精霊と人間
国王のもとから戻ったルシエルは、自室でうずくまるレナンを見つける。
レナンのこころを解放しようと、ルシエルは言葉をかける。
一見、行き止まりの壁まで来た。この先に、私の部屋がある。魔術によって施錠されている隠し扉に向かって、私はまず扉を出現させ、ドアノブを握る。
「解」
言葉とともに、ドアノブを右回りにまわすと、扉は開いた。素早く中に入ると、私は再び扉を消した。
「ただいま、レナン」
視界にとらえたレナンは、拳を握り、じゅうたんにへたりと座り込んでいた。俯いていて、長い髪の毛で顔が隠れている。泣いているのではないかと錯覚させるほど、空気が重い。
私の声に、何の反応も見せないレナンを前に、もう一度名前を呼ぼうと口を開けかけて閉じる。代わりに、私はそっと歩み寄るとレナンと視線を同じ高さにするために、床に腰を下ろした。そのまま、小さなレナンの身体を優しく抱きしめる。
「!?」
びくっとレナンの身体が震えるのが伝わってきた。怯えている。
「大丈夫。ルシエルだ。敵ではない」
「…………っ」
自分の胸にレナンの顔が埋まるように抱きしめている為、レナンの表情の変化は読み取れない。ただ、肌を通して伝わる鼓動の速さと息づかいから、何かを言いたそうにしていることは分かる。
(何を言いたいのかも分かるけど……あえて、聞く必要があるかな)
私はレナンの背中をぽんぽんと軽く叩いた。落ち着かせようとしている。
「レナン。ゆっくりでいいから、自分のこころの声を出してごらん? 閉じ込めたままでは、人間はつぶれてしまうよ」
反応はない。私の言葉を整理するのに、時間がかかっている。こういうときに、答えを焦ってはいけない。私は静かに待った。
「…………ぃ」
レナンが微かに声を漏らした。震えている。身体も、声も。きっと、こころも震えているに違いない。
「うん」
「………………わからない」
「うん」
「わからない……わからない、わからない!」
「うん」
酷く混乱しているのは、誰が見ても明白だ。もしかしたら、此処が私の部屋だという認識も今は消えているかもしれない。自分が誰なのかもあやふやで、何がしたいのかも分からず、今、レナンは苛立ちと不安でいっぱいなのだということが伝わってきた。
余計な言葉は、かえってレナンの思考を邪魔してしまう。今はとにかく、聞くことに徹底することだ。頷くだけでいい。聞いているという合図があれば、レナンは喋る……きっと。
「ダメだ……ダメなんだ。考えちゃいけない、思考するな」
「…………」
「俺は、傭兵。ラバースSクラスの傭兵。ただの、兵士」
(感情を押し込めるか…………仕方ない)
私はレナンの背中に指で円を描き、素早くそこに魔術文字を綴った。
「!」
レナンの息が詰まる。意識を無理やり私が切断したからだ。自己暗示をかけ、自らの本心と向き合うチャンスを潰そうとしたレナンの行動を、私は制した。解放しなければ、レナンは成長出来ない。そして何より、苦しいままだ。
「傭兵というのは、ただの肩書。必要のない肩書だよ。キミはレナン。そうだろう?」
「…………ッ、やめ」
「抗うならば、時代に抗いなさい。私の声を聞け、レナン。こころを殺すな」
「…………」
レナンは、ガクッと力が身体から抜けると、自力で座っていることすら叶わず、私はレナンの身体を支えた。
「今まで、本心を殺して生きて来た代償なのはわかっている。レナンの精神が限界なことも、分かっている。そして……」
私は窓際に目を向けた。そこに、反応を感じ取ったからだ。
「この子の身体を狙っているのかな?」
黒い影が揺らぐ。その正体は、悪しき精霊。
この部屋には結界を張っている為、そういう存在は立ち入れないはずだった。しかし、「境目」というところには歪みができやすい。そこを拠点に姿を見せるくらいのことはできるのだろう。
「精霊の長と私は友達だよ。勝手な真似をしてみろ。仲間がたとえ許したとしても、私はお前を許さない。長と共に、お前たちを潰すよ」
けん制の意味をこめて、私は窓に向かって炎の攻撃魔術を放った。少し様子を見るために、魔術を放った右手を差し出したまま、窓から視線を外さない。姿こそ見えないが、こちらを監視している様子は消えない。
(私を狙って来たことは無かった。レナンの器を狙うとは、そこまでの価値がレナンに……?)
