師匠と弟子
眠ったレナンが目を覚まさない。
様々な理由を考え、ルシエルはレナンがいつ起きても対処できるよう準備する。
しかし、必要な薬草が足りていない。
そこへ、弟子であるカガリがやってきて……。
小さな身体には、幾つもの古傷があった。その辺の成人女性と変わらないくらいの背丈しかない、この国を剣ひとつで支えようとした兵士は、死んだように眠り続けていた。
私の魔法陣が効きすぎたのか、身体が栄養失調のように細かったことからとても弱っていたのか。私は四日目の朝を迎えながら、色々な憶測を飛ばし、身動きひとつしない少年を見守り続けていた。
いつ、目を覚ましてもいいように、料理の支度はしてある。後は温めればそれで食べることが出来る。パンも、やや硬くなりはじめているが、焼けば問題なく食べられるだろう。定期的にカガリから運ばれてくるミルクも、ストックしている。この時代に、過去の産物「冷蔵庫」という便利なものはないので、腐りそうになったら飲むことにした。
「国王に認められた付き人という身分であり、城に居ても咎められることはない。私に新たな任務も今のところは課せられていない。だが……」
私は少年に触れることはしなかった。下手に触って起こすより、自然な目覚めを待ちたいと思ったからだ。ただ、飲まず食わずで四日。ラバースをいつ発ったのかが分からないが、実際はもっと、飲食していないはずだ。身体はやはり、ここへ来たときより余計に不健康に色白く、痩せたように感じる。
「参ったな。料理のストックよりも、薬草を準備した方がいいのだろうか。カガリを遣いにでも出すか?」
独り言を続ける。聞き耳を立てている存在を知っているから、敢えて声に出しているのだ。
「ルシエル様」
(ほら、来た)
私は、その聞き耳を立てている者の顔を見ることはせず、少年に視線を落としたまま扉を開けた主の名前を呼んで見せた。
「カガリ。風の力と上手に付き合うようになったものだね」
「な、何のことですか。ルシエル様」
「とぼけるのかい? まぁ、いい。事情は分かっているだろう? 相当呟いているからね、私も。そろそろ、心配になってきたんだ」
「レナン……起きないんですか?」
「あぁ」
カガリが私の隣まで歩み寄った。そして、屈んでベッドの高さに視線を合わせて少年、レナンの身体をじっと見つめた。仰向けで眠っている。胸がわずかに上下するところから、呼吸をしていることだけは分かる。ただし、微弱だ。確実に弱っている。
「病気、ですか?」
「そういう気配ではないんだ。私は、栄養失調の気はあると思う。だが、彼に病魔はついていないと判断している」
一息吐いて、レナンに背を向けると私は机に向かった。メモ用紙とペンを取り出し、レナンに施すべき薬草の種類を頭に思い浮かべ、手に入り辛いものから順に書きはじめる。
「ただし、私は医者ではないからね。医者に見せたら別の診断が下るのかもしれない」
「それなら!」
カガリは足音を立てなかった。余計な音を立てないように振る舞うことは、剣士として必要なことだ。気配を消すこともまた然り。
「声が大きいよ」
しかし、声の制御には失敗していた。詰めが甘いところが、この子の可愛いところだと、私は思う。
「すみません……あ、あの」
今度は声をひそめて、カガリは後を続けて来た。
「医者に診せた方がよいのでは? レナンの身を預かったのですから、安全の確保をするのは、ルシエル様の役目かと」
「正論だ」
私はカガリの意見に賛同した。しかし、実行はしない。
「では、どうしてそれをしないのですか、ルシエル様。薬草で済まそうなんて……」
「カガリ。私を薄情だと思うかい?」
「え、いや……そんなつもりでは」
「医者に診せても、無駄だよ。時代が悪い」
「?」
「過去の産物を記す文書は、実に数が少ない。この世界が、核戦争という化学兵器によって一度滅び、神によって再構築された神話は、知っているね?」
「はい」
「核戦争時代……いや、もっと昔。二十世紀頃の世界の科学文化は、実に優れていたようだ。人間が楽に過ごせるように、色々な機械が発明されているし、医学も信じられない薬が開発されていたようだ。手術についての医学書を昔読んだけれども、あれは何語で書かれていたんだろうね。私たちの世界の文字に近いようで、まるで違う。半分どころか、ほんの一握りのことも、理解できなかった」
過去の書物の話をしながらも、手を動かしていた。薬草の名前は七つまで書き込んだ。他に今、不足していて欲しいものは無いかと思考を巡らせながらも、私はカガリの相手をした。
カガリは、私の言葉を聞いて驚いた顔をしている。どの部分に一番驚きを感じたのかは分からないが、とりあえず、驚いたという事実はハッキリと顔に出ている。ポーカーフェイスは、一生この子には無理だろうなと、私は何となしに思う。
