私の正義
レジスタンスと一度別れ、城へ戻ったカガリ。
どこを探しても、ルシエルの行方を示す手がかりはない。
城内で落胆していると、そこへ現れたのは不機嫌なジンレートだった。
フロート城内。
いつもにもまして、不穏な空気が漂っていた。
昼間だというのに、薄暗い。
どの死角から火を放たれてもいいように。
窓の大きさや数は、必要最低限に設計されている。
しかし、そもそも放火を想定して城設計する時点で、この国の行く末は決まっていたのではないだろうか。そんな気さえしてしまう。
私は、レジスタンスから離れ、ひとりフロートへと戻って来ていた。この世界に、ルシエル様の居る様子はない。どこへ行ったのか。帳簿をみても何の情報も得られなかった。肩を落とせば、そのまま胸の中にたまった重い空気も自然と吐き出されるというものだ。気を取り直し、私は私の仕事をしようと、顔を上げた。
鏡に映ったその顔は、少しやつれてきている。もともと、栄養状態はよくなかった。それを補うかのように、ルシエル様は私に手料理を振る舞ってくれていた。今になって、多方面でルシエル様は、私のことをサポートしてくださっていたという事実に、気づけた。もっと、早くに気づくべきだったし、私はもっとルシエル様に感謝すべきだったという後悔にかられた。
ルシエル様は、死んだ訳ではない。聖域の闇の中、確かにルシエル様を見たし、言葉を交わしたのだ。今は、時ではない……それなら、一体いつになったら、ルシエル様は戻られるのだろうか。今だって、十分に状況は劣悪だ。レジスタンスも、ラナンも、国民も……。これ以上、何を待てというのだろうか。
それとも、ルシエル様はまだ回復しきっていないのだろうか。ルシエル様は、エリオス城内で何を見て、何を知り、何を考えたのだろう。知りたいのに、誰に聞けばいいのかも分からない。
あの城に攻め入っていたのは、レイアスだ。そして、軍師……それならば、聞くべき人間は、此処に揃っているということにはなる。しかし、立場上仲間であるはずの人間は、実際は敵なのだ。私はもう一度、ため息を吐いた。
長く続くレンガ調の通路は、歩くたびにカツカツと音が鳴る。ブーツの裏に、金属を仕込んでいるからだ。間合いをとることで、より効果を発揮できる魔術士とは違い、私の場合は近距離戦へいかに持ち込むかによって、勝敗が左右される。
魔術は扱えない。ただし、私は魔術こそ扱えないが、魔力ならば身に着けている。「風の民」である私は、魔族と人間種族のハーフだった。そのため、人間の姿にも、魔族の姿にもなることが出来る。
ラナンとレナンの居た家。あそこには、なんだか不思議な力があふれていた。それを「魔力」だと位置づけると、納得もしやすい。しかし、どんな魔力が隠されていて、何の意味があってその術がなされていたのかは、想像することすらできない。
「……ルシエル様」
返事など、返って来るはずもない。探し求めている師匠の名を、知らずに私は呟いていた。それを、誰かが聞いているとは、まったく想定もしていない。
呟けば、そのまま弱音が続きそうになった。城内に広がる重々しい空気にも、負けてしまいそうだ。挫けてしまいそうになる。ほんのりと、目頭が熱くなっているのも感じた。私は今、とても疲れている。そう、実感した。
ふと、壁にもたれかかった。ひんやりとした石材の温度が、ほどよく私を癒してくれる。静かに私は、目を閉じた。
「何をしているんだ?」
「!?」
目を閉じた瞬間だったのか。それとも、ある程度の時間が経過したのか。それすら把握できないほどに、私は疲労していたらしい。そもそも、こんなにも他者が接近してくるまで、その存在を把握出来て居なかったとは、兵士として失格だ。私は、背後を簡単に取られていた。実戦だったならば、即死の失態だ。
「こんなところで休みをとるほど、お前は暇なのか?」
「…………」
言い返さなかった。この男の喧嘩にのるほど、今の私には余力が残っていない。それくらいの目算は、まだ出来て居るようだ。とりあえず、後ろをゆっくりと振り返れば、声の主を視界にとらえた。
前髪も経たせている。茶系のライオン頭の男。
レイアスの隊長、ジンレートだ。
「反論しないとは、珍しいな?」
「…………」
