怒れる魔術士
自室を後にした、ルシエル。
向かった先は、「ザイール」が待つ特別な部屋。
大切なものを傷つけられ、怒るルシエル。
戦いの先に、ルシエルが見つけた答えとは……?
冷たい風が吹く。
今の私には、その「風」は恵みだった。
風の精霊だけは、私を裏切らない。
部屋を出てすぐのところ。暗がりの廊下が続く城内。私は隙間風などありえない空間で、「それ」を感じた。
風の精霊「ウィル」は、私とは敵対する立場なのであろう、「シード」という青年と時を共に過ごしていた。それでも、ウィルだけが全てではない。こうして、私に従うものが、まだ存在しているということに、どこかで安堵した。私だけのためではない。風の民である、カガリにとっても、この事実は大きい。従う要素は、大きければ大きいほど、心強いというものだ。
「カガリのことを、見守っていて欲しい」
『ルシエル様…………待っています』
「?」
私の呟きを無視するかのように、風は囁いた。その囁きに対して、思わず足を止める。
「何を、待っているんだ?」
『アリシア様は、あなたと共に……』
「…………」
『本当は、気付いているのではないですか?』
「……そう、だな」
ふっと、息を漏らす。風が、何を伝えたいのかを理解した私は、一度瞳を閉じた。静かな昼時だ。朝方、こちらへ転移してきたというのに、騒動からもう数時間が経過していた。それでも、レナンもカガリも、具合が優れない。そのことを前に、私は私に出来ることをしようと、こころから思うのだ。
(アリシアは…………死んだんだ)
その現実から、私は逃れようとしていた。目の前に現れた、年相応の女を見て、幻想を抱いた。本当のアリシアなら、よいのに……と。しかし、今はその現実を信じたくはなくなっていた。私がこれまで、守ろうとしてきたものをあの者は一瞬にして奪ってしまったのだ。
それだけではない。これからの若者たちの未来も、摘み取ってしまう危険な存在だと、私は感じ取っていた。
再び、歩き出す。
もう、迷いはない。
向かった先は、軍師の部屋。
兄上が…………敵が、居る部屋。
ひと際目立つ、魔術によるバリアが、扉の鍵として張られていた。魔術を文字であらわすと、楔形になる。緑に光るそれを、私は右手をかざして読み解いた。
「こんな稚拙な術など、破ることはたやすい」
それが、解錠の術式として具現化すると、敢えて派手に扉を粉砕させた。ただし、爆音は立てない。他の兵士たちへ、要らぬ不安を植え付けたくはなかった。
此処で、私は「名もなき草」を服用させられた。こんな空間こそ、「炎」で燃えつくしてしまえばよいと、私は強い意志を示す。
静かに、しかし確かに消し飛んだ扉だった場所には、空間が出来た。土煙がおさまると、私は臆することなく、その空間へと乗り込んだ。足を一歩踏み入れると、その刹那……扉はもとの形を取り戻し、私の背後は「壁」へと変わった。敵も、単なる下流魔術士ではないということは、うかがい知れる。それでも、今の私に敵うとは到底思えないレベルだ。
「無駄な足掻きはもう、よしていただこう」
「ルシエル……その言葉は、お前にそっくり返してやろう」
バチっという音が響く。空気中の酸素が弾けるような感覚だ。バチッ、バチッ……とはじけていく音が近づいてくると、私は一度だけ目を細めた。それだけのことで、相手の魔術と私が起こした魔術がぶつかり合い、摩擦熱を起こしながら無効化された。
「言葉を紡ぐ必要が無いのか。流石だな、天才」
「兄上にも、裁きを受けてもらう。だが、その前に……」
私は、先ほどまで直ぐ背中にあったはずの扉が、より遠くに感じた瞬間、そこへ「女」が現れていたことに、気付いていた。先ほどの魔術が、囮であることには気づいていた。思わず、計算通りに事が運びすぎていることに、笑みが生まれた。
「何がおかしいの?」
「失望した」
「……私に?」
「いや」
私は、前方に兄上。後方に女という位置関係を保ったまま、言葉を紡いだ。
「私は、私自身に…………アリシアのことを、誰よりも愛していたのに、何故、一瞬でもキミのことを、本物だろうと思ったのだろうな。似ているように見えて、まるで違うのに」
「…………私は、アリ」
「違う」
「……」
「本物のアリシアは、聖域で眠っている」
「……もう、騙されないのね」
「私は、少しでもいいから、夢を見たかったんだ。きっと……だが、現実を失うような夢ならば、要らない」
パチン。
今度は、指を鳴らして見せる。私はもう、よそ見などしていない。この空間に居るものは、すべて「敵」だと捉えている。
レナンは、水の要素に長けている魔術士だ。炎を起こすことは考えにくかった。例え、正気を失っていたとしても、咄嗟に出る術ではなかった。一方、この女から見える要素も、兄上から見える要素も、そこはそろって「炎」だった。女が放っていないにしても、遠隔で兄上がカガリに向けて魔術を放っていた可能性も、ゼロではない。
