が暮らす街や集落なんかがあるのだが、それもまた別の機会に語るとしよう。
さて、各国々の位置関係を説明しておくと。
まず、ハールス達が住むこのログハウスが建てられていられるここボダ森林は、帝国と王国の領土の境界線上に位置している森だ。
森から西側にアダマス帝国、東側にミスタリレ王国があり、更に東側に公国の領土が存在している。緋の国が浮かんでいるのはそこから更に海を超えた先だ。
森を挟んでの国境と言ってもそれは一部で、実際は王国領を囲む様に帝国領が広がっており、そこに蓋をするような形で公国が存在する。
というのも、かつては互いに国土を広げていた帝国と王国だが、商業的に勢力を広げていた王国と、武力的に領土を広げていた帝国とでは、軍事力に大きな差がある。
つまり、戦争になれば確実に王国が負けるということ。それを恐れた当時の国王がこの森を中心に領土を分け、帝国と協定を結ぶことでなんとか国を存続させたというわけだ。
しかし、それ故に王国は帝国に対して下手に出るしかなく、現在の王国は帝国の半ば属国となってしまっているのが現状だ。
更には留まることを知らない帝国は手に入る土地は全て手に入れようとして、まるで呑み込まれるように王国領が囲まれてしまったというわけだ。
では、そんな帝国と戦いを挑んだ公国とは何か。ただの無謀な国家か、それとも確かな勝算を持った野心家だったのか。まあ、答えは後者でなければ、戦争をする理由がないわけで。
それもそのはず。何せ、現在公国が領土を主張している土地は、何を隠そう元々は帝国の領土―――つまりは、離反だ。
帝国は武力に特化し過ぎたが故に、力に物を言わせた圧制が度々横行している。それに不満を覚えた元帝国公爵家――現在は公王を名乗っている――が反旗を翻し、自らを慕う忠臣と国民達と共に帝国に剣を構えた、というわけだ。
これは帝国にとっては大きな損失だ。自国の領土を失うだけならまだしも、公国となった土地にはとある技術を預けていたのだから。
「現状、東側の帝国領の殆どが公国のものになっている。元から領土の半分近くが離反してたからな。海沿いの飛地を手に入れるのにそう時間は掛からなかった」
「その話は街でちらっと聞いたよ。公国は結構善戦してたみたいだね」
「それは当然だろう。何せ、元とは言え公国の軍は帝国の軍と何一つ変わらない。むしろ手の内を知っているだけ向こうが有利だろう。とはいえ、そこからはどちらの勢力も拮抗しているようだがな」
号外に記載されていた地図を、レンが一つ一つ指を差して二人に戦争の今の状況を伝える。
ハールスは顎に手を当てて聞いていた一方で、日和は涼しい顔でアリサを抱えたままお茶を啜っていた。
もちろん、戦争に興味が無いわけではない。むしろその逆だ。戦の怖さを知っているからこそ、あえて澄ました顔をしているのである。
「しかし、『オリカルクム』ねえ。王国も帝国もそうだけど、なんで魔鉱石の名を付けたがるかな」
「ま、その方が分かりやすいからな。国を繁栄させた要因なんだ。そりゃ主張したくもなるだろうよ。それに今の時代、いや、王国と帝国が産まれたのをきっかけに、我々人間種は魔石と共に進化してきたと言っても過言ではないからな」
ハールスやレンが錬金術師として研究を重ねる魔石。これらの存在はこの世界の人間社会に大きく貢献し、数多ある他種族を押し退けて発展できた要因となった。
その中でも特に希少なのが、魔法銀、神金剛石、超真鍮、緋々色金の四つだ。
傍観者諸君も、一度は聞いたことがあるだろう伝説の鉱石達だね。
王国と帝国は、それぞれ魔法銀と神金剛石の鉱脈を発見したのをきっかけに成立した国家であり、その上で貪欲にも魔鉱石の生産に成功して勢力拡大につながっている。帝国が王国との協定に応じたのも、その技術を多少の条件付きとはいえ損失無しに丸ごと手に入ると踏んだからだ。
そして、公国が名乗る『オリカルクム』という単語。これは、超真鍮の別名に当たる。別名をそのまま名前にしてしまうあたり、安直と言わざるを得ないが、まあ、何事もシンプルが一番ということで。
冗談はさておき、先二つの例に習って言えば、オリカルクム公国は即ち、超真鍮の生産に成功した国、ということになる。
王国の技術を取り込んだ帝国は、それによって東側の領土で超真鍮の製造を開始。長年の試行錯誤を経て安定した供給が叶うようになった矢先に、その土地が奪われてしまった。それが三年前の話である。
元来、武力で制圧してきた帝国と反対に王国は戦争を好まない、所謂平和主義の国家だ。
だからこそ、帝国と協定を結ぶ以前は商業によって勢力を拡大させていた。
もちろん、戦争を嫌うからと言って王国に武力行使が可能な組織が無いわけではない。
帝国が皇帝の指揮の元、各地に軍を配属させているのに対し、王国には自国が他国や魔物に攻め込まれた際の自衛隊としての役割や、国内の犯罪者や不当な貴族を取り締まる警察としての役割を担う騎士団が設立されている。
戦争の経験がほぼ皆無とは言え、時に竜種すら討伐する騎士団の実力は極めて高い。
