第三話 出逢い
星空煌めく深夜の森。昼動く獣は寝静まり、月光が木々を照らし、季節によっては虫達の合唱が耳に安らぎをもたらしてくれる。
君達の世界の『森』なら、そんなとこだろうか?
だが、この世界の『森』は違う。
『月の魔力』というだろう? 太陽が生命を育むものなら、月は魔力を与えるものだ。わかりやすく言えば、HPを与えるかMPを与えるかという話。そもそも天体というもの自体、魔術的な関わりが強い存在なのだ。
日が堕ち、月が昇り、明かりが魔物達を照らすとき、血に飢え肉に飢えた者達が獲物欲しさに縄張りを徘徊し始める。
暗がりの中、邪悪な影が捉えたのは二人の少女だった。
奇声が上がる。
―――ニンゲンダ! ニンゲンダ!
叫声が轟く。
―――エモノダ! エモノダ!
腹を空かせて喚き出す。
―――メシダ! メシダ! メシダ!
森中が、そんな嗤い声で支配される。
命の危機を感じ、少女達は走り出した。如何に幼い少女といえど、極限状態であれば、本能的に殺気を察知することはできる。
離れ離れにならないよう、互いに手を繋ぎ、真っ暗で視界の悪い森の中を疾走する。
――――はっはっはっはっ………!
だが、彼女達に逃げ切れるだろうか? 既に身体はボロボロで、走り始めたばかりだというのに息も切れている。
恐怖という感情と生存本能が彼女達を突き動かしているものの、これでは時間の問題と言わざるを得ないだろう。
後ろを見れば、複数の影が彼女達を追いかけている。
木々の隙間から月明かりが漏れているため、断片的に襲撃者の姿を確認できた。
獣の皮で作ったであろう粗雑な衣服。頭には小さな角。薄緑の汚らしい肌。手には木の棍棒かはたまた動物の骨かを持ち、赤い瞳が暗闇で線を描いて追ってくる。
《小鬼》。
森や平地、山岳部等に広く分布するに住む下級の魔物。こんなにも醜悪な顔と凶暴な性格をしているが、これでも妖精の一種だというから驚きだ。
下級のモンスターであるため、一体一体は然程強い魔物でもない。だが、彼らは狡猾であり、残忍であり、快楽的だ。
個々の力は弱くとも、群れで行動し、じわじわと獲物を追い詰めいく。獲物が疲れたところで一気に攻め入り、最後はその肉を貪り、歓喜の嗤いを上げるという。
例え鍛え抜かれた《冒険者》でも、数の暴力に対抗するには骨が折れる。そんな相手に、既に疲弊して戦う術も知らない少女達が敵う筈があるだろうか。
状況は絶望的と言って良い。
しかし、それでも二人は走った。生きるために、いや、生きる希望を探すために。
捨て子となった彼女達には、居るべき居場所が存在しない。いっそ、ここで喰われてしまうのも一つの手だっただろう。
それでも生きる。それでも探す。それでも走る。
二人は兎に角、人のいる場所を目指した。しかし、見渡す限りの木、木、木。とても助けてくれるような誰かが居るとは思えないような状況だ。
幸いなことに、小鬼達は手加減してくれているらしい。
人数差で勝っているのだから、回り込んで取り押さえれば良いものを、後ろからじわじわと追い詰める快感に魅了され、ケタケタと嗤っている。
少女達が必死で走る中、木の幹か小石か何かに蹴つまずいて転ぶと、群れで一斉に笑い飛ばすのだ。
正に慢心。正に傲慢。
あまりにも屈辱的だが、それまでもっと酷い目にあってきた彼女達にとっては何てこともなかった。直ぐに立ち上がって、また走り出す。
ふと、奴らの嗤い声がいつの間にか聞こえなくなっていた。それどころか、森中が妙に静かだ。
奴らが諦めて帰った、というのはあまりにも不自然すぎるし、唐突すぎる。
だが、現にそれまで渦巻いていた殺気という殺気が消え失せているのもまた事実である。
ひとまず休めることの安堵の思い故か、二人は近場にあった木を背もたれにして座り込んだ。そして、強烈な眠気に襲われる。
ここまで死に物狂いで逃げ切り、限界を超えて疲弊しているのだから当然だろう。
しかし、ここで眠っても良いのだろうか。
最早、彼女達には逃げることも隠れることもできない。もし、ここでまた魔物に襲われでもしたら、今度こそ終わりだろう。
