血痕からの情報
エリオス城内に戻ったレナン、ルシエルたち。
途中、廊下で血痕が散らばっていることに気づいた。
その血痕から、ルシエルは情報を読み取ろうとし、その結果。
血痕はサノイのものであることが判明し……?
近づけた気がした。
魔力を得ることで、ずっと先を行っていたラナンに。
でも、その背中に追いついたと思ったら……また。
ラナンは、その先へ行ってしまう気がした。
「…………この臭い」
鉄臭い、嫌な臭いだった。周りは暗くてよく見えなかったけど、まだ、付着して新しいと思われる液体が壁に散りばめられていることが分かった。俺は、何か嫌な予感を覚えながら、立ち止まったルシエルの顔を見た。ルシエルにはきっと、この状況を読み取る能力があると思えたからだ。俺では感知しきれないほどの情報を、ルシエルは察知できる。何故か、そう思えた。
「なぁ、ルシエル? これって……」
「血痕だ」
「やっぱり、そうか……」
ルシエルは、石畳の廊下に視線を落とした。そのまま、腰を下ろして指で液体を拭った。そして、指先で何度かこすり合わせ、その感触を確かめてから、結論を出した。
「まだ、冷え切っていない。それに、ドロドロともしていない」
「すでに敵が来ているってことか?」
「……誰の血痕かは、分かる」
「え?」
ルシエルはひときわ険しい表情してみせた。眉を寄せ、苦いものを噛みしめるように奥歯に力を入れる。温和なルシエルが見せる、珍しい表情だと思った。
「サノイ皇子のものだ」
「なんで、わかるんだ?」
「血には、水の要素が多く含まれていた」
「それって、魔力に由来する源のことを意味しているのか?」
「そうだよ。死人がなぜ、魔術を扱えなくなると思う?」
「死んでいたら、思考も何もできないじゃないか」
「血がなくなるからだ」
「…………」
魔力の源が、血液の中にあるとでもいうのだろうか。でも、もしそうだとしたならば……魔術が扱えなくなっているルシエルの説明は、どうつけようというのか。ルシエルは生きている。血がなくなったワケでもない。単に、術が編めなくなっているに過ぎない。それとも、何か関係があるとでもいうのだろうか。額の古傷から血液が流れるということだって、おかしなことだ。
ルシエルは、何かを隠している。
俺はこのとき、確信した。
「サノイ皇子の魔力は、独特なものがある。レナン、キミの魔力もまた似ているけれども、やはりそれも独特だから。血に触れれば特定は出来る」
「それって、誰にでも出来る能力なのか?」
「……知る限りでは、私以外にここまで読み取る力を持った人間は居ない」
「どうして、ルシエルはそんなことが出来る? いつから?」
「生まれ持った才能かな。これは……」
「?」
それなら、どれは生まれ持ったものではないというのだろう。先天性のもの、後天性のもの。いろいろとあるものだと思う。普通、魔術士は生まれ持った能力だ。けれども、俺は生まれながらにして魔術士という訳ではなかった。だからきっと、定義がある程度あるにしても、例外はいつでもどこでも必ず生まれるものなんだ。言い切れるものなんて、ない。絶対なんてものは、世界に存在しえないのだと思った。
「サノイは、無事なのか?」
「結構な出血量だから、意識はないかもしれない。でも、死んだとも思えない」
「何か、根拠があるのか?」
「……根拠は、ない。ただの勘だよ」
「この先に、フロートの伏兵が居るかもしれないってことだよな? リオス。何か、対策を練ってから先へ進む方がいいんじゃないのか?」
後方で、ルシエルの見解を青い顔をしながら聞いていたリオスに、俺は話を振った。レジスタンス立ち上げからの仲間である、リオスこそが今、ラナンもサノイも居ないこのバラバラなチームでリーダーになるべきだと判断したからだ。それに、リオスに指揮権を持たせないと、裏ラバースへの示しにもならないと感じていた。
「フロートの伏兵が居たとしたら……この面子では、勝ち目はないです」
「レイアス兵に違いないからか?」
「サノがここまでやられるのが、何の魔力も持たないラバース兵だとは思いにくいです」
「……ラナンは?」
「……」
