In To The Deep Unknown/Brew The Cheep A Known 8
「見つかりませんわね」
コロニーCrossing特有の区画番号が描かれた壁。
まるで人々を閉じ込める檻のようなそれを眺めながら、ローレライは嘆息交じりに言葉を吐き出す。
コロニーCrossing、旧時代では交通の要として発展していた都市のなれ果てた姿。
その形状は巨大な円筒型をしており、その横に広い円筒の中に区画された住居ブロックが、その外周にはスラム地区が存在する珍しいコロニー。
過去に企業の私兵集団によって一部の壁が損壊していたが、その部分を含んでも比較的立派なコロニーと言えた。
そして空が暗くなった頃にコロニーCrossingへ辿り着いたローレライ達は、1番広い区画に後続部隊を探しに訪れたがその姿は見えなかった。
「そうだね。それとそろそろ放してもらえないか?」
「ダメですわ。あんな事をさせらたんですもの、エスコートくらいしていただいてもバチは当たりませんわ」
そうふて腐れたように言うローレライの腕は、バイクを押すアドルフの左腕を抱えていた。
予期せずに無茶に付き合わされた事にローレライは荒れた。
バイクの耐久性を見越していたのは理解出来る。
弾丸の消耗を避けたかったのも理解出来る。
それでもかつての家宝をたった数日間で乗りこなし、その家宝によって立てられた無茶な戦術に我慢がならなかったのだ。
初めて出会う脅威、初めて感じた浮遊感。
初めて尽くしのそれらに心が乱されてしまうのも無理はないだろう。
しかし心が乱されているのはアドルフも同じだった。
Crossingはアドルフの故郷であり、将来を約束した女を待たせているコロニーなのだ。
この光景をもし見られてしまったら。
それを考え出すと胃がキシキシと悲鳴を上げ始めるのだ。
「ならまず荷物を置いて来てもいいかな? こんな状況じゃお互い不安定でしょうがないだろ」
そう言ってアドルフは荷物を括りつけているバイクを指差す。
後続部隊に届けなければならない物資があるのは確かだが、バイクという高級品を持って歩くのは目立ってしょうがない。
目立つ事で後続部隊がローレライ達を発見しやすくなるというメリットがあるかもしれない。
だがアドルフはそれ以上にバイクという高級品によって起こされるトラブルに、ローレライが巻き込まれてしまう事を恐れていた。
現にローレライは旧リヴァプールのスラムで、傭兵相手に勝てないケンカを売っているのだから。
「……そうですわね、お相手の方にもお会いしたいですし」
腕を抱き寄せにくいという不満と、言葉通りの欲求からローレライはアドルフの申し出を受け入れる。
しかし歩んでいる方向は一切変わらない。
その事実にアドルフが最初からそうするつもりだったのだと理解し、ローレライは思わず深いため息をついてしまう。
ローレライの知る中では最強の傭兵である"お兄さん"、そんな男を射止めた女が気にならない訳がない。
2人は大規模区画を抜けて圧迫感すら感じる廊下を進んでいく。
ローレライがふと視線を上げると、頭上には壁のフレームに切り取られた夜の暗灰色の空があった。
その寂しげな光景に、ローレライの胸中が妙な不快感を訴え始める。
数年前、"お兄さん"がコロニーから追い出された時にも感じていたたその不快感の名前をローレライは知っている。
寂寥感。
この数年間、ローレライは参謀としての力をつけた。
"お兄さん"のような犠牲者を生み出さないために。
誰よりも傷つきながらも、運命を受け入れさせられた"お兄さん"に寄り添い立つために。
しかし明日からはそれは許されない事となり、"お兄さん"とローレライはただの他人に成り下がる。
一方的に縋っていた事は理解している。
"お兄さん"は優しさからそれを受け入れたくれていた事も理解している。
だからこそ、2人はこれが最後なのだ。
"お兄さん"は将来を誓った女性と幸せに暮らすだろう。
自身はBIG-Cが再興を掲げるのであれば、人々の望みにその身を捧げる事になるのだろう。
別離する2人の道に交差点はなく、ローレライがその傭兵に縋りつく事はもう許されない。
胸中で暴れ狂うチクチクとした不快感、熱くなり始める目頭。
それらを誤魔化すようにローレライが深呼吸していると、アドルフは突然歩みを止めた。
目的地に到着したのだろうか、とローレライは辺りを見渡すも、1番近い区画入り口まではまだ距離がある。
それを不思議に感じたローレライは思わずアドルフへと問い掛ける。
「どうされまして?」
「いや、ちょっと記憶が曖昧でね。大まかには分かるんだけど、合ってるか不安でさ」
返された答えにローレライは僅かに顔を顰める。
アドルフは数年振りに戻ったBIG-C、それも相手の砲撃などで路地がいくつか埋るほどのダメージを負ったかつての任地の道を、あれだけ迷わず進んでいた。
だというのに生まれ故郷の道が分らない、と言ったのだ。
ローレライは信憑性を帯び始めた自身の"記憶代替論"に不安を募らせる。
優秀なオルタナティヴという治療法であっても、脳を代替する事は出来ないのだから。
そしてなにより忘れられてしまうのではないかという不安に、ローレライは焦燥していく。
傍らに立つことは許されず、その上記憶に留まる事も許されない。
そんなのは、嫌だった。
「……何か目印はありませんの?」
「どうだったかな――でも都合よく人が来た、彼に聞いてみよう」
精一杯の強がりを見せるローレライの言葉に、何も知らないアドルフは平然と言葉を返す。
本当につれない人だ。
ローレライは思わず苦笑を浮かべてしまう。
「そこの人、ドレーシー・ベルナップの家を知らないか?」
「トレーシー・ベルナップ……ああ、あそこの」
アドルフに声を掛けられた灰髪の男は、考え込んだ末に見当がついたとばかりに指を鳴らす。
こんなにも広いコロニーで1人の女を知っている男。
さりげなく、それでいて違和感のない程度にローレライは疑惑の視線を灰髪の男へ送る。
全てが"お兄さん"と自分を引き裂こうとしているのではないか。
そんな被害妄想がローレライを駆り立て、やがて自己嫌悪に陥らせる。
その惨めな在り方に、高貴なる者の義務などありはしないのだから。