幼い身でありながらも、自身の死期の予感してしまうものだ。
朦朧とする意識の中、二人の脳裏にこれまでの出来事が走馬灯として蘇る。
走馬灯というものは、一説にはそれまでの人生の経験から解決策を見出そうとする生存本能だと言われているが、皮肉なことに、虐げられてきた記憶しかない彼女達には、解決策どころか嫌な思い出ばかりが蘇るのであった。
その中の一つ、ある出来事が思い返された。
――一千万の花瓶を割った――
たったそれだけの事で、二人は屋敷から追い出され、今こうして死の間際にいる。
ああ、なんて安っぽい理由なのだろう。そんな安っぽい悪意に翻弄されて彼女達の人生は狂わされていたというのか。
途切れ途切れの意識の中、彼女達の胸はそんな悪意に対する悔しさと無念が渦巻いていた。
そして、ぷつん、と糸の途切れた人形のように、二人の少女は眠りについたのである。
――ボダ森林中央部 とある家――
翌朝。
日が昇り、星々の輝きが消え、真っ暗だった地上が徐々に色を取り戻していく。
小鳥のさえずりと共に光を追えば、太陽が照らしていたのは一軒の家だった。
しかも、その家は森の中にポツンと建てられており、更にはその周囲の木々が不自然にも円を描くように取り除かれているのである。
まるで、魔女でも住んでいそうな家。その扉が、ガチャリと開いた。
出てきたのは少年。それも、六歳ぐらいの幼い子供だ。
彼に続いて、屋根の下から現れたのは魔女―――ではなく母親と思しき女性だった。しかも、お腹を大きく膨らませた、妊娠九ヶ月程の妊婦だった。
「さてと。そろそろ行きましょうか、ハルキ」
「うん!」
少年――ハルキ・ブラット――は元気よく返事を返すと、母に代わって扉を閉めた。
ハルキは、錬金術師の父と薬師の母の間に産まれた男の子だ。外見的には特にこれと言って特徴は無く、年相応の無邪気な笑顔を見せる、どこにでもいる普通の男の子である。
強いて身体的特徴を言えば、黒髪と少し身体が小柄なくらいだろうか。
「ねえ、母さん。本当に動いてだいじょーぶなの?」
「もう、ハルキったら。お父さんと同じ事言って」
「だって、ムリしちゃダメなんでしょ?」
「そうだけど、お母さんは無理なんてしてないわよ。それよりも、ずうっと、屋根の下に居る方が嫌なの。身体がなまっちゃうわ」
そう言って、母はぐるぐると肩を回した。
彼女がハルキの母、春野日和。
此処、西の大陸から海を渡った極東の島国出身であり、腕の立つ薬師である。
現在は第四子を妊娠中であり、本当なら家に籠もって安静にするべきなのだが、どうにもじっとしてられないらしい。全く困ったものである。
外に出た彼らを出迎えるのは、木々が生い茂る爽やかな景色だった。朝の暖かな日差しと森の空気が少年と母親を包み込み、気分をより一層爽やかにしてくれる。
夜になると魔物が闊歩する――もちろん、昼間も出ないわけではないが――危険な場所となるが、日が昇るとこうして自然の空気がおいしい豊かな地となるのも、森の特徴の一つだ。
正に、裏と表があるというか、いやはや、自然とは不思議なものだ。
そんな今は表の顔を見せている森に彼らが出てきた理由は、薬草採取をついでとしたウォーキングという所か。
薬草採取自体は薬師という職業柄、日和にとっては日常であり、半ば趣味のようなものでもあるのだが、やっぱり妊娠してる身で出歩くのは流石にどうかと思う。
実際、夫にもとやかく言われた彼女だが、軽くやり過ごしては持ち前の気の強さで乗り切り、今こうして外出しているのである。
一方、息子であるハルキをは幼い身ながらもそんな母を心配してついてきたのだが、一度こうして外に出ると、やれ冒険だ、やれ探検だ、と如何にも子供らしい想像を思い描きながら母の薬草採取を手伝うのであった。
生い茂る草花の匂いを嗅ぎ、風に揺れる木々と小鳥が歌うささやかなメロディーを聴き、木の枝を手にとっては乱暴に振り回し、そして危ないからと母に叱られる。
そんな愉快な薬草探しの途中、ポツリ、ポツリ、と雨が降りだした。
雨はみるみるうちに激しく急な豪雨となり、親子は急いで木の下に避難した。
