目覚めのとき
眠りから覚めなかったレナンの意識が戻る。
ルシエルの部屋にひとり残されたレナンは、自分の本音と兄への想いを振り返る。
一方、レジスタンスに助けられた最強の魔術士ルシエルも、目覚める。
誰も、居なかった。
物心がついた時には、フロートが運営する孤児院に居た。
父親も、母親も、知らない。
顔も名前も、知らない。
居るのは、赤の他人の教育者シスターと、孤児。
(いや……ひとりだけ、居た)
唯一の、家族。
兄、ラナン。
「…………なんでだよ」
ずっと、隣で笑っていた兄。
身体が小さく、よく虐められていた俺を、庇ってくれた兄。
「なんで、俺を置いて行ったんだ」
ラバースからの使者からのスカウトで、傭兵になった俺たち兄弟。即戦力として、ラバースSクラスの推薦があり、別宿舎に移ったラナン。どこでそんな力をつけていたのか。ラバース領主の「クランツェ」と、最高位クラスの立ち合いの場で、ラナンはありとあらゆる武器を、操って見せたらしい。その評価が高く、そのまま最下位クラスに配属された。
ラナンとは対照的に、何の知識も実力もない俺が、即戦力になれるはずがない。俺はラナンとは別の宿舎。「傭兵育成組織」へと案内された。
そのとき、俺がどれだけ心細かったか……ラナンは、想像したことがあるだろうか。俺が必死にラナンを信じ、ラナンの助けを待っていたことを、知っていたのだろうか。
「ずっと、ずっと…………待っていたのに」
ラナンは、ひとり先へ行った。
気づいたときには、Dクラスの隊長に。
やっと、Dクラスに入隊出来たと思ったら、ラナンはラバースを去った。
俺のことなんて、眼中になかった。
「…………寒い」
目を開けると、見慣れない天井があった。冷たいシーツの質感は、つるっとしていて肌に優しい。ラバースに与えられている布団は、縫い目が荒い。つまりは、俺は今。ラバースに居ないということになる。
「…………どこだ、此処」
ゆっくりと、身体を起こそうとする。しかし、上手く力が入らない。そして、身体に違和感を覚える。いつもと、何かが違う。
もう一度、視線だけ動かして室内を確認する。不思議な絵画がある。木造の椅子にテーブル。なんだか、とても広い部屋だ。灯りが無くて、外からのわずかな光だけが頼り。それでも、夜目が利いているのか。割と把握できた。
(そうだ。俺は、フロート城に居るんだ)
この部屋が、「世界最強の魔術士」ルシエルの部屋ということも、思い出した。しかし、肝心の部屋の主の姿がない。ルシエルは、俺を「付き人」にしてくれると言って、国王に交渉しに行った。部屋に戻ってきてからは、俺を寝かせて食事の準備をしていたはずだ。
「結局、独りになるんだ…………俺は」
寒い。
こころが、凍り付いていく。
『目覚めたか』
「!?」
敵が来たのだと思い、俺は、無理やり腕に力を入れ、腹筋を使って起き上がる。しかし、声は確かに聞こえて来たのに、誰の姿もない。ただ、気配はある。
「誰だ! 居るんだろ……姿を見せろ!」
『姿ならば、見せている』
「?」
目を細め、目を凝らす。それでも、声の主を特定できない。どうみたって、ただ、テーブルや椅子、本棚など、家具があるだけだ。
(本当にそうか?)
俺は、意識を集中させ神経を研ぎ澄ました。すると、ぼやっとしているが、なんだか空間が歪んでいるような錯覚を覚える。
「そこに、居るのか?」
ベッドから降りて、立つほどの力はない。何故、こんなにも脱力しているのかが分からないが、身体を起こして、ベッドに座った態勢をとるので精一杯だ。
『ふたつの命を宿すもの』
「?」
『人間としてのお前の命は、尽きたのだ』
「…………何だって?」
『お前は死んだ』
「…………」
何を言っているのか、理解が及ばない。俺は、自分の右手を広げ、視界に入れた。確かに、血色は悪い。だが、俺の意識で動くし、心臓だって動いている。
「何を言いたいんだ。俺は、ちゃんと生きている」
『精霊の卵。お前の器は、貴重なるものだ』
「精霊?」
『水の精霊主だったお前が、こうして目覚めたものは運命』
「…………バカバカしい」
普通に会話をしているうちに、ただ、ぼやっとしていた景色から、「人間」のような姿を視界にとらえていることに、俺は気づいた。その姿は、耳が尖っている。エルフというのだろうか。「色」というものは、無いように感じる。
風。
そうだ、風のような存在。
「俺は人間だ」
『人間としての一生は終わったのだ』
「勝手に決めるな」
面白くない。
化け物と呼ばれていた、兄、ラナン。
(ラナンは、こういう気持ちでずっと居たのか?)
緑目の生命は、この世界で存在していない。
だからこそ、異端とされている。
(孤独だったのは、ラナン…………お前もなのか?)
