Ride The Bullet/Hide The Cullet 4
少女は呆然として現場をただ見ていた。
至近距離で聞いた事のない大音量の銃声鳴り響いた。
自らが探していた傭兵が持つハンドガンの銃口からは硝煙が上っていた。
そして彼を殺さんとしていた男の手からは大量の血が溢れ呻き、地面に倒れ臥していた。
過程は少女には分からない。
しかし、探していた彼の銃から放たれた弾丸はもう1人の男の指を、肘から先で手甲が唯一存在しない場所を打ち抜いた。
恐慌の中で事態をを整理する少女をよそに、アドルフはため息混じりに吐き捨てる。
「お前が明日からどう生きていくのかなんて俺は知らないけど、掃除だけはちゃんとしておけよ」
指が無くなった灰色の髪の男、隣人はきっと明日から人生が変わってしまうのだろう。
似た細胞で作ったパーツで代用、時には付加をつける事すら出来るオルタナティヴという治療もこの時代には存在する。
しかしそれは資産を持つ者達でなければ受けられない。そういう額が掛かる治療だ。
唯一手が届くであろうナノマシン治療も、指を再生することは出来ない。
もう灰色の髪をした男の指は戻らない。
予想し得なかった状況に少女が未だ呆然としていると、アドルフは銃をしまいながら少女へと振り返る。
「さて、待たせて悪いね」
殺さない為に指を撃ち抜いたという訳ではなく、本当に掃除が嫌だからそうしたような振る舞いに少女は多少の戸惑いを浮かべる。
彼は本当にあの”お兄さん”なのだろうか? と。
「さっきも言ったけど傭兵は廃業してもう依頼は受けられない。あとこれはお節介だけど、傭兵に喧嘩を売るんじゃない。結果としてお嬢さんが売り払われてもおかしくはないんだよ?」
アドルフが最後に付け加えた良心からの言葉に、少女の驚愕から目を見開かせた。
その様子を見たアドルフは、やはり箱入りかと嘆息する。
しかし、知らなかったでは許されない。
愚かな行為の代償は自分の身をもって清算しなければならないのだから。
未だに立ち上がる事も出来ない隣人のように。
「理解してくれ。お嬢さんの身を守ってくれる保護者がここに居ないのなら、自分の身は自分の守らなきゃならないんだよ」
そう言いながらアドルフは腰につけたキーリングを外し鍵を開ける。
頑丈さだけが取り得の扉は大きな音を立てて軋みながら、ゆっくりとその身を動かす。
整備を要求しても直される事はなかった蝶番の音に、アドルフは不愉快そうに眉間に皺を寄せる。
慣れる事はあっても、その音を心地良く思うことなどあるはずがなかった。
「それじゃお兄さんはもう疲れ果てたので寝ます。またいつかご縁がありましたら――」
お会いしましょう。
そう話を終わらせて部屋に消えようとするアドルフの肩を、少女の細い指が止める。
「お待ちになって下さい! わたくしはずっとあなたを探して――」
「事情は知らないけど探してたのは傭兵の俺だろう? 今の俺はただの帰郷を楽しみにする、一般庶民さ」
そう言いながらアドルフは帰れと態度で拒絶する。
傭兵業を営んでいた今日まで自分の軽率な行動のせいでもあるが、ある程度の面倒事にも首を突っ込んでいかなければならなかった。
しかしこの少女の必死な態度を見る限り、少女が持って来た案件は面倒事としては極上のものだろう。
それを理解してしまっているアドルフに、それを受け入れることは出来ないのでから。
「ですが、あなたしかもう頼れないのです!」
「組合に依頼は出したのかい? あいつらは確かに気に食わないけど、仕事だけはキッチリこなす。お嬢さんの予算次第だけど悪いようにはならないはずだよ」
残念ながら組合所属の若手最有力は今日殺してしまったけど、とアドルフは言葉には出さず内心で付け足す。
家の名前という力を持っていたエフレーモフの代わりはなかなか見つからないだろうが、それでも違う腕利きを用意してくれるはず。
