覚悟
「うふふふふ。記憶は戻りそう?」
「!!」
俺は思わず席を立つ。なぜそのことを知っているのだろうか。アネルミアは表情を崩さない。
「アイってハーフの妖精にあったでしょ。あの子は心が読めるのです。バレンに人間の感情があることもこの世界でない記憶があることも全てわかっています」
心が読めたからあんな見透かすような発言をしていったのか。
「……じゃあ俺のすべての記憶も」
「さすがに本人が憶えていないことまではわからないです。そしてその記憶が真実であるかも」
そういって膝立てに膝を立ててこちらをみるアネルミアはとても面白そうに目を細めた。
「この世界でない記憶が私もあります」
「!!」
「もう魔女として280年は生きているからうろ覚えだけど現代日本で命を終えた記憶があります。前世とでもいうのかしら。ふふふ、この話を誰かにするのはバレンが初めてかしら。そのお蔭でこの世界に生まれてから神童として扱われました。けれどね陰謀にあって罠に嵌った私は人間界から追放された。今は元人間の魔女として魔界に貢献したいと思っています」
アネルミアは朗らかにそう言ってソファーに深く座る。
「……本当に?」
「嘘だと思います? じゃあ曖昧な前世と面白くない今までの人生を簡単に話そうかしら」
アネルミアの過去はまるで趣味の悪い物語のようだった。
彼女は地球では病弱で心臓が悪く、10代前半に病院のベットの上で帰らぬ人になったらしい。 テレビが大好きで一日中チャンネルを新聞の番組表を片手に回すのが習慣の少女だったそうだ。病院の外に出たときに家族にいろいろな場所に連れて行ってもらいそれが事実であることが窺えた。
そしてその記憶はこの世界に生まれてからあったらしい。今はもうない国の貴族のお嬢様として生まれ育った彼女には魔法の才能があり順風満帆の生活を送っていた。現代日本の知識を活かしてさまざまな改革も先導して神童として有名だったらしい。
けれどそれを良く思わない人々がいた。その人々はアネルミアの改革によって不利益を被った人や貴族として対立する人など数多にいたらしい。彼女も急激な改革で敵を作ることは重々承知で裏から手を回したりしたが恨みはなくならなかった。そして愛していた婚約者から謂れのない罪で断罪され悪魔と決めつけられた彼女は牢獄に入った。彼女は無実を叫んだが処刑前日に協力者とともに逃げ出したらしい。
その協力者も長い逃亡生活でアネルミアを狙う賞金稼ぎによって命を落とし決死の決断で魔界に逃げたらしい。そこで細々と暮らしていた彼女だが何度も人間の襲撃に合い死の淵に立たされて力をつけたそうだ。
そして現在、勧誘を受けて十四魔将の一人として統治者となったらしい。
俺はその話をなぜか海の上でアネルミアとステップを踏みながら聞いていた。波の音をバックにどこからかオーケストラの音楽が流れている。当然社交ダンスなど踊ったこともなく最初は戸惑ったがアネルミアがリードしてくれる。徐々に体が憶えていくので最初より大分様になって来た。
「面白くもなんともない話です」
一方的な話に区切りをつけたアネルミアは密着しながら俺を導く。上手い感想が思い浮かばなくてそのままアネルミアをターンさせる。突然、音楽が止んでアネルミアが手を離してお辞儀する。
「踊りながら過去を話すのは初めてだったけど思わず長話をしてしました。座りましょう」
「はい」
アネルミアが席に着いたので俺も席に着く。机の上にいたヤタカが俺の頭の上に飛び乗る。
「それで信じてもらえたかしら」
「……信じます」
踊りというのは不思議なものでパートナーの感情がよくわかる。彼女は辛いとか悲しいとかそういった負の感情を隠すかのように優雅に踊っていた。その秘された激情に偽りはなさそうだった。
「ありがとう。私の今の話とバレンの記憶の話は他言無用です。私はともかくバレンのことはあまり他人に知らしめないほうがいいわ。私が元人間であることは周知の事実だけどバレンは人間を恨んでいる者達の標的になりかねないです」
「わかりました」
「人形のバレンにどうして前世の記憶や感情があるのかわからないです。けど忠告しておくとそれに過去の私のように囚われすぎないでほしい。ここは地球とは違う全く別の世界だから常識に縛られないでほしいわ」
