置かれた立場
命令したい訳じゃない。
それでも、私の言葉の全てが、サラにとっては『命令』となる。
先導者として、聖域の後継者として。
ただの魔術士でしかなかった私には、荷が重いことだ。
すまないと思う。
空色の瞳。
それは、偽りの姿。
それでも私は、構わなかった。
それが、あの子にとっての自然な姿。
私はそう解釈し、受け止めた。
「迎えに行って来て欲しい」
「カガリを?」
あの子を、悲しませたくない。その一心で、私はライロークの村を焼かれ、孤児となったカガリがフロートに身を寄せ、よりどころが無くなったカガリの親代わりになることを選んだ。はじめは心を開いてくれなかったカガリだが、少しずつ私との距離は縮まった。魔術士である私を見て、初めは恐怖も抱いていただろう。カガリの故郷を焼いたのは、私の所属する……いや、所属していた『レイアス』の他ならない。若干七歳にして、本当に酷い仕打ちを受けていた。不憫でしかない。あの子が一体、何をしたというのだ。
世界史には、カガリの生きるべき道も示されている。これから先、あの子が通るべき道も、あの子が散りゆくときも、私は知っている。長く生きる種族でも、必ず終わりはあるのだ。
カガリは、まだ死ぬときではない。
死する時期を守るために、私はあの子を助け出さなければならない。
だが、今の私では軍師……ザイールには敵わない。
深い傷を負い、まともな魔術を扱えない私では役不足だ。
いや、傷のせいで魔術が扱えていないのであればまだいい。
問題は、理由がハッキリとしていないところにある。
真っ白の静寂した異空間に展開した今のフロート城内で、カガリは逃げまどっている。カガリを追っているのはレイアスの兵士たち。ザイールの命令だが、ザイールは高みの見物を決め込んでいる。それは、こちらにとって幸いだった。高い魔力を持ったレナンを行かせるにしても、相手は間違いなく最高峰である魔術士なのだ。まだ、レナンには荷が重い。それに、私はこの任をレナンに任せようとも思っていない。
「サラ」
「はい」
「キミに、フロート城へ行ってもらいたい」
「……」
サラは、険しく目を細めた。彼女が何を思ったかなんて、先読みの心得が無くとも容易だ。
「あの愚民を、助けろ……と?」
「そうだよ」
「ルシエル。それなら、俺が行けばいいだろ? フロート城内は、初めてじゃない。それに、サラでは容姿が……その、目立つだろ?」
「確かに、サラはファイロークの民そのものだからね。目立つのは分かっている」
「それだけじゃない」
レナンとサラとの間には、ある程度の縁が結ばれていた。信頼関係が成り立っていることは、いい状況だ。それを狙っていたにしても、上手くことは運んでいた。
全てが私の知る盤上で起きているとも言い切れない。私は、歴史を大きく変える事象については知っているつもりだ。それでも、ラナンがライエスであったことも知らず、レナンが水の精霊長であるレイディアンの生まれ変わりであるのも、知らされていなかった。事象が目の前で展開し、後付けで加えられた世界史を私は目の当たりにしたにすぎない。
世界史は、すべてを私に見せているのではない。
私も結局、駒のひとつにすぎないのだ。
(たとえそうであっても、私は最善を尽くしたい)
ふと、左手で左耳のピアスに触れた。青い石と、緑の石がそこには輝いている。緑はもともと、私がしていたもの。青い石は、アリシアが残したものだった。石に触れ、アリシアの存在を尊いものだと感じる。目の前に居るレナンは紛れもない。私とアリシアの子なのだ。
「ルシエル様」
「なんだい?」
物思いにふけっている場合ではない。私は軽く息を吐いて、思考を一旦停止させた。まだ、気を許していい段階にはいないのに、何を余裕ぶっているのか。自分でも恥ずかしくなる。私はそこまで驕っているわけではない。ただ、そうさせるほど私は弱り、死期も近いのだと認識する。
最近また、強く胸が痛む。心臓も痛いが、何よりも肺だ。呼吸が辛いのは、戦闘を前に致命的だ。
私が先導者としての任を解かれるのも時間の問題。その後継者の名は、世界史には記されていない。しかし、きっと世界史は既に知っているのだ。大いなる世界史とは、そういう存在だ。そして、後継者を私は『レナン』だと読んでいるが、きっと間違ってはいない。
世界史と創造の神、ライエスを天秤にかけると、どちらが上になるのだろうか。ライエスは、この星での神にすぎないが、世界史とは宇宙を計るのか。そうすると、ライエスさえ駒となる。それを思うと、私は巨大すぎる世界史に対して、恐怖さえ抱く。
「あたしは、命令であるならルシエル様に従う。ルシエル様がそれを“命令ではない”と言ったとしても、私に対しての言葉は全てが命令となる」
「そうだね」
「ルシエル!」
あっさりと肯定した私を、レナンはやや険しい顔つきで睨んだ。
この数ヶ月で、レナンは随分と大人になり、成長を遂げた。戦闘能力にしても、知識にしても。一番は、ひとへの接し方が大きく変わった。それを私は、単純に嬉しいと思う。親として、子を見守る姿勢は、カガリへの向き合い方となんら変わりない。血の繋がりが全てだとは、少しも思わないからだ。自分が両親や兄たちに対して良い感情を持っていないことから、こうしたねじ曲がった私が生まれたと思う。
