苦悩と実状
城に迷い込んだレナンを保護した魔術士ルシエル。
レナンを部屋に残して国王のもとへ行き、直接「レナンを付き人に」と頼みに行く。
その途中で、弟子のカガリと会う。
独りには、慣れている。
ラナンと離れてから俺はずっと、孤独だった。
ラナンがラバースを脱隊したときからじゃない。
孤児院を……出たときからだ。
「此処が、世界最強の男の部屋……か」
レイアスの魔術士で、世界中に名をとどろかせている男。それが「ルシエル」であり、今、俺が部屋を借りている者のこと。
別に、ルシエルに会いに来た訳じゃなかった。いや、理由なんてなかった。ただ、気づいたらラバースの馬小屋の隣を潜り抜け、時間外に門を出ていた。ラバース主のクランツェ様に知られたら、罰則もの。それなのに俺は、そんなことお構いなしで足を動かしていた。
ただ、風に当たろうと思っただけだ……きっと。
風を追って歩いているうちに、俺はあそこへ導かれていた。あそことは、フロート城内の中庭。一本の大きな木が立っている場所。ルシエルに出会った場所。不思議な風が吹いていたんだ。冷たくて、心地よい……それなのに、包み込むような温かさがある。気温の問題ではない。夜で、空気が冷えているというのに、その場所に立っているとなんだかこころが落ち着き、安心できた。まるで、まだ知らない家族というものを、そこに見出すかのように、俺はしばらく佇んでいた。
(考えてみれば、ラッキーだったかもしれない。ルシエルが第一発見者だったのは……)
ラバースは、紛れもない「フロート」王国の持つ軍隊だ。ただし、レイアスとは違って魔術士なんていう特別なものではなく、低賃金で雇われている傭兵組織。噂によると、レイアスも国王陛下も、ラバースの存在をあまりよくは思っていないと聞く。
俺は、今一番のフロートの「敵」と言ってもいい、レジスタンスの頭の双子の弟なんだ。その俺が……ラナン討伐に失敗し、トップクラスから陥落しそうで、任務からも外されているこの俺が、フロート城内に唐突に現れたとしたら、普通、レジスタンスに寝返り密偵に来たとでも考えられることの方が普通だ。下手をしたら、殺されていてもおかしくない。ルシエルの取った対応は、実に適切だったとここに来て思った。
「殺されていたかもしれない…………か」
俺は、しばらく沈黙した。脳内で、「殺されたかった」という単語が響いたからだ。
「…………ッ!」
俺は拳を強く握ると、ふかふかのベッドに向けて思い切りそれを振り下ろした。ぼふっとなんとも情けない音で、俺の怒りを包み込む白いシーツが、くしゃっとシワになる。
「もう、考えたくない……何も、何も!」
泣きたい気分だった。
自分が、とても惨めに思えたからだ。
※
もう、二十年にもなる。この城の造りは、目を閉じていても分かるほど、身体にしみこんでいた。石造りで、夏は涼しく冬はそれなりに熱を逃がさない。外からの冷気を通さないからであろう。ただし、グレー一色というところが、なんとも何処かの牢獄にでも閉じ込められている感覚に陥らされる。
(自由がない……まぁ、牢獄とも取れなくはない、か)
突き当りまで来た。この扉をひらけば、高座にザレス国王が偉そうな態度で座っていることだろう。それもまた、いつもと変わらない光景だ。横には、これもまた偉そうにレイアス隊長のジンレートが、大概控えている。来客者など、滅多に居ないのだが、その中に曲者が混じっていることを恐れ、国王は保険をかけているのだ。私が、レイアスで最下位の地位に甘んじているのは、こういう公務を避けたいという気持ちも込められている。いや、単に面倒くさいだけだ。
「ん?」
ふと、私は足を止めた。背後に気配を感じたからだ。この香りは、弟子のカガリだ。
「陛下に、何か用でも?」
「……いいえ」
