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COMRADE ~最強の魔術士の憂鬱~  作者: 小田虹里
第四章 ~別れの章~
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魔獣との交渉

魔獣蠢く森の中。

眠りについているレナンを守るために、ルシエルは思考を張り巡らせる。

声を媒体とするはずの魔術を、呪文なしで発動させ……?

 獣の臭いがする。

 単なる獣ならまだしも、この近辺に居るのは「魔獣」と呼ばれるもの。「魔族」と呼ぶには知力が足りない生命を、私たちは「魔獣」と区別して呼んでいた。知力の高い生命は、どれだけ獣の姿をしていても、「魔族」と呼ぶ。その判断基準が明白ではないものからしたら、どちらも脅威であることに変わりはなく、敢えて区別する理由もないと考えられる。魔族であれ、魔獣であれ、魔力を一切持たない単なる獣であれ、自分自身が力なきもの一般市民ならば、出くわした瞬間に「逃げる」ということを選択すべきである。


(今は、放っておいてくれないか?)


 腕の中で眠る少年は、すやすやと寝息を立てている。とても穏やかで、気持ちのよさそうな顔をしているこの少年レナンを、私は起こさずに居てあげたかった。この子には気苦労をかけてしまっている。安らいでいる時間を、極力奪いたくはなかった。

 私の呼びかけに対して、魔獣たちは耳を傾けてはくれなかったらしい。少しずつではあるが、取り囲まれていることに、私は気づいていた。


(カガリを連れてくるんだったな。あの子なら、魔獣たちと戦わずに済んだはず)


 カガリには、魔族の力が流れている。

「風の民」とは、魔族と人間種族の間の子孫になる。それ故に、カガリは魔族や魔獣、そして獣とも言葉を交わすことが可能だった。カガリがリムル村にて馬と会話をしていた所以は、そこにあった。


(それでも、カガリは獣の血を使いたくはないだろうから……仕方がないね。ふたりの師匠としても、此処は私が何とかするかな)


 声を発すれば、レナンが起きてしまうかもしれない。特にレナンは、魔力に目覚めたばかりのなり立て魔術士。魔力の流れに敏感になっており、私の魔力の出力に反応して、起こしてしまうかもしれない。事は、静かに波音立てずに終えなければならない。


(…………私に従う要素)


 風との相性はよかった。しかし、風はあくまでも私に協力的であっただけであり、その要素を私が何よりの味方としていたわけではなかった。私は、レナンほどではないが、同じく水の要素に特化していた。

 ただし、今は精霊界が私たちの「敵」と成している。裏切りの風に加えて、水の要素もまた、私には従わないかもしれない。しかしそれならば、私は私の中にある「要素」を使うだけだと頭を切り替えていた。

 人間の身体の殆どを構築しているのは、水分である。そこから、力を捻出すればよい。私の身体は、私のものだ。私に従わないはずがない。


(魔獣たちに、伝えて欲しい。此処は人間の領域である。直ちに立ち去るよう……相手が欲しいのなら、私が相手となる。けれども、今は見逃して欲しい)


 右手の人差し指をカリっと犬歯で噛み切ると、そこから出たわずかな血を媒体に、私は魔術をそこに練りこんだ。空気を振動させなければならないという、この世界の「魔術発動の定理」を、覆した放出方法だ。レナンにもこの手段は伝えていない。術者の身体に負担をかけることは、極力伝えていかないことにしていた。禁じ手を、敢えて後継していく必要性はない。

 血液成分に、私の思念を乗せ空気中に触れさせた瞬間、霧散させた。それによって、言葉の通じない魔獣の身体に霧状となった私の血液と共に思念を浸透させる。言葉が通じなくとも、相手に「危険」を察知させることによって、この場から立ち去ることを可能とさせるという目論見だ。


(去れ)

『ルシエル』

(…………誰だ?)


 肉声ではない。

 鼓膜を振動させるものではなく、脳を揺らすように響かせて来る精神体の声。精霊たちは、私たち人間に声を聴かせるときに、このような手法を使うのだが、この声主は私の知る精霊ではないと、判断した。


『この場を去れ』

(何故に? 此処は確かに、キミたち魔獣……いや、キミは魔族だろうか。魔族がはびこる地であることは了承している。しかし、この地は人間界に属している。人間が統治する領域。それに従ってほしい)

『警告だ。ルシエル、この場を去れ』

(……理由は言えないのかい? 理由次第では、此処を立ち退こう)

『覚れ』

(…………)


 私はこのまま、この名も知らない魔族との接続を、一旦切ろうかと黙考した。このまま繋がりを持っていると、私の集中力だけではなく、魔力も削がれてしまう。そして、そのまま生命力も少しずつではあるが、消耗していく。