このふたりの、どちらか……或いは、ふたりで攻撃していることは、確かである。それならば、それ以上に選択肢を絞る必要性を、私は特に感じていなかった。
このふたりを、退ける。
それが、此処へ来た私の目的。
「もう、惑わされない。私に必要なものは、幻影でもない。私は……未来を残すために、守りたい世界の為に、生きる」
「お前に、未来などない」
「構わない…………罪は、受け入れる!」
その言葉は、大きな水の龍を創り出した。その周りには、風の精霊が飛び交う。水の龍の本体を精霊が囲み、勢いを増す。鋭い刃の如く、そのまま龍は形を変え、頭をふたつに割ると、右、左へと壁を伝い、そのまま両方向から兄上を狙った。
炎と水のシンプルな対立図ならば、元の能力値と術の高度によって、勝敗は決まると言っても過言ではない。私は、ハースから水の要素を受け取ったことにより、「水」の力に対して、自信を取り戻していた。
「この程度で、俺の魔術に勝るとでも?」
「十二分に、勝てる」
右手で水の龍を操りながら、私は左手の指をパチンと鳴らすことによって、別次元から他なる要素を引き出した。「光」だ。白い光は、現れたと同時に一瞬にして弾けた。そのスピードを捉えることなど、まず、魔術士であろうとも出来るはずが無かった。避けたかったのならば、私が空間を引き裂いた瞬間に、防壁魔術を編んでいなければ、間に合わない。光は、確実に的を射ていた。
「ッ…………!」
声にすら、ならない。苦悶の表情を浮かべながら、兄上はその場に崩れ落ちた。的が大きい腹部を狙ったのだ。外すはずがない。
ボタボタと血を床にこぼしながら、両膝を床につけ、左手で腹部を押さえ、右手で身体を支えている。止め刺すことも、簡単にできると私の脳裏にはいろいろな攻撃魔術の設計図が浮かんでいた。
「お願い、やめて!」
それを止めようと、私の背後から忍び寄る白い手。その手を見ると、アリシアのものではないことが、とてもよくわかった。
ラナンの方が、ずっとアリシアの手に似ている。今ならそう、冷静に判断が出来た。
「ルシエル様、どうか、どうか……ご慈悲を!」
「私の逆鱗に触れたのは、お前たちだ。私から、何を奪った? 私から…………」
怒りで、冷静さを失うと思っていた。しかし、頭はむしろ冴えたる。混乱していた今までが、嘘のようだった。
冷静に、血の繋がった兄を仕留めることができる魔術を、幾つか並べる自分に驚きもあった。此処まで冷酷に、自身もなれたのかと……いや、むしろこの姿こそが、本来の魔術士としての私の姿だったのではないかとすら、思えてくる。それだけ、自然に設計図は組み立てられていた。
「お願いします、ルシエル様! ザイール様を、殺さないでください!」
「…………」
「ルシエル様、お願いします!」
「………………ッ!」
苛々する。
(幾つも、幾つもの術式は浮かぶのに、実行できないのか……私は)
所詮、甘いのだ。
最後まで、私は甘かった。
「察するにお前は、ザイール兄上の嫁なのだろう」
「……」
女は、こくりと頷いた。
それでも、どうして此処まで、アリシアと似ていたのだろうか。私の中で、腑に落ちないのはそこだった。アリシアに、姉が居たという話は聞いていないし、母親がアリシアを産んで直ぐに亡くなっている。その後に、妹が出来るはずがなかった。
容姿が似ていれば、声も似てくるものなのだろうか。声帯などの構造について、私はよく理解していなかった。似せようにも、オリジナルの声を知らなければ、それは成せないこと。
「聞きたいことは、たくさんある」
「何でも、…………言えることならば、答えます」
「…………必要ない」
「…………えっ?」
「消えてくれ。この城から、ザイール兄上と共に。精霊界にでも、行けばよい。あそこは、私と敵対するらしい」
「ルシエル……」
炎の要素を多く従えている兄上だが、それでも治癒の魔術が扱えない訳ではない。そのことは、もちろん分かっていた。時間をつくれば、その間に魔術で傷を癒すだろうと、計算していた。それを見越しても、私には余裕があった。消耗した体力までは、回復に至らないからだ。失血した血液も、魔術ではもとに戻らない。
ようやく、ふらつきながらでも立ち上がった兄上の背後には、大きな魔術の設計図が浮かび上がっている。しかし、私の敵ではない……と判断すると、その魔術が霧散するよう先に此方から仕掛けた。
「!?」
「私に勝てる魔術士はきっと、レナンくらいだ」
あの天才児は、いずれ私を遥かに上回る魔術士になるはずだ。
世界史から、逸脱した存在。
(そういう、ことか……)
風は、私の味方だと思っていた。
だが、結局のところは、「精霊界」の遣いなのだ。
私が、もう永くないことを、知っている。
私の後継者を、私自身に知らしめたかったのだ。
「兄上。私に付きまとっていても、仕方のないことだよ」
すでに私は、「過去」の人間なのだ。
私はそう、覚った。