「ルシエル様に理解できないことがあるのですか?」
(そこか……)
どこに一番の驚きを感じたのかをすぐに知ることが出来たので、私はそこを中心に話を続けた。
「当然だよ。文明が違うんだ。この世界だって、異教徒の世界の神については、私の知識は乏しいよ。以前、お前が調査に行った孤島があっただろう?」
「あぁ……十代の頃に飛ばされた、シンレナ大陸のことですね。確かにあそこは、独自の文明が発達していました。文字が違うから、当然言葉も違って……」
「苦労しただろう? 同じ時代でも、それだけ異なるんだ。レジスタンスアースのリオスの村。あそこも、標準語としてこの世界の言葉は扱えるようだが、普段の村人は古代語を使う」
「アキト殿たちが、古代語を?」
「そうだよ。お前の女装姿は見ものだったね」
「わ、忘れてください……そういう過去は」
私はくすりと笑みを浮かべた。カガリをからかうのは実に楽しい。師匠として、酷いとは思うが、ジンレートや国王がカガリを虐めたくなる気持ちが、分からないものでもない。
もっとも、私にはひとを痛めつけるような悪趣味はない為、そういう行為はしないが……言葉遊びでもてあそぶことは、許されたい。
「古代語は、日本語のことだというのも知っているね? 大概の古文書は、日本語で書かれていた」
「はい」
「日本が、最後の国なのだろうか……それならば、今の私たちの言葉が、日本語に寄ってもいいと思うのだが、そうではない。どこかで文明は歪んでいる。そして、後世に残すべき財産を隠そうとしているのかもしれない」
ここまで話し終えて、私は薬草の種類を書き終えた。全部で十二。街の薬屋で売っているものもあれば、山奥まで行って、野草をとってくる必要があるものまで、様々。
ここ、フロート城は敵が攻めてきてもすぐに分かるように、高台に造られている。城壁は高く、よじ登るのはまず、無理だろう。決められたルートを下り、門をくぐる他に城下街へ下りる方法はない。城下町は円形で、隣街に行く為の出入り口はまた、ひとつしかない。
私には、「魔術」がある。「転移」という、行きたい場所へ瞬間移動する魔術だ。しかし、カガリが山へ向かうには、そのルートを必ず通らなければいけない。国王の監視下にあるカガリは、自由が制限されている。
「……無理、か」
「何がですか?」
「お使い。理由がないからな」
「?」
カガリは、私の手元にあるメモ用紙を覗き込んだ。
「十二種類の薬草。これを揃えればいいのですか?」
「うん……」
歯切れの悪い返事だと自覚しながらも、どうしようかと悩む自分を止められない。
「……」
黙考する。カガリは、メモ帳を手に取って、私の目を見る。
「ルシエル様、私が行きます。昨日、任務に就いていたので、今日は非番なんです。だから、時間ならあります」
「知っているよ、それは。だからこそ、今のお前が街に出るのは不自然だ」
「……そう、かもしれません。でも、ルシエル様はレナンについていた方がいい。そうでしょう?」
「そこなんだ。参ったな。お前みたいに、信頼できる人間がもうひとり欲しい」
「…………」
カガリはメモ用紙を持っていた手から力が抜け、ひらりと紙が床に落ちた。口をぽかんと開けて、目も見開いている。顔は、ほんのり赤い。
照れていた。
「あ、あの、ルシエル様……」
「ん?」
「…………今日は、いい天気です」
「うん、知ってるよ」
嬉しかったのだろう。ひとから信頼を得るというのは、実に難しい。特にカガリは、自己嫌悪しやすく、自らを疫病神だと思い込んでしまっている。まわりは敵ばかりという環境で育ってきた為に、私の言葉が、私が思っていた以上にこころに響いたようだ。
「ルシエル様。信頼してくださっているのなら……私に、任せてください。薬草、集めてきます」
「……リスクを負わせるのは、気が引けるんだ」
「この城に住み着いてから、リスクは常に付きまとっています。ルシエル様の為になりたいですし、私はレナンのことも救いたい」
私はカガリの目をじっと見つめた。空色の澄んだ目だ。今年で二十七にもなるのに、穢れを知らない美しい目だ。嘘も迷いも、一切ない。
私は、信じることにした。
「カガリ、頼む」
「はい!」
床に落ちたメモ用紙を私は拾うと、それをカガリに手渡しした。意気揚々と笑みを浮かべ、カガリはそれを受け取ると、一度レナンに視線を送ってから、この部屋を後にした。
私は、成長した愛弟子の背中姿を頼もしく思いながら、レナンと向かい合うように置いた椅子に、腰を掛けた。
少年は、まるで自分は世界とは無関係とでもいうように、静かに……ただ静かに、眠っている。




