Raedy To Flame/Heady To Blame 6
「地図データは入手出来ましたの?」
「……ああ、予想よりも高くついたけどね」
ローレライの問い掛けに、ウィリアムは現実から目を逸らすようにポケットから端末を取り出す。
地図データがすぐにでも必要なのか、ウィリアムの歪んだ眉根に心当たりがあったのか。
その真意こそ分からないが、情報提供をしない理由はないウィリアムは端末に指を滑らせてローレライの端末へとデータを送信する。
そのデータはコロニーの簡単な地図と企業社屋の地図。いくつか穴あきがあるそれは売られていたデータでは一番詳細で、コロニーOdeonで金を使った物の中で一番高価だったものだ。この情報の為に内外問わず数人死んでいるらしく、その為に高額なのだとか。加えて言えばこれ以上の情報はもう出てこないだろう。
「この建物の配置を考えるのなら当初の構想通りに正面が我々、それ以外がレジスタンスという布陣となりますわね。この一番端のがウィリアムさんですの?」
「そうだよ、俺は排水設備からの侵入する。ただ、レジスタンスに関しては話に乗らない連中もいる筈だからそれは希望的観測の側面が大きいけど」
受け取ったデータを再生しながら問い掛けるローレライに、ウィリアムはわざわざ買って来たガスマスクに視線をやりながら答える。
これだけ汚染が進んだ世界だ、企業社屋の排水設備など何もかもが毒であってもおかしくはない。エンターテイメントを売りにしながらも、パワードスーツや機動兵器を製作する彼らに人間性を求めるだけ無駄だ。
「絶対乗ってきますわ。単独での機動兵器2機と交戦し勝利するなどウィリアムさん以外には出来ませんもの、彼らにとってもこの上なく好機のはずですわ」
「……そうだね、あとは俺が上手くやればいいだけだ」
ウィリアムは嘆息交じりにそう言って、腰に腕を回しながら微笑むローレライの肩を抱き寄せる。
あの夜、ローレライが提示したものはウィリアムが欲してやまないものだった。
自分の存在の証明、暴力を行使する理由、いずれ他の何ものにも侵されない居場所。
あまりにも都合が良すぎるその提案にウィリアムは結論を出さずに入られなかった。
持たざる者達の為に力を手に入れた誰よりも優しい少女。
その優しさが自分に向いたのか、あるいは弱い人々の為に自分の身を捧げたのか。
どちらにせよ、ローレライを変えてしまった事にウィリアムは酷く責任を感じていた。
ローレライはあの夜からウィリアムが車両のシートに座れば今のように傍らに居座り、ウィリアムが外で機材をいじれば日傘と共に傍らに居続けた。
一緒に居たがるという点をだけを見れば幼い頃の焼き増しのように感じるが、そこにあるはずの見えない意図とローレライの様子がそれを否定する。
たとえるのなら、傷ついた獣の子をその親が庇護するような、室内で鳥籠から解き放った小鳥を見守るような。
ウィリアム・ロスチャイルドという乱指向性の兵器に首輪をつけたいだけなのかもしれないが、情で縛るだけであれば他にもやりようはあるはずなのだ。ウィリアム・ロスチャイルドもアドルフ・レッドフィールドも子供という存在を用意すれば容易く利用できるのだから。
何より、ウィリアム・ロスチャイルドという存在はローレライ達にとって厄介な存在のはずなのだ。
裏切る事さえなければ裏切らない。
その単純なルールはローレライ達にウィリアムを切り捨てる事を躊躇させてしまうだろう。恩情を与えられたウィリアムがローレライ達に銃口を向けるつもりがなくても。
企業を壊滅させられたとしても、企業が所有している軍需工場などがなくなる訳ではない。企業という首輪から解き放たれた私兵達は復讐者であるウィリアムを狙う可能性が高く、ウィリアムは役目を果たした後に姿を消さなければならない。
緑色の瞳はウィリアムが復讐者である事を示し続け、復讐者という名前は争いを招き寄せる。
平穏の訪れない一生を過ごす家庭でウィリアムは誰かを背負ってやる事は出来ない。
愛した女と偽者の弟を背負おうとしたアドルフのようにはなれない。誰かを傷付けてしまう事ではなく、見放されている事を恐れているだけの矮小な人間なのだ。
だからこそウィリアムはその有用性を見せつけた上で姿を消さなければならない。
