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月光の中で Ⅰ

 

 真琴が離れに戻って来た時、すでに戸の鍵が開いていた。

 そっと部屋に入ると、部屋に灯りは点いておらず、窓から入ってくる明るい月の光に照らし出されている。


 古庄は窓辺に佇み、その姿がシルエットになって浮かび上がっていた。

 月を愛でる古庄は、まるで月の化身のようだ。神々しいその光景に、真琴は思わず息を呑んだ。



 ――……きれい……



 男性を形容するのに適当な表現ではないのかもしれないが、真琴はそう思わずにはいられなかった。

 かけがえのないこの時とこの光景を惜しむかのように、真琴は古庄を見つめ続ける。


 すると、古庄が真琴の気配を察して振り向いた。真琴と同じ柄の浴衣を着ているから、温泉には入ってきたらしい。



「今日は中秋の名月らしいよ。布団を敷きにきた仲居さんが、一緒に持ってきてくれた」



 古庄が指し示した縁側をよく見ると、ススキとお団子が供えられている。

 旅館の粋な計らいを嬉しく思いつつ、真琴も一緒に月を眺めるべく部屋に足を踏み入れると、二組並べて敷かれている布団が目に飛び込んできた。


 ドキン!と一つ胸の鼓動が大きく打ったが、ゴクリと唾を一口呑み込んで心を落ち着ける。


 夫婦なんだから、当然のことだ。これからずっと死が二人を分かつまで、こうやって古庄と枕を並べて寝ることになる。

 今日はその記念すべき最初の夜なのだ。


 1年で一番美しい月を見上げて、まるでこの夜を祝福してくれているみたいだと、真琴は思った。


 二人の会話がなくなると、その沈黙を埋めるかのように、庭の草陰から秋の虫たちの休むことない清かな声が聞こえてくる。

 雲一つない中天に浮かび、煌々とした光を放っている月を見ていると、心が澄んでいくのが分かる。つかみどころがなく、心の中に混とんとして渦巻いていた不安や雑念もきれいに洗い流され、真琴の中には確かなものだけが残っていく。



 真琴は月から目を離し、その〝確かなもの〟へと眼差しを向けた。

 月の光を浴びて、空を見上げる古庄は、自身から光がこぼれ出ているかのようで、本当にこの世のものとは思えないほどだった。



 視線を感じて月から目を移した古庄は、真琴を見つめ返した。そのあまりにも深く穏やかな眼差しに、真琴の胸が甘く痺れてひるみそうになる。真琴自身の中に込み上げてくる古庄への想いの大きさと深さに、心が圧し負けそうになる。


 いつもこれに耐えかねて、逃げ出してしまう自分がいた。けれども、今日は逃げたくなかった。

 古庄に負けないほどの眼差しで、真琴は古庄を見上げた。



「真琴……」



 つぶやくように、古庄が名前を呼んだ。

 真琴は眼差しをそのままに、かすかに口角を上げてそれに応える。



「俺のことが、好きか…?」



 それを訊かれて、真琴はハッと息を呑んだ。大事なことに気が付いて、愕然とする。


 真琴はまだ一度も、きちんと言葉にして「好きです」と、古庄に伝えた覚えがない。

 あれだけ古庄は、言葉を尽くして真琴への想いを表現してくれているのに……。


 真琴は動転して、固まってしまった。

 心にある想いの全てを、ここで伝えたいのに、何も言葉として表れてくれない。

 ただ一言「好きです」と告げることさえも、声が喉に張り付いたように発せられなかった。


 そんな動揺の中で、真琴は辛うじて微かに頷いた。

 たったそれだけの意志表示を読み取って、古庄は満ち足りたように真琴に優しく微笑みかけてくれた。



 この微笑みに応えたい――。

 自分の中に溢れていくこの想いを、古庄に伝えたい――。


 真琴は切実にそう思い、勇気を奮い起こして、意を決した。腕を動かして、浴衣の帯を解く。



 突然のことに、古庄は息を呑んで目を見張り、真琴の行動を見守っている。

 真琴は合わせられた襟を開いて、浴衣を肩から外すと、するりと足元へと落とした。


 古庄が目にしたものは、月の光を浴びて光り輝く、真琴の一糸まとわぬ姿――。


 今度は、古庄が声をなくす番だった。声の代わりに、愛しさと切なさが入り混じったその眼差しはいっそう深くなる。



 言葉のない二人の間に、虫の声だけが響き渡っている。


 古庄が何も発しないし、何も行動しないので、真琴は恥ずかしさと緊張で、体の芯から震えはじめるのを感じた。




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