Down To Loneliness/Drown To Holiness 4
「……企業と戦うおつもりですの?」
「無茶なのは理解してるけど、それでもだ」
肩を竦めるウィリアムの灰色がかった瞳を、ローレライは覗きこむ。
その瞳に点る諦観に似て非なる感情に、ローレライの不安が加速していく。
「アドルフ・レッドフィールドはウィリアム・ロスチャイルドの義理の兄で、ウィリアム・ロスチャイルドを庇って殺された。でもおかしいんだ。もし俺がウィリアム・ロスチャイルドだとして、何でアドルフ・レッドフィールドの記憶を持ってるんだ」
復讐者とは、適役とはどういう事か、そしてこの左目は何なのか。
自分は本当は誰なのか。
それを知るためにウィリアムは、誰かが描いた道筋を辿らなければならない。
生きていた意味は消え去り、縋りついていた自我は偽者だったのだから。
「お兄さんは、ウィリアム・ロスチャイルドですわ! それはわたくしがほしょ――」
「それはどうかな――ウィリアム・ロスチャイルドには、こんな物はなかったはずだよ」
そう言って見せ付けられた眼球にローレライは絶句してしまう。
醜い傷痕が刻まれた目蓋から現れたのは、緑と黒の幾何学模様が走る瞳。
一目で自然物ではないと理解出来るソレに、ローレライは言葉を失ってしまった。
「驚かせてゴメンね。どうやら、よほど気持ち悪い物だったらしい」
どこか疲れたような笑みを浮かべるウィリアムは、ローレライに詫びながら左目を閉じる。
その様子に傷付けてしまったとローレライは後悔するも、ウィリアムは気にしたような様子も見せずに続ける。
「眼帯を取った事はある。鏡で自分の顔を見た事もある。でもあの眼帯の事を、この左目の事を不思議に思った事はなかったんだ。今この瞬間、ローラちゃんが怯えるほどに醜いこの左目を、だ。きっと今の俺は何もかもがおかしくなってる――だからこそ、俺は"俺"を取り戻す。そのためなら奴らが仕組んだ復讐劇を演じてやるさ」
「……行かせる訳にはいきませんわ」
違う、そうじゃない。
そう思いながらも自身を縛り付けるしがらみに、ローレライはそれ以上を告げる事は出来ない。
しかし胸中に湧いた醜い独占欲が、何をしてでもその男を手に入れろと訴えているのだ。
トレーシー・ベルナップ、自分と彼を引き離すあの女が居ない今こそ、彼を手に入れる最後のチャンスなのだと。
「悪いけど任務は終わった。俺を縛れるものはもう存在しないはずだし、俺がここに居る事を喜ぶ人間も居ないはずだよ」
「でしたら、新い依頼を。コロニーを失ったキャラバンの戦略指令の護衛と補佐を――」
「待ってくれ、"臨時"はどこへ行った?」
消えてしまったその言葉に、ウィリアムは思わずローレライの言葉を遮ってしまう。
絶対的な爵位こそ存在しないが、ポストと血筋を重要視するBIG-Cの人間としてそんなミスはありえない、と。
ローレライはウィリアムの問い掛けに、視線を逸らしてしまう。
母にも言えていない事実、誰にも避けられなかった悲劇。
縋ってはいけないと分かっていても、ローレライは耐え切れずそれを口にしてしまった。
「……お父様が、亡くなられましたの」
「まさか、間に合わなかったのか?」
そう問い掛けながら、ウィリアムは思考を走らせる。
BIG-Cで、荒野で、Crossingで。
撤退戦時に、移動時に、脱出時に。
どのタイミングであっても誰かが死ぬ可能性があったのは事実で、チャールズが自身の脱出を最後にするであろうという事は理解していた。
だが同じ車両に負傷したアロースミスの腹心達を乗せていた以上、無理はしないだろうとウィリアムは考えていたのだ。
しかしそんなウィリアムの考えを、ローレライは首を横に振って否定する。
「お母様が仰っていた"例の急襲部隊"のターゲットがお父様でしたの。BIG-Cの生き残りは事実上、ここにいる全員だけですわ」
嗚咽こそ堪えているも、ローレライの切れ長の目からは涙が零れ落ちる。
たった1人の父が死んだのだ、悲しくないはずはない。
「擦っちゃダメだ」
ウィリアムは涙を拭おうと擦るローレライの手を掴む。
その手はウィリアムのせいで薬品と血で汚れ、戦争の重責を背負うにはあまりにも華奢だった。
「なおさら、ここに居る訳にはいかなくなったね」
アロースミスの教育によって持つようにしていた清潔なハンカチ。
黒一色の布地にローレライの涙を染み込ませながら、ウィリアムは無力感と共に吐き捨てる。
チャールズというターゲットの殺害が成功した以上、このキャラバンを企業が襲う理由はないと考えられる。
しかしこの左目を持った自分という"新しいおもちゃ"がここに残っては、企業の私兵達を呼び寄せてしまう。
状況に求められた早急な行動にウィリアムは、不機嫌そうに眉間に皺を寄せる。
勝つための用意をしてから戦争を始める訳にはいかないのだから、それも無理はないだろう。
「だとしても、行かせる訳にはいきませんわ」
「チャールズさんが命を懸けて守ったものを、俺のせいで失う訳には――」
「お父様は、お兄さんも救うおつもりでしたわ」
「……俺を、救う?」
理解出来ないとばかりに顔を顰めるウィリアムに、ローレライは頷いて言葉を続ける。
「お父様はずっと悔いていましたの。自分が謀略に弱いせいでお兄さんが追い出されてしまった事を、お兄さん1人に全てを押し付けてしまった事を」
「傭兵って言うのはそういうものさ」
「だとしても、それはアロースミスの在り方ではありませんの。2度も命を救って下さった恩人を、無碍に扱うなど考えられませんわ」
「冷静になれローラちゃん。恩返しの為に復讐の幇助するなんて考えは捨てるんだ、それは誰にとっても望ましい結果にはならない。そもそも俺は十分な報酬を得たし、その復讐の後でBIG-Cの人達をどうするつもりなんだい?」
ウィリアムはもっともな言葉を選びながら、深いため息をつく。
自分の生き方が決して立派な生き方ではないことくらい、ウィリアムは十分に理解している。
それでも同情などされたくはなかった。
情けを掛けられている事は、1人前としては認められていないという事なのではないか。
ウィリアムにはそう思えてしょうがないのだ。
今なら理解出来る、あの頃からずっと自分は認められたかったのだと。
アドルフに、アロースミス夫妻に。
だから殺しの技術を磨いた。
だから命を懸けてでも勝利を捧げた。
だから不要となる前に去った。
美しい思い出になりたかった訳じゃない。
それでも唾棄すべき醜悪な過去にだけはなりたくなかった。




