会ってほしい人 Ⅰ
「…よかった!それじゃ、土曜日の昼1時過ぎくらいに君のアパートに迎えに行くから」
真琴の鶴の一声に、一瞬で古庄の声も弾んだ。声に現れている以上に、気持ちはもっと弾んでいた。
「…あの!もっと早く12時ごろに迎えに来てもらっていいですか?」
真琴からの嬉しい申し出に、古庄の心はもっと踊りあがる。
「そうだな。せっかくだから旅館に行く前、どこかにデートに行こうか」
「…いえ、そうじゃなくて…!」
楽しい想像を膨らませている古庄を、即座に真琴は遮った。
「……会ってもらいたい人がいるんです。連絡して、場所と時間を決めておきますから」
真琴の口調からは嬉しさは感じられず、緊張感が漂っていた。その雰囲気に圧されて古庄も神妙になり、浮き立っていた気分も消沈する。
「…うん、分かった…」
そう短く答えると、誰と会うのかも訊けないまま、携帯電話の通話は終わっていた。
会う相手のことを詳しく聞かなかったことは、少し古庄の中で尾を引いた。
――もしかして、真琴の両親……?
思い当たるとしたら、それくらいだ。そう思うと却って、おのずと緊張してくる。
両親に報告する前に、すでに結婚してしまっていることを、懸念されて咎められるかもしれない。
そのことについて、どう言って申し開きをするべきか…。
放生会で賑わう夜の街を巡回している時も、古庄は漠然と考えを巡らせていた。
しかし、そんな物思いも、真琴が古庄の車に乗り込んでくるまでのことだった。
約束をした当日、淡いベージュのワンピースに身を包んだ真琴に、古庄の目が釘付けになる。
普段から外見で判断されることが多い古庄は、人の見た目にはあまりこだわらないのだが、学校では決して見ることのできない真琴のこの姿に、すっかり心を奪われてしまった。
――こんなに可愛い人を嫁さんにできたなんて、俺は何て果報者なんだ…!
古庄は車のハンドルを握りながら、ただただ自分のその幸せを噛みしめた。
もちろん真琴は、一目で男を虜にさせるような美人ではない。そんな風に、一目で真琴に惚れてしまったのは、古庄くらいのものだろう。
けれども、真琴と一緒にいてその内面を知れば知るほど、人柄が醸し出す可愛らしさを感じられる。古庄は一目で、それを見抜く力があったということかもしれない。
「さあ、どこに行けばいい?」
「坂上市に行ってください。そこからだと、藍沢温泉にも行きやすいですよね?」
「うん、国道で1本道だから」
そんなやり取りの後、会話が続かない…。
気兼ねの多い職員室を抜け出して、やっと二人きりになれて、いろいろ話したいこともあったはずなのに。言いようのない緊張感が漂い始め、沈黙が車内を支配した。
――これから誰と会うの?
古庄は何度もこの質問をしようと真琴に視線を向けたが、彼女が抱える重苦しい表情に圧されて、とうとう口を開けなかった。
――…俺、何か悪いことしたかな…?怒ってるのか…?
そんな不安が古庄の思考に過って、心当たりを必死で検索する。
けれども、この車に真琴が乗り込んできたときに見せてくれた微笑みを思い出して、その不安を振り払った。
こんな時、古庄は改めて、自分が女性の扱いに慣れていないことを実感する。
思い返せば、自分から女性にアプローチした経験がない。努力をしなくても女性の方から寄ってこられて、女性の方からいろいろと世話を焼かれることが普通だった。
それに、真琴に出逢うまで、真剣に口説こうと思った女性などいなかった。
姉と一緒に育ったし、女性と付き合った経験もそれなりにあったので、女性には慣れているつもりだったが、好きな人が相手ではどうもうまくいかない。
出逢ったばかりの頃、少しでも真琴に近づきたいと思っていた時には、少しは気の利いたことも話せていたのに…。(実際はほとんど相手にされていなかったけれども…)
どんな言葉をかけて、愛しい真琴の気分をほぐせばいいのか…皆目見当もつかず、古庄は途方に暮れた。
「綺麗な景色ですね…」
古庄がいろいろと考えを巡らせていると、真琴の方から口を開いた。
そうだ…!何も特別なことを話さなくても、こういう何気ないことを話題にすればいいんだと、古庄は目からうろこが落ちる。
車窓には、道路に沿って流れる渓流があった。
秋の清々しい日射しを受けて、キラキラと水面を光らせているのが、爽やかな緑の木々の合間から眺められる。
「うん、緑が爽やかで気持ちがいいね」
「秋が深まって、紅葉しても綺麗でしょうね」
「そうだね。その頃また観に来ようか」
古庄のその提案に、真琴は少し嬉しそうに微笑んだ。
だが、その奥にある微妙な影が気にかかって、古庄は心の底からこの景色を美しく感じられない。
――…何か、心配事でもあるのか…?
素直で純粋な真琴は、感情がすぐ顔に出てしまう。
本人は必死で隠そうとしても、不自然すぎて却って隠しきれない。
何かあるなら、とりあえずそれを解決してあげないと。
解決できないにしても、少しでも気持ちを軽くしてあげないと。
こんな重苦しい気持ちのままで、大切な今日という日を過ごしてほしくない。
古庄がそう思って口を開きかけた時、
「そこの脇道に入ってください。すぐにカフェがあるはずですから」
と、真琴から道案内された。
古庄が言われた通りに車を走らせると、そこには広葉樹の淡い緑に囲まれたログハウス風のカフェがあった。
「もう来てるみたい…」
真琴は唇を噛みながら駐車されている車を確かめて、そう言った。そして、車から降りようとした古庄を制止する。
「いきなり古庄先生が現れたらびっくりすると思うから…。電話するので、少しの間ここで待っててください」
真琴はそう言い残すと、意を決するような表情を見せて車を降りた。スマホを取り出し電話をかけながら、カフェへと入っていく。
真琴の緊張感に伴って、古庄の鳩尾にも冷たいものが落ちる。
運転席に座ったまま座席に頭を預け、目の前に広がる木々の緑を眺めるが、古庄の心は癒されるどころではなく、胸の鼓動はどんどん大きくなった。