オリジン
フロートへ戻る道中であったカガリ。
野宿をしていると、何やら気配を感じる。
そこで出会ったのは、小さな子ども。
自らを、「オリジン」と名乗るその子の正体は……?
絶望感。
喪失感。
そんなものばかりを、抱いていた。
ルシエル様が居なくなって、二ヶ月。
私は、生きる意志も、生きる意味も見失っていた。
「……(ルシエル様が、生きている。どこかで)」
レナンとのやり取りの間で、その結論が出た瞬間。私は涙がにじむほど、嬉しさを噛みしめることが出来た。
ルシエル様の部屋の整理をしようと思ったのは、いつまで経っても、ルシエル様の部屋が変化しないことが苦しくて。そこには、ルシエル様が最期に生活していた様子が残されているだけで、更新されていかないことが悲しくて。見るに堪えなくなっていた。
あの部屋は、ルシエル様が許可をしているものしか、入室が出来ないはずであった。アリシアの偽物は、何故かあそこに入ることが出来ていたが、それはルシエル様があちら側の術中にはまっていたからだろうと、私は結論付けている。つまりは、本来。この城内に居るもので、ルシエル様の部屋の位置を把握しているものも、入ることが出来るものも、私だけだと断定できる。
「…………でも、ルシエル様はどこに居るのだろう」
レナンの居た家からフロート城までは、道のりが結構ある。私は道中で、休んでいた。此処は森の中。途中で集めた果実などをかじりながら、身体を温めるために焚き火をしていた。
火は、いつまで経っても苦手だ。私の人生を狂わせたはじまりが、そこにあるからだ。でも、自分でこうして火を起こすことくらいは、出来る。これをしなければ、生き延びることができないからだ。生では食べられないものは、火を入れなければいけない。
「…………まぁ、焦ることはないか」
焚き火の中には、干し芋を入れていた。それを取り出すと、ほくほくしたあったかい芋に変わる。
それを口に入れ、むしゃむしゃと噛みしめる。噛めば噛むほど、甘味が口の中に広がる。これもまた、ルシエル様から教わった保存食のひとつであった。
ルシエル様は、私が城の中でも、外に出たときでも生きていけるように、ありとあらゆることを教えてくださった。武器類の扱い方や、体術。勉学もルシエル様から教わった。ルシエル様こそ、私の第二の父であり、誰よりも尊敬するに値する、大切で尊い方だった。
私だけではない。フロートの人間は嫌われ者であるはずだったが、ルシエル様はどこで聞いても良い噂しかなく、信望も厚かった。それだけの人格者であり、魔術士としても最強を誇る力を持つルシエル様が、この世界から消えていいはずがない。
こんな話を聞いたことがある。ひとは、世界から必要なくなったときに、役目を終えたときに姿を消すのだ……と。でも、ルシエル様はまだ、この世界に間違いなく必要な存在だ。いや、不必要となるときなどない。私はずっと、私が死に絶えるそのときまで、ルシエル様をお慕いし、仕えるつもりである。私から必要とされるだけで、生かされる命というものがあるのかは分からないが、それでも、私だってこの世界に生きるひとつの生命。たまには、願いを聞き入れてもらってもいいのではないだろうか。
「……ん?」
カサカサ。
少し奥の草陰が揺れ動いた気がした。
風の仕業にしては、動きが雑である。
「誰かいるのか?」
焚き火の光がほんの少しだけ届く位の位置関係。腰を上げると私は、揺れ動いた草陰の方へと歩み寄った。
小動物かもしれないとも思ったが、そこで目にしたのはこんな山奥に居るには、あまりにも不自然なものだった。
「…………子ども?」
「…………」
子ども。
それも、まだ二歳か三歳か。
それくらい、小さな子どもだ。
「どうしてこんなところに? 親御さんは?」
「…………」
言葉が通じているのか、いないのか。判断がつかない。ただ、じっとこちらを見ている。それを見つめ返すと、子どもは私の上着を手で掴み、クイクイっと引っ張って来た。何かを訴えたいのか。それとも、構ってほしいだけなのか。
いや、そもそもこんなところで、ひとりで居るはずのない子どもだ。