 今の私にとって、それは致命傷になりえる。私も自分の命は惜しい。喜んで命を差し出そうだなんて、微塵も思っていない。永くない命だとわかっているが、精一杯最期のひと呼吸まで生き抜き抗いたいと思っているのだ。それが、私のことを慕ってくれるもの、ついてきてくれたものへの最大限のお返しだと思っている。少しでも私が永く生きることによって、変わるものがあるとしたら……それはきっと、これからを担う若者たちへ、幾つかの選択肢を残すことだと考えている。


(…………レナンを、起こしたくはなかったが。やむを得ないかな)


 今、此処で魔族と対峙しても私に何の利益もないだろう。不利益ならば、いくらでも被りそうなところだ。それならば、思い切って忠告を聞き入れ立ち去る道を選ばんとした。

 精霊界が私を見捨てたというのに、何故、魔族が私の肩を持つのか。それは不明である。しかし、周りの獣たちの気配は消えている。脅威は去ったと考えられる。それでも尚、此処からの退所を望むということは、よほどのことが裏で動いているとも読み取れる。


「レナン」


 私はついに、言葉を発した。


「ん…………ん? ルシエル」

「起こしてすまない。この森を出ようと思う」

「え? 朝?」


 レナンは、私の呼びかけに対してすぐに目を開けた。眠そうに虚ろな瞳をごしごしと手でこする。すぐには眠気が飛ばなかったのだろう。どこか寝ぼけた感じであたりを見渡していた。おそらくは、自分が今、どういう理由でこのような暗闇の森の中に居るのか、忘れてしまっているのだろう。


「まだ、朝ではないよ。この場から、離れた方がいいようでね?」

「…………!?」

「レナン?」

「敵か!?」


 唐突に飛び起きたレナンは、くらくらと立ちくらみを起こしていた。それを見て、私は咄嗟にレナンの身体を抱き寄せた。私もまた、それほど体力が回復している訳ではない。しかし、しっかりと受け止めてあげるべき場面だと思い、私は弱っている足腰を奮い立たせ、レナンの身体を支えていた。


「敵というか……魔獣が周りを取り囲んでいたんだよ。でも、魔族の介入を経て、この場から逃げ出すことが得策だと判断した」

「魔獣……魔族?」

「そのあたりの区別については、また、伝授するよ。とにかく、今はレジスタンスのキャンプ地へ戻ろう。きっと、途中までラナンやリオスたちも、この森の中へ踏み入れているはずだから」

「…………」


 その言葉は、眠気眼だったレナンの意識を回復させるのに十分すぎたようだ。一気に瞳に影を落とす。顔色が悪く、眉を寄せ複雑そうな顔になる。


「ラナンは……結局、来てくれなかった」

「違うよ。此処まで入り込むことが出来ずにいるんだ」

「此処は単なる森だろう? 俺だって、ひとりで此処まで来たんだ」

「レナンは、今は立派な魔術士じゃないか。ラナンとはまた、性質が違う」

「魔術士であっても、そうでなくとも、人間には変わりないはずだ」

「大きく違うよ。見てみるかい?」

「え?」


 私は右手の手のひらに意識を集中させた。すると、そこには球体のようなものが現れる。そして、うっすらとだがレジスタンスのふたりの姿を映し出した。ひとりは、銀髪銀目の短髪の青年リオス。そしてもうひとりは、今ここに居るレナンと殆ど変わらない容姿を持った少年、ラナンである。


「…………これは?」

「今の映像ではないよ。過去のものを光を集めて此処に凝縮した。見てごらん? ラナンもリオスも、魔獣に苦戦を強いられている」

「……」

「早く、ふたりと合流すべきだよ。それに……」

「それに?」


 私は、魔族の言葉を反芻しようとしてから、一度息を吸ってタイミングをずらした。私自身、まだ、魔族の言葉の真意をつかめていないからである。


「レナン。ラナンの居場所は、把握できたよ」

「……」

「助けに行こう?」

「…………仕方ないから、行ってやる」


 ぷいっと頬を膨らませてから、レナンは腕を組んだ。そんな様子を見ていると、まだまだ子どもに見えてしまう。そんなことを本人には、とても言えやしないので、私は胸中で微笑みながら、レナンの手を取りラナンたちが居るはずである場所へ向かい、足を進めた。レナンは、素直になれないだけで、根はとても優しく良い子だということを、知っている。


(魔族の声…………どこかで?d)


 今更ながら、記憶の奥底で誰かと一致した。

 魔族は、私の知っている存在。


 けれども結局は確証が得られないため、私は今できることからはじめることにした。


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