事実、騎士団のおかげで王国の治安は安定しており、中には圧政に耐えかねて王国に移住しようとした帝国貴族がいたとかいなかったとか。
帝国に逆らえない現状では、土地を戦場として差し出すより他に無く、要求があれば不本意ながらも騎士団を派遣させる必要もあっただろう。
しかし、土地は貸してもそれ以上王国が動くことはなく、一貫して戦争を傍観し、気付けば三年の月日が経過していた。
というのも、東西の国が争う現状が、王国に大きな選択肢与えていたのだ。
もし仮に王国騎士団が帝国の傘下として公国に攻め入った場合、拮抗していた戦線は瞬く間に崩壊し、勢いづいた帝国軍勢力によって、反乱分子は速やかに鎮圧させられたことだろう。
無論、民の不安を煽る戦争の早期終結は何より望ましいことだが、そうして土地と技術を取り戻した帝国は更なる力を身につけ、ますます王国は帝国に逆らえなくなってしまうのは間違いない。
一方で、ここで公国に勢力を加担すれば、戦争は長引いてしまうだろうが、領土を囲まれ、言いなりになってきた王国が帝国に一矢報いるまたとないチャンスになる。
戦争を早く終わらせる代わりに自国が取り込まれることを受け入れるか、それとも多少のリスクを加味して属国を抜け出す代わりに戦争を続けるか。
どちらにしても王国が参戦することによってこの戦争の結末がどう変わっていた。言わばこの戦争の鍵を握っていたのが、王国だったのだ。
しかし、王国が選んだのはそのどちらでもない第三の選択肢。即ち、戦争を仲裁して平和的に終わらせる手段に出たのであった。
「にしても、国王も思い切った事をしたなあ。どちらに味方するわけでもなく仲立ちか」
「まあ、言うなればこの戦争は身内争いだからな。割って入り易いと言えばその通りだったんだろうな。尤も、相応のリスクはあったはずだ」
「下手をしたら、協定破棄をしたと見なされて、両国に真っ先に滅ぼされるのは王国ですものね」
思わぬ展開ではあったが、これはこれで逆に王国らしい選択肢とも言える。本当にこの国は戦争がしたくないらしい。
臆病と言えばそれまでだが、事実これで戦争が即終了となるのなら、不安を煽られる国の民からしたら文句はないだろう。まあ、気に入らないと騒ぎ出す貴族もそのうち出て来るだろうが、それはまた別のお話だ。
「正に英断と言うべきか。全く恐れ入る。ま、実際関係ない自分達の領土で長いことドンパチされるのは、堪ったものじゃないか」
「それもあるだろうが、王国にも王国の狙いがあってのことだろう。何せ、三つの国の流通を牛耳れるのは他でもない王国なわけだからな」
そう告げた兄の言葉に、ハールスの脳裏に雷に撃たれたかのような衝撃が走る。その様子を見たレンは、静かに北叟笑んだ。
「―――そうか、魔鉱石の流通……!」
そもそもこの戦争の背景には、帝国が国力の低下を恐れたのと他に、超真鍮、あわよくば魔法銀の技術すらも独占しようとしたことに原因がある。
であれば、帝国、王国、公国の三国で経済を回し、それぞれの国の名産品として魔法銀、神金剛石、超真鍮を輸入し合えば良い。
そうすれば、王国が帝国に一方的に技術提供をする関係は改良されつつ、公国の技術も取り入れることができる。
そして、貿易の中心となる王国には自然と三つの魔鉱石が集まるようになるだろう。これは、一応王国に在住しているハールスやレン達にとっても非常に都合の良い話だ。
「貿易で魔鉱石の流通が盛んになれば、研究に使えるしハルキの成長にも繋がる、か」
「ああ、そうだ。悪い話ではないだろう?」
「でもそれって、得をするのは王国だけじゃないですか? 帝国と公国がそう簡単に受け入れるとは……」
「いや、そうでもないさ、ヒヨリちゃん。確かに、王国ほどじゃないが公国にも十分なメリットはある。戦争を終わらせられるのもそうだが、国の発展に貿易は不可欠だ。その相手が目の前に居るとなれば、断る理由もないだろう」
「じゃあ、帝国はどうなんだい、兄さん? この場合、一番損をするのは帝国だろ? 土地は分断されて、独占するはずだった利益も半減。国としては大きく力を削ぐことになる。まあ、ここまで好き勝手してきた報いなんだろうけどさ」
「ふむ、確かに難しいところではあるな。だがまあ、この国は交渉が得意だからな、きっと上手くやってくれるだろう。とはいえ、ここでこの商談を断れば、国二つを相手取ることにもなる。この号外は、既に王国だけでなく公国と当然帝国にも出回っているようだし、ただでさえ圧政が原因で叛乱が起きている状況だ。下手をすれば自国の民が暴動を起こしてもおかしくはない。帝国としても、これ以上の余計な面倒事は避けたいはずだ」
三人の議論が段々と白熱してくると、それをうるさく感じたのか、突然眠っていたアリサが大声を出してぐずり出してしまった。
おぎゃー、おぎゃー、と静寂を求めた新生児は、母親に抱かれたままゆさゆさと身体を揺すられてあやされると、やがて落ち着いていき、泣き声が少しづつ小さくなっていく。
そしてまた安らかな眠りにつくと無邪気で無防備な寝顔を大人達に見つめられていた。
「だけど、誰よりも安心できるのは、やっぱり子供達ですよね」
