Beautiful World/Crucible Girls
「不公平だと思います!」
ある日の昼下がり、交渉屋アロースミスの制服である黒いスーツを身に纏う亜里沙・リベルタリアは、一仕事終えてアロースミスの屋敷の一室で寛ぐ2人にそう糾弾した。
その言葉を向けられたウィリアム・ロスチャイルドは相変わらず唐突な亜里沙の態度に苦笑を浮かべ、その妻であるローレライ・ロスチャイルドは味覚の無いウィリアムにせめて匂いだけでも楽しめるようにと紅茶を用意していた。
「不公平だと思います!」
結果的に言葉に応えなかったウィリアムと、意図的に無視をするローレライに亜里沙は自らの膝を叩きながら再度声を張り上げる。
そんな後輩の様子に見かねたウィリアムは、嘆息した後に問い掛けることにした。
「何が不公平なんだい、亜里沙?」
「ローラさんにはアクセサリーあげたのに、あたしには何もないと言うのは不公平だと思うのよ!」
空気を裂くほどに勢い良く振られた亜里沙の指先は、ローレライの胸元に輝く金色のフレアの首飾りに向けられた。
ローレライはウィリアムの隣の席を確保しつつ、呆れたように嘆息する。
「まったく、何を言い出すかと思えば。本当にお子様ですのね」
「なにおう!?」
トップのフレアと同じく金で作られた細いチェーンに通されたその首飾りは、ローズマリー・アロースミスからウィリアムロスチャイルドに贈られたアロースミス家の家宝であり、醜い復讐劇に巻き込んでしまったローレライに贈った物だった。
「これはアロースミスの家宝にして、ウィルがわたくしに贈って下さった物。つまりこれがわたくしの元に来るのは当然であり、ウィルはわたくしをそこまで想ってく――」
「つまりマッチポンプって事ね、やってくれるじゃない」
得意げに語っていた言葉を遮られたローレライ、そしてそれをやってのけた亜里沙。
前者は引きつった笑みを浮かべながら手に持ったカップに罅が入るほどに握り、後者はそれに得心を得たとばかりにしたり顔を浮かべる。
勘弁してくれ。
言葉にならぬ声でそう毒づきながら、ウィリアムは空気が張り詰め出した室内で顔を右手で覆う。だが美しき淑女と勇ましき解放者は、なおも闘争の匂いを深めていく。
「ウィルがわたくしに贈ってくださったこれを、仕組まれたマッチポンプの産物だと、そう仰るおつもりですの?」
「へえ、自覚はあるんだ。伊達に参謀やってたわけじゃないみたいね」
2人は表面上は穏やかに、水面下では悪辣な攻防を繰り広げ、ウィリアムは痛みを訴え始めた胃を労わるように腹に手を添える。
どの戦場よりも過酷な修羅場の渦中、両手に抱えた花の棘がブービートラップのようにウィリアムを突き刺すも、花達はその優美さを輝かせるのをやめはしない。
「よく言いますわね、人の旦那様に擦り寄る泥棒猫が」
「ええ、その為に交渉役の教育を受けてるんですもの。使わない理由はないでしょ?」
「アロースミス家の交渉術をそんな事の為に!?」
胸を張ってカミングアウトする後輩の中の交渉術の在り方に、ローレライは表情を引きつった笑みから驚愕したものに変える。
アロースミス家の女傑達が作り上げてきた交渉術は大変効果的なものであるが、それと比例してそれを自らの力とするのに大変な労力を要するのだ。
「残念だけど亜里沙、俺はアクセサリーなんて持ってないよ」
物資が枯渇したこの時代ではシルバーの指輪1つで殺し合いが始まるほどに貴金属はその中でも貴重な物となり、1傭兵でしかなったウィリアムがそんな物を持っているはずが無かった。
「それくらい分かってるわよ。リベルタリアの屋敷にもあんまりなかったし、ウィルにそんな高価な物を望むつもりはないわ」
