魔力なき者
目を覚ましたレナンは、再び沸き起こる魔力に咳き込む。
自分たちは、フロートから政権を取り戻すためにレジスタンスになったはずである。
それなのに、今では「精霊界」「世界史」と、大きすぎる存在を敵に回している。
世界は、魔力によって支配されている感覚を、受け入れられないレナンはある結論を見つけ出した。
いつから、俺たちはこんなにも複雑な争いに巻き込まれていたんだろう。
いつから、危ない橋を渡りはじめていたんだろう。
「…………ラナン」
身体が怠くて、重い。とりあえず、目だけを開けて隣に眠るラナンの寝顔を見ると、少しばかり心がほっとした。ラナンはまだ、眠っている。規則正しくお腹が上下し、深い眠りについていることが目に見えて分かった。ラナンも、疲れているのだろう。それに、このミスト大陸とは相性が悪い。余計に、身体に負担がかかっているのかもしれない。
身体を起こそうとは思うのだけれど、俺にはこのルーヴァのあまったるい香りが、どこか心地よいものにも思えていた。流石は宗教団体がお香として焚いているものだ。依存性というものが、少なからずあるのかもしれない。
「……(もう少し、眠っていてもいいか?)」
周りに、脅威はないように思われる。他に存在はない。目だけを右往左往させてみるが、誰かを捉えることはない。狭い部屋だ。誰かが居れば気配も感じるだろうし、視界にも入って来るはずだ。それがないだけでも、少しだけ俺は楽になれた。
ルシエルは、俺に何をさせたいのだろうか。そんなことを考えはじめた。ルシエルにとって、俺はどんな存在なんだろう。魔術の扱い方を教えてくれたのは、ルシエルだ。ルシエルは、無意味なことはしない人間だと思う。だとしたら、俺に転移の魔術をはじめ、術式を学ばせたことにも意味があるはずだ。
ルシエルは、自身の魔力や能力を、分散させていた。もしかすると、俺もまた、ルシエルの要素と呼ばれるひとつになったのではないだろうか。そんな気もしてくる。ただし、俺にそれを持たせたところで、どれだけの意味になり得るのか。俺では、計り知れない。
「ルシエルに、直接聞かないとだめ……か、…………っ」
胸の中に、不快感を覚えると、息苦しくなった。たまらずに、俺はそれを吐き出そうと咳き込んだ。
血だ。
「ゴホゴホ、ゴホ…………ゴホっ」
咳が止まらなくなる。抑えようとすればするほど、息苦しさは増す。ルシエルもよく、こんな風に咳き込んでいたが、それに似たものを感じた。
沸き起こる何か……奥深くから、蘇る何かを感じる。
「レナン?」
扉をノックされる。
声は幼い……オリジンのものだ。
「入るよ」
俺の返事なんて待たずに、扉は開かれた。無理をして口を閉じ、何とか咳を抑えようと堪える。
「魔力の一部を封じたのに……また、沸き起こっている?」
「…………」
「魔力の源が、ぼくたちとは違うのかな」
何を言っているのかが分からない。ただ、この咳をまた止められるのならば、早くしてくれと言わんばかりに視線を送った。それに気づいたようで、オリジンは俺の胸元に手を当てると、そこに意識を集中させる。すると、そこからすっと何かが抜けていく感じがした。気持ち悪さが取れると、同時に咳も治まってくれた。
「……それは、何をしているんだ?」
「大きすぎる魔力を、取り除いているんだよ」
「魔力? 消しているのか?」
「消しているのではなく、解放されすぎた力を封じている」
「その封印が解かれたら……」
「また、力が沸き起こるよ」
「そうか」
その言葉に、どこかで安堵を覚えた。
まだ、魔術士になりたての俺なのに、すでに魔力に頼る傾向にあるということか。それなら、魔術士……神子魔術士の寄せ集めである「レイアス」が、魔力を掲げて偉ぶることにも、納得いくというものだ。ただの人間では、到達できない脅威。それを、魔術士は生まれながらにして持っているんだ。
「治まった?」
「あぁ。息苦しさがなくなった」
「よかった」
「……ずっと、外に居たのか?」