「そうだね。早くに戦争が終わってくれるなら、きっとこの子達の未来は明るい。僕達も、安心して見守ってあげる事ができる」
「なあ、ハールス。お前は、子供達に何をさせてやりたい? 商人か? 冒険者か? それとも、家業を継がせるのか?」
兄の質問に、ハールスはゆっくりと首を横に振る。その隣では、日和がくすくすと微笑んでいた。
「何でもいいさ。ハルキも、リョウも、コトネも、アリサも。もちろん、アキラちゃんとミオちゃんだって。自分の想う道、憧れた道、目指した道に進んで欲しい」
「無理矢理家業を継がせる気はありませんよ。やる気の無い子に任せても心配なだけですし」
「おや、中々辛辣だねえ。家の娘は我儘ばかり言った挙句、結局無難に冒険者になって勝手気ままにやっているから、子供に道を任せるのは、不安で堪らないんだがね」
「それでいいじゃないか。勝手気ままにやっての人生さ。人間は森妖精みたいに寿命が長いわけでもなければ不死でもない。短い生をどう生きるかは、その子次第だろう?」
「確かに、な。まあ、何にしても、それは世が平和になってからだ。……子供達の健やかな未来を、我々は陰ながら祈るとしよう」
ハールスと日和、並びにレンは、寝息を立てるアリサを見つめながら、子供達の幸せな希望ある未来を祈った。
――ボダ森林中央部 薬草の群生地への道――
「ちょっ、ちょっと待ってよハルくん!」
うっそうと木々が生い茂る迷路の中を、少年は迷うことなく突き進んでいく。その後ろを転ぶことなく付いて行く少女二人の姿もあれば、冒険気分の子供達に振り回される彼女の姿もあった。
「もう。遅いよ、姉さん」
「ハルくんがどんどん先行っちゃうからでしょ……。森は迷子になりやすいんだから、一人で行くと帰れなくなっちゃうよ?」
「……? 姉さんが迷子にならないために、僕が一緒に行くんだよね?」
「うっ」
不思議そうに首を傾げるハルキに反論できず、アヤネは少しだけ口を尖らせた。
「で、でもほら、他の皆がついていくの大変でしょ? ね、アーちゃん?」
「いいえ、大丈夫ですよ?」
「み、ミーちゃんは?」
「この程度、問題ない」
二人の迷いない即答にアヤネは一瞬だけ呆気に取られると、やがて悔し紛れにムスッと更に口を尖らせた。
「ぐぬぬぬ……」
誰一人として味方につけることができず、ちょっぴり不貞腐れるアヤネだったが、残念なことに、そんな彼女こそがこの中の誰よりも一番子供っぽいのであった。
事実、物心ついた時からここに住んでいたハルキにとって、結界が張られた範囲内だけとはいえ、この森は彼の庭のようなものだ。
だから目印の少ない木々の間を楽々とくぐり抜けられるし、薬草がどういった所に生えているのか、両親直伝の知識と合わせて正確に把握している。
しかし、無邪気さと冒険心が昂ぶる子供達と、大人として冒険の苦労を知るアヤネとでは、行動力に決定的な差が産まれてしまうのもまた事実である。
森は整備されないと至るところに木々が密集し、薄暗い上に背の低い植物や地中二埋まった木の根なんかが邪魔をして非常に足場が悪い。おまけに今のアヤネは薬草の運搬用に寸胴のような籠を背負っているのだから、余計に動き辛いことだろう。
それでも、子供達はそんなのはお構いなしに草木を掻き分けてどんどん前へと突き進んでいくのだ。
そのまましばらく膨れっ面を晒すアヤネだったが、その内にどうでもよくなったので頬を膨らませるのを止めた。代わりにふと気になったことがあったアヤネはちらりと視線をアキラとミオの方へとずらした。
しかし、ハルキが近くに居ると少し話し辛い内容だったので、どうしたものかと考えあぐねていると、その視線に気付いて気を回したのか、先に口を開いたのはミオだった。
「……ん。どうかした? アヤネ様」
「え、あー、いや。その、ね。うん」
「……?」
さて、いよいよどうしたものか、とアヤネは軽く思考を巡らせるも、こういった気まずい空気が苦手は彼女は、いっそここで聞いてしまおうという結論に至った。
ただし、せめて本人に気付かれないよう、こっそり耳打ちで。その後で、ハルキから離れるように一歩だけ遠ざかる。
「ねえ、ミーちゃん。ちょっとアーちゃんも呼んでもらってもいい?」
「ん。わかった」
アヤネが何故小声で話すのか、何を話したいのか疑問に思うミオだったが、とりあえず言われたとおりにしようとアキラの肩を叩いた。
「アキラ、ちょっといい?」
「何よ?」
「アヤネ様が呼んでる。話があるって」
そう言われては仕方がないと、アキラはハルキと離れるのを少し惜しみつつ、アヤネに追いつくように歩く速度を落とした。
「何か―――」
アキラが口を開こうとすると、いきなり唇に人差し指を押し付けられた。
「しーっ。ごめんね、あんまり大きな声で話したいことじゃないから、小声でお願いできるかな? あと、私のことはハルくんと同じでアヤ姉って呼んでね。私、そういう堅苦しいの苦手だから」
「は、はあ。それで、アヤネさ―――アヤ姉様、何かご用ですか?」
アヤネは前方でウキウキしながら歩くハルキを横目に、小声で答える。二人にはちゃんと聞こえるよう、屈みながらなので、すごくしんどそうだが。
