知らない現実
サラによって案内された『ファイロークの村』。
レナンは、ファイロークの民の長老に、これまでの質問をされる。
しかし、長老の答えにレナンは戸惑うことになり……?
守られるばかりの赤子じゃない。
俺はもう、自分で物事を考え判断し、動き出せる。
「サラ。そのまがい物を何故この神聖なる村へ連れて来た?」
「長老。レナンは確かに中途半端な不安定な生命。でも、ルシエル様派。アタシたちと同じ意見を持つ」
「だから、何だと言うのだ。余所者が出入りすることで、殲滅したライロークの民を忘れたか?」
「…………いいえ。忘れてなどいない」
明らかに、歓迎ムードではなかった。サラは言っていた。関係のない人間が、この特別な空間……集落に、足を踏み入れたことは無い、と。だからこそ、警戒されるのは当然のことだろう。
俺が、生粋の『人間』だったならば、余計に危険的な視線を向けられていただろう。相手は恐らく、俺が人間にもなり切れない、精霊にもなり切れない……中途半端な存在だと気づいている。隠し事をすればするほど、疑われるだろう。
よろめきながらも、何とか立ち上がる。まだ、しっかりと背筋を伸ばすことは出来ないが、それでも手でバランスを取りながら、大地に立つ。
「少年よ。名は何という?」
「レナン」
「ファミリーネームは何だ?」
「…………」
俺は静かに俯いた。
この世界。
孤児には当然、正式なファミリーネームなど無いからだ。
ラナンは、『ヴァイエル』と名乗っている。それは、勿論正式な名前ではない。ただの孤児には、ファミリーネームを語る資格すら与えられない。だが、兵士には好きな名を語れる権利があった。それによって、何か利点が出来るのかと言われると、一切ない。国からの補償が出る訳でもない。ただ、見栄を張れる。そんなところではないだろうか。
誰もが、生まれた瞬間に手に出来るものを、俺もラナンも得られなかった。思えば、そこから不幸が始まっているのではないだろうか。
「正式な名は、無い。ただ、ラバース兵時代はヴィクトと名乗っていた」
「ヴィクト? それは…………フロートの直営孤児院の名だな」
「そうだ。俺は孤児。ヴィクトで育った」
「ルシエル様を崇めながら、フロートに身を寄せていたとは。あの恥晒しを彷彿とさせるな」
「……恥、か」
また、恥。
サラを含め、この一族はプライドがよほど高いらしい。
何故か、『カガリ』に対して酷く冷たい。
「レナンよ。お主から、あの忌まわしき毒草の臭いがする。死臭だ」
「…………生きている」
「あの毒草に近づき、何をしようとした?」
(あぁ、俺は審判にかけられているのか)
何故か、背筋がピンと伸びる気がした。緊張感が走る。此処で選択を間違えたら、もしかしたら俺は、彼らから鉄槌でも喰らわせられるかもしれない。それでも、嘘や偽りで固めてもそれは意味がない。俺は此処で、自分が今選んだ道を伝え、その道が正しいのかどうかを計ることが出来るチャンスだ。
自分ひとりで決めた道に、なかなか自信が持てないのは、情けないことだ。でも、決着が出来ずにグダグダするよりは、誰かの助けを借りてでもいい。少しずつ前に進むことが大切だ。
今は焦る局面ではない。彼らの天秤にて、俺を読み解かれようとされているが、怯むことは無い。俺は俺の考えと、意志を伝える。それでいいはずだ。まだ、力が入りきらない足で何とか身体を踏ん張って支えながら、長老と呼ばれた者と視線を合わせた。黄金色が強い、鋭い獣の瞳孔だ。サラもそうだが、彼らは若干好戦的な種族のように思われる。
カガリも同じ種族のようだが、カガリは全く好戦的には見えない。むしろ、戦を好まない、優男でしかない気がする。その点で、彼らからは支持されていないのだろうか。人間からすれば、優男であるカガリを支持したいが、種族や立場が変われば、それすらも変わるものなのか。
「俺は名もなき草をこの世界から排除したい。フロートに蔓延る精霊界の関与を、断ち切りたいと思っている」
「何故? お主は、何時からフロートが精霊界と手を組んでいるのかを察したのだ」
「つい数ヶ月前に過ぎない…………俺は、数ヶ月前までは、魔力も無い、ただのラバース傭兵のひとりだった」
「え?」
声を挙げたのは、長老ではなかった。すぐ隣に立っている、サラだった。サラとは、ほんの数時間前。このシンレナ大陸にて出会ったばかりの他人だ。何を知って、何を知らなくて驚いても、俺はどう反応していいのか。どう対応すべきなのかが分からない。とりあえず、今相手にすべきは長老かと思い、敢えて無視をすることを選択する。短時間の間に、俺を導き救い出し、今、自身の面目を潰す覚悟で彼女の村へ案内してもらっておきながら、これは間違っているかもしれない。だが、俺は不器用だった。人付き合いを、誰とも深くしてこなかった仇がここで出ている。二十歳にもなって、こんな風にあたふたすることが、それこそ恥ずかしく感じる。やや、視線が下がった。地面が視界に映った瞬間我に返り、長老に対しても失礼だったかと、再度視線を上げ戻す。