ローレライ・アロースミスに牙を剥けばどうなるかを理解させると同時に、ローレライ・アロースミスが人質としての価値を持たない存在であると誤解させた上で。
未発達な体を金で預け、スラムの路地裏で寒さに凍えながら眠り、盗みを続けた日々。あの時の孤独を思い出したいとも思わないが、その薄汚い孤児こそがウィリアムなのだ。利己的で無教養で生き汚いだけの名無しの存在、それこそが今ここに存在している傭兵の正体なのだ。
ローレライが自分の肩を抱くウィリアムの手に手を伸ばし、ウィリアムはその華奢な指が穢れてしまうことを恐れるように手を離す。
空が汚染され光を失いつつある地上にありながらも美しく輝く彼女の金と、血で濡れても色を変えない自分の黒が相容れることは一生無いのだから。
傭兵はただ求められた結果を出し続ければいい、それが出来ない傭兵など無価値な存在でしかない。
そしてそれは戦いの中に居ない傭兵も同様だ。傭兵である自分に価値があるのならそれ以外を望む必要はない。幸いにも戦い続ける力だけは手にしているのだから。
血と硝煙で薄汚れた手を取ってくれた少女を想うのであれば、それ以外の選択肢はありえないのだ。
「それはそうと、1つお願いがありますの」
「お願い、ねえ。俺が叶えられる事なら構わないけど」
どこか悲しげに目を伏せるローレライ。こういった交渉術はアロースミスの教育なのか参謀としての教育で培ったものなのか。
将来はローズマリー以上の女傑になるのではないかとウィリアムは戦々恐々とした。そうなってしまえばウィリアムのような浅学な傭兵など口先三寸で致命傷だ。
「そんなに難しい事をいうつもりはありませんので大丈夫ですわ。それにウィリアムさんしか出来ない事ですの」
弾丸帯を体に巻いて走る弾丸帯運びマラソン、地雷原でただ棒を倒すだけの地雷原棒倒し、空薬莢を吊り上げられた籠に投げ入れ続ける弾入れ。
ローレライの言葉でフラッシュバックしたのは防衛隊時代の常軌を逸した訓練。世間の常識を知らない以上やらなければどうにもならない為ウィリアムは文字通り必死になってこなしたが、後日そんな危険な事をするのは第7小隊だけだと教えられプライベートな時間全てをアドルフの無視する事に費やした事があった。その結果まさか保護者兼上司に土下座される事になるとは思わなかったが。
「加えて生死に関わらないもので頼むよ」
「そんな事言いませんわ」
変なウィリアムさん、とクスクスと笑うローレライにウィリアムは内心で胸をなでおろす。
ローレライは知らないのだ。ボディアーマーの上で炸裂する弾丸帯を、倒された棒により破裂する地雷を、狙いが外れ落ちてくる薬莢という金属片を。ウィリアムの保護者となった男は悪気も無くそういう事を平気で部下と一緒にやる男だったのだ。
「ローラと呼んでいただけませんか?」
予想だにしないお願いにウィリアムは呆気に取られる。勝手に生命の危機を感じていたのはウィリアムで、ローレライのお願いを見当違いな方へ邪推していたのもウィリアムだった。
しかし、とウィリアムはローレライの聡明さに舌を巻く。
意識の混濁からウィリアムは名前を呼ばないようにしていたが、ローレライは言葉の1つ1つを聞き逃さないようにしていたのだろう。
仮初めであっても誰かの特別になる事になる事に忌避感を感じているウィリアムはそれを拒否しようとするが、不安げに覗き込んでくるローレライになす術もなく折れる事となった。
アロースミスはチャールズが特別優秀だっただけで実際は女系の一家なのではないか、そう思うほどにウィリアムはアロースミスの女に勝てる気がしなかった。
「……ウィルだ」
「え?」
観念したウィリアムの呟いた言葉にローレライは疑問符を返す。
「ウィルだ、ローラ」
「……はい、ウィル」
目も合わせずに素っ気なく言葉を言い捨てるウィリアムにローレライは満面の笑みを浮かべて返した。
ローレライを変えてしまったのは自分である以上、せめて戦いが終わるまで、自分がこの少女の傍らから消えるまでこの子の願いを叶えてあげよう。
そんな事を思いながら、彼女の事を思えばこその帰れという言葉すら言えないまま、ウィリアムは胸中に湧いた寂寥感を押し殺した。