「うーんとね、二人はさあ、ハルくんのこと、好きなの?」
その問いに、二人は迷うことなく首を縦に振った。
すると、アヤネはキラキラと目を輝かせてググイと迫り寄る。
「じゃあじゃあ、ハルくんのどんなとこが好きなの?」
「えっと、お料理を美味しく食べてくれるところとか、お手伝いしたら褒めてくれるところとか、れんきんじゅつのお勉強を頑張ってるところとか、あとカッコイイところとか!」
「か、カッコイイ……? カワイイところなら、あると思うけど……」
「初めてご主人様に出会ったとき。うろ覚えだけど、あのとき手を差し伸ばしてくれたご主人様は、とてもカッコよかった」
後は、あの人の肌に触れるととても落ち着くし、あの人の声を聴くと安心する。もっともっと、主の事を褒めようと思えば幾らでも言葉が浮かんで来るが、ミオの口はそれ以上開こうとしなかった。別にこの気持ちを言葉で表せられないわけじゃないのだろう。感じたことをありのまま伝えるくらい、六歳の少女にだってできることだ。現に、アキラはなんの憂いもなくペラペラと想いを伝えている。
―――ただ、主に対する感情を言葉にするまえに、彼女には一つだけ悩みがあった。この一週間、彼と過ごす中で生まれた不安。それがどうしても脳裏を過り、喉元まで出ている言葉を吐き出せないでいたのだ。
「……ん? どうしたのミーちゃん。急に黙り込んじゃって。あ、もしかしてなんか悩んでるでしょ」
そうして、ふとアヤネを見つめてみると、不意に兄の顔が思い浮かんだ。同時に、兄がかつて言った言葉を思い出した。
悩みがあるときは迷わず俺に相談しろ。家の両親は全く当てにならないからな。悩みは抱えるだけ無駄だ。吐き出すことで、気分もスッキリするし、直接解決はしなくとも、その糸口ぐらいは掴めるはずだ。お前は明るいくせして抱え込む所があるからな。俺にできることは少ないが、話を聞いてやることはできる。あ、でもな。もし俺以外に頼信頼できる人ができたなら、その人を頼りなさい。きっと、その人の方が力になってくれるだろうから。
「ほら、悩みがあるなら迷わずお姉さんに言ってごらん。溜め込むより、吐いちゃった方がスッキリするかもだよ?」
どうやらミオにとってアヤネと兄はどこか重なるところがあるらしい。
もちろん、顔が似てるわけでも、性格が同じわけでもない。共通点らしい共通点があるとすれば、歳が近いことくらいだろう。いや、多分同じくらいか。
最早、家に捨てられた―――否、家を捨てた彼女が優しかった兄に逢えることはもうないかもしてない。だからこそ、今目の前にいるアヤネを重ねているのだろう。
「……あの、アヤネ様」
「おっと、私のことは、アヤ姉って呼んで欲しいって、さっき言ったよ?」
「……アヤ姉」
「なーに、ミーちゃん」
ミオはようやく口を開くと、ハルキに聞こえないよう、極限まで小さくした声でそっと呟いた。
「私、ご主人様のこと、好きだと思う。でも、あの人の隣にいると胸が熱くなる。私と晶の二人でいるときでも、あの人のことを考えると胸が苦しくなる」
「…………」
「ねえ、アヤ姉。これって病気?だったら私、ご主人様にうつしたくない……」
悩みがあるなら直ぐに相談しろ。とミオの兄は言っていた。また、他に信頼できる人ができたなら、その人に頼れとも。
アヤネとは今日出会ったばかりの関係であり、まだ信頼に足る人物と判断するのは早いかもしれない。だが、このことを主に直接話すのも違うだろう。もっと違う誰かに問うべき問題だ。
それならば、帰ってからハールスや日和に話しても良かったからもしれない。信頼に足るという意味では、あの二人の方がよっぽど信頼できるだろう。しかし、彼女は今ここで聞くのが良いと思った。ここではっきりさせるべきだと判断したのだ。
彼とこれからも一緒に居たい。その一心で、ミオはアヤネに今の自分の悩みを打ち明けた。
すると、ミオが言い切った後で、晶も自分も同じことを想っていたことを打ち明けた。同じことを感じていると言った。やはり、二人は本当に気が合うようだ。
それを聞いたアヤネは、少しの間沈黙を守っていた。だが、次第に体がぷるぷると震え出し、最後にはニヤリと笑って私達を見た。
「そうだね。それは、確かに病気かもね」
ミオとアキラは衝撃を受けた。本当に今の症状が病気だと言われれば、それは当然動揺もするだろう。だが、アヤネは焦る二人を直様落ち着かせるとそのまま話を続けた。
「違う違う! 勘違いしないで。それはね、悪い病気じゃないの」
「悪い病気……」
「……じゃ、ない?」
アヤネの言う言葉の意味がよく解らず、二人は首を傾げる。
「うん。そう。悪い病気じゃない。恋だよ。恋の病ってやつ」
―――恋。その単語に不思議なトキメキを感じつつも、やはり意味が理解しきれず、傾いた首が元に戻らない。
「ふふふ、まだ分っかんないかな。“恋”っていうのはね。誰かと一緒に居たい! ずっと側に居たい!結婚したーい! っていう気持ちのこと。“好き”って言葉よりも、もーっと大好きって意味だよ」
好きよりも……好き?