「……」
「それでも記憶を取り戻したいかしら?」
「……わかりません」
俺はアネルミアの顔が見れなかった。
頭の中がぐちゃぐちゃでどうすればいいのかわからない。
しばらく波の音だけが辺りを支配した。
「今となっては受け入れられているけれど私は前世の記憶がなければよかったのにと何度も思いました。もっと別の幸せがあったんじゃないかしらって思うのです」
「……それでも」
俺は乾いた口を何度も開け閉めして考えをまとめる。そしてアネルミアの顔を正面から見た。
「それでも俺は思い出したいんです。なにが幸せなのか今のままじゃわからない。このままじゃいけないと思うから」
「そう。それがバレンの選択ですか」
そういうとアネルミアは仮面のような笑顔を見せた。
「では覚悟を見せて」
「覚悟?」
「この世界で生きる覚悟というのかしら。それを見せれないなら私が直々に引導を渡します」
強烈なプレッシャーに白い大波がおこって潮風が強く吹く。ヤタカは驚いたのか飛びあがり、ポトリと白い床に落ちた。
「まずラウンド1」
机の上にガラスのグラスとワインボトルが出現する。アネルミアはワインボトルを軽く振ってコルクを抜くをグラスに注いだ。華奢な細く長い指で実演される洗練された動きに見入ってしまう。
「知り合いから頂いたものなのだけど味の感想を言っていません」
グラスが机に置かれたので持ち上げてゆっくりと回して臭いを嗅ぐ。鉄の錆びた嗅ぎ慣れた香りだった。
「飲みなさい」
思考の空白を縫うかのように口に添えられたグラスから赤い液体が入ってくる。ドロドロとしていて香りが鼻を刺激する。軽い運動で渇いてもいない喉が何度も欲しがるように嚥下していくのがわかる。空になったグラスが静かに机の上に置かれた。
「味の感想は?」
「……血液ですよね。なんでこんなものを……」
「その感想では不合格。はい、飲みなさい」
並々に注がれたグラスをまた勝手に手が口に当てる。
覚悟を問うことがどうして血液を飲むことにつながる?
訝しみ顔を顰めながら美味しくもないものを飲んでいるとアネルミアが口を挟む。
「知り合いに聞いたところさぞ高級品だとか。グナイツアーの街では貴族御用達の有名店で製造されていてアゴラティスでも取り扱われているけど本店の品質は別格なのだそうです」
グーテンベルク魔王国の街のひとつグナイツアーは十四魔将の一人吸血鬼の王アーバンクロウリーが治める吸血鬼だけの街だ。そこの貴族御用達ということは…嫌な予想に顔面蒼白になる。
「味の感想は?」
「まさか……人間の血液?」
「正確には2人のブランド人のブレンド血液です。商品名は『恋煩い』」
アネルミアが淡々とボトルを眺めながらいう言葉に口を塞ぐ。先ほどの味を舌がしっかり記憶していて吐き出しそうになる。
「出しては駄目です。はい、全部飲みなさい」
グラスに並々に注がれた血液をまた体が勝手に体内に入れる。もうやめて下さいと頼んだけれど彼女は止まらなかった。何度もそれを繰り返してボトルが空になるまで続いた。その間にグナイツアーの人間は大半が家畜で好みの味になるように配合を繰り返して品質を向上しているとか魔族やモンスターの中には人間の赤子を丸呑みして食べる者もいるということを語られた。俺は今飲んでいる血液のもととなった人がもう死んでいると聞いて耐えられなかった。この一本のボトルのためだけの人生を送った人達がいるという事実に。そして12回目の同じ質問をアネルミアがする。
「味の感想は?」
「……美味しかったです」
「よくできました」
嗚咽を殺し絞り出た言葉にアネルミアは満足げに頷いた。俺は人間の見た目に騙されて勘違いしていた。目の前にいるのは人間の皮をかぶっただけ鬼だ。
「グウー」
飛んできたヤタカが膝の上から俺を見上げている。労わるような声で何度も鳴くので俺はついその体を撫でた。
「ラウンド2」
アネルミアやヤタカそして海が一瞬で消えてとても広い場所に一瞬で移動する。辺りを見渡すと堅い土色の地面が広がっていて観客席があり誰もいない。四方を黒塗りの壁に囲まれていて天井から太陽のさすような光が降り注いでいる。
