革命者の憂鬱
レジスタンスに助けられた魔術士ルシエルは、「アリシア」を探している。
ルシエルは、ラナンを「アリシア」と見間違え、言葉をかける。
一方、「アリシア」と呼ばれたラナンは、「アリシア」に興味を持つ。
懐かしい香りだ。
心地よい体温。
きめ細かい肌の質感。
「アリシア……」
「?」
この感覚をずっと……探していた。
ずっと、望んでいた。
「此処に居たのか……アリシア」
「……」
そっと、私の身体を細い腕が包んだ。
その腕に、縋る。
「……ッ、ゴホ、ゴホ」
「……大丈夫」
優しい声。
「傍に居るから」
自然と、呼吸が和らいでいく。
まるで、魔法にかかったかのように……。
※
「寝惚けているようですね」
「……顔色、まだ悪いな。失血死しなかったのは、奇跡に近い」
陽はまだ高い。俺たちは、無事にキャンプまで戻ってきた。キャンプに戻れば、白魔術士のセアが残っている。カガと少し距離を空けて待っていたことから、カガの身元が割れたのはすぐに勘づけた。カガもやや気まずそうに、ふたりと距離を置いていた。
いや、カガはもともと人間との交流が苦手だ。そのせいかもしれない。慣れた相手には、すごく優しいけど、慣れるまでは「近寄りがたい」というイメージを持たせる。
孤児院の裏庭で出会ったとき。カガは、俺を見て驚いた顔をしていた。まるで、幽霊にでも遭遇したかのように、目を見開いて、一歩後ずさりをしたのを、今でもハッキリと覚えている。その理由は、未だに不明。
最初は、俺が「緑目」だから、気味悪がったんだと思った。孤児院のシスターを含め、みんながそういう奇異な目で見て、俺を避けていたからだ。でも、どうやらそうではないみたいで。むしろカガは、俺を避けるのではなく、大事にしてくれた。武芸の稽古もしてくれた。文字の読み書きも、教えてもらった。ただし、俺はこの世界の共通語の教育を望まなかった。それは、この世界が俺を望んでいないことに気づかされていたからだ。
俺はカガから、「古代」の文字を教えてもらった。古代語とは、「日本国」という遠い昔、この世界が生まれる前の「伝説」の時代にあった国。実在したかどうかも、ハッキリしない世界。でも、その国の末裔とされる地域がある。それが、このレジスタンス「アース」の一番の古株。一緒にフロートの傭兵組織で戦った仲間、「リオ」の村と言われている。確かに、リオの村で使われている言葉は、「古代語」だった。世界中歩き回ったけど、「古代語」を使っている村は、そこしかない。
カガは、古文書も幾つか見せてくれたけど、それはこの世界の共通語ではなかった。違う文明があったことは、きっと本当なんだ。それが「日本国」という名前だったのかどうかの確証がないだけだ。文献によると、「日本国」の人間は、「黒髪黒目」だったそうだ。この世界の「黒魔術士」の一般的な風貌に一致する。でも、そのひとたちが「魔術」を使えたなんて記述はない。「神話」によると、「セルヴィア」という女神が、化学兵器によって滅びた古代文明、「地球」という星を、新たな世界「ディヴァイン」として、蘇らせたと記されている。
「女神……か」
「えっ?」
「いや、独り言」
俺の膝元には、気持ちよさそうに眠る「世界最強」の魔術士の顔がある。失血のせいか、
病のせいなのか。血色は悪い。このまま永眠しそうなところが正直怖い。
(アリシアって、誰だろ……ルシが探しているひと?)
俺は、カガの顔を見た。カガは、ずっと黙って気難しい顔をしている。手にはしっかりと、俺が渡した薬草を入れた袋がある。
「カガ。ルシは俺たちが見てるからさ。その薬草、城に持っていったらどうだ?」
「…………」
「?」
聞こえていないようだ。カガの意識は、どこか他にある。ルシのことを見ているから、ルシのことを心配しているのは分かる。ただ、よく見るとその焦点は合っていないようにも見える。別のことも、頭の中にあるようだ。
「カガ?」
「え、あ、あぁ……なんだ?」
少し声の大きさを上げて、もう一度呼びかけた。なるべく、会話は控えていた。それは、声でルシを起こさないようにするためだ。
「薬草。城に持っていったらどうだ?」
「…………そう、したいが。今の状態では、部屋に入ることも出来ないかもしれない」
「部屋? 誰の?」
「……ルシエル様の部屋だ」
「ルシの?」
俺とリオ、そしてサノは顔を見合せた。そのまま視線はルシに向かう。
「薬草は、ルシの為だったのか?」
ルシにしか調合出来ないと言っていたのは、カガだ。ルシは、自分の病の治療のために、カガに薬草のお遣いを頼んだのだろうか。
俺は、ルシという人間をまるで知らない。この世界に生きている身で、一時期はフロートの傭兵組織に在籍していたからには、「ルシエル」という名を知らないはずはなかった。でも、その強さのレベルも、扱う魔術の高度さも。ましてや、人柄なんていうものは、知る由もなかった。会ったことがないんだ。仕方ない。