その理解がすとん、と二人の胸に落ちた
それはつまり、もっと彼と一緒に居ても良いということなのか?
アヤネはこくりと頷いた。
二人の胸の内から喜びが込み上げる。そして、胸の内がすぅーっと晴れていくのがわかった。
病気は病気でも、悪い病気ではない。まだ、“恋”がなんなのかはよく解らなくとも、少なくとも、これが彼が好く気持ちだということは理解できたはずだ。
「あ、そういえば、さっき二人とも、ハルくんから何か貰ってなかった?」
アヤネに言われて、見ていたいたのかと思いつつ、アキラが懐から先程地下の工房でハルキから貰った青く輝く魔石を取り出した。同じように、ミオもまた緑色に光る魔石を彼女に見せる。
「え!? 何それ魔石!? ハルくんが創ったの!?」
二人は創った本人でもないのに誇らしげに頷いた。
「すご~い! 綺麗~! お父さんが見たらびっくりするだろうなあ。それとももう知ってるのかな?」
すると、何かを思い出したアヤネは腰にぶら下げていた小さな道具袋に手を伸ばした。
「ねえ、二人とも。その魔石ってどうするつもりなの?」
「せっかくご主人様からもらった贈物ですから、このままずっと持っていたいです!」
「お守り。大切にする」
「そっかそっか。じゃあ、私とお揃いだね!」
そう言って袋から取り出したのは、真紅に煌く火の魔石だった。
「アヤネさ―――」
「アヤ姉!」
「あ、アヤ姉……これは?」
「お父さんが創ってくれた魔石。……私にとっても、これはお守りなんだ」
アヤネは木々の合間から僅かに漏れ出る太陽の光に魔石をかざして微笑んだ。
真似をして、アキラとミオも同じように自分の魔石を掲げてみる。すると、透き通る石の中で反射した光がより一層石を輝かせていた。
「……ねえねえ、アキラもミオも姉さんも、さっきから何話してるの?」
流石に気になってきたのだろう。ハルキは振り向いて、後ろで天を仰いで魔石を覗いている三人に尋ねてみた。
その声にふと我に返った三人は、それまでぼうっと上を見上げていたことがおかしくなって、気付けば自然と笑い合っていた。
一方で、どうして三人が笑い合っているのか、当然そんな理由はわからないハルキは頭にハテナマークを浮かべていた。
「うふふ。なんでもないですよ~」
首を傾げる彼を見てクスクスとまだ少しだけ笑いながら、三人は先へと進んだ。
――――――――――
しばらくすると、薬草特有のちょっぴり薬臭い香りが風に乗って漂ってきた。
「お? この匂い……そろそろかな?」
「うん、もうすぐそこだよ。この木の間を抜けた先に……ほら!」
ハルキの案内に従ってようやく迷路を抜け出した一行は、少し開けた場所に辿り着いた。
そこは枝と枝の隙間から差し込む光が陽溜まりとなってその場所を照らしており、その光を我先に浴びようとしてか、青々とした薬草達がそこら中に萌え立っていた。
「わあ―――」
「へえ、結構景色良いね、ここ」
「ん。綺麗なとこ。薬草もいっぱいある」
ハルキの家の地下同様、初めて目にする光景にアキラとミオ、ついでにアヤネまでも感嘆の声を漏らした。
先程まで薄暗く殺風景な景色ばかりが続いていたからか、艶のある薬草が陽の光に照らされる景色はさぞ美しく見えたことだろう。
「ご主人様。これ、全部採っちゃうんですか?」
「ううん。母さんが言ってたんだけど、あんまり採り過ぎちゃうと生えてこなくなっちゃうから、幾つか根っことかを残さなきゃいけなんだ」
薬草は他者の傷を癒やすだけに、自身の生命力も高く、どんな環境下でも自生し、他の葉や根っこさえ残っていれば、一度摘み取ってもそこからまたすぐに生えてくる性質がある。
また、薬草は植物の中でも光合成、つまりは太陽の光が生み出す魔力を特に強く欲するため、こうした陽の当たりやすい場所は高確率で出現するため、群生地になりやすいというわけだ。
材料として使う部分も葉の部分が主なので、無理に根っこまで抜いてしまう必要もない。折角育ち易い所に生えているのだから、ある程度は残して次の機会に収穫すれば効率も良いというわけだ。
「さてと、それじゃあ始めちゃおっか。早く終わらせて、叔母さんから報酬もーらおっと」
背負っていた籠を降ろしたアヤネの号令の下、おー! とハルキが元気よく拳を突き上げると、アキラとミオもそれを真似して拳を天に向けた。
―――数分後。
籠の中を覗いてみると、寸胴の大体三分の二程度を埋める量が集まっていた。
「お、結構集まったんじゃない? これだけあれば十分でしょ?」
アヤネの言葉に、ハルキは頭を左右に降った。
「ううん、足りないよ。いつもだったら、この籠いっぱいに薬草が採れるはずなんだけど……」
「あれ、そうなの? じゃあ、前にちょっと採り過ぎちゃったとか?」
「うーん、違うと思う……」
「……そっか。まあ、そういう日もあるよ。今日は運が悪かったんだね」