「相手は格下なので負けることはないでしょう。それではバトルを始めましょう」
アネルミアの声とともに空間が歪んで誰かが転移してきた。ピリピリとした殺気に状況を把握するよりも早く後ろに下がる。相手は獣人の男性。牛角族で大きな斧を構えている。体には無数の傷跡があり歴戦の戦士であることが窺えた。血走った眼で間合いを詰めて来た。
遅い。
いつも相手にしている土人形よりかなり。
俺は逃げを選択する。
「逃げるな!! 戦え!!」
怒号がするが俺は戦いたくない。
頭でこの世界を受け止める覚悟を見せなければアネルミアに殺されるとわかっていても。
「戦いなさい」
アネルミアの声で瞬時に手元に現れるロングソード。トランスフォームリングの物だと理解するより早くそれを握って相手と対峙することになる。振りかぶられた斧に手加減をした剣で応戦すると相手はあっけなく吹っ飛んだ。壁に打ち付けられたが彼は立ち上がって咆哮をあげながら向かってくる。付与を自身にかける必要もなく相手がまた吹っ飛ぶ。学習したのか立ち上がると斧を構えて俺の隙を伺ってくる。その隙が多い。実力が違い過ぎて役不足だ。
「あんたにかなわねぇことぐらいわかってらあ」
男性がこちらの意思を読んだように話し始めた。
「けどタダで負けられねぇよ」
そういって不敵に笑うと俺に斧を突き立ててくる。大きな斧に対してはいささか小振りな剣でまた応戦しようとするが男性は斧を手放して拳を使う。2発拳が腹に刺さるがノーダメージに近く俺の剣は斧を跳ね飛ばした。地面に突き刺さった斧のところまで男性は方向転換するが俺は人形部分が示す通りには追わない。
俺は命を奪いたくない
けどこの世界で生きるには必要なことだという。
どうすればいい?
答えの出ないまま何度も打ち合い何度も相手を転ばせる。もう男性は息も絶え絶えで対して俺はピンピンしている。
斧が遂に壊れた。
男性の目に絶望感は無くただ目の前の敵を倒すことだけを考えた拳を振るう。対する俺は抵抗も防御もせずにされるがままなのにダメージがない。首の骨を折ろうとしてきたり頭をぶってきたりするが死ぬビジョンが思い浮かばない。そのうち男性が膝をついた。
「殺したくない」
ぽつりとつぶやいた願いに男性が反応する。
「やめろよ」
怒りをあらわにしてこちらを睨む。その瞳は澄んでいた。
「そんな奴に殺されたくねぇ。俺達は戦いに誇りを持ってんだ。死んでった仲間の分まで生きあがいてやんだ。殺した奴の分まで生き抜いて守りたいもの守り抜いてやんだ。その決意を侮辱するなっ!!」
男性の拳が胸に当たる。彼がとても輝いて見えた。
ああ。これが死を覚悟した目なんだ。
彼はまごうことなき戦士だ。
「バレンもういいでしょう」
アネルミアの声が響く。
「殺しなさい」
「了解しました」
完全に人形部分に体の制御権が奪われて戦闘体勢に入った。せめて彼が苦しまないように全力の一撃を放つことしか俺には出来なかった。男性の瞳に光が無くなるのは一瞬だった。肉の塊になった彼を俺はただただ無言で見つめた。
涙は出なかった。
景色がもとの穏やかな海に戻り嘘だったように返り血も死体も消えた。途端にヤタカが俺の顔面に飛び込んでくる。
そのまま体毛を顔に擦り付けて来たと思ったら肩の上に乗って耳を甘噛みしながら鳴いている。慰めるような労わるような鳴き声にまたつい片手で撫でてしまう。ソファーに座ったアネルミアはただその様子を観察していた。
「ラウンド3」
しばらくたつとアネルミアはこちらを見上げながらいう。
「もう……。やめてください」
これ以上自分の気持ち向き合いたくない。肉を切った感触の残る手から剣を消して俯きながら懇願する。しかしアネルミアがそれで止めるような人物ではないことは重々承知していた。
「これで最後。ノレルヴァの調整が終了して始めに私からの任務を受けてもらいます。その任務に成功したらバレンの覚悟を認めてある場所に行かせてあげる」
もちろん日本に行く方法はないけれどと付け加えると彼女はいう。
「ご褒美といったところかしら」
アネルミアは別れの挨拶もなく俺を自室に転移させたのであった。