最強の失墜
アスグレイ家の五男として生まれたルシエル。
ルシエルは、四人の兄のことを思い出す。
目覚めたルシエルを待っていたのは、新たなる不安と焦りであった。
兄上が、優しかったことなど一度たりとも無かった。そのことを、私は至極当然のこととして受け止め、受け入れていた。
嫡男として生まれたはずの長兄エストは、私よりも十四も離れていた。十三から子を授かることを許されていた村だ。それを思えば、私はエスト兄上とは親子ほどの年の差があった。そのせいか、エスト兄上からの虐めというものは、それほど記憶には無い。相手にするのも馬鹿らしいとすら、思われていたのかもしれない。
次男であり、十年の差があったのが今、私を最も悩ませているこのフロート王国軍師ザイール。ちょうど虐め抜きやすい年の差だったのか。それとも、他の兄上よりも野心が強かったのか。「アスグレイ」の後継者としての資質を最も持ち合わせているのは自分自身だという自負を、ひたすらに持ち続けていた兄上だった。いや、過去形ではなく今もなおそう思っているようだ。そして、その執念が実ったとでも言い表そう。現在、精霊界を味方につけ、精霊界側では「アスグレイ」の後継者として認識されている。そのことに関して、私はとやかく言うつもりはない。私は、はじめから「アスグレイ」に執着などしていなかったし、興味も無かったからだ。そのことが、より兄上たちの反感を買っていたということは、言うまでもない。
三男ケリーレス兄上は、八つ年が離れている。温厚で真面目で、どちらかといえば私に対しても優しい方ではあった。長兄と同様に、後継者という名目にそれほど興味を持っていないように感じられた。しかし、魔力はそれなりに強く、ザイールとも引けを取らないほどの術者であったことを、今でも覚えている。私たち兄弟の母、ユンアに似た優しい顔つきをしていた。父リヴァーよりは、私は母の存在に救われるところがあった為、ケリーレス兄上に対しては、敵対心も反抗心もそこまで持ち合わせてはいなかった。そのことも、反発し合わなかった理由のひとつに挙げられるかもしれない。そういう付き合いが出来るのならば、他の兄上たちとも、上手く折り合いをつけて、もう少し波風立たせずに少年期を過ごせばよかったという、小さな後悔はあった。
そして、もっともやんちゃだったのがヴィルッカ兄上。四男だ。父リヴァーと母ユンアの特徴、どちらも上手く受け継いだように見えて、性格は厳しい父にも、温和な母にも似ず、騒がしく落ち着きのない少年だった。私よりも四つ年上だというのに、随分と子どもっぽさを印象付ける大きな瞳と豪快に笑う口元。そして、喧嘩っぱやい性格だった。
容姿は、アスグレイの村の特徴が栗色の髪に青い瞳という種族の為、皆一様にそれに倣った容姿だった。髪に癖があったり、短くしたり伸ばしたりという個性はあっても、それくらいなもので、皆似たようなものだった。
アスグレイ家の五男として生まれた私もまた、例外ではない。ただし、男にしては線が細い。青年期になるまではよく、少女に間違われるほど華奢で、中性的な容姿をしていた。
(随分と昔のことを、思い出したものだな)
私は、軽くまだアルコールが血液の中を巡っていることを自覚しながらも、ゆっくりと頭を起こした。程よい酔いだ。考えたくない余計な思考は、上手くシャットダウンされている。出来ることならば、このままもう一度眠りにつきたいところだった。しかし、そうさせなかったことには、目の前に弟子の顔があったところにある。
「お目覚めですか?」
茶色の髪を首元で束ね、緑色のリボンで結んでいる。それは、オシャレからではなく、この子の「誓い」と「絆」を意味していることを、私は知っていた。しかし敢えて、そのことには触れていない。この子が隠そうとしていることを、暴こうとする趣味は無かった。隠していたいのならば、知らないふりをするのも師匠としての務めではないかと、勝手な解釈をしている。
「カガリは、ずっと起きていたのかい?」
弟子の名。
カガリ・ヴァイエル。
風の民、ライロークの唯一の生き残りである。しかし、そのことについては、本当はもっと注釈を入れる必要がある。それをしないのは、師匠だからではなく、私が「先導者」という厄介な役目を負ったことから来ているのかもしれない。ともかく、私にはまだ、この子に全ての真実を話すことは許されなかった。そのことによって、カガリが傷ついたままだとしても、私は「世界史」に逆らう道を選べなかった。
たとえ、世界史が私を「除名」し葬り去ろうとしているのだとしても……私は、それでもこの人生の半分を奉げて来た大いなる存在を、簡単には無視できなかった。単に、恐れているのかもしれない。諦めているのかもしれない。戦う前から、「世界史」に記されていない道など、選べないのだと覚っているのかもしれない。私は実に臆病だと、この年になって気付かされた。
「それほど時間は経過していません。レナンもまだ、眠っているんです」
「? まだ、眠っているのかい?」
私は時計を見た。確かにまだ、それほどの時間は経過していない。一時間と少し、時計の針は回っていた。しかし、レナンが起きる気配が見られないどころか、眠りが深くなる一方のように感じられ、私は「違和感」を覚えた。
その刹那……それは、嫌な「予感」へと変わる。失踪、失墜した水の精霊長「レイディアン」の存在が、不意に頭をよぎったのだ。
(まさか、覚醒しようとしているのか!?)
