Last Reason/Rust Treason 4
人が住み出したおかげか、埃っぽさが失われつつある家屋。
たくさんの紙袋が放り出され、簡素なテーブルと椅子が並べられたリビングで、メリッサは文字通り頭を抱えていた。
本人に悪気がないことも、本人がわざわざ騒ぎを起こしている訳でないことも理解はしている。
だがメリッサ宛に出された陳情は日を増す毎に増えていたのだ。
「すいません、なんだか面倒を掛けてしまったみたいで」
そう言って苦笑するエイブラハムは湯が立つカップをメリッサの前に置く。
カップからはダージリンの香りが上り、カップを手に取ったメリッサはその香りにため息を混じらせる。
BIG-Cブランドの高級茶葉でさえ、メリッサの頭痛の種なのだから。
「アンタを取り合ってラブリエの奥さんとアララギの奥さんのキャットファイト、嘆いた旦那同士が逃避行、ウチに送られ続ける贈り物。こんなのアタシの管轄じゃないはずなんだけど」
文句を言いながらもメリッサは紅茶に口をつける。芳醇なダージリンの香りは口いっぱいに広がり、質の良さだけではない旨みにメリッサは顔を顰めてしまう。
「随分慣れてるのね」
「潜入に必要な技術ですからね。従僕としての技術は全て仕込まれたんですよ――アンジェ、紅茶を淹れましたよ」
エイブラハムはそう言いながら自分とアンジェリカの分のカップとポットをテーブルに置き、未だに寝室に居るアンジェリカに声を掛ける。
寝室の扉の隙間からメリッサの様子を窺っていたアンジェリカは、メリッサと目を合わせないように椅子に腰掛けたエイブラハムの膝に飛び乗った。
「そりゃ、警戒もされるわよね」
向けられた小さな背にメリッサは思わずぼやいてしまう。
アンジェリカの身とStrangerの事を案じていたとはいえ、メリッサはアンジェリカの唯一の味方であるエイブラハムに銃口を向けた。
あの後、メリッサとエイブラハムは表面上の和解をした。
Strangerとアンジェリカの利となり続ける限りエイブラハムの一切を見逃し、Stranger首脳のアンジェリカへの接触を阻むと。
裏を返せば、この瞬間もエイブラハムに猜疑心を抱き続けているという事であり、そんな自分をアンジェリカが許すとはメリッサには思えなかったのだ。
「というよりは人見知りするみたいです。ミセス・ラブリエのお店で洋服を買った時も不機嫌そうでしたし」
「……それは違う理由だと思うけれどね」
親でもなく、男だから生まれたのかもしれない見当違いなエイブラハムの言葉にメリッサは顔を引きつらせる。
子供らしいふっくらとした頬をエイブラハムの胸元に当てているアンジェリカ。
出会ってからというものずっとエイブラハムにべったりなアンジェリカが不機嫌になる理由など、メリッサには1つしか思いつかなかった。
「でも、この子がアンタだけには懐いてる理由、少しは分かるかも」
「と、仰いますと?」
「なんだか似てるもの、血が繋がってないなんて信じられないわ」
引きつらせていた顔をどこかおかしそうな笑みに変え、メリッサはくすくすと笑う。
容姿は共に美麗であり、白銀の髪と真っ白な肌はそれぞれの瞳の色を際立たせ、どこか浮世離れした雰囲気にその隔絶した美しさを内包する。
そういった共通項を無視したとしても、2人の信頼性は紛れもなく親子のそれであった。
そのメリッサの言葉に何か思うところがあったのか、アンジェリカは振り返るようにしてメリッサに視線をやる。
値踏みという訳ではなく、ただ様子を窺うようなアイスブルーの視線。
エイブラハムは僅かに警戒を解いただけのアンジェリカの脇の下に手を入れ、メリッサと向き合うようにして膝の上に座らせた。
アンジェリカは突然の視界に慌てて逃げ出そうとするも、エイブラハムはやんわりと抱きしめる事でアンジェリカを逃がそうとはしなかった。
「メリッサ・セガールよ。よろしくね、アンジェちゃん」
慌ててポットの陰に隠れようとするアンジェリカに、メリッサは表情筋を駆使して微笑みかける。
常に美しく微笑んでいる美男子と無表情が神秘性を演出している美少女を前にしてよくやった方だ、とメリッサは胸中で呟く。
メリッサの顔も整ってはいる方だが、まるで達人が作り上げた彫像のような美しさを湛える2人とは比べ物にはならない。
「ほら、アンジェ」
背後から促された声に、アンジェリカはおずおずと会釈をする。
1度も聞いた事のない声、崩れる事ない幼いポーカーフェイス、エイブラハムだけを信用しているような振る舞い。
その様子に訝しげな表情を浮かべたメリッサは、最悪の状況を脳裏にしのばせながら口を開いた。
「……ねえ、もしかしてアンジェちゃんって」
「分かりません、そうでなければいいとは思っていますが」
かつて考えていたその可能性を誤魔化すように、エイブラハムはアンジェリカのカップを取ってやる。
言語中枢、あるいは声帯に大きな障害を負っているのではないか。
もしそうだとすれば、こんなにも皮肉な事はないだろう。
喋れない少女に内包されていたAIは、嘘のようによく喋るのだから。