ハースの導き
外の世界へと歩き出したレナンとラナン。
大きな木の下で休んでいると、再び魔術の波動を感じる。
その波動を起こしていたのは、ミスト大陸の教祖であるハース。
そして、アリシアであった。
知らないところで、世界史は常に刻まれていく。
それを読み解く手段を得ているのは、今、不在の最強の魔術士のみ。
「ラナン。聞いてもいいか?」
「うん」
「何か……思い出したりはしていないのか?」
「なにか?」
「…………いや、何でもない」
ほんの少し歩いた場所に、一本の大きな木があった。この周りにある木々は、基本的には背丈が高い。十メートルは軽くありそうだ。ただし、この大木はそれ以上。そして、幹も太かった。
霊的な存在を、感じる訳ではない。ただし、こういった大木には何かしらの生命が宿るという言い伝えもあった。俺とラナンは、この木の下に腰を下ろして、風に当たっていた。
そよそよと吹く風は、質がやわらかい髪を揺らす。ラナンも、居心地がよさそうだ。うとうとしているのだろう。目を時折こすっていた。
「眠いか? 寝てもいいぞ」
「ううん。起きてる」
「……そうか」
「レナン?」
「ん?」
ラナンは、気持ちよさそうに光を浴び、風を受けながら俺に声をかけてきた。何だろうとラナンの顔を見ながら、俺は返事をした。
「此処。つながってる」
「繋がってる?」
「うん」
「何と、繋がっているんだ?」
「わかんない。でも……ほら」
「?」
その刹那のことだった。
ぼやっとした柔らかな光が俺たちの前に現れた。木漏れ日という訳ではなさそうだ。それは、淡い水色の光を放っていた。
「これは…………」
またしても、魔術の波動が見えた。
さきほど感じた波長のものとは、違う気がする。
それでも、確かにこれは強い術者による波動だった。
《レナン》
「その声…………ハース?」
《あぁ、そうだ》
『私もいるよ』
「…………アリシア?」
ハースがコンタクトを取って来ることは、特別不思議なことではないような気がした。ハース信仰の教祖である、ハースは大きな魔力と、確かな術式を得ていた。そして、他でもない。「名もなき草」や精霊界の存在を俺に伝えた張本人だ。俺のことを、ずっと監視していたと思っても、過言ではない。
ただし、アリシアはどうなんだろう。時折、俺やカガリの前に姿を見せていたが、ここの所はまったくもって音沙汰なしだった。それこそ、ルシエルが消えてしまうその瞬間も、立ち会っては居なかったのではないだろうか。もし、アリシアがそこに居たならば、もっと、他の結末を迎えていたような気がした。何故ならば、そこにはカガリが居たからだ。カガリに、助言でもしてくれていても、いいものだと考えられる。それがなかったということは、きっとアリシアはエリオスには居なかった。そう考えるのが普通だ。
「今になって、何の用だ? 何かが、動き始めているのか?」
《あぁ。察しの通りだ》
「ハース。アンタなら、知っているんじゃないのか? さっき、夢の家に誰か……魔術士が来ていた」
《俺ではない》
「じゃあ、誰なんだ? 目星はついていないのか?」
『夢の家……』
「アリシア。何か、思い当たる節があるのか?」
『ううん』
声は聞こえるが、姿はいつまで経っても見えてこない。言葉だけを、別の大陸へ飛ばしているのだろうか。そんな高度な力があるとは、やはりひとつの宗教を立ち上げ、守り続けているだけのことはある。
ハースも、俺と同じで水の魔力の要素を多く持っている。そのため、こうして青白い光となって、今、見えているのだろうか。もしかすると、ラナンの目には、すべてのものがこうして不確かな光として、映っているのかもしれない。
《この二ヶ月。精霊界が何をしていたと思う?》
「さぁな。分からない」
《ルシエルを、探しているはずだ》
「……やっぱり、ルシエルは生きているんだな?」
《アレが死んだら、その波動を感じるはず。しかし、それが無かった》
「いいことじゃ……」
《ただし》
俺の言葉を聞き終える前に、ハースは言葉を続けた。遮られることで、俺は口を閉ざす。
