Perfect Killing/Wrecked Willing 3
リベルタリア邸の執務室。亜里沙と並んで書類仕事に勤しんでいるナターシャは、リベルタリアの男達の無能さに辟易としていた。
資料のほとんどは貴重な紙で作成されているにも関らず、その扱いは丁寧とは言い難い。そのため亜里沙とナターシャは虫食いだらけの書面を、リベルタリア家所有のコンピューターに打ち込んでいた。
より多くの資料を理解し、より多くの手段を学ぶ事は亜里沙をより成長させる。
そう分かっていても、ナターシャはあまりにも無防備なリベルタリア家に失望を禁じえないでいた。
予算案、避難経路、非戦闘員を非難させるシェルターの全権を掌握できるパスワード。
その気になればコロニーを壊滅させられるほどの情報を、リベルタリアの男達は移民を装ったナターシャに平気で触れさせているのだ。誰もがその優秀さに猜疑心すら抱かずに。
「ごめんサーシャ、これなんだと思う?」
癖のある髪をいじりながら見せてくる書類にナターシャは眉間に皺を寄せる。
書面に並んでいる数字の末尾は掠れており、コンマで区切られた桁以上のものは読み取れそうになかったのだ。
「防衛予算ですか。末尾の数字が消えてしまっているのであれば、コンマで桁を探って、大まかな数字を書くくらいにしておきましょう」
「そんなのでいいのかな?」
「過去の予算案など指標の1つに過ぎません。その資料が使われていた時分とは状況も必要な予算も大きく違いますし、何より資料の欠損はお嬢様のせいではありません」
気にする必要はない、そう言外に付け足してナターシャは肩を竦める。
ナターシャの思考を支配するのは、書面に記載されていた防衛予算。
おそらく同じく小規模なコロニーの防衛予算を参考にしたのだろう防衛予算。それは有色の人間が多く住まうコロニーLibertaliaは人買いから見れば手の付けられていない金鉱のようなものであり、その予算は圧倒的に少なかった。
考えの甘い限りだ。自らが結成した野盗утешениеは、機動兵器のために車両のいくつかを手放したというのに。
せせら笑うことも出来ないほどに甘い、ナターシャは自らの雇用主達のそんな考えに胸中でそう毒づく。
утешениеの主戦力は、機能に欠陥を生みつつあるパワードスーツ等の企業がかつて支給していた装備とそれを纏う歩兵達。そして切り札は刀傷者、人鳳・郭、そして崩壊者、ヨルダノヴァ・ゼノーニが駆るアズライト・キャヴァリア。
技術部が必死になって仕上げに入った量産期のスペックを底上げしたワンオフ機、ヴァイオレット・ヴァーヴァリアンも戦力として頼もしい限りだが、流石に崩壊者という名前を与えられたヨルダノヴァ・ゼノーニが駆るアズライト・キャヴァリアとは搭乗者の腕が違う。
だからこそナターシャは私財を注ぎ込み、貴重な車両を手放したのだ。
「ねえ、これって多い方なの?」
「ただの小規模コロニーなら妥当かもしれませんが、コロニーLibertaliaにおいては少ないですね」
「やっぱり? でも防衛ってある程度お金掛けなきゃ意味ないし、うちみたいな貧乏コロニーには大変よね」
どういう訳か略奪と防衛の大きな差である利益の理解がある亜里沙に、ナターシャは関心したように頷く。
戦う事のリスクを正確に理解し、峡谷という要害に思考停止しない亜里沙。
その思考は謀略者と似て非なり、解放者に相応しいものだった。
「ならば、戦わずに済ませてしまうというのはいかがでしょうか」
「戦わずに済ますって、罠とかで迎え撃つとかは難しくない? 行商人とかまで撃退しちゃったらどうにもなんないし」
考え込むように眉間に皺を寄せる亜里沙に、ナターシャはそうではないと首を横に振る。
「コロニーOdeonに敏腕の交渉屋アロースミスという交渉役が居るらしいですよ。対立するコロニーを交渉によって和平に持ち込んだりしているみたいで」
「それはすごいけど、交渉だけで本当に片付くのかな?」
「正直ケースバイケースですね、1つの方法として覚えておくのも手かと」
「ふーん、交渉屋アロースミス、ね」
記憶へと刻み込むように反芻する亜里沙を横目にナターシャは入力作業を再開する。
信頼する世話役からの助言、それは亜里沙の心に強い印象を残すだろう。
ナターシャにとって亜里沙はその後を気に掛けてしまうほどに可愛い存在だが、謀略の成就は待ち望んだ結末をナターシャに与えてくれる。
そして何よりナターシャには、自らに着いて来た可愛らしい部下達を見捨てたりすることは出来ない。たとえそれが亜里沙を裏切ることになってしまったとしても。
「……少し休憩としましょうか。お茶とお菓子をお持ちいたしますので、少々お待ちください」
自らの中に生まれつつある感情を切り捨てるように、ナターシャは亜里沙を残して執務室を後にする。
亜里沙とレギナが自分を慕っている事も、自分のしていることが彼女らから全てを奪う事だと理解はしている。
それでも立ち止まれない謀略者であり、復讐者としての自分が、何もかもを奪った復讐者がナターシャには憎くてしょうがなかった。