それがレナンにとって、悪影響なのかどうかを量る資料や記憶、能力を私は持ち合わせてなどいなかった。器ではないのだ。しかし、魔術士でなかったこの子に、突如として「魔力」が生まれた時点で、すでに大きすぎる変化がこの子には起きているのだ。眠りの深さは、それだけ体力を消耗させている証拠ではないかと裏付けられる。私は椅子から腰を上げると、そのままベッドに眠る小さな身体に右手の平をかざしてみた。生命力の変化を感じ取れるかどうか、試そうとしたのだ。
それを見て、カガリは不思議そうな顔をして、眉を寄せた。
「何をしているのですか?」
「静かに」
私は意識を集中させた。そのまま、自分の魔力をレナンに向けて放出する。大きすぎる魔力に対して、このような行為をすると、対立が起こる。レナンの魔力はその対立を起こすほどのレベルに、すでに達していた。魔術士が、魔術士の治癒を苦手とするものが多い理由は、此処にあった。まったく同じの魔力由来ならば、浸透することもあるのだが、基本的にひとつとして、まったく同じの魔力というものは無かった。「遺伝子」が各々あるように、魔力にも「型」があった。
魔力の跳ね返りの度合いを見て、私はレナンからの魔力の「波形」を読み取ろうとしている。レイディアンの波形を完璧に知っている訳ではないのだが、私にも分かる情報があるのではないかと試みた。
この子は、ラナンという「革命者」を助けるための「解放者」になるはずだった。しかし、此処でもし「レイディアン」として覚醒するのであれば、それは精霊界側につくことになるのだろう。今、私が見ている世界史にはない、新しい「道」が出来始めていることは認めざるを得ないが、兄弟でこれ以上争わせる未来を、私は望んではいないし、見たいとも思わなかった。
「…………レナン」
祈るように、私はこの小さな身体の持ち主の名を呼んだ。目を開けたとき、瞳は何色なのだろうか。アリシアを名乗っていたザイール兄上の女の術中では、レナンは青緑色の瞳を光らせていた。水の精霊たちの特徴と呼べる色だった。
(名もなき草の香水をまとっていたと言ったな。あの毒草に、覚醒作用があるとしたら……レナンや、カガリにも何かしらの影響が出てもおかしくはない)
「……ルシエル様?」
(自らの身体で、毒草を試すばかりで……私は、周りへの影響を疎かにし過ぎたんだ。ミスト大陸での変異から、私は失態続きだ)
「……ルシエル様」
(世界史に従うことは、私の役目。それから反れないように人々を導くことこそが、役目、役割だと割り切っていた。しかし、私は…………)
「ルシエル様」
「……失う覚悟などもう、出来ないんだ」
「?」
カガリの声が、聞こえていなかった訳ではなかった。それでも、耳を傾け応える余裕がなかった。
不安げにカガリは私の肩に手を置いた。そして、そのまま自身の方を向かせるように、力をこめて来た。レナンの方ばかりを向いていた私の身体が斜めを向き、カガリの空色の瞳が視界に入る。
「失う覚悟なんて、必要なんですか?」
「……えっ?」
カガリの言葉を前に、私は思わず問い返してしまった。
「ルシエル様は、何を失うおつもりなんですか?」
「…………」
「失いたくないのならば、守ればいい。それが、ルシエル様というひとでしょう? そうして来たはずでしょう?」
「……カガリ」
「何を、怖がっているのですか? 何をそんなに、生き急いでいるのですか? 何だか……らしくありません」
「…………らしくない、か」
最強の魔術士。
そんな呼び名などもう、相応しくもない。
私は、まだまだ未熟だと思っていた弟子から、引導を渡される面持ちになった。