アリシアは、へそ曲がりな私を見捨てず、一緒に聖域すら飛び出してくれた。それ故に、命を落とすことになったのは、全て私の責任だ。私が死ぬのは当然の報い。ここまで生きて来たのは、贖罪のため。そして、独りで長く生きたのは、苦しみを味わうためでしかない。
ただで許されるなど、考えていない。
死は、最大の逃げである。
「圧力で物を言わせるのか? アンタらしくない」
「そうしたい訳じゃないよ。でも、結果そうにしかならないのであれば、仕方のないこと」
「本当にそうか? 本当にそうだと思っているのか?」
「思っている」
「…………」
私があっさり肯定することを、レナンは予想していなかったのだろう。口を閉ざして目を見開いた。男性にしては大きく、くりっとした愛らしい眼はコバルトブルーの輝きを灯す。誰かによく似ていると思っていたが、アリシアの目に瓜二つだった。こんなにもハッキリとしたヒントがありながら、私はまるで気づきもしなかった。それは、アリシアとの間に子を授かった記憶を一切失くしているからだ。記憶操作はおそらく、世界史によるものではない。ライエスの力なのではないかと、私は予想した。
他にも、記憶の欠如や書き換えは行われているのかもしれない。しかし、それに気づかないのであれば、無くても気にはならないものだ。
「他に道はあるのかい?」
「……あるだろ」
「聞いてもいいかな?」
レナンは溜息を漏らした。彼の中では、簡単な問題だったのかもしれない。
ずっと、双子の兄であるラナンに向けて刃を振りかざしていたレナンだが、今は狂気じみた考えなどまるで無い。もともとは、優しい子だということが裏付けられている。
「サラに行かせなければいい。俺がフロートに行く。それでいいだろう?」
「ダメだ」
「なんでだよ!」
ここまで声を荒げることを、私は意外に思った。確かにレナンとサラの間には、信頼関係が生まれている。ファイロークの村で数日過ごすことで、レナンには新しい世界や見解が広まったと確信していた。それでも、レナンが激昂するとは思っていなかった。私はそれを受けて、目を細める。
「それは、望まれた歴史には結びつかないからだよ」
「! また、世界史か」
「あぁ、そうだよ」
嫌気がさしたらしい。レナンは舌打ちした。
世界史を知らない者に対して、こんな言葉をかけたところで、すんなり受け入れてはもらえないはずだ。それは、仕方のない話。レナンを責めることは出来ないし、私もまた、どうこう抗えない事実なのだ。
「世界史、世界史……そればかりじゃないか。アンタの主張はないのかよ」
「すまない」
「俺やサラだけじゃない。みんなが、とち狂ったフロートの圧政の中。アンタにだけ希望を寄せているんだ。そのアンタが意味わからないものに囚われていては、何を信じればいい!?」
「レナン。私に期待するのは間違っているよ。私は本当に…………力ない存在なんだ」
「力ない人間が、こんな空間を創れるものかよ」
「これは……」
なんと説明しようか。この世界は、科学を失くした代わりに、科学では説明のつかない力を多く生んだ。魔力も然り、精霊界も然り。そして、魔術と似ていて実は全く違うもの。『魔法力』もまた、新たに生まれた力だ。魔法を扱う人間は少ない。魔術士ほど、魔法士は普及していなかった。私自身、ここまで魔法を扱えるようになったのは、割と最近の話である。過去は魔術しか習得していなかった。そして、魔法力は兄上たちに知られてはならない力だと判断し、私は隠し通して来た。
今、この力に頼るのは、私の魔術が劣化した為だ。魔術を自由に扱えるほど、体力が残されていない。精神力も弱まっているのだ。
「いつか、分かるときが来る。キミはきっと、答えにたどり着けるよ」
「そうやってはぐらかして。なんだよ…………」
「レナン」
間に割って入り、サラは先ほどよりは落ち着きを取り戻した様子でレナンに向き直った。静かに語り掛ける。
「あたしが行く」
「サラ……」
「ルシエル様を困らせるのは、何よりも不本意」
「…………」
サラの気持ちは固まったようだ。私はサラと視線を合わせると、ゆっくり頷いた。
「ありがとう、サラ。助かるよ」
「あたしは、誇り高きロークの民。聖域の真の後継者であるルシエル様に、従うのは当然のこと」
「その聖域を壊したのは、私だ。すまない」
「聖域は、完全に消滅した訳では無い。今もまだ、ありますよね」
「……アリシアが御神木となり、新たなる結界を張っているからね」
「アリシア、か」
精神体となって、アリシアは度々姿を見せるようになっていた。アリシアも、アスグレイの地で生まれた聖域の魔術士である。他の魔術士とは違い、より濃く、より優秀な魔力を継承していた。そのため、肉体を失くした今も、自我を持っている。だが、誰とでも交信できるものでもなかった。
「サラ。カガリが危ない。フロートへ、頼む」
「御意」
サラが頷き、私は左手で空を切った。
そこに裂け目が生まれ、外の世界との接触を図る。
白い世界の先に生まれたのは、漆黒の闇に包まれた城。
中庭に、転移先を定めた。
開かれた世界に、サラは飛び出していく。
私とレナンは、黙ってその姿を見送った。