「サノイは、ラナンと城の中へ移ったんだ……ラナンが一緒のはずだ!」
「……ルシエルさん。ラナの血痕も、探れますか?」
リオスは、頼りたくないであろうルシエルに苦々しく言葉をかけた。それを、特別気にする様子もなく、ルシエルは辺りを見渡して、血痕を指の腹でなぞっていく。しばらくそれを繰り返してから、首を横に振った。
「ラナンは魔術士ではないから、血痕に魔力の源が映ることはない。ただ、サノイ皇子と違う血痕が見られれば、それがラナンのものであると判断することは出来るかと思ったんだが……」
「結果は、どうだったんです?」
「どうやら、敵の血痕も見当たらない。此処に付着しているものはすべて、サノイ皇子のものだね」
「……楽観視も出来ないな」
ラナンは、此処では怪我を負っていない裏付けではあるかもしれない。でも、他の場所へ移って、戦いを臨んでいる可能性だってある。とにかく、この先へ行かなければ、本当のことが分からない。
敵の正体を確かめること。
ふたりの無事を確かめること。
今、すべきことはそれだ。
「リオス。リークと俺が先へ進もうか?」
「レナが?」
俺は頷いて、暗闇の中に続く廊下を指さした。それにつられて、リオスも先を見た。
「案内役が居るから、リークには来てもらわないといけない。でも、この先にレイアスが居るとしたら、ルシエルを鉢合わせさせるわけには行かない。魔術が扱えなくなっている事実を、みすみす明かすこともないだろ?」
「でも、レイアス兵が何人で来ているかもわからないのに、覚醒して間もないあなただけを行かせることは、リスクが大きい」
「いや、レナンの提案に私は賛成する」
ゆっくりと腰を上げたルシエルは、そう告げた。その言葉は、俺からしたら意外なものだった。ルシエルは、俺を危険な目には合わせたくないと考える人間だったし、ルシエル自身は戦線から離れる選択肢を決して選ばない人間だからだ。それなのに、そのどちらも含めた俺の提案を、ルシエルは呑んだ。そこまで、事は一刻を争うとでもいうのだろうか。それはそれで、俺の中の不安を駆り立てることとなった。
「もし、敵と遭遇したならば……レナン。ためらわずに魔術を放つといい」
「いいのか?」
俺は、提案するルシエルにではなく、リオスの方を向いて許可を求めた。リオスは、まだ結論が出せない状況だと言うのだろう。眉を寄せるだけで「YES」とも「NO」とも言わない。腕を組んで、最後までルシエルの話を聞く姿勢をとった。
「魔術の反応が現れれば、そこで敵の位置と人数を把握できる。うまくいけば、敵が誰なのかも、私は覚ることができる」
「レイアスの誰かを、特定できるってことか?」
「そういうことだよ。詠唱が聞ければ一発だけど、そうじゃなかったとしても、魔術の規模と効果で、特定することは可能だ」
「器用な奴だな」
「それくらいしか、今の私には出来ないから」
俺は決して、ルシエルを責めたかったワケじゃない。けれども、ルシエルは俺の発言をマイナスに受け取った。そのまま、厳しい顔つきでルシエルはリークを見た。
「リーク皇子。危険が伴うかもしれないけれども、レナンとふたりで先を進んでくれるかい?」
「僕は構わないよ。どちらにしても、先へ進まなければならないのだから。奥の部屋には、ジンフィールが居る。ジンフィールの安否も確認したいから」
「そうだね」
「レナン。先に進もう」
「……リオス。いいんだな?」
俺は、あくまでもイニシアチブをリオスに求めた。レジスタンスは、魔術士のものであってはいけない気がしたからだ。それも、ほんの数ヶ月前までフロート側に居た俺や、今もなおフロートの魔術士籍があるルシエルが、主導権をもってはいけないと感じていた。
静かなのは、裏ラバースのキリアとレンジだった。ただし、このふたりは正直俺の中では、どうでもいい存在だった。
すべてを守ること。
すべてを万事うまく運ぶこと。
そんな、神みたいなことを俺みたいな半端者が出来るはずがない。
だから、俺は選択をしたまでだった。
「きっと、それが最善です」
「分かった」
リオスもまた、愚かではなかった。
俺は、許可を得るとリークと共に、エリオス城の奥へと足を進めた。




