異なる記憶
食い違っていたはずのザイールとルシエル、そしてアリシアの記憶。
それが、少しずつ一致しはじめることに戸惑うルシエル。
一方、嵐の中移動するレジスタンス。
体調を崩したラナンを案ずるレナンは……?
ザァー……ザァー……。
殴りつけるように激しい雨が壁を、窓を打ち付ける。頑丈な建物だ。揺れることはないが、それでもガタガタと窓の建具が音を立てていた。
木製のテーブルにシチューをふたつ並べ、私とアリシアは食事をしていた。彼女は、どこか不安そうな表情で、外を気にしている。外で、何かが待っているかのような雰囲気だ。
「何を気にしているんだい? さっきから」
「レジスタンスは今頃どこに居るのかな……と、思って。こんな激しい雨の中、野外に居たら風邪をひいてしまうわ」
「……キミは、レジスタンスの仲間かい?」
そういうと、不思議そうな顔をして彼女は首を傾けた。
「あら、おかしなことを言うのね。レジスタンスに加担してきたのは、ルシエルじゃない」
「…………そう、かな? そんなことはない」
アリシアには、レジスタンスのことは一切口にはしていない。「風」を使って、これまでの私の行動などをすべて見てきたというのであれば、知れたことなのは分かるが、事実が分かるまではぼかしておいた方が賢明だと私は判断した。多少、彼女のことを信じかけているが、まだ、疑いの余地も残している。私はそこまで、簡単にこころを許せるほど楽観的な人間ではなかった。もっと、簡単な人間に育っていたら、どこまで楽を出来ただろうかと、私を悩ませる自分の悪い癖でもあった。
「ラナンとレナンのこと。どう思う?」
ほとんど空になったシチューの皿にスプーンをカチャンと置いてから、彼女はまた唐突に口を開いた。
彼女は今まで、どこに居たのだろうか。
それによって、ラナンとレナンの関係性も立場の見解も、変わってくるだろう。
「アリシア。キミは今までどこに居たんだ? どう思うのではなく、キミの見解を知りたい」
「私は聖域に居たわ。それは、あなたも見ていたでしょう?」
「あぁ、見ていたよ。キミが結晶化していく様を、私は見ていることしか出来なかった」
苦汁を噛み締めるように、事実を告げる。奥歯を噛み締め、苦い過去を思い出す。自然と眉間にしわが寄っていたらしい。彼女は人差し指で、私のそこをぐいっと押してきた。
「良い男が、台無しよ?」
「どこで覚えて来たんだ。そんな言葉」
思わずふと、笑みがこぼれた。その瞬間、驚いた顔をしたのは私の方だった。彼女の前では、自然体が許される。それを実感したのだった。それを見越していたかのように、彼女はただ、優しく微笑んでいた。
「その先の記憶は、ないの? 結晶化された後の記憶」
「え?」
「聖域は、私を呑み込んで、燃えるアスグレイの村を癒したわ。でも、その後に私は結晶化から解放されたじゃない」
「…………」
私は目を見開いて、首をゆっくりと横に振った。そんな記憶は、存在していないからだ。つまりは、事実ではないと私の中では位置づけられる……だが、そう認識してからズキっと私の脳に痛みが走った。それは、ただの痛みではない。痛みという刺激と共に、映像も映しだされていた。
「…………ッ!」
「ルシエル?」
白いワンピースを着た少女。そして、結晶化されていく少女に、必死に手を伸ばす少年……つまりは、私の幼き姿。みるみるうちに、大木化し、クリスタルとなる。淡く白っぽさのある緑の光に輝き、森林と同化していく少女。そして……アスグレイの村が再築される。
失われた人間、村は無い。ただ、荒れ果てた大地に緑が戻る。枯れたはずの泉にも透明度が戻る。そのとき、泉からすっと姿を現す少女が……居た。
「アリシアが、泉から…………」
「思い出せたの?」
「……アリシアは、無事だったのか?」
「無事じゃなかったら、此処には居ないよ」
何度、この質問を繰り返しているのだろう。同じことを疑問に思い、同じことを彼女にぶつける。
だが、確かに存在していないものが、目の前に居るはずはない。それもまた、受け入れなければならない事実。私ほど年老いて見えないのは、私の方が気苦労が絶えなかったからだろうか。彼女の母親の顔を、私は知らない。彼女を生んで直ぐに死んでしまったからだ。私も自身の母を知らないが、彼女もまた、母親の愛情を知らずに生きて来ていた。それでも、彼女は父親からの多大なる恩恵を受けて育てられた為、私のようにひねくれたりはしなかった。
「ねぇ、ルシエル。部屋を明るくしているのは、今もまだ、暗闇が怖いんでしょう?」
「…………」
それも、事実。
「今夜は月も出そうにないし……こんな雨の酷い日は、頭痛がするんじゃない?」
それも、事実。
「そろそろ、休む? ねぇ、ルシエル。私、もうどこにも行かないから。今まではね、私にも役目があったから、ルシエルの傍に居られなかったの」
「役目?」
此処で初めて、彼女から記憶の相違の決め手になりそうな単語が飛び出した。
「私は、名もなき草を枯らさなければいけない」
「……あれは、アスグレイでもトップシークレットのはずだった毒草だ」
「分かってる。世界が、闇に覆われるとき……すべてを無に帰すために極秘に栽培されていたのよね」
「それは、アスグレイの統領にしか、場所も知らされていなかったはずだ」
「ルシエルは、その立場を返したじゃない」
「……アリシアが、継いだとでもいうのか?」
「…………」
彼女は、首を横に振った。
「私と…………」
時が、止まった。
「私と……ザイール様の子が、継いだの」
目の前が揺らぐ。視界がぐにゃりとまがり、変形したと思ったら今度は真っ暗になっていく。言葉が出ない。
「ルシエル…………ごめん」
何故、謝る?