薬草は植物であると同時に、高密度な魔力の塊でもある。植物の育ち易い木属性エネルギーが豊富な環境や太陽の光が当たる場所は薬草にとって必要な魔力が溜まり易い環境であるため、高確率で出現する事がある。
裏を返せば、運が悪いと例え群生地になるようなエリアであっても出現しないこともまま有り得るというわけだ。
「さ、今日はもう帰ろ。あんまり遅くなると、お母さん心配するよ?」
「うん……そうする。あれ? アキラとミオは?」
辺りを見渡すと、いつの間にかアキラとミオの姿が消えていた。ハルキとアヤネが二人を探そうと名前を呼ぶと、森の更に奥の方から返事が聞こえてきた。
「ご主人様ー! こっちの方にいっぱいありますよ!」
「すぐ戻るから、待ってて欲しい。いっぱい薬草採ってくる」
「あ、ちょっと待って二人とも!」
歩きながら喋っているのだろう。二人の声がどんどん遠ざかっているのが分かる。ハルキの声も聞こえていないらしい。
恐らくはハルキの役に立ちたくて起こした行動なのだろうが、流石に女の子二人だけで森を出歩くのは危険過ぎる。それにここは結界の直ぐ傍であり、これ以上進むと誤って外に出てしまう可能性がある。いや、もう出てしまっているかもしれない。
「ハルくん、一緒に二人を探しに行こっか」
「うん! お願い、姉さん!」
ハルキは勝手に奥に行ってしまった二人の事が心配になり、不安な表情を見せるが、アヤネが彼の頭を撫でて安心させると、離れないよう手を繋いで急いで森の奥へと向かった。
「アキラ―! ミオ―!」
「ミーちゃん! アーちゃん! 何処ー?!」
声のした方角を頼りに二人の姿を探すも、果たしてすぐに見つかるかどうかはわかない。
つい先程まですぐ側にいたのだから、そう遠くまでは言ってないはずだが、ここまで奥まってくると、森も迷宮として本領を発揮してくる。
今聞こえた二人の声ですら、森の木に木霊して聞こえてきただけで、アヤネ達が探している場所とは全くあさっての方角だったとしてもおかしくはないだろう。
まあ、ここから遥か北の大地には、この森とは比べ物にはならない程広く、年中霧に包まれた正真正銘の『迷いの森』があるというが、今はそれは置いておこう。
「あっ! 見つけた!」
声を上げたのはハルキだった。
数秒か、数分か、気の焦りと変わらない景色のお陰で時間の感覚がおかしくなってきたが、走り回っているうちになんとか無事に二人を見つける事ができた。予想はしていたが、呑気というか真面目なのかと言うべきか、こうしてあちこちに生えた薬草を掻き集めるアキラとミオの姿を見ていると、嫌でも悪気がないのが伝わってきた。あまりに夢中で、二人の存在にも気付いていない。
それでも、据えるべき灸は据えなければならないと思ったアヤネとハルキは、安堵に胸を撫で下ろすと共に眉間に皺を寄せた。
「アキラ! ミオ!」
ハルキの怒声に二人はビクリと身体を震わせて振り向いた。
「「ご、ご主人様!? と、アヤネ様!?」」
「私の事はアヤ姉で良いって言ってるでしょ!? って、違う違うそうじゃない。あ、ハルくんはここで待っててね」
アヤネが二人に近づこうとすると、何かを潜り抜けるような感覚を覚えた。やはり、二人は結界の外に出てしまっていたらしい。
今の彼女には武器も無ければ防具も無い。魔法も使えない事は無いが、今ここで魔物に襲われでもしたら、如何に冒険者の資格を持つ彼女でもまともに太刀打ちできないだろう。そうなってしまう前に早く連れ戻さなければ。
「もう、ダメじゃんか二人とも! 勝手にどっかいっちゃって! ハルくんも心配してたんだからね!」
「そ、それは……。申し訳ございません……」
「ごめんなさい。私達、もっと、ご主人様の役に立ちたくて……」
二人がハルキの顔を確認すると、腫れあがりそうなくらいにぷっくりと顔を膨らませていた。彼なりに怒っているというサインなのだろう。
アキラとミオは大分ショックを受けたようで、アヤネとハルキは少し罪悪感を抱く。アヤネに至っては、元々あまり人を叱ることに経験が無かっただけに余計にだろう。
「ああっ、ごめん。ちょっと言い過ぎた。そうだよね、悪気があってやったわけじゃ、ないもんね?」
二人が酷く気を咎めている様子に、アヤネとハルキまでも同じような気分になり、数瞬の間気まずい沈黙が保たれてしまう。
ハルキもアヤネも何とかして二人に言葉を掛けようとしたが、その沈黙を破ったのは、何者かが蠢く異様な気配であった。
―――ガサッ、ガサッ、ガサッ
「―――誰!?」
アヤネが物音がした方向に振り向くも、彼女の声が木霊するばかりで、何者の姿もそこにはなかった。
「気の所為、だよね……?」
しばらく草むらを睨みつけ、訝しむアヤネだったが、どれだけ待っても感じた音の正体が現われることは無かった。
「あの、アヤネさ―――アヤ姉、様……」
「……あ、あ、あ」
「ん? どうしたの、二人とも?」
見れば、アキラもミオも身体をぷるぷると震わせ、顔を青ざめた様子でアヤネを凝視していた。
―――え、私そんなに怖い顔してる?