オリジンは、どこか冷めた目をしていた。子どもの姿で、顔立ちもどちらかといえば幼く、背格好から伝える年齢と、顔立ちから伝える年齢にはずれがある。
「ずっとじゃないよ。ハースと話をしていた」
「ハースと、何を?」
「ルシエルの、居場所について……」
「分かったのか?」
「ううん。分からなかった」
オリジンは、ラナンへと視線を移した。ラナンは、俺の咳き込みを聞いても、オリジンが中に入って来ても、起きる様子を見せない。変わらずに、規則正しく呼吸を繰り返している。薬でも使われて、強制的に眠っている様子にも見えた。
眠れないよりは、眠れた方がいいとは思う。けれども、此処まで深い眠りを見ていると、このまま起きないのではないか……なんていう不安にも駆られるものだ。俺は、ゆっくりと身体を起こし、隣のベッドで眠っているラナンの様子を、もっと近くで確認しようと思った。
「無理はしない方がいいよ」
「無理はしていない」
オリジンの言葉を聞かずに、俺は身体を起こした。しかし、やはり気だるい。気分が悪いとか、そういうものは感じないが、身体は重かった。
「ルーヴァは、名もなき草の解毒剤として、開発されたものなんだよな?」
「そうだね。結局はまだ、その効果は見いだせていないけど」
「ルシエルが、名もなき草の毒にあてられて、此処で暴走したのは…………何か、意味があったんだろうか」
「フロートから、送り込まれていた。その時点で、気づくべきだったのかもしれない」
「……何に?」
オリジンは、ふと息を吐いた。そして、改めて俺に視線を向ける。
「フロートのバックには精霊界があるということ」
「……俺たちは、レジスタンスなんだよな?」
「そうだね」
「フロートから、政権を奪取するために、動いているんだよな?」
「……そうだね」
「だったら……精霊界だとか、名もなき草だとか。そういうのは、押し付けないでくれよ」
「……」
「ラナンだけは、もう…………巻き込まないでやってくれ」
声が震えた。
自分でも不思議なほど……俺は、涙を目に浮かべていた。
それに対して、オリジンは言及しなかった。
ただ、ラナンの方に目を向けた。
「ラナンは、不思議な存在だよ」
しばらく時間をおいてから、言葉を発した。俺の感情の高ぶりも、多少は収まっていた。けれども、涙はなぜか止まらない。疲れがたまっていたのか……それを、内から流すために涙となって具現化したようにも見える。涙なんて弱さを、他人に見せたくなんかないのに、止められない。
環境のせいだろうか。これもまた、ルーヴァの影響だ……そう思い込むことにした。
「魔力を持たない人間のはずなのに、ラナンは選ばれた」
「…………何に?」
「革命者に」
「誰から、指名されたんだ」
「世界史に、じゃないのかな」
もう、どうだっていい。
精霊界にすら、嫌気を覚えているのに、そこへ「世界史」などという、見ることも出来ない存在を口に出されても、関与のしようもない。俺は眉を寄せて、奥歯をぎりっと噛みしめた。
魔力を持たない人間……オリジンはそう告げた。結局はオリジンも、魔力にものを言わせる人間だということか。魔術士……いや、オリジンは自らを「魔法士」と名乗ったが、どちらにせよ、力にものを言わせるところがある。それを、いいものだとは思えない。この世界は、魔力によって統制されている。そんな風には思いたくはなかった。
世界をつくるのは、あくまでも生きているものすべてであるべきだ。そう思っている。力あるものが上に立つというものは、この歴史上ではよく見る光景かもしれない。けれども、そこで落ち着きたくない。
いや、そうじゃない。
俺は、ひとつの結論を導き出した。
「魔力がないから、選ばれたんじゃないのか?」
「…………ないから?」
涙も止まっていた。
目をこすって涙を拭う。
「きっと、いつか。世界から魔力なんてものは消えるんだ」
「…………そうかもしれないね」
オリジンは、否定はしなかった。
むしろ、そうであってほしいと願っているかのような目をしている。
ただ、それが叶わないことであると、オリジンは思っているのだろう。
その眼はどこか、渇いていた。