私は視線をレナンに戻す。見た目以上に、レナンの身体は華奢だった。骨も細く、強く抱きしめれば折れてしまいそうなほどに感じられた。血色は、兄のラナンもかなりの色白だが、レナンも負けずに色白。人間離れしているとさえ、思えてしまう。
(まさか、レナンは精霊の生まれ変わり?)
私の中で、仮説がたった。
精霊に乗っ取られるものが、たまにいる。ただの人間でも乗っ取られることはあるが、滅多にそんな例はない。ゼロではないというぐらいの確率だ。
しかし、精霊の生まれ変わりという存在が居て、その生命は、人間としての自我が消えたとき、精霊としての人生が再びはじまるとも、他の精霊によって人生を奪われるともいう。実例を見たことがこれもなく、私も書物での知識にとどまる。しかし、可能性はこちらの方が高い。
「…………いいタイミング。いや、図られているのかもしれないな、世界史に」
私はレナンを抱きしめたまま、目を閉じる。目まいがして、疲労感を覚えた。
(レナンを鍛えれば、確かな力になる。もしかすると、ラナンを超える存在になるのかもしれない)
「…………ェル」
「? レナン?」
「ルシエル…………ルシエル」
私の服をきゅっと両手で掴むレナンは、上手く力が入らない身体を震わせながら、顔をわずかに上げた。青く澄んだ瞳までもが、涙で濡れ震えている。
「助けて」
「…………うん」
この子は、今まで何と闘って来たのだろうかと、私はふと思考を巡らせた。もしかしたら、私が思っていた以上のものを背負い、直面し、戦ってきたのかもしれない。
誰に相談することもできず、相談したところで何も解決はせず。彼は、孤独に生きて来たのだろう。
ラナンには、ラバースに入ってすぐに仲間が出来た。その前に、カガリにも会っている。「緑目の化け物」と忌み嫌われてはいたけれども、必ずラナン派は存在している。それは、今も変わらず、むしろ仲間は増えている。
レナンはどうだろうか。地位は、ラバースでは最高位のクラスにまであがってきた。しかし、レナンを慕うものは居ないと考えられる。なんといっても、今、ラバースが追っているのはそのレナンの兄なのだから。しかも、ラナンは元ラバースの兵士。レナンの立場がいいとは思えない。
こころから休まるときが、あったのだろうか。
(この子を救うのは、私だ)
私は決意すると、レナンの目をじっと見つめ、口元に笑みを浮かべた。
「大丈夫、大丈夫だよ。レナン。キミはもう、独りじゃない。私はキミを守ってみせる」
身体が弱っている今の状況では、剣術指南をするのは難しい。それでも、私に出来る精一杯で、この子の精神と肉体を守り、体術ではなく知識と戦術を伝えようと決める。
パチンと指を鳴らすと、レナンに施していた魔法陣が取り払われた。レナンの目が一瞬動揺してから、再び私の瞳と視線がぶつかる。
「ルシエル」
「うん?」
「…………何でもない」
「うん」
レナンは、疲れたように息を吐く。その様子を見て、私はゆっくり立ち上がると、レナンの手を握り立ち上がるのを補助し、ベッドに行くよう促した。
「朝食がまだだったね。準備するから、それまで横になっているといいよ」
「え、でも」
「いいから、いいから。ほら、ね?」
レナンは戸惑っていたが、本当に疲れていたのだろう。ベッドに横になると、目を閉じた。静かにしていれば、そのまま眠ってしまいそうなほど、うとうとしている。
「国王には、ちゃんと話を通したから。安心して眠りなさい、レナン」
掛け布団をそっとかけてあげると、レナンはこくりと頷いてから眠りについた。
私は邪魔しないように足音を消してキッチンへ向かうと、なるべく音を立てないように注意を払いながら、スープづくりに精を出した。