顔をぺたぺたと触り、心の中でショックを受けたアヤネは今すぐにでも鏡を確認したくなったが、流石にそういうわけにもいかない。
「とにかく、ここはもう結界の外だから、お説教はまた後で―――」
兎にも角にも今は一刻も早く二人を連れ戻さなければならない。仕方がないので、一旦肩の力を抜いて二人に近づこうとすると。
「姉さん! 後ろ‼」
「―――え……」
ハルキが叫んだ直後、鈍痛が彼女の胸部――心臓があるであろう部位――を貫いた。
「いやああああああああああ!?」
「あ―――あ―――あ―――」
少女の絶叫が周囲の木々を震わせた。腰が抜け、摘み取った薬草をポロポロと落としながら、ぺたりと地べたに座り込む。
「―――が、あ……なに、これ……」
喋ると口から血が飛び出し、身体から力が抜けていく。見れば、胸にぽっかりと穴が空いているではないか。
これは比喩でも何でもない。透明な管か何かが突き刺さっているように、拳大の穴が不自然に空いているのである。
いや、事実、何かが突き刺さっていた。出血で薄れ行く意識の中、ぼやけていく視界の中で、アヤネは自分の胸を貫いた半透明の凶器をうっすらと肉眼で直視したのだ。
しかし、抵抗する力も既に無く、アヤネはだらりと四肢をぶら下げて襲撃者の顔も分からないまま、静かに瞼を閉じてしまった。
「―――ゲヒャヒャヒャッ‼」
下卑た嗤い声と共に血の滴る“槍”を引き抜かれ、地に伏す彼女の身体の影からその醜悪な面貌が露わになった。
頭部には角の様な小さな突起、ギラギラと光らせながらもどこか焦点の合わない眼球、高く伸びた鼻、そして舌なめずりする口元には剥き出しの牙が荒々しい吐息に晒されていた。
身体の所々に生傷らしき跡があり、身に着けている衣服はボロボロに使い込まれたただの布切れ同然に見えるが、履いている靴だけはやたら真新しいものだった。
―――“靴を履いた”小鬼
小鬼とえば、ありふれたファンタジー世界で登場するザコキャラの一種。背が小さく醜悪な顔つきで、集団で襲い掛かり時には狡猾な一面を見せ、更には女子供を攫っては悪逆の限りを尽くす魔物。というのが、傍観者諸君の一般的な見解だろうか。
実際、元ネタとなったヨーロッパ地域に伝わる伝承では、小鬼はイタズラ好きの妖精であるという言い伝えがあり、子供たちのしつけ話にも用いられる。
諸説はあるが、その中の一つに、「ゴブリンは子供には見えて大人には見えず、靴をあべこべに履くと姿が見えるようになる」という話が存在する。
そう。そこになぞらえて、この世界の小鬼は靴を履くと姿が見えなくなる特性があるのだ。ただし、野生の小鬼に靴を作れるだけの知能と技術は持ち合わせていない。代わりに旅人や弱い冒険者の持ち物や装備を奪い、利用することで道具を得ているのだ。尤も、武器は自作できるようだが。
大方、あの靴もいつか迷い込んだ誰かから奪い取ったものなのだろう。
これだけ至近距離に居ながら気付けなかったのも、その特性の所為というわけだ。ただし、アヤネの歳は十八歳。大人と子供の境界線にいた彼女なら、認識さえできればうっすらとその姿が見えていたかもしれない。
一方で、ずっと不可視の存在が見えていたアキラとミオにとっては、恐怖でしかなかっただろう。ましてや、目の前で人を貫く様を見て、たった六歳の少女達が恐怖心を抱かないはずがない。
「ヒャ、ヒャ、ヒャ―――!」
「ひっ!」
「たすけて……」
槍を構えて口を歪ませる小鬼に二人は小さな悲鳴を上げると、奴がアヤネの身体を踏みつけてゆっくりと近づいてくる。
先程の話を踏まえると、野生の小鬼が狙うのは若い女子供だ。男や老人はその場で即座に殺すが、基本的に獲物は巣へと持ち帰る習性がある。子供は鮮度を保たせるために捕縛して食糧に、女は繁殖に用いた後使えなくなれば食糧に、そして仕留めた死体もやはり食糧に。
手に入れたモノを余すとこなく利用するだけ利用して使い潰す癖は、人間にも似た狡猾さがあるだけに余計に性質が悪い。
本来は生かして持ち去るはずのアヤネを刺したのは、その方が合理的だと判断したのだろう。人程の知性と理性がないとはいえ、奴も自分が大人には見えていないという状況は理解している。ましてや、他の小鬼達の姿も見えない。だからこそ、不意打ちできる相手を選んだというわけだ。