でも、今回。俺は、正気ではなかったにせよ、「ルシエル」という魔術士の力を目の当たりにし、実際にそのスピードを体感した。
俺は剣技にも、銃の命中率にも、脚力にも、自信があった。だけど、俺のすべてはルシには通用しなかった。圧倒的な力の差を、埋めることは俺にはできなかった。
(最後の一撃は、偶然だ。ルシの意識が切れ、病が表面に出たから、突き刺さった……)
もし、あの一撃が入らなければ、俺は今、こうしてこの世界には存在していなかった。絶対に、あの窮地から抜け出せてはいない。それは、深刻な課題として受け止めなくてはいけなかった。
「薬草は、ルシエル様に使うのではない。ルシエル様の部屋に居る、レ……」
カガは、言葉に迷った。言いかけて、別の言葉を探している。
「…………付き人に、使用する予定だった」
「付き人、ですか?」
リオが応対する。リオは、フロートに身を寄せていた時間が俺より早く、そして長い。城にも顔を出したことがあるらしい。最下位クラスとはいっても、隊長を務めていた人材だ。実力は、望めば昇進できるだけの力は軽く持っていた。どうして昇進の道を選ばず、長いこと最下位クラスの隊長に甘んじていたのかは、知らない。俺は、基本的に相手の過去や思考を問うことをしない。
「レイアスには、確かに付き人を持つ兵士もいると聞いています」
「へぇ。付き人? 大層な身分だな」
厭味で言ったつもりはない。とりあえず、頭に浮かんだのは「ジンレート」という、嫌味なレイアスの隊長の顔だった。
(カガは、何て言おうとしたんだろ。レ……から、繋がる名詞、か)
そのとき、俺の心臓がドクンと鳴った。
レイアス?
いや、そんな言葉が出てくるとは思えない。
(まさか…………)
レナン。
(…………まさか、な)
動悸がする。
否定する自分、認めたくない自分。
(レイザ……レイザだって、該当者だ。レナとは、限らない。だって、レナは城とは関係ねぇ。ラバースの人間だ。城に……それも、ルシの部屋に居るはずがない)
そう、言い切れるのか?
(アクアリームの一戦から、レナを見ていない。ラバースを脱隊したのか? でも、理由がない。レナは、俺を恨んで追っていたんだ。ラバースを辞める必要性がどこにある?)
ラバースから、任を外されていたら?
自らの手で事を得ようと、脱隊しないだろうか。
(俺がレナなら……どうした? 後を追って、ラバースを辞めるか? でも、辞めて城へ行く可能性なんて、あるのか? 辞めたなら、双子の兄である俺がレジスタンスに居る限り、ザレスから目を付けられる可能性だってあるんだ)
段々と、追い込まれていく感じがする。ルシの部屋に居るのはレナではないと、否定すればするほど、肯定しなくてはいけない要素が見つかる。
こんなにも動揺するなんて、自分らしくない。そう思うのに、鼓動は速まる一方。だけど、相談も出来ない。不安を外に出したら、仲間が揺らぐ。リーダーとして、そんな姿を晒すのは法度だ。
「ラナ?」
「どうしたんですか?」
だけど、そんな俺を見透かすくらいの洞察力を持っているのが、サノとリオだ。このふたりを出し抜けるほど、俺はまだ、ポーカーフェイスが上手くない。
「…………なんでもねぇ」
それでも、強がって見せる。落ち着かせようと、息を深く吐いた。そして、目を閉じる。
「…………どうか、したのか?」
「!?」
視線がぶつかった。
青い瞳。
(誰かに、似てると思ったんだ……)
青く、澄んだ瞳。
海のように、深い瞳。
(レナの目に、似ているんだ)
俺は、額に古い切り傷を持つ魔術士の目を見て、そう思った。
「泣いているのか? アリシア……」
「…………」
この魔術士は、何を見ているのだろう。
アリシアという人間は、緑の瞳だったのだろうか。
俺は、アリシアという人間に、何か似ているのだろうか。
「何でもない」
「そうか…………」
一言。そう呟くと魔術士は、また、眠りについた。まだ、夢と現実の区別がついていない様子から、安静にし、休養する必要性があるのは確かだ。
「…………」
俺自身、裂傷はふさがっているが、大量の失血をしている。視界もクリアにならず、瞼は重い。それ故に、余計に平常心を保つのが難しいのかもしれない。
「ラナ、眠っていいですよ? 食料は、クレとセアが採りに行っていますし……周りに敵はいません」
「リオの言う通りだ。寝た方がいい。ルシエル殿は、私が看る」
「…………いや」
俺は、かぶりを振った。ルシの安眠を、維持するためにも、この姿勢を崩したくはなかったからだ。それに、仲間を走らせ、自分だけが眠るのも許せなかった。
「カガ」
「何だ?」
「……薬草。本当に、届けなくていいんだな?」
「…………」
返事が、欲しかった。
明確な返事が。
「…………分からない」
だけどそれは、叶わなかった。
「そ……か」
無理やり、この件は忘れようと視線を外した。