《動けないほど、力を消耗していることだけは確かだ》
「……どこに居るのかも、分からないのか?」
《分かっていれば、とっくにこっちで確保している》
「そうか」
《だが、この数日で微々たるものだが、ルシエルの力を感じ取った》
「…………それって」
《カガリが、紙を見つけていただろう?》
「……(そこまで、知っているのか)」
宗教など、そこまで信じては居なかった。
信じるにしても、俺は「セルヴィア信仰」しか知らなかった。もっとも、辺境の地にある独自の小規模宗教が存在していることくらいは知っている。ミスト大陸という、ひとつの大陸をひとつの宗教が占めるなんていう、大きな宗教には興味がなかった。いや、正確にいえば、フロートがその宗教に対して寛容ではなかったからだろう。ラバースの宿舎にも、フロート城内にも、礼拝堂はあるが、どちらもセルヴィア信仰だった。
何年か前に、ミスト大陸調査として、カガリが送り込まれていたらしいが、特別な調査報告はされていない。する必要性がなかったのか。或いは、あまりにも重要事項で、表沙汰にはされていないのか。そのどちらであっても、今となってはどうだっていい。すべてが、虚実で出来ていたことを、知ったからだ。この世界を創造した神も、この世界を動かしているものが人間界ではなく、精霊界やその上の存在。世界史であること。俺は、諸々の情報を得ていた。そしてそれは、確かなものであった。
《紙からは、確かにルシエルの波動を感じる》
「…………」
《お前は、知っているんじゃないのか?》
お前。
それが、俺を示しているとは思わなかった。
ハースは、ラナンに声を投げかけたのだ。
しかし、ラナンは不思議そうな顔をしているだけであり、この現状を呑みこめてはいないようだった。それはそうだろう。自分のことすら覚えていないのに、それ以上のことを望めるはずがない。
ただ、ラナンはこの不思議な現状を見ても驚いた顔をしてはいない。見えていないからだろうか。目視出来ていないため、実際ここに少年と少女が居ると、錯覚している可能性はある。
「僕は知らない」
《記憶は、すべて抜き取られているんだな》
「抜き取られている?」
その表現には、ひっかかるものがあった。誰かが、意図的に抜いたのだろうか? そうだとしたら、一体誰が、何のためにそんなことをしたのだろう。
ラナンにとって、それは都合のいいことだったのだろうか。記憶を消されなければいけないほど、辛い状況を前にしたのだろうか。
この言い分だと、ハースはすべてを見ていたかのように見受けられる。俺は、二ヶ月前のあの日。あの時、何が起きたのかを知りたいとは思っていた。ただし、それをラナンからは聞いてはいけないと思っていたから、自分の中でセーブしていた。それだけのことだ。
《これを、返しておく》
「?」
ぼんやりとした光の中から、突如として物体が具現化した。それを手に取れば、形となる。
「グレイス……?」
ずっと、行方知れずとなっていた、ラナンの銃だった。どうしてハースたちが持っているのかなんて、知ったところではない。ただし、これが戻って来たということは、ねじ曲がりはじめた世界史を、清浄化させる第一歩ではないかという考えに至る。この銃は、やはりラナンが持つべきものだと、俺は思うからだ。
「俺がしばらく、預かっていてもいいか?」
《構わない。今、ラナンに与えたところで、扱えないだろう》
「…………今、か」
《いずれはまた、ラナンがその銃を手に取るときが来るだろう。そして、ラナンは革命者として復活を遂げる》
「……(冗談じゃない)」
俺は首を横に振った。それは、意識してやったものではない。無意識のうちに、そうしていた。
この銃……グレイスをラナンに渡すということは、イコール、ラナンをまた、戦線に立たせることにつながる。
そのとき、ラナンは……記憶を取り戻しているのだろうか。
ラナンがこの先、どんな道を辿っていくのか。
俺はきっと、見守ることしかできないのだということを噛みしめる。
それがとても……悔しかった。