そして、狡猾で残忍な襲撃者は、真の獲物に狙いをつける。襲い、奪うなら力の弱い少女が持ってこいである事を認識しているのだろう。特に、少女であれば使いようは幾らでもある。
「姉さん……! 姉さん! アヤ姉さん!」
「―――ァ?」
小鬼の視線が背後に逸れる。振り向いた先には、結界から飛び出してしまったハルキの姿があった。
しかも、ずる賢い小鬼にとっては、涙ぐむ少年はとても弱っちく見えたらしい。
下種な笑みと槍の矛先が少年に向けられると、小鬼の頭に小石がぶつかってきた。それも一つではなく、二個、三個、四個と次々に飛んでくる。
鬱陶しく思った小鬼がもう一度振り返ると、アキラとミオが必死になって近場にあった小石を投げつけていた。
「このっ! このっ!」
「ちか、づくな……!」
獲物の無駄な足掻きに怒りにを覚えた小鬼は、舌打ちをして標的を再度変更。雄たけびを上げながら槍を突き出した。
「や、やめろ……やめろ……やめろーーーーー‼」
瞬間、小鬼の動きがぴたりと静止した。突き出された槍は寸でのところで停止し、小鬼の身体自体も宙に浮いたまま止まっている。
「ガ、ガガ、ガ……?」
身体に自由が利かないことに、愚かな小鬼は疑問を覚える。脚は動かず、腕も振るえず、大きく声を出すことすらままならない。当然、自分の身に何が起こったのかその小さな頭では理解できるはずもない。
しかし、本能的に恐怖を感じとった奴は、なんとか首だけ動かして、脅威となり得る存在を凝視する。
「お前が、お前が、姉さんを……」
少年は慟哭の瞳に憎しみの炎を宿らせ、眼光で怨敵を貫かんと睥睨する。
「お前なんて……消えろ! 消えろ! 消えちゃえーーーーっ‼」
無意識だったのかそれとも意識的に行ったのか、少年が右手を構えて叫び出すと、その手の甲から眩い閃光が放たれた。
「グ……ギ、ガ……アア、ガァ……!?」
声にならない絶叫を上げて苦しむ小鬼。その時奴は、自分の身体がボロボロと崩れていく様を目にした。
そこにあったのは、驚愕か、恐れか、絶望か。人程の感情を持たない獣が何を思ったのかは知る由もない。いや……そもそも、感情を挟む余地があったのか。一瞬にして消え去った下賤な魔物には、最早思考する暇さえ与えられなかっただろう。
光が治まると、そこに存在していた筈の小鬼の姿はなく、代わりに身に着けていた物だけがそこに残されていた。
「い、いったい……」
「なに、が―――」
目の前で起きた現実を直ぐには受け止めきれず、アキラとミオまでが先程の魔物のように固まってしまう。
しかし、ぱたり……という音に釣られて我に返ると、考えるより先に駆け出していた。
「ご主人様っ!」
「ご主人様……!」
不思議な現象の後、少年はふらふらと重症を負って地に伏すアヤネの身体に覆いかぶさる様に倒れ込んでいた。
薄れゆく意識と狭くなる視界の中、アヤネの身体に空いた大穴を見て、動かない口の代わりに心が必死に叫んでいた。
―――姉さん……姉さん……!
―――どうして、どうしてこんなことになったんだ……!
―――父さん……母さん……叔父さん……!
―――お願い……誰でもいい……アヤ姉さんを助けて……!
―――姉さん……生きて……死なないでぇ……!
しかしそんな願いも虚しく、ハルキの意識はそこで途切れた。
―――――――――――――
かくして、行場を無くした少女達は苦難の果てに幸せを手にした。
一方少年は、ひょんなことから新しい家族を迎えることとなった。
かと思いきや、物語は悲劇で幕を下ろした。
これから描かれていくのは、彼と彼の家族を巡る、それはそれは壮大な物語だ。
え? 何故ここで語り部が出てくるのかって? そりゃあ、たまには顔出さないと、忘れられそうだからね。まあ、実はちょいちょい口を挟んでいたんだけれど。
さて、傍観者諸君。序章はこれでおしまいだ。めでたし、めでたし―――とはいかないけれど、一旦ここで区切りとしよう。
ああ、そうそう。こちらの話を読みに来てくれても嬉しいけれど、あちらの物語も是非読んでみて欲しい。それもこの場を借りて伝えておくとしよう。