会ってほしい人 Ⅲ
「本来なら、芳本さんには俺がきちんと報告しなきゃいけなかったんだ」
古庄が静かな声で語りかける。
1年前の経緯からも、それは自分が果たさなければならない責任だった。静香とのことはもう過去のことだと忘れていたけれども、真琴と結婚するときに思い出すべきだったのだと、自分の不甲斐なさを古庄は悔やんだ。
そうすれば、真琴にこんな思いをさせることもなかったはずだ。
静香はそれでも、しばらくは何も発しなかった。
自分の中の衝撃を、何とかして整理しようとしているのか、思いの含んだ眼差しで、真琴と古庄をかわるがわる見遣った。
そして、目の前に置かれている自分の分の紅茶を飲み干すと、思い切ったように口を開いた。
「私…、知らないところで、真琴ちゃんに辛い思いをさせてたのね…。ずっと古庄さんのことを好きだったんでしょう?」
自分の心を吐露するのではなく、静香は逆に真琴を思いやって言葉をかけてくれる。
真琴はそれを聞いて、古庄が静香と結婚するとばかり思っていた、切なく苦しい頃を思い出した。胸が苦しくなって、涙が込み上げてくる。
でも、今日は自分が泣く日ではない。静香には、もっと辛い思いをさせてしまっている。
そう思って、やっとのことで涙を堪えたが、真琴は何も言葉を返せなかった。
「古庄さんを見て、好きにならない女性はいないものね……」
自分自身を納得させるように、静香は寂しい微笑みをたたえる。
静香は、真琴が古庄を好きになり、古庄がその想いに応えた…という一般的な構図を想像しているようだ。
「…いや!違う。そうじゃない。一目見て惚れてしまったのは、俺の方だ。真琴は、俺の顔だけを見て好きになるような女じゃない」
古庄は静香の想像を、そう言って即座に否定した。
静香は少し驚いたように古庄を見返し、それから真琴へと視線を移して、再び微笑みかけた。
「…そうね。真琴ちゃんは、そんな人よね。相手が古庄さんだけじゃなく、女性でもどんな相手でも、その人の本質を知ろうとする人よ。そんな真琴ちゃんだから、古庄さんも好きになったわけね」
静香がそう語る間も、それを肯定するように古庄は深い眼差しを真琴に捧げるが、真琴は黙ってただ静香を見つめている。
「……私は…、やっぱり古庄さんのこと、表面しか見てなかったのよね。だから、婚約を破棄したいって言われるまで、古庄さんが何を思ってるのかなんて、私は考えもしなかった…」
静香との婚約を破棄するとき、古庄は詳しい理由を告げずにただただ頭を下げ、それに対して静香は了承しただけだった。
その当時、語られることのなかった静香の心情を聞いて、古庄は真琴から静香へと視線を移す。
「一人で浮かれて、自分が綺麗に見えるための準備をあれこれして…。誰もが憧れる古庄さんを自分だけのものにできるのが、嬉しくて…それだけだった。本当に古庄さんのことを想ってたら、古庄さんにその気がないことなんて初めから解っていたはずだと思う。……だけど、古庄さんに切り出されたとき、妙に納得できたのよ。『ああ、やっぱりダメだった…』って」
静香が自分の思いをとうとうと語る間も、真琴と古庄は何と言葉をかけたらいいのか分からず、ただ黙って聞いていた。
古庄の頼んだコーヒーが運ばれてくる。
クリームを入れて、スプーンでかき混ぜて、古庄がコーヒーカップを口に運ぶ。
その古庄の動きに、今の状況も忘れて真琴が思わず見とれてしまうのと同じように、静香も古庄を見つめていた。
「真琴ちゃんに一目惚れしたんなら、ずっと悩んでたんでしょう?」
静香に問いかけられて、古庄は少し戸惑ったような色を浮かべたが、薄く微笑みを浮かべて口を開いた。
「いや、悩むっていうより、初め俺は全く真琴に相手にされてなかったから。嫌われているとさえ思ってた。諦めきれずに告白しても、真琴は俺が君と結婚することを知っていたから、突っぱねられたよ」
そう言いながら、古庄はチラリと真琴を見遣る。
真琴はその視線に応えることなく、ずいぶん冷えてしまったカフェラテを口に含んだ。
「君との結婚をやめてしばらくして、真琴が俺の想いを受け入れてくれてからも、1年間は付き合えないって言われて。…それで、1年待って、籍を入れたんだ」
その話を聞いていた静香が、眉間に皺を寄せる。
「どうして、1年間?」
その問いが自分に向けられていると気付いた真琴は、顔を上げて静香を視界に捉えた。
切ない目をして静香を見つめながら、真琴は自分の中の思いを言葉として表現するのに、少しの時間を要した。
「静香さんを傷つけてしまったのに…、静香さんの傷が癒えるまでは、とても…」
真琴は込み上げてくる涙を堪えて、首を横に振る。
失意の親友の存在を忘れて、古庄の傍に寄り添って、幸せそうに甘い時間を過ごすなんて、真琴には到底できることではなかった。