「ハルキ、大丈夫?」
「うん、だいじょうぶ。ちょっとだけ濡れちゃったけど」
日和はお腹の子に気を使いながら、息子の方を見る。確かにびっしょりと濡れているわけではないようだが、服が湿っているのが目に見えた。確認すれば、自分も似たような状況らしい。
「はぁー、折角ハールさんに啖呵切って外に出たっていうのに……ついてないわぁ」
残念なことに、現在地から家までは少し距離がある。走って行くにしても遠い程だ。
さて、どうするか、と思慮深い母親は思考を巡らせた。
仮に雨の中を走って行くとしても、お腹の赤ん坊の事を考えれば、あまり激しい運動をするわけにも行かない。泥濘んだ土の上を走って転んでしまえば、命に関わるだろう。だからこれはまず選択肢から除外する。
可能性があるとすれば、夫がこの事態に気付いて迎えに来てくれることだ。
しかし、錬金術師を営む夫は日がな一日地下に籠り切りになることが多く、更に厄介なのが研究に没頭して周囲に気が回らなくなってしまう癖がある。多分、今もこの豪雨に妻と子供が晒されていることに気が付いていないだろう。まあ、実を言えば、研究者気質なのは日和もあまり人のことが言えないのだが。
だったらハルキを向かわせて、この事を直接知らせるべきだろうか? いや、と日和は頭を横に振る。
確かにその方が合理的ではあるが、愛する息子を雨の中走らせて、風邪を引いてしまったらどうするというのだろうか。そんな事をすれば、自分は親失格だ。これから産まれてくる子の為にも、そんな真似はをする親にはなりたくない。
……かといって、ここで立ち往生して二人で風邪を引いてしまう方が問題だろう。
「……お手上げね。ハールスさんが早く気付いてくれることを祈るしかないわ」
元を辿れば自分の不手際でもある。なんとか身体を温めながら、救助を待つか雨が通り過ぎるのを待つ方が賢明だろう。
そう結論付けて、大きく溜息をつく日和に、ハルキが突然騒ぎ始めた。
「ねえ、母さん。あれ!」
「どうかしたの?あっちに何があるの?」
ハルキは、母親の手を引きながら、森の奥まった方向に指を指した。
訝しがりながらも、日和は息子の指し示す方向に視線を向けると、そこには、二つの人影が木にもたれ掛かる形で倒れているようなものが見えた。
森というフィールドはただでさえ鬱蒼とした木々のおかげで見晴らしがあまり良くなく、さらには雨の所為で視界が悪いため、相当目を凝らしたことだろう。
一度、人型の魔物ではないかと警戒したが、それは違うとすぐに結論が出た。
というのも、実は森の中にある家の半径ニキロ圏内には魔除けの結界が施されており、魔物はそこから先に寄り付かないようになっているはずだからである。
確かに、ここはその結界の外ギリギリの位置ではあるが、ここまで魔物は絶対に入り込まないはず。もしそんなのが居たら、急いで森から脱出しなければならないだろう。
つまり、消極的にあれが人間であることは推測できるのである。或いは、木や草の影が人の形をしているのだけなのかも。
と、そんなことを考えている間に、日和はいつの間にか息子が自分の手元から飛び出していたことに気付いた。
「あっ、ハルキ!待ちなさい!」
止めに入る日和の声は土砂降りの雨音に搔き消されて聴こえ辛く、必死になった彼の耳には届かなかった。仕方がないと苦悩しつつも、彼女も雨の中を追いかけていった。
影に近づくと、正体はやはり人間だった。それも年端も行かない少女が二人。
一人はオレンジ掛かった赤い栗毛の少女。一人は細身で黒髪の少女だった。どちらも服がボロボロで、外見年齢はハルキと変わらないように見える。
「大丈夫!?」
ハルキは必死に声を掛けて少女達の身体を揺する。すると、ゆっくりとその瞼が開かれ、虚ろな瞳が少年を見つめていた。
ボロボロなのは服だけでなく、身体のあちこちに傷がついており、酷く衰弱しているように見える。そんな状態でこのまま雨を受け続けていたら、死んでしまうかもしれない。
そう思うとハルキは居ても立っても居られなかったが、僅かに、ほんの僅かにだけ二人の唇が動いたのを目撃する。