「……(捨て子か?)」
私はそっと抱きかかえた。こんなにも小さな子どもを、此処でひとりにはさせていられないし、白いぶかぶかな服に包まれたその子の身体は、驚くほど冷たくなっていた。夜風にあたり、冷えてしまったのだろう。
「周りに人の気配はないし。寒かろう……こっちで一緒に温まろう?」
「…………」
焚き火の方へ連れて行くと、子どもの瞳の色や髪の毛の色を確認することが出来た。金髪に近い茶系のサラサラとsた髪質で、瞳は青い。私のような空色というよりは、海のように深い青だ。
「…………(この瞳の色は……)」
「……」
ルシエル様のものに、とても似ていた。
「…………いろいろと、今日はルシエル様と繋がっているのかもしれない」
「……」
「名前は何て言うのだろう」
「…………」
「私の言葉は、理解できているのかな」
「……」
子どもはこくりと頷いた。
初めて、私の言葉に反応を見せてくれたのだ。
どうやら、普通の人間の子どものようだ。
「お腹、空いていないか?」
私は、食べかけだった干し芋を子どもに渡した。すると、その子は受け取れば上手にぱくぱくと食べはじめた。とても色白の肌だ。本来子どもは、もう少しまるみを帯びたものだと思うが、この子はどことなく線が細くて華奢だった。栄養が足りていないのかもしれない。
「もう一度聞くけど、親御さんは?」
「……いない」
「……(喋った)、それじゃあ、キミの名前は?」
「…………オリジン」
「オリジン?」
聞きなれない名前だ。
そしてそれは、どことなく不思議な印象を持たせた。
「……どこの村の子だ? 親とはぐれてしまったのなら、そこまで送り届ける」
「ちがう」
「違う?」
「ひとり」
「オリジンは、ひとりなのか?」
「うん」
「……!」
ふと背後から、獣の気配を感じ取った。私は咄嗟に、オリジンを抱きかかえて戦闘態勢をつくろうとした……が、そのときだった。オリジンは、私の腕の中に収まりながらも、出現した獣に恐れをなすことはなかった。
巨大な熊だ。オリジンを抱えたまま、体術でなんとか凌げるほどのサイズではない。全長二メートルは軽く超えている。それをみて、どう先手を打とうか考えている私を先置いて、オリジンは不意に口元に笑みを浮かべた。
「だいじょうぶ」
「?」
「がぁぁぉぉぉぉ!」
熊が襲い掛かって来たその瞬間を狙ってか。オリジンは左手を前に出した。そして、中指と親指をこすり合わせる。ほんのわずかだが、摩擦音がした。
「がるるるるる……」
「いいこ」
その熊は、目の前にバリアでも張られたかのようにこちらへ向けていた足をぴたりと止めた。しばらくそこで唸っていたが、観念したのだろう。くるりと身体の向きを変えて、遠くへと去っていった。
完全に気配が消えてから、私はオリジンの顔を見た。
「今のは…………まさか、魔術?」
「……」
オリジンは、首を横に傾けた。一見、とぼけているようにも見えるが、本当に分かっていないようにも見える。
オリジンの反応がどうであれ。今のは、確かに魔術に見えた。そして、その発動方法が、ルシエル様のものにとてもよく似ていたことが、私には気になる要素のひとつだった。
「オリジンは、ルシエル様なのか……?」
「……」
そんなはずが、ある訳ない。ルシエル様が生きているとはいえ、こんな子どもの姿をしているものか。
確かに、目の色だってルシエル様にとてもよく似てはいる。けれども、声も子どもそのものであるし、額に古傷だってない。同一人物だと結びつけるには、無理がある。
それでも、何かしら関係性はあるのかもしれない。そんな気はした。ただ、今はそれを強く追及してはいけないのかもしれない。
「いや、なんでもない。もう、気配は消えているから。安心して、食事してくれ」
「……」
再び、こくりと頷く。オリジンはまた、干し芋をゆっくりと食べはじめた。私はじっと、オリジンを見つめながらあることを考えていた。
この子を、私はフロート城へは連れていくべきではない。
レナンのもとへ連れていく。
何故だかは分からない。
ただ、その考えしか頭に思い浮かばなかった。