そんな事を考えるアドルフをよそに、少女はライダースジャケットの腕を力強く掴んで縋りつく。
「お願いです! 話だけでも聞いてください!」
「機密情報を聞かせて引っ込みが付かなくするやり方なら俺には通用しないよ」
何故なら一度それで貧乏くじを引いているから。
当時何も知らなかったアドルフはあまりにも策謀に対して脆かった。
自らの考えの甘さから何度も命を落とし掛けた。体の至る所に残る幾多の傷跡は自分の愚かしさの象徴だ。
しかし少女はそんな男の考えを飛躍した答えを返す。
「えっと……なら外にあるあのバイク! 話を聞いて下さるのならあのバイクを差し上げますわ!」
「……はい?」
少女が言い放つとんでもない事に思わず男は間抜けな声を挙げる。
この時代に置いて乗り物は、司法が生きていた頃のアンティークでなくても超高級品であった。
資産を持つ者達は自らの乗り物を多数所持し、コロニーの有力者でようやく所持できるほどの物。
この少女が乗ってきたであろうバイクを持つような人間はこのスラムの何処にも居なかった。
大多数の乗り物を持たない人間達はシェアバスという大型の車両を利用していた。
詰め込めるだけ人間を詰め込むその移動手段は上等な手段とは言えないが、大き目のコロニーとスラムを巡る移動手段は他にはなかった。
それも個人個人が勝手にやっている職業であるため、目的地に行けるシェアバスに出会えるかは運次第だが。
エフレーノフのジープもおそらくコロニーの財産だったのだろう。
勿体無い事をした。アドルフの思考が目の前の少女から剥離しかけた時、少女は決断を迫るように口を開く。
「いらないんですの? あのバイク、アンティークのような液体燃料ではなく、運動蓄電式の最近型ですのよ?」
「話だけは聞かせてもらおうか」
負けたとばかりに、それでいて手の平を返すようにアドルフは少女を部屋に招く。
運動蓄電式。つまり走れば走るだけバッテリーが貯まる、燃料の枯渇の心配がないというシステム。
そのシステムは今の時代が唯一旧時代に勝てる最高の発明品だった。
バッテリーが上がってしまえば充電されるまで押して歩かなければならないが、そこまでする覚悟さえあればバイクが使えるということでもあるのだから。
話だけ聞いて簡単に済みそうにない面倒事ならバイクだけもらって帰る。
その時は荷物だけまとめて部屋を明け渡し、明日のシェアバスを待って勝手に帰ってもらおう。
優しくしてやるのはここまでだ。
そう胸中で呟きながらアドルフは、少女を安っぽいソファに座るように促す。
「適当に座ってくれ。悪いけど決して美味しくはないアルコールもどきと、買って1週間放っておきっぱなしの水しかない。どちらもお勧めは出来ないから持て成しは出来ないけどね」
アドルフはジャケットを脱いで、奥にあるベッドに放る。
アドルフの部屋は縦長のワンルームで手前は仕事のスペース、奥がプライベートの寝るだけのスペースと申し訳程度の仕切りで分けていた。
屋根があるだけマシ。この時代に物を持っている人間は少なかった。
服飾は最低限、かつての娯楽は朽ち果て他社の記憶などのデータ。生きるために必要な物しか必要ではないのだ。
傭兵の中には自慢の武器を壁一面に並べる者も居たが、アドルフの趣味ではなかった。
武器は道具だ。飾ったりコレクションをして楽しむ物ではない。
その考えが殺した相手の血が付着する武器を平気で使つ、アドルフの精神を作り上げていた。
「結構ですわ。楽しいお話またいずれといたししましょう」
安物のソファに少女が腰を掛けながら言う。
その言葉には暗に「問い詰めたい事がある」という意思を感じさせ、透き通る碧眼はアドルフを値踏みするかのように男を覗っていた。
やがて少女は軽く咳払いをし、意を決するように口を開いた。