―――たす、けて――
確かに、そう言った。声としては余りにも小さく、雨の音に掻き消される程弱々しい叫びだったが、少年の耳には確かに届いたのである。
変わらずその瞳に灯る光は小さいものの、そこには生きようとする強い意思があった。それを主張するかのように、二人の少女は目の前の希望に向かって手を伸ばす。
少年は、ゆっくりとその手を掴み取る。冷たい雨の中、掌に確かな温もりを感じた少女達は、僅かな安堵の息と共にもう一度、その瞳を瞼の裏に隠してしまうのであった。
「ハルキー!」
背後から聞き慣れた母の声が聞こえた。
先程の位置からここまで、対して長い距離ではない筈だが、少年には随分遅い到着のように思えた。妊娠しているから、ということなのだろう。
「母さん!はやく!この子たちをみてあげて!」
ハルキは二人と手を繋いだまま母に言う。
日和は此処に来て改めて事の重大さを認識し、頷いて膨らんだ腹部を傷つけないよう、ゆっくりとしゃがみ込んだ。
「大丈夫。眠っているだけよ」
それを聞いてハルキは安堵の息を漏らすも、問題はどうやってこの少女達を連れ帰るかだ。
非力なハルキはともかく、日和はとても二人も抱えて走れる身体ではない。これまたお手上げの状況だ。
日和が再び思考を巡らせると、思いの外妙案は直ぐに浮かび上がった。浮かびがったが、親としてはあまり手段として取りたくない“あれ”だった。
しかし、迷っている暇はない。親としては自分の子供を最優先にするべきだろうが、人として、ましてや医者としては、目の前で事切れそうな命を見過ごすわけにはいかない。
「ハルキ、先にお家に帰って、お父さんにこの事を伝えて。あの人の事だから、どうせ研究に夢中になって雨の事なんて気づいていないわ」
「で……でも……」
「大丈夫!ちゃんとお母さんが診ていてあげるから。心配しないで」
日和は自分が羽織っていた上着を二人に被せ、心配する息子に言う。
ハルキは意識のない彼女達を見つめるが、意を決して踵を返し、真っ直ぐ家まで走った。
今まで出したことのない速度を出し、一歩一歩を踏み込む脚に力が籠もる。雨で泥濘んだ地面が邪魔をして、途中水溜りで転けて泥だらけになってしまっても直ぐに立ち上がってまた走る。
木々の間をするすると駆け抜けて行った先、鬱蒼とする森の中で嘘のように開けた庭に出る。そして目の前には木造りの我が家があった。
ハルキは濡れた手で扉を開き、父が仕事をしているであろう地下の研究室に向かった。
「父さんッ‼」
石造りの壁の扉をバンッ!と開け、大声で父の名を叫んだ。
「うわっ!」
次の瞬間、ボフン!とフラスコから煙が上がった。
「あー……えっと……だいじょうぶ……?」
申し訳無さそうにハルキが声をかけると、父親は咳き込みながら応えた。
「ゲホッ、ゲホッ!こらっ、ハルキ……ゲホッ!いきなり扉を開けたら、ダメじゃないか……ゲホッ、ゲホッ!」
「ご、ごめん……父さん……」
ハルキの父親、ハールス・ブラット。
この辺りでは名うての錬金術師として通っており、魔法や魔物、医学などの知識にも精通している。
論理的かつ理性的な思考の持ち主だが、家族への愛は人一倍であり、人情あふれる理想的な父親と言っていいだろう。
ただ、こうして研究に没頭したり、調べ物をしたりすると、周りが見えなくなるのが玉に瑕な人なのだが。
「って、どうしたんだ、ハルキ!そんなに泥だらけになって。まさか、外は雨が降っているのか!?ヒヨリは、母さんは家に居るのかい?」
「それが……大変なんだ!あの子達を助けてあげて!」
ハールスは肩で息をする息子の姿に疑問を抱きつつ、事情を伺った次には顔色を変えながら、ポールハンガーに掛けてあったローブを手に取った。
「ハルキ。母さんの場所は分かるな?」
「うん。あっちからずっと真っ直ぐにいったところ」
ハルキは自分が走ってきたであろう方角を指差した。
すると、ハールスはゆっくりと眼を閉じ、息子が指差す方角に手をかざした。
