Black Water/Clack Slaughter 6
炎が燃え盛るだけの音と圧倒的な死の匂いだけが支配する静かな戦場を、ポズウェルはガスマスクを手に歩いていた。
悲鳴と銃声が途絶えてから数十分。排水路からゆっくりと出てきたポズウェルを迎え入れたのは、紛れもない地獄だった。
頭を吹き飛ばされた死体、今この瞬間も燃え続けている死体、車両だった鉄塊に押し潰された死体。
吐き気を催すそのオブジェクト達に囲まれたそこに、一筋の白髪を血で赤く染めた傭兵が倒れていた。
その顔は誰のものなのか分からない血で塗れ、意識はないというのに右手にはしっかりとハンドキャノンが握られている。
口元の血の泡が呼吸に合わせて動いている事から、ウィリアムが生きている事は分かる。だがポズウェルにはウィリアムを助けようという気にはなれなかった。
恨みつらみはもちろんある。だがそれ以上に恐いのだ。
たった1人で企業に潜入し、その挙句に自分がかき集めた傭兵達をたった1人で殺した男。
そんな常識外な存在に恐怖しないでいられるほど、ポズウェルは強くあれなかった。
「……お前は、危険すぎる。僕達にとっても、人類にとっても」
ポズウェルは静かに囁く。眠れる獅子を起こしてしまわないように。
「お前なんかが居たから彼女は、世界は変わってしまった」
ポズウェルはゆっくりとアサルトライフルを構える。それがまるで自分の使命であるように。
「お前なんかいらない。死ね、化け物」
ポズウェルは確かに照準を合わせる。自分の意思と恐怖に背中を押されるように。
しかし鳴り響いた銃声は、アサルトライフルのものではなかった。
次いで聞こえたエンジン音に、ポズウェルは慌ててその場所から飛び退く。
砂埃を上げながら現れたのは白銀の大型バイクと美しい金髪をなびかせる麗人、指令本部に居るはずのローレライ・アロースミスだった。
「ローラ、何故君がここに!?」
「あら、言われなければ分からなくて? どうしようもなく物分りの悪い愚か者から、愛しの復讐者を救い出すためですわ」
戸惑うポズウェルと地面に倒れ臥すウィリアム。その間に割って入るようにバイクを停めたローレライは、パワーアシストの聞いた右手で銃を構える。
その仕草は不慣れなものを感じさせるが、不思議と躊躇いは一切感じさせないものだった。
かつての許婚が突然現れ、しかも銃口を自分に向けている。
そんな極限状態にありながらも、ポズウェルは今までにない強い意思を持ってローレライに立ち向かう。
「ダメだローラ、それだけはダメだ。コイツはここで死ななければならない。私的な恨みとかそんなんじゃなくて、人類の今後のためにだ。こんな化け物を生かしておいてはいけな――」
「お黙りなさい、どうしようもない日和見主義が」
決して張り上げられたわけではない。だが不思議と威圧感を持ったローレライの言葉にポズウェルは息を呑む。
アサルトライフルとハンドガン。そんな分かりやすい戦力差があるというのに、ローレライの言葉が一方的にポズウェルを押さえ込むのだ。
威圧というにはあまりにも生ぬるい、まるで支配のような目に見えない力が。
それでもポズウェルは自分を奮い立たせてゆっくりと口を開く。
たとえ恨まれてでもその恐怖は排除しなければならないのだ。自分が恐怖から解放されるため、全ての人類のため、正気を失ったかつての許婚を救うために。
「……君は、自分が何をしているのか分かっているのかい? 企業にたった1人で踏み込んで生きて帰ってくるような化け物が、人々に牙を剥かない保障は出来ないんだぞ?」
「相変わらず浅い考えと狭い世界に生きてらっしゃいますのね。多くを生かすために悪役を演じ、ただ1人で傷を負った体で去っていく。わたくし達はそんなウィルの優しさに甘えていただけでしてよ――そんなウィル1人のために乱れるような世界など、傷ついた彼を許さない世界などなくなってしまえばいいんですわ」
足元で倒れているウィリアムに視線をやったローレライは、これ以上は付き合いきれないとばかりに美しい柳眉を歪ませる。
流した血の量は計り知れず、ウィリアムの命はこうしている間にも削られ続けているのだから。
そしてローレライは左手で胸元の金色のフレアを撫でながら、言葉を失ったポズウェルへと最後通牒を告げた。
「ウィルが生きるのにあなたは、わたくし以外の全てが邪魔でしてよ――クソッタレ」
やがて渇いた銃声と共に訪れた死はポズウェルを解放し、1つの戦いの終わりを世界に刻み込む。
犠牲は誰か、殉死者は誰か。
ただ戦場で美しい笑みを浮かべている淑女は、愛しそうに血まみれの復讐者の頭を抱きかかえていた。