そう言いながら亜里沙はジャケットの内側に手を入れ、内ポケットから黒い小さな箱を取り出す。その小さな箱は亜里沙の手の平に収まるほど小さく、ベロア調の布が貼られ高級感を醸し出していた。
「に、逃げてくださいまし、ウィル!」
「逃げる!?」
「しかし遅い!」
亜里沙が取り出した箱を見るなりローラは血相を変えてそう叫び、ウィリアムはその放たれた言葉に戸惑い、そして亜里沙はそのウィリアムの左手を掴み、箱を開け取り出した中身を薬指へとはめた。
「くっ、遅かったですわ」
「え、遅かったって何が?」
困惑するウィリアムの左手の薬指に輝く、合金製のリングを睨みつけながらローラは恨めしげに呟く。
それは婚約する"男"が"女"に贈るエンゲージリングという物であり、そんな事を知らないウィリアムは不思議そうにソレを見やる。
「ウィル! それを早く外して下さいまし! 同意無しに着けられただけ、それにそれ自体に強制力がある訳ではありませんわ!」
「え、何かやばい物なのかい?」
「激ヤバですわ! だから早く――」
「遅いって、そう言わなかったっけ?」
亜里沙がそう勝利を確信したように言葉を紡いだその瞬間、微かな金属が擦れ合う音がウィリアムとローレライの耳に届く。
そしてその音は、ウィリアムの左手から確かに聞こえていた。
「どう!? メアリーさんにお願いしてよくわかんないルートで仕入れてもらった|エンゲージリング《Engage RIng》、改め、|結婚は人生の墓場ではなく終着点《And Cage Ring》よ! 縮んだ分は一生伸びないわ!」
「なんかの枷ですの!?」
「失礼ね、それは解放の証よ――ちょっと縛られる相手が代わるかもだけど」
「ただの性質の悪い枷でしたわ!? ウィル、ちょっと痛いかもしれませんが無理にでも外して下さいまし!」
「あー……そうしたいのは山々なんだけどさ……」
苦笑を引きつった笑みに変えつつあるウィリアムはそう言いながら、話題の中心となっている自らの左手を上げて2人に見せた。
「これ、止まらないんだけど」
「え?」
突如放たれた言葉とうっ血し紫色に変わりつつある指に、亜里沙は間の抜けたな声を出してしまう。
しかしその間にも、メアリがー面白がって買い与えた指輪はウィリアムの薬指を締め上げていく。
為せばなる。なるまで為す。為すったら為す。
実力に任せて矜持ままに生き、大好きな義姉に自分の屋敷を無償で譲ったメアリーからすれば、ちょっとした妨害は夫婦にとってのちょっとした壁のつもりかもしれない。時と場合によっては指輪を着けられた事くらいはいたずらで済んだかもしれない。
亜里沙に指輪を与えた相手が、趣味と実益を兼ねて人買いの組織を殲滅するメアリーでさえなければ。
「た、レギナさん! チェーンソー持って来て下さいまし!」
「ええ!? 指ごといく気なの!?」
新入り侍女の名を叫んだローレライは慌てるあまりオーバーキルな道具を求め、その元凶である亜里沙はただただ慌てながらそれを止めようとしていた。
「あなたの指輪にもって行かれるくらいなら、わたくしは躊躇いませんわ! ウィル、安心してくださいまし! 指は供養いたしますわ! そしてオルタナティヴの施工費は泥棒猫の給料から天引きしますわ!」
「待つんだローラ! まだ方法はあるはずだ! というか参謀がそんな直情的な行動をするのは駄目だろう!?」
品性を感じさせる調度品が飾る室内を、3人が生み出した恐慌が染めていく。
そしてレギナが隣室から漏れ聞こえた主の1人娘の要請に応え、チェーンソーを用意し更に恐慌は深まる。この騒動は交渉屋アロースミスの女主人が現れるまで続き、指輪は結局ハンドガンによって吹き飛ばされた。
ただただ賑やかで、空白を埋めてくれるような日常。
ウィリアムにはただただそれが愛しかった。