戸惑うレナン
ルシエルの部屋に招かれたレナン。
ふたりは何を語り出すのか……。
「ここに来たら……分かると思ったんだ」
「理由かい?」
レナンは、もう驚かなかった。私が日曜大工で作った木の椅子に座り、同じく手作りのテーブルに置いてある木製カップにミルクを入れてあげると、それをおいしそうに飲んでいた。色白で、華奢。一見、女の子のように見えるその容姿だが、どこかで影を帯びているところがカガリに似ていると思った。あの子の影は、最近では昔よりは薄くなってきたが、レナンの影は今がまさに一番「迷い」を生んでいるときのようであった。
ミルクを一口、また一口飲むと、あっという間に飲み干してしまった。そういえば、ここまでは馬ではなく、歩いてきたのだろうか。喉も渇いていたのだろう。そして、ミルクというものは、なかなかの高級品。ラバースに居ては、そう簡単には飲めるものではない。それは、最高位クラスの兵士であったとしても……だ。
「美味しいかい?」
「……うまい」
ぼそりと、小さく呟いたのが聞こえた私は、満足げに笑みを浮かべると、おかわりを注いであげた。
「ラナンがレジスタンスになった理由を、探しているんだろう?」
「……」
今度は答えなかった。ただじっと、コップの中のミルクを見つめている。また、影が入ったと感じた。
「ラナン討伐の第一人者が、キミだということは周知のこと。ただ、最近。キミはその任を降りたと聞いているよ」
「違う」
私は視線をはずさず、じっとレナンを見つめながら、答えを待った。
「降りたんじゃない。おろされたんだ」
「……そうかい」
私もミルクを一口飲んだ。なかなかに濃厚な味わいのミルクだ。城下町で、カガリがよく買ってきてくれるのだ。別に、私の健康を気遣ってのことではなく、あの子なりの感謝の証なのだと思う。私は、あの子に剣を買い与えてあげたりしている。珍しい本があれば、私が目を通してからだが、書物も与えている。見返りを求めてのことではないのだが、あの子なりに、何かをしたいらしく、カガリは私にミルクや、パンなどを買ってきてくれるのだ。食に困っているのは、どちらかといえば、カガリの方なのだが……。レイアスである私には、ちゃんとした食事の支給がされているが、虐め抜かれているカガリには、それほどよい食事は与えられていない。
「任を外されて、ほっとしたかい?」
「……分からない」
(そうか……)
外されてから、もう幾月か経っている。こころの整理も出来ているだろうし、新しい任務でも任されている頃かと思っていたが、逆に、その時間でこの少年に、「迷い」を生んでしまったのかと、私は覚った。
(ラナンのことを、心底憎んでいた訳ではないんだな……)
レナンは、本気でラナンのことを殺そうとしていた……はずだった。「アクアリーム」という街では、「銃剣」というものを用いて、ラナンに致命傷にもなりかねない、大きな傷を負わせたこともあったと報告を受けている。レナンは、いつでも本気でラナンに向かっていた。それは、「ラバース」を……いや、「フロート」を裏切ったラナンを、弟として見逃すわけにはいかなかったという見解、そして、弟である自分を「ラバース」に置き去りにしたということに関しての「復讐心」からという見解も、飛び交っているが、実際のところはどうやら、「目標」だったラナンを失い、そのやり切れない気持ちと力を、どこへぶつけていいのか分からず、「ラナン」を目の仇とし、追いかけることによって、自分を保とうとしていたようだ。
それが、「ラナン」から距離を置く位置に飛ばされることによって、目標物を再び見失い、今、どうしていいのか分からず、彷徨っているのだ。ラバースという砦を飛び出して、このような「城」なんていう、物騒なところにまで足を運ぶほど、レナンは道を見失っている。
「レナン。今のキミは危険だ」
「……危険?」
「ラナンを、目標を見失って……彷徨っているんだろう? こんな、城にまで足を運ぶなんて、よほどだよ。もし、あそこに居合わせたのが私ではなく、ジンレートたち他レイアスだったら、大問題になっていたよ」
「……俺はあんたに、迷惑をかけているのか?」
「いい子だね、レナン」
私は思わず笑みを浮かべた。
「馬鹿にしているのか?」
「違うよ。すまない……私は、迷惑だなんて思っていないし、キミを国王に突き出したりもしないから、安心して欲しい」
「保障もないがな」
その言葉とは裏腹に、レナンは顔を少し赤く染めていた。照れているのだ。きっと、自分のことを気にかけてくれていることを、嬉しく思っているのだ。素直で、可愛い子じゃないか。ラナンほど、感情表現が豊かではないが……いや、実際は、感情表現が素直なのは、レナンの方なのかもしれない。ラナンは、笑っているようで笑っていない。そんな印象を与える子だった。
ツクリモノの笑い方とはまた違う。だが、ラナンは笑いながらも、もっと先を見据えている。そんな深い表情をしてみせるのだ。たった、齢二十歳にして……。
「レイアスの選ばれし兵士には、分からないことだろう。俺の気持ちなんて……」
「ひとは、皆違う道を歩いているから。全てを分かることなんか、出来ない。だが、分かろうとすることは、歩み寄ろうとすることは、出来るよ」
「あんたなんかに……」
「私は、世界最強と謳われる前に、ただの魔術士であり、ただのひとりの男という人間だよ。キミだって、地位や剣士という肩書きを捨てれば、ただの男だ。私と何も変わらない」
レナンは顔をあげた。そして、困惑しながらも何かに期待するかのような顔つきで、私を見た。ブロンドの色素の薄い髪は肩を越すほど伸ばし、深い青色の瞳は、カガリのものとはまた違った輝きを灯している。二十歳にしては、幼く、そして「孤独」の色が強い光を持っていた。
(この子は、これまでこうして話をする機会も、無かったんだろうな……)
哀れんでいる訳ではない。ひとそれぞれに、人生があるのだ。歩み方がある。目の前に、良い手本となる人材がいたって、興味を持たなければそれまでだし、縁が無ければそれもまた同じ。ただ、この子の場合は後者だったのではないかと思う。
「俺のことを……どこまで知っているんだ」
レナンは、じっと私の顔を見てきた。私は目を細めて、少し考えた。「どこまで」本当のことを言ってもいいものかと、悩んだのだ。
「先導者」としての役割は重く、先のことを知っていても、言えない立場であったり、敢えて大切なひとを、突き放さなければならないときもある。
好き好んでこの「道」を選んだ訳ではない。それでも私は、もう後戻りは出来ないところまで来ているし、今更この「道」を捨てることも、出来ないことは分かっていた。
あの日、「彼女」を失ったときから……。