精霊だとか、死んでいるだとか、俺のことはどうだってよかった。別に、終わったならそれで、どうにかしたいとも思わない。この世界に、何の爪痕も残せなかったと、ただ思うだけ。
それよりも、この謎めいた存在に、訳の分からないことを突き付けられて、俺は率直に不快感を覚えた。勝手に決めつけられて、勝手に何かを押し付けようとしているのが分かる。
俺に、選択の余地がないように。
(ラナンは、何を抱えているんだ)
いつの日か、ラナンがすごく「大人」に見えたときがあったことを思い出した。
最近の話ではない。
まだ、幼い子どもだった時代。
孤児院に居た、遠い過去。
(何か、あったのか? ラナン)
※
「キミは、感情を隠すのが上手いね」
「…………」
日が傾いてきていた。雲行きがよくないこともあり、辺りは暗い。私は、どれだけ眠っていたのだろうか。訊ねても、誰も答えようとしないのだ。
ここが、レジスタンスのキャンプ地のひとつであることは、教えられた。同時に、暴走した私が犯した、罪を思い出す。私は、簡単には取り返せないほどの失態を犯していた。
それに対して、どうしようもない怒りを覚えた。城にひとり置いてきてしまった、レナンのことも、気がかりだ。そして、此処に居るカガリを不自然に思わせないように帰還させるには、どうしたらいいものかと、思考を働かせる。自己嫌悪は程ほどにし、まずはカガリを城に戻し、自分自身も城に戻らなければいけない。
城を出てくる前のことも、分かっている。ジンレートに手を出したこと。国王に向かって、警告を放ったこと。
(どうして、自制が出来なかったんだ……私は)
病に侵され、睡眠不足と体力消耗。それに伴い、思考力の低下が進み、最悪なことに私は自我を失った。
自我の無い私は、魔力の制御も外してしまった。生まれながらにして、「脅威」と恐れられ、その力の解放を、戒められてきた「魔力」は、封じていなければいけなかったのだ。
魔力の暴走は、精神崩壊を加速させてしまった。攻撃的になった私は、その言葉の通りにたくさんのものを傷つけた。
「キミたちのリーダーの精神を、傷つけてしまったね」
「……ラナは、そこまで弱い人間ではない」
「強がっているだけだよ」
「いや」
「違わない」
私は、キャンプの中心から少し離れたところに立つ、黒髪黒目の青年を前に、言葉をかける。
彼の名は、「サノイ」だ。彼が居ることで、レジスタンスアースは、上手く回っているともとれる。それだけ、彼には力もあり、思考力もあった。
「強がっているのは、キミだ」
「…………私が?」
「そう。動揺させまいと、こうして私をラナンから遠ざけている」
「…………」
ラナンは今、眠っていた。私と交戦し、相当に疲労していたようだ。リオスの話によると、ここまで深い眠りに入ったのは、記憶にないそうだ。治療されていたとはいえ、私の魔術による攻撃を、幾つもその小さな身体に受けていた。失血も酷かった。それでも、私が目を覚ますまで、ずっと私を見守り続けていた。
(夢の中で、アリシアに会った気がしたな……)
目を開けたとき、視界に入ってきたのは緑の瞳だった。
アリシアに似た、輝く瞳。
でも、放つ色が違う。
その瞳に、意識を取り戻した私が映ると、その瞳は閉じられた。
そのまま、今に至る。
「この傷は…………致命傷だった」
「…………」
「気にすることはないのにな。自分が蒔いた種だ。すべて、私の責任だ」
「…………ラナは、繊細なんだ」
「知っているよ」
ラナンに貫かれた腹部の傷は、あまりにも深かった。意識を取り戻したと同時に、どうしようもなく痺れるような痛みが腹部を襲った。何とか顔には出さないように努め、何故、このような痛みがあるのかを思い出そうとした。意識が戻った瞬間は、記憶が曖昧になっていたからだ。
しかし、痛みを通してその記憶はすぐにハッキリとした。自分の愚かさを呪い、弟子であるカガリを巻き込んだこと。そして、城に独り残してしまったレナンの身を案じた。
「この傷のことを、カガリにも隠してくれたんだね」
「あなたは、最強の魔術士だから…………そんな傷で、世界を動揺させたくはない」
「最強なんて、名ばかりだ。私はただの、最低な人間だ」
「…………人間だから、ミスを犯す。完璧な人間など、存在しえない」
「キミにも、欠点があるのかい?」
「…………」
サノイは、何も答えなかった。
彼の年は、二十四。まだまだ、若い。カガリよりも若い。しかし、カガリよりも、落ち着き払った精神を持ち、適格な判断を下すのが、実に早い青年だった。大国「クライアント」を支え続けた、皇子であり、軍師であったことには頷ける。
「カガリと、城へ帰還する」
「いつ?」
「今すぐにでも、発ちたい」
「転移の魔術を使うのか?」
「そうだね」
腹部の痛みは治まる気配がなく、息をすればやはり胸が苦しい。それでも、魔術が扱えない訳ではない。それだけの集中力は、取り戻せていた。
カガリを早く、城へ戻したい。そして私は、まずは部屋に戻ってレナンに薬を与える。それから、国王とジンレートのもとへ行くつもりだ。形だけでも、謝罪を入れるしかない。
だからといって、絶対的忠誠心を誓えるものでもない。もし、何らかの罰がくだるのならば、甘んじて受けようと覚悟は決めた。牢獄に入れられるかもしれない。「転移」の魔術がある限り、その行為はまったくもって無意味ではあるが、おとなしく従おうと思う。ただし、レナンの命の安全と、私の拘束時の保障はしなければいけない。
(カガリに任せられたら、一番安心なんだが…………国王から、その許可を得るのは無理だな)
それだけカガリの存在を、国王は重要視していた。
カガリは、「疫病神」としてフロートに置かれているのではない。
真実は、別にある。
神への信仰心が篤いフロート現国王「ザレス」が、「疫病神」を傍に置いておくはずがないのだ。
カガリを側近として置いているのは、カガリから「力」を得たい為。
そのことに、カガリ自身は気づいていない。
ザレスの一番のお気に入りだと自負している、ジンレートも気づいていない。
「サノイ」
「…………何だ」
「キミの秘密を、私は知っている」
「?」
「いつか、話すときが来る。そのとき、キミはきっと…………私を超える」
「…………」
何を意味しているかなど、悟れないだろう。
しかし、これもまた事実。
世界史にはそう、書かれている。
私は、サノイに背を向けて、キャンプの中央に向かって静かに歩き出した。