単に、男は私をからかいに来ただけだろうと、踏んでいる。いつも、この男こそ暇つぶしの材料として、私を挑発してくるのだ。その挑発に乗り、私は何度、愚行を繰り返してきたものか……。
ただ、分かってはいても私はその挑発に乗ってしまっていた。それは、私の背後にはルシエル様が居てくれたからだったのかもしれない。何かあっても、ルシエル様は必ず助けに出て下さっていた。その存在に、私は知らずのうちに甘えてしまっていたのだろう。
ルシエル様が姿を見せなくなり、私はやっとそのことにも気づけたのだ。本当に、私は馬鹿だ。そのことを振り返ると、目の前の男よりも、脳裏に焼き付いている師匠の事の方が気になり、視線を落としていた。
「余所見しているんじゃねぇよ、負け犬」
「…………」
男は、尚も挑発を続けていた。いつもにもまして、機嫌が悪い。私の態度も気に入らないのだろうが、それ以外にも何か、男を苛立たせる要因がありそうだ。ただし、そう思っても言葉にはしなかった。その方が、今はこの男への攻撃になる。頭の中で、勝手に計算したのかもしれない。
私が無視を決め込んでいるものだから、男は一歩踏み入れることで私との距離を詰め、強引に私の胸倉を掴んできた。私よりも若干背丈のある男だ。私が視線をあげなければ、この男の視線とぶつかることは無い。
「なんとか言ってみろよ」
「…………」
ただし、何故この男は此処まで苛立っているのだろうか……それは、気がかりになった。
この男が目の敵にしていたのは、今、姿を消している師匠……ルシエル様であった。地位的には、男の方が上である。レイアスの隊長であり、国王に最も信頼されている人間だ。しかし、ルシエル様の実力には、到底敵わない魔術士……それは、プライドの高いこの男にとって、許せないことだったはず。それならば、ルシエル様が不在となった今、レイアスは安泰。この男の天下とって、過言ではない。
いや、レイアスでのポジションは確立されたが、フロートとして捉えれば、実質二番手に落ちているのかもしれない。今、フロートは……ザレス国王は、「軍師」を崇めている。ルシエル様の兄、ザイールだ。もしかすると、突如として現れた黒幕の登場に、腹を立てているのかもしれない。
ルシエル様が消えてしまって、ザイールという人間が現れた。ただし、歴史をたどれば、ふたりは兄弟。「アスグレイの血」によって、この国は統括されていると見える。
ルシエル様は、そんなことを望んでいたのだろうか。ルシエル様の頭の中では、どこまでの道が、想定されていたのだろう。
「おい!」
「…………八つ当たりは止めてくれ」
「! なんだと……!?」
別に、あざ笑うつもりなんてなかった。ただ、私も疲れている。それだけのことだった。しかし、疲れがすぎて口角が上がってしまったらしい。それを見て、男は激昂した。一瞬、目を大きく開けると、次の瞬間……私は左頬に拳を食らっていた。
「ッ…………!」
何の構えもしていなかった為、歯を食いしばることも出来ず、口の中を切って血の味が広がる。割と馴染のある、鉄の味がしてきた。ふわふわと、現実味のなかった私の身体を、血の味と頬の痛みが支えてくれている気さえした。ここまで私は、病んでいたのかという事実に、今度は自発的に口元に笑みを浮かべていた。ただし、この男を挑発したかった訳ではない。単に、自身の状態にまるで鈍く、気づけていなかった実状がおかしくなっただけだ。
しかし、男にはそんなことは読み取れないだろう。やはり、馬鹿にされたという認識が大きいのか……眉を吊り上げ、怒りを露わにした。これは私が悪い。この男に対して、取るべき行動ではなかった。
「…………ジンレート。面白くないんだろう? 軍師に指示されるこの実状が」
「口を慎め、犬の分際で……」
「私は面白くない」
「は?」
「……この世界を、私利私欲で動かすことも。権力でねじ伏せることも、限られたひとしか幸せにはなれないことも、許せない」
「お前、悪い物でも食ったか?」
「私は…………」
この男に、苦言を呈しているのではない。
私は単純に、この男に弱音を吐いているんだ。
自分でも驚く行動だった。
あんなにも憎かった男に対して、こんな言動は血迷っている。
それでも、私は……。
「私は、ルシエル様こそ正義だと思っている」
私は、自分にとっての「神」を、ルシエル様に見ていた。
それだけ、ルシエル様の存在は、私の中で強く根付いていた。