そう、言ってあげたいのに……言葉を紡げない。それどころか、思考回路が停止しはじめる。だが、それならすべてのつじつまが合ってくる。ザイールの言葉が「本物」だと、立証されはじめた瞬間だった。
「私を、軽蔑する?」
「…………何故、兄上と」
「この世界を、清浄化するには仕方が無かったの」
「兄上は、私を殺そうと……」
「それは…………」
「私も、邪魔ものか?」
「違う! お願い、ルシエル……聞いて!」
私は、大人げないと思いながらもカタンと音を鳴らして椅子を引くと、そのまま立ち上がって皿を片付けはじめた。まだ、すべて飲んだ訳ではなかったけど、これ以上ものが喉を通りそうにもない。洗うことはやめ、気が向いたらまた後で食べようと、キッチンに置いておいた。この世界には、冷凍庫もなければ冷蔵庫もない。
「少し、出かけてくる」
「こんな夜に、こんな嵐の中!? どこへ行くの?」
「…………」
私は何も告げず、指を鳴らした。
それによって空気が僅かにでも振動し、「転移」の魔術が発動した。
次の瞬間、私は部屋から姿を消していた。
※
「いきなり降ってくるんだからなぁ!」
「文句言わずに、走ってください」
「リオスだっけ? お前、母親臭いな」
「放っておいてください」
遅い夕飯を食べかけていたとき、突然の嵐に見舞われた。これだけの雨だ。上流で先に降っていたことを考えると、それに近い此処の水もすぐに増水してしまう。鉄砲水なんて喰らったら、一発で終わりだ。それを恐れ、俺たちは食べ物を持って山の上へと非難していた。
意外と疲れていたのは双子の兄……ラナンが遅れを取っている。確かに、ミスト大陸ではルーヴァの香りでぐったりとしていたし、ろくに食べ物も食べられていなかった。体力が落ちていても仕方がない。
リオスとレンジとかいう銀髪コンビが食べ物を持ち、キリアという盗賊頭首が先陣を切って、リオスとレンジが歩きやすいようにとダガーで小枝を伐採して、進んでいく。俺は、ラナンがずり落ちないようにと右腕を掴みながら、山道を歩いて行った。山道といっても、完全なる獣道だ。足場がかなり悪い。
「お、道までもう少しだ……ぜ!」
「お頭。気を付けてくださいよ。この辺は、どこもかしこもフロートの領土なんだ」
「だから何だよ。俺たちは別に、お尋ね者じゃない」
「僕たちが、お尋ね者なんですよ? 一緒に居たら、仲間だと思われるかもしれませんね?」
「はぁ!? 冗談やめろよな!」
こんな真っ暗で足場の悪い中。冷たい雨で体温もそがれていくというのに、元気な奴らだと俺は呆れていた。それより、疲労度の高いラナンが心配で、俺はラナンの顔を何度も確認しながら、ゆっくり山を上がっていく。だから、先を行く盗賊とリオスの姿は、結構小さくなっていた。
「ラナン、大丈夫か? 少し休むか?」
「…………いや、平気」
「平気じゃないだろ? 此処までくれば、水攻めからは逃れられるだろう?」
そう言って、俺はラナンを休ませる道を選択した。
「レナ……」
「なんだ?」
「…………ごめ、ん」
態勢を崩しかけたところで、俺は素早くラナンを抱き留めた。身体が冷え切っていて、顔色は青ざめている。どう見たって、具合が悪いのはひと目でわかる。あまりにもあたりが暗くて、顔色まで分からなかった。
「リ……」
「……」
リオスを呼ぼうと口を開くと同時、ラナンは俺の服の裾をぐっと引っ張ってきた。呼ぶなということだろう。そして、首を横に二、三回振った。
「レナも、先に行ってくれ」
「! そんなの、出来るかよ」
「いいから。遅れを取ったらダメだ」
何をそんなに焦っているのか。
今の俺にはまだ、分からなかった。




