Perfect Killing/Wrecked Willing 5
水分を含む灰髪にタオルを押し当てながら、ナターシャは秘匿回線でヨルダノヴァの端末をコールする。
ヨルダノヴァはナターシャが連絡をするまで寝ない。
そう人鳳に言われてから寝る前の通信はナターシャとヨルダノヴァと習慣となっていた。
『こんばんわ、ナターシャ様!』
「こんばんわ、ヨルダ」
朝とは違い、数度のコールもなく受諾したヨルダノヴァにナターシャは口元を緩める。
何もかもを崩壊まで蹂躙し尽くす藍色の騎士。
その恐ろしくも愛らしい腹心に慕われているというのは、決して悪い気はしなかった。
「今日はどうだった?」
『特に何もありませんでしたよ。"偶然"迷い込んだPMCとかも居ませんでしたし』
「そう、なら退屈だったでしょう?」
『そ、そんなことはありませんけど……』
「ありませんけど?」
『……ナターシャ様にお会い出来ないのは、寂しいです』
言葉を返す事で先を促したナターシャは、しょんぼりとした口調で放たれたあまりにも可愛らしいその言葉にクスリと笑みをこぼしてしまう。
しかしそう思う半面で、ナターシャは謀略を更にもう1段階進める事を決める。
人鳳に頼りきりの組織運営に不備があるのは当然であり、不備の原因の解決は首領であるナターシャの義務であるのだから。
「ごめんなさいね、ヨルダ。まだしばらく戻れないけど、全部片付いたら2人でゆっくりどこか出掛けましょう」
『ほ、本当ですか!?』
「ええ、本当よ。だからあなたは体に気を付けてちょうだい。あなたは、私の切り札なんだから」
『は、はい! も、もう寝ます! 体に気を付けなければならないので!』
「わかったわ。おやすみなさい、ヨルダ」
クスクスと笑みをこぼしながら、ナターシャは通信が切れた端末で今度は人鳳の端末をコールする。
ヨルダノヴァに褒美をくれてやるのなら、人鳳にも何かをくれてやらなければならない。
そんなことを考えている内に通信は受諾され、人鳳はうんざりとした口調で応じた。
『よう、あいつの部屋がすっげえうるせえんだけど』
「ごめんなさい。あの子があまりにも可愛いから、つい」
『まあ士気を下げられるよりはいいけどよ――それで報告はあいつから受けただろ? 何の用だ』
ナターシャは柔らかな笑みを浮かべていた顔を、必要とあれば味方にも命を捨てさせる謀略者の顔へと変えていく。
始めるのは最強にして最悪の復讐者を葬る謀略、懸けるのは捨てるためだけに取って置いたプライドだ。
「計画の目処が立ったわ。約1月後、コロニーLibertaliaを襲撃してパトリック・リベルタリアを殺害なさい。そして交渉屋アロースミスを通して復讐者をここまで呼び出すわ」
『待ってたぜ! でも、それだけじゃねえんだろ!?』
物分りの良い腹心に、ナターシャは酷薄な笑みを浮かべて続ける。
「ええ、ヨルダノヴァと私の存在を完全に秘匿してちょうだい。そして私の正体を探ろうとして売女、ローレライ・ロスチャイルドがутешениеに潜入を試みるはず。あなたは計画通りアレを迎え入れて組織の運営の手伝いでもさせておきなさい。少しくらいはあなたも楽になるはずよ」
『おうよ。でも女1人が来たら、流石にあいつら何するか分からないぜ?』
峡谷にある廃施設に潜入を始めて随分な時が経った。
ヨルダノヴァとナターシャを入れても女が2割程度しかいないутешениеの中へ、見目美しい女を入れればどうなるか。
後になって責任を求められては困る、と人鳳はそう問い掛ける。
「それなんだけど、売女には絶対に手を出させないように厳命しなさい」
『めんどくせえな、理由は?』
「だってそっちの方が面白いじゃない。あなたが殺した復讐者の死体に縋りつくのか、私達を恐れて薄汚い死体を蹴り飛ばすのか。どちらにせよ殺すとはいえ、これ以上ない復讐劇だわ」
弧を描く口は堪える事が出来なかった笑いを吐き出し、華奢な手は指先を白く色を失わせながらナターシャの体を抱きしめる。
全てはその瞬間の為に。
部下を失いながらも企業から離反し、愛着がなかったわけではないサルファー・エッジというワンオフ機乗りのトレンツ・コルデーロを計画の機密性を重んじて切り捨て、そして何も知らない少女を利用した。
理解されることはない喜びを求め、そして憤怒を撒き散らす、その瞬間の為に。
『……ああ、やっぱりだ。やっぱり、お前についてきて正解だったぜ――任せろ。お前の謀略は、俺とあいつが必ず完成させてやるさ』
「ええ。期待しているわ、人鳳」
通信を終えた端末をベッドに放り、暗闇に包まれた室内でナターシャは窓へと歩み寄る。
最低限の物しか置いていない部屋はナターシャを妨げず、ささやかな月光は導くように淡い光をもたらしていた。
「……オレフ。必ず、仇は討つから」
ガスによりおぼろげな姿を見せる月へと何かを求めるように手を伸ばし、ナターシャは声にならない声で何よりも大事だった名前を紡いだ。




