弟子の成長
疲労困憊のルシエル。
師匠であるルシエルを支えるのは、弟子のレナン。
休息の地を求めての転移先を巡り、レジスタンスと裏ラバースが衝突するが……?
ひとまず、少しでいいから安眠したかった。
何も考えずに、すべてを手放して眠りにつきたかった。
「ルシエル」
「休みたい……最近、眠れていないんだ」
「うん」
レナンは、口元に笑みを浮かべると私の腕を掴んだまま、介助するように私の身体を支えてくれていた。今の私が、まるで立っているだけでも精一杯なほどに、疲労困憊していることが、見抜かれているようだ。それを隠せるほどの虚勢すら、今の私には張ることが叶わなかった。此処はもう、いくら情けないといっても、レナンの力を借りるほかなかった。
背丈的に、レナンは私よりも随分と低い。私の肩あたりのところにレナンとラナンの頭のてっぺんがかろうじて来るくらいの身長差だ。キリアよりは若干高いといっても、成人男性の身長にしては、あまりにも小さすぎた。そのため、私は彼らのことを「青年」とは呼べず、未だ「少年」と偏見の目で見てしまうところがあった。
さすがにレナンだけに寄りかかっていては、レナンがつぶれてしまう。それを見て、背丈的に大人である、リオスとレンジが私の介添えを手伝った。それでも、レナンは私から離れようとはしなかった。また、私もそれを望んでいた。何故か、レナンと繋がっていると、呼吸が楽になるのだ。そして、変な意地も張らずにすむようになっていた。
「眠れないのは、辛いよな。ラナン、キャンプ地まで戻ろう。このあたりは、まだ魔獣が居るかもしれないし、魔族なんてものが出てきたら、それこそ面倒だ。人間の陣地に戻らないと、ルシエルが休まらない」
「うぃ、そうだな。でも…………」
「? なんだよ」
ラナンの顔色は、あまり優れない。私を警戒しているとか、そういう訳ではないことは分かっている。ラナンには、ラナンの抱えている問題があった。ただし、その問題を知っていても、私は何故ラナンにそのような力が働いているのか。何故、そのような障害が起きてしまうのかは、解明できずにいた。
「レナン。転移の魔術を使いたい。このまま、徒歩でキャンプ地へ向かうことは難しい。私も、ラナンも」
「……だったら、俺が術者になる。今のお前に、魔術は使わせたくない」
「どうして?」
私は目を細め、小さな魔術士の顔を見た。凛とした青い瞳は、揺るがない。海のような色をした、穢れのない深い青。どことなく、アリシアの瞳の色と重なるものがあった。
「今のお前は、簡単な魔術すら妙な術式で編んでいる。さっきの転移魔術なんて、穴だらけだった。稚拙すぎる」
「…………私の魔術が?」
「あぁ」
それは、あまりにもショックな言葉だった。まだ、魔術に目覚めたばかりのレナンに、極めたと思っていた魔術が稚拙だと言われているのだ。それだけ恥ずかしく、プライドを傷つけられることはないだろう。
私が今、疲れきっているだとか、弱っているなど理由にはならない。私は、これでも「最強の魔術士」としてのプライドと、その二つ名に恥じないような生き方をしてきたつもりでいたし、そうあり続けてきた自信があった。それは、おごりではなく事実であるとも、自負していた。それが、バラバラと崩れ落ちていく。私の積み上げてきたものが、この短時間で音を立てて崩れ去る。積み上げることは、とても難しく永く険しい道のりを要するというのに、崩れるのはあっという間であっけない。そのことは、悔しくはないがどこか寂しい、虚しいという思いには駆られた。
「…………それで、止めたのかい?」
「気づいてなかったのかよ。重症だな」
「…………うん」
「ごめん」
「え?」
唐突にレナンは、頭を下げ私から視線を外した。「ごめん」という言葉が、どのことに対しての言葉だったのか。いつもなら、察することなど造作もないことだろうに、今の私はとことん後手に回るしかなく、まともな思考回路ではなかった。
「いや……お前のこと、傷つけた」