浮かない顔をしている。その気持ちが、分からない訳でもない。カガリは、地位こそ国王直属の臣下……側近を務める高いところにいるが、実状を知れば憐みすら覚える。そこまで虐げられているのだ。それでもカガリが国王に従うのにも、理由はあるが、それでも私なら、とっくに逃げ出していると思う。カガリは、よく耐えている。本当に。
「たまには、逆らうということをしないのかい? お前は逃げ腰すぎるよ。剣の修行のときは、果敢に挑んで来るのに……どういう基準で物事を捉えているのやら」
「私は……っ」
言いかけて、言葉をすべて呑み込む。それもまた、よく見た光景だ。自分の意志がないのではない。臆病になっているだけだということを知っているだけに、師匠としては改善してあげたいと思う。しかし、なかなか上手く事が進まないというものだ。
「長引く用事かい?」
「何故ですか。そもそも、ルシエル様は何をしにこの部屋へ? 任務の報告でもあるのですか?」
「いいや? ちょっと、陛下におねだりをしに行くんだよ」
「おねだり?」
カガリは首を傾げた。空色の瞳が、謎めいた輝きを見せる。もう、カガリも二十七になるというのに、いつまでも可愛らしさ……子どもっぽさが抜けないところがある。私との年齢差が縮まることはないのだし、私はカガリの唯一の師匠だ。子どもに見えて当然と言われればそうかもしれない。
茶色の髪は、柔らかい質感で後ろでひとつに束ねられている。緑のリボンだ。私が出会ったときには、カガリは赤いリボンをしていた。それが、カガリの実の弟「ハルナ」の形見であることを、私は知っていた。また、今のリボンが誰から贈られたものなのかも、知っている。そのことを、カガリには告げていない。
「長くなるようなら、私が先に行ってもいいかな?」
「一緒に中に入っては、都合が悪いのですか?」
「悪い」
「……そんな、即答しなくても」
カガリは明らかに落ち込んだ表情をした。私がカガリに対して隠し事をしているという事実が、ショックなのだろう。
(レナンのことは読み取れないが、カガリのことはいつも通りに分かる……か。カガリが単純なのか、私がカガリに慣れているのか。或いは……レナンが特別なのか)
私はしばし黙考した。しかし、すぐに脳内からその思考を解除し、カガリと向き合った。私は、カガリを出し抜きたいのではないし、蔑ろにするつもりもなかったからだ。
「意地悪を言ってすまなかったね。一緒に行こうか」
「え、いや……別に、いいです。私は出直します」
「陛下に、来るのが遅いと咎められたらどうする? 私はそんな責任を負わせたくないよ。ほら、行くよ? カガリ」
私はカガリの返事を聞かずに扉を三回コンコンコンと、ノックした。中からジンレートの声がする。
「誰だ」
「ルシエルとカガリです」
「!」
カガリが不意を突かれて背筋を伸ばしたのを、気配で感じ取る。
「入れ」
続いて、陛下の低くやけに響く声が聞こえて来た。それを確認してから私は重々しい扉を開けた。
「失礼します、陛下」
「……」
カガリは会釈だけした。そして、ふたりで室内に入るとジンレートが扉を閉めにこちらに歩み寄る。背の高いジンレートは、カガリを横目で見下しながらも、私を観察している。今日の謁見リストに、私の名が無いからだ。
「ルシエル。何用だ?」
「陛下にお願いがあり、参りました」
私は単刀直入に、レナンのことを切り出した。
「ラバースSクラス、レナンをしばらく私の付き人にしたいのです」
「……なんだと?」
予想どおり、陛下もジンレートも怪訝な顔をして私に視線を送ってきた。カガリはというと、思いもしなかった「レナン」という名前とその待遇に、きょとんとした間の抜けた顔をしていた。
そんな中、私はふと優越感を覚え、自然と口元に笑みを浮かべていた。