―――傍観者諸君もよく聞くだろう?優れた戦士は生物が放つ殺気を感じ取り、優れた魔術師は大気中の魔力の流れを敏感に察知できるというあれだ。
優れた錬金術師であると同時に魔術師でもあるハールスにも、当然その能力は存在している。
ましてや、結界という術者自らが作り出したテリトリーの範囲内であり、方角も指定できたのだから、把握するのは容易というものだ。
実際、彼が自分の妻と息子の言う「二人の女の子」の位置を特定するのに、然程時間は掛からなかった。
「よし分かった。父さんが行ってくるから、ハルキは先に着替えて家で待っていなさい」
瞼を開けたハールスはハルキにそう言い聞かせたが、息子の眼差しを見て、そんな気遣いは不要であったことを悟る。
「ううん! 僕も行く!ほっとけないもん!」
「……そうか。なら、ちょっとこっちに来なさい」
ハルキは言われるがまま、急ぎ足で地下室を出ていく父親について行った。雨の降る庭を渡って玄関まで到達すると、一度中に入って彼の直ぐ隣に立たされる。
「良いかい? 繋がったら、まず母さんと一緒にその女の子をこっちに運ぶから手伝いなさい。そしたら、母さんを中に入れて直ぐに戻るんだぞ」
「うん!」
息子の元気な頷きに応えるように、ハールスは玄関の扉に手を伸ばす。
「《転移門》」
彼が一言そう発しながら扉を開けると、目の前には大きなお腹を抱えながら二人の少女を抱えて座り込む日和の姿があった。
《転移門》。名前そのままに、空間に場所と場所とを繋げる《門》を生成し、物体そのものを空間転移させる《魔法》である。
ただし、転移先の条件として『自身が行ったことのある場所』に限られる所が少々何点ではあるものの、移動手段としては最もメジャーな魔法だと言っていいだろう。
本来なら、空間に歪みを発生させて《門》を生成するのだが、応用として『何でもいいから扉に手を掛ける』という工程を経て付与すれば、このような芸当も可能だ。
そう、これがこの世界の《魔法》である。まあ、詳しいことはまた別の機会にでも語るとしよう。
「ハールスさん!ハルキ!」
日和が救出に来た二人の名を叫ぶ。
ハルキのようにずぶ濡れの泥だらけとまでは言えなくとも、三人とも衣服は十分に湿っている。お互い風邪を引かないためにも、事は迅速に済ませるべきだろう。
日和は直ぐに少女達をハールスに手渡し、ハルキは彼女達が落ちないよう、下から支える手伝いをする。
二人をその腕に抱えたハールスは直ぐに《門》を通じて彼女達を家の中に運ぶ一方、お腹が邪魔をして上手く立ち上がれない母をハルキが手伝い、駆け足で二人同時に《門》の中へ入っていった。
「ふう、ありがとう二人とも。助かったわ」
「ふう、じゃないぞ全く。だから僕は反対したんだ。あのまま雨の中に晒され続けていたら、どうなっていたことか」
「でも、お陰であの子達を見つけられたんだから良いじゃない。迎えに来てくれるまでずっと診ていたけど、体中傷だらけで服もボロボロ。私なんかより、ずっと危ない状況だったはずよ」
玄関で一息つく日和に対し、一つ説教をばと思っていたハールスだっだが、それを言われては立つ瀬がない、とばかりに頭を掻いた。
言いたいことは幾つかあっただろうが、ニッコリと笑う妻とその後ろで胸をなでおろしていた息子の姿を見て、やがて諦めたのか大きく溜息を吐いた。
「わかった、わかったよ。取り敢えずまずは靴を脱いで、手伝うから服を着替えよう」
「あの子達は?」
「暖炉に火を灯して、今は床で眠らせている。後で合う服を探してあげよう」
日和は夫の意見に頷いて了解の意を示すと、言う通り靴を脱いでフローリングに足を乗せた。
「へっくち!」
すると、その横でハルキが可愛らしいくしゃみを一つ。思えば、今一番風邪を引きそうなのは彼なのかもしれなかった。
「あらあら、まあまあ。そうよね、一番頑張ったのは貴方だもんね」
「仕方ないなぁ。すぐに風呂を沸かすから、お前はまず体を洗ってきなさい」
「ふぁーい」
鼻水を垂らしながらの間の抜けた返事。それによって、冷たい雨が屋根を打ち付ける最中、森の中央では家庭の暖かな笑みで満ち溢れていたのであった。