「…………」
レナンの言葉に対し、私は目を開いた。そこで、私は傷ついていたのかと、知らされることになる。どこまで鈍感になれば気が済むのだろうか。情けない。此処まで気を使わせてしまっているのだ。私は、少しでもレナンの心労を解消しなければならないと思ったが、どうしていいのか、完全に道に迷ってしまっていた。助け舟を出してくれたのは、意外な人物だった。
「レナンも、魔術が使えるんだな? で、今のルシエル様は不調。それなら、レナンが転移魔術を使ってもらって、兄ちゃんが居る隠れ家まで送ってもらうってのはどうだ?」
「お頭。隠れ家って、あの宿のことですか? 戻るんですか?」
あの宿……というのが、どれのことを意味しているのかもよく分からなかったが、キリアのいう兄ちゃんというのが、ソウシであることは分かる。
キリアは、知らないらしい。今のソウシは、レジスタンスのリーダーをレナンへ変えようとしている。星読みの書の導きから、レナンを選出している。しかし、私はあくまでもレジスタンスのリーダーは、ラナンであるべきだと考えていた。意見の相違が生まれているというところで、ソウシとは顔を合わせづらいところがあった。それでも、キリアなりにそれが最善だと考えたのだろう。提言してくれたことに関して、感謝の念は伝えなければならない。
そう思い、口を開けた瞬間。私が声を発するよりも先に、声を発するものが居た。ラナンだ。
「ソウにはもう、会わねぇ」
「なんでだよ」
「会える訳がないでしょう? 裏ラバースで、僕たちを解雇した人間ですから」
「解雇?」
「聞いてないのか? キリの兄ちゃんなんだろう? ソウは。俺とリオ……いや、魔術士じゃないレジスタンスアースのメンバーは、もう除外されちまったんだ」
「…………兄ちゃんが、ラナンとリオスを解雇したっていうのか?」
「そうだ」
ラナンは、恨みを持っているという訳ではなさそうだが、リオスは相当腹を立てている様子に伺えた。レジスタンスと盗賊……いや、裏ラバース。その対立図が明白になっているところで、今度は再びレナンが口を挟んだ。今、一番冷静かつ大人な発言、物の見方が出来ているのは、おそらくはレナンだろうということを、私は認めなければならなかった。
「言い争いしている場合か? ルシエルを、はやく休ませたい。本調子じゃない、ラナンも休むべきだ。裏ラバースアジトは、流石に俺も気が引ける。だから、俺は聖域を目指すことを提案する。どうだ」
「聖域って、そもそも何なんですか」
「空気が澄んでいるところ。なんか……不思議な場所だった」
「そこに行けば、ルシは休まるんか?」
「少なくとも、此処よりはマシだろう?」
その言葉を聞いて、私はゆっくりと頷いた。いい加減、疲れと痛みで集中力が完全に切れそうになっていることを自覚した。私は目を閉じ、黙ってこの場をレナンの判断に委ねることにした。
「この大人数を、一気に転移させられるんですか? レナン」
「大丈夫だ。問題ない……やったことはないけど、やらなきゃならない」
「レナ」
「ん?」
ラナンの言葉に、レナンは顔を向けた。
「無理させて、悪い」
「無理はしていない。無理をしているのは、お前やルシエルの方だろう?」
そのとき、魔術が発動するときに発生するほのかな空気の揺れを私は感じ取った。肌での感触は、まだそれほど鈍くはなっていないようだと、そこだけは安堵した。レナンが、どんな転移魔術の設計図を編んだのか、確認したくて目をうっすらと開けたが、焦点がうまく合わない。それほどの失血ではないはずだ。疲労しすぎたのかと、私は内心で舌打ちをした。師匠として、弟子の成長や、どこまでの術式を編む術者になったのか、知っておきたいところだったが、今回のところはお預けかと素直に再び目を閉じた。
此処まで、背中を預けられる存在に成長していた弟子。
その成長を師匠として喜ぶと同時……少しだけ、嫉妬心も抱いた。
私も、まだまだ青い人間だと痛感した。