「魔力は、生まれ持った素質である。突然消えることも無ければ、突然生まれることもない」
「……それは、なんかどこかで聞いた。でも、それを俺に言われても困る。これが事実なんだ。否定されても、俺は嘘を吐いてない」
「…………あり得ん。元々、魔術士だったとしか考えようがない」
「長老。それに関しては、訂正があるわ」
「何だ、サラ。申せ」
「はい。彼、レナンは人間魔術士ではないみたい。彼はつい先刻、人間外の姿をしていたわ」
「人間外?」
俺は、サラがそれを言い出すまで、覚えがなかった。目が覚めたときには、いつもの自分に戻っていたようだから忘れていたが、精霊界で俺は、覚醒していた。泉で自身の姿を見つめたんだ。間違っては無いだろう。俺は、耳がエルフのように尖り、髪はブロンドではなく色素の薄い水色。瞳も、深い青ではなくガラス玉のような限りなく色のない水色に変わっていた。瞳孔も、丸くなかった。サラたちのような、細い形をしていたのだ。
俺は、人間ではないのかもしれない。
今更ながら、その事実に若干傷つく。
その時、ふとラナンのことが頭をよぎった。
(アイツは、生まれながらにして緑の髪をしていた。色素の薄い肌で、気味悪がられてたんだ……孤児院でも。ずっと、ずっと、化け物扱いされて、孤立していた……それなのに、俺が虐められているのを察すると、すぐに駆けつけて、守ってくれた)
ラナンは、いつだって俺の味方だった。
俺がどれだけ過ちを繰り返しても……裏切らなかった。
「…………ラナン」
ぽつり。
つい、口から兄の名がこぼれた。
「ラナン…………アレの双子か、お主は」
「? あぁ、そうだけど。それが何か、関係あるのか?」
長老は、顎に赤い髭を生やしていた。なかなか立派に伸びている。それを右手で触りながら、目を瞑った。ラナンのことを、何か知っているようだし、考えているのかもしれない。
どこの世界でも、ラナンは有名人なのかと、どこか複雑な心境に陥る。俺としては、そろそろ全てに蹴りをつけて、ラナンを自由にしてあげたいと思う。それが、今まで迷惑しかかけてこられなかった、出来損ないの弟に出来る最大限の孝行ではないだろうか。
「ラナン・ヴァイエル。奴は、どう転ぶか分からぬ存在」
「どういう意味だよ」
「裏ラバース。ソウシ・ヴァルキリーに託したが、選択を誤ったかもしれぬ……そういうことだ」
「何故、疑う?」
ラナンは、長老が言うとおり。裏ラバース……つまりは、ラバースを裏切っている組織に属するソウシに、レールを敷かれて今まで生きていたらしい。孤児院に居た、子ども時代から既にレジスタンスとして生きる道を示され、歩いているのだ。その覚悟を決め、今も尚活動し続けているラナンを、此処に来て疑うのはどういうものか。俺は、内心面白くはない。つい、何も考えずに長老に問い返していた。
「アレは、あまりにも逸脱している。知らぬとは言わせんぞ。奴こそ、魔力があるのか無いのか…………いや、魔力とも呼べない、更なる境地の力を内に秘めておる」
「…………分からない。何の話だ」
ラナンが、魔術士か何か?
そんな話、噂を、聞いたことはない。
「お主は知らぬのか? エリオス城内で起きた惨劇を……」
「…………それは、あの皇子たちの陰謀のことか?」
「皇子たち? 何を言っておる。殺されかけたのは、クライアントの皇子であろう」
「…………クライアント、の? それって、サノイのことか?」
「その様子は、知らぬようじゃな」
「…………何の話だよ」
エリオス城内で起きたこと。
それは、エリオスの皇子ふたりによって、ラナンが精神崩壊させられた事件。
…………その、はずだった。
「他に、何があるんだ……」
聞くのが、怖い。
俺は、事実を受け止めることが出来るのか?
かぶりを振る。
心臓が、嫌な予感を察知して、バクバクと嫌な音を立てる。
「…………いい、聞きたくない」
俺は、逃げた。
今度は自らの意志で、視線を外す。
「長老。ラナンに対して、ルシエル様から何か指示は?」
俺の精神が乱れ切っているのを察知したのか、サラは沈黙を破って言葉を発した。だが、サラの言葉の内容も、俺にとっては気になるものだった。意識を完全にはそらせない。
「…………まだ、何も」
「………………」
まだ、何も。
答えが出ていないという『答え』に、俺は初めて安堵した。
俺が思っていたよりも、ずっと……。
時間は、待ってはくれないのかもしれない。
動き出している歯車は、狂ったまま……回り続けている。
回転速度を、確実に増